第2話 幸子が振り絞った勇気

高校2年生の11月…

来月の25日は17歳になる誕生日。

あまり嬉しくない。

怖いことを思い出すから、意識したくないのが本音。


そんな心情を察してくれるお母さんは、クリスマスだと言い張って、小さなケーキを出してくれる。

あの人は、半分どころか全部優しさで出来ている。

大好きなお母さん。


だから家事の手伝いは、どんなことでもやれた。

少しでもお母さんの助けになると思ったから。

料理もいっぱい作れるようになったし、生地別の洗濯の仕方や、頑固な汚れを落とす掃除の方法も覚えた。


七海ナナちゃんや学武マー君の宿題の手伝いも出来る。

ナナちゃんとは一緒にお風呂入ったり、マー君には絵本を読んであげたり。

兄妹の面倒もちゃんとみれるようになった。


お母さんは私を守ってくれる。

だから、私もお母さんを助ける。

いつしかそんな心境を強く持っていたみたい。


あらゆる虐めから自分を守る為に、硬くて分厚い殻に閉じこもった私。

壊すことも溶かすことも出来ない私の閉じこもった殻。

だけど決して諦めずに、一生懸命磨いて磨いて私を助け出そうとしてくれているお母さん。


9年という長い年月、毎日続けてくれた…

不貞腐れることなく…

諦めずに…

少しずつ…

諦めずに…


そのことに気が付いた。

だから、もう、殻の中に逃げ込んだままじゃ駄目なんだ。

私が内側から殻を破らないと、このままではお母さんの方が壊れちゃう。


そんなお母さんに、何か恩返しが出来ないかと思い始めた。

けれど、何が良いかなんて検討もつかず、お母さんを観察してみる。

そうする事で気が付いた事がある。


私達が見ていない時に、溜息をついていた。

帳簿を見ている時だった。

きっと資金繰りが大変なんだ。


そう思った矢先、お母さんのスマホが鳴る。

周囲をキョロキョロと見渡した後、電話に出る。

小さな声だったけれど、物陰に隠れて聞き耳を立てた。

「はい…。はい…。そうです…。申し訳ございません…。お金は近々…。はい…。月末には…。」

どうやら銀行からのようだった。


そっかぁ…

借金があったんだ…

そこで、こーちゃんの話を思い出した。

(アルバイト…)

新聞に挟まっていた、アルバイト広告を探し出し、色んな募集項目に目を通す。


ファミレス…無理。

スーパー…無理。

居酒屋…無理。


駄目駄目。

大勢のスタッフさんと一緒にやるのは、現状の私では厳しいと思う。

続かないと意味がないし。

そう言う意味では、工場や配送の仕分けのような、人数が多い職場も厳しい。

もっと個人店のようなお店はないかな…


裏面を見てみた。

こっちは比較的小さなお店が多いみたい。

その中で、一つの募集が目に止まった。

「弁当屋 藤竹」

アルバイト内容は、弁当作りで時給650円。

裏表全部の募集と比べて、1番安い時給。

だけれど、ここに決めた。


翌朝。

一つの決心を胸に、いつものランニングに出かける。

道端の畑には霜が降りていて、道路も一部が凍結しているほどの寒い朝。

ひまわり荘からこーちゃんの家の前を通り、小さな商店街を走る。

商店街の名は「キラキラ商店街」

申し訳ないけど、名前負けしている。

だって半分はシャッターが降りたままだから。

全然キラキラしていない。


商店街の奥、小さな駅の向こうに、弁当屋 藤竹がある。

この時間から仕込みをしているからか、お店の人を日曜日以外毎日見る。

高齢の夫婦が営んでいて、近くの工場に仕出し弁当を配達しているのを聞いた事がある。

気さくな人柄も手伝って、お店自体は繁盛している方らしい。

そっか。

高齢だから、体力的に辛いこともあるかも。

だからアルバイトなんて募集していると思った。


お店が視界に入ってくる。

何だか鼓動が速い。

走っているからなのもあるけれど、これはいつもとは違う。


怖い―――


正直、そう思った。

だけど私は変わらなければ駄目だと気付いたはず。

モヤモヤと考えているうちに、お店の前まで走ってきてしまった。

「あら、さっちゃん!おはよう!」

藤竹おばさんは、今日も変わらず挨拶をしてくれた。


止まれ止まれ!

無理やり走るのを辞める。

ハァ…、ハァ…

荒く真っ白な息を吐きながら、藤竹おばさんの所へ歩いていった。

9年間、軽く会釈しか挨拶をしていなかった私が、初めてとった行動だったけれど、おばさんはニコニコしながら弁当作りの準備をしている。


「あ…、あの…」

「寒いわねぇ。」

小さくコクリと頷く。

「お早うございます。」

私は深々とお辞儀をしつつ、初めて挨拶を返した。

ちょっとだけ驚いた後に、「おはよう」とゆっくりにこやかに返してくれた。


「あの…」

いつも以上に汗が流れる。

「どうかしたの?」

「募集…」

「募集?」

「アルバイト…」

「あぁ…。最近ね、体が言うことを聞いてくれなくてね。募集したのよ。」


ゴクリ…

生唾を飲む。

走っていないのに、心臓がバクバクしている。

頭に血が登ってきたように、クラクラしてきた。

思わず走り出そうとした震える足を、膝を抑え込んで必死に止める。


「アルバイト…、やりたいです…」

「本当?助かるわぁ~。ちょっと!あんた!」

「なんじゃ?」

お店の奥から、旦那さんがやってきた。

その途端、体が硬直しながら細かく震えているのがわかった。

私は大人の男性がちょっと怖い。


「秋名さんところのさっちゃんじゃないか。本当にアルバイトしてくれるのかい?」

そう、優しく訪ねてくれた。

冷静に…、冷静に…

自分に言い聞かせる。


よく見れば、気の優しそうな初老のおじさんだ。

ニコニコしながら少し曲がった腰で出迎えてくれている。

身長差もほとんどない。

怖くない…、怖くない…


「はい…。やりたいです…。こ…、こんな私ですが、雇ってくれますか…?」

二人は同時に顔を見合わせると、直ぐにニコニコ顔で「もちろん!」と言ってくれた。

おばあさんの手引で、どんな仕事内容なのか見せてもらった。


重い食材の運搬や、昼食用の下ごしらえ、出勤前に買いに来てくれるお客さん用の調理は盛り付けまで行う。

「朝は…、何時から…?」

「儂らは4時から準備しとるで、好きな時間に来て、学校が始まるまででどうじゃ?」

「はい…、わかりました…」


ここ弁当屋さんまで来ると、学校まで近い。

時間になったら着替えさせてもらって、直接学校へ行けばいいかな。

それに、夜は自由に時間が使えるのは助かると思った。

お母さんのお手伝いや、宿題、それに筋トレも出来る。


「最後に、秋名さんにはちゃんと許可をもらっといで。後は自由に働きに来たらええ。」

おばさんはそう言ってくれた。

こっちで働く時間を決めるとは思ってなかったけれど、精一杯妥協してくれているんだと感じた。

少し気が楽になる。


その日の夜。

お母さんと一緒に料理を作っている時、早速相談してみた。

「お母さん。」

「ん?」

「あのね…。」

急に怖くなる。

もしかして反対されるかもって思った。


「あのね…。」

「好きな人でも出来た?」

突然言われてビックリして、違う違うと大きく首を振る。

「あのね…、アルバイト…、したい…」

「いいねぇ!どこ?どこでやりたいの?」

取り敢えず反対はしないっぽい。


「お弁当屋さん…。藤竹さんところ…」

「あれ?朝やるの?」

「うん。夜は家のお手伝いや勉強、それにナナちゃんやマー君の面倒みたいし…」

筋トレをしているのはお母さんも知っているけれど、敢えて言わなかった。


「じゃぁ、一緒に面接行こうか!」

「えっと…、えっと…。もう行ってきた。お母さんに許可だけもらってくればいいって…」

言い終わる前に、ギュッとハグするお母さん。

「偉いよぉ~。自分で考えて、決めて、行動する。これは大人になる第一歩だから。さっちゃんは、アルバイトをやることで、一つ大人になれたんだよ。」

笑顔で語るお母さんは、本当に嬉しそうだった。


鍋が吹き出しそうになって、慌てて料理の続きをする。

「何か欲しい物でもあるの?」

お母さんは包丁で野菜を切りながら聞いてきた。

「まだ…、決めてない。」

「自由に使っていいからね。さっちゃんもそろそろお化粧覚えてもいいし、可愛い服を買ってもいいわね。そう言えば靴だってお古ばかりだし…」


「い…、いらないよ。今ので十分。」

「え~?女子高生なんだから、お洒落に気を使っても可笑しくないからね。まぁ、気になったら一緒に買いにいきましょ。」

「うん…」

「直ぐに欲しい物がないなら、貯金ね。しっかり貯めて、いざという時に使うのよ。」

「わかった。取り敢えず…、そうする。」

「うん、うん。」


お母さんは嬉しそうに料理を作る。

そんな大袈裟なことじゃないはずなのに。

クラスメイトでもアルバイトしている子は沢山いる。

そう言えば、こーちゃんの義理父さんは、ボクシングジムを立ち上げていて、コーチをしていると聞いた。

こーちゃんも手伝いをしているみたい。

最近は本格的にボクシング指導の勉強もしているとも聞いた。

その事をお母さんに告げる。


「幸一の場合は、アルバイトと言うより家事手伝いかもね。三森さんはね、独身なのに幸一のことを引き取ってくれてね。変わり者というか何というか、自分のやりたいようにやる人でね。でも、面白い人よ。今度遊びに行ってみる?」

その言葉に、首がちぎれんばかりに否定した。

「だって、ボクシングとか怖いもん。」

「フフフッ…。まぁ、こっちも気が向いたらね。」


取り敢えずアルバイトをする許可は貰えた。

私は早速取り掛かることにする。

今日はマー君を寝かしつけながら一緒に10時には寝て、翌朝3時に起きる。

3時半にはランニングをしながら家を出て、アルバイト先へと向かう。


リュックには制服が入っている。

教科書の詰まった学校指定のカバンも持ってきた。

「お…、お早うございます…」

「あら?こんなに早く来なくても大丈夫よ。」

「仕事…、覚えるまでは…」

「偉い!」

ビクッ

旦那さんの大きな声に驚く。


「こんなにやる気がある若い子は初めて見たわい。気の済むようにしてええけど、学校の勉強に支障がないようにな。学生は勉強が本分だから学生と言うからの。」

おじさんはそう言ってくれた。

二人共、ちゃんと私を見てくれていると感じた。

だから私も、二人の期待に応えたいと思った。


仕事は予想以上に大変だった。

暗く寒い中での準備作業。

「カイロは大量に安く買ってあるから、好きなだけ使ってええで。」

山の様な食材の移動は、筋力も体力も使う。

「腕に頼って持ち上げると、腰を痛めるで。体の全体を使ってやるんじゃ。」


そして山のような食材を調理していく。

「料理は買ってくれた人が食べるという事を忘れずにな。丁寧に素早く。」

作られていく弁当の数も半端じゃない。

「蓋を開けた時に、美味しそうって感じられて、気分良く食べて貰えるように盛り付けるんだぞ。」


お手伝いで料理を覚えておいて良かった。

こんなところで役に立つとは思ってなかった包丁さばきは褒められたから。

寒いはずなのに、薄っすら汗をかくほどの重労働。

マスクをしながらだから呼吸も苦しい。

だけれど、とてもやりがいというか、上手く表現出来ないけど、そういう感じを受けていた。


私、少し変われた気がする。

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