第55話 夏への扉
女子会から帰ってきた五人が、ファミリーの新居へ戻ってくる。すでに地球に帰る時間が迫っており、地球人たちはエルルにあいさつを済ませるとアバターボディ用のベッドに横になった。
普段なら、すぐに地球で朝を迎える。でもその日のイーノは、少しだけ精神体のままで意識を遺跡へと飛ばしていた。
意図的に、そうしたかったわけではない。初めての遺跡探索と実戦。その後にクワンダたちと話した初陣の評価や、明らかになった勇者候補生の導入反対派の存在。そしてその懸念を吹き飛ばすような、予備役冒険者のオリヒメとゾーラとの楽しいひととき。メルのビキニアーマーに意外な興味を示したオリヒメ。それらが複雑に絡み合った何かが、遺跡の奥でイーノを呼んでいた。
少し上から、ドローンで見下ろしたような視点で遺跡内を進んでいくイーノ。勇者の落日を夢で見たときのように、寒さなど感じず。氷像たちに気付かれることも無いまま、半透明な精神体になって大通りを進む。アバターボディで来たときには避けていた巨像の頭上を通過し、氷像たちと戦った広場の上空へ向かう。下を見ると、地球人たちに倒された乙女の像が起き上がり、落とした水瓶を拾って噴水の元の定位置へ戻っていく。そこでまた水瓶を凍った池へと傾け、元通りのポーズをとった。他の氷像たちも、元の位置に戻っている。
イーノは、更に遺跡の奥へと進む。先程から風景に微妙な違和感を感じていたが、前回の探索時とは少し地形が変わっていた。これが入る度に構造を変える、迷宮化の呪いだろうか。
やがて、市街地の最奥にひときわ巨大な鉄の巨人が鎮座しているのが見えてくる。やはり、イーノを認識しておらず動き出す気配が無い。その背後には、巨人が守るに相応しい巨大な扉が見える。
扉からは、何者をも通すまいとする静かな威圧感が伝わってきた。何らかの力で、厳重に封印されているらしい。その扉に施された美しいレリーフに、イーノの目は釘付けとなった。
女神アウロラと思しき人物と、乙女たちが水浴びを楽しんでいる。飛び散る飛沫は宝石のようにキラキラ光って、虹を描いている。どこか、大聖堂の壁に飾られた色鮮やかなステンドグラスのようだ。永久凍結世界・バルハリアでは遥か昔に失われた、夏の光景。それはまるで、この扉の封印を解きたければこうしろと言わんばかりの謎かけのようでもあった。
そのレリーフを忘れまいと、強く心に焼き付けたところで。イーノの意識は地球に引き戻された。
イーノには知らないことだが、運営チームの主要メンバー三人が突然眠ったまま起きなくなった
似たようなことを、もう十五年以上やってきたのだ。残りの社員だけでもお決まりのテンプレをなぞるくらいは、過去のイベントページを参考に十分可能だった。
「今年も来たね!水着コン2018。あたしはもう、早速リクエスト受理されたよ」
「わたくしは、去年頼んだ分で十分ですわ」
「さあ、書き入れ時なの。どんな過激な水着でも、ドンと来いなの♪」
メルとユッフィーとモモが、マキナの小隊掲示板で雑談している。マキナの前作だったPBWが相当駆け足なやっつけ仕事で運営終了し、そろそろ次回作が発表されようかというタイミングだ。
即興の天才であるミスター・ビッグ社長が率いる
今のMP社を支えているのは、練り込まれた緻密な世界観やストーリーではない。便利で魅力的なシステムを支えていた優秀なエンジニアは、すでに去った後だ。有名動画投稿サイトとのタイアップに集客を依存した、見せかけだけのハリボテみたいな「かつてゲームだったもの」に嫌気が差した古くからのファンも、何も言わず静かに去っていった。残っているのは空騒ぎしたいパリピと、惰性に流されてアトリエ沼から抜けられないヘビーユーザーと、過激なエロ絵目的の客と、ただのなりきりSNSとして退屈なストーリー進行そっちのけで駄弁ってるユーザーぐらいだ。
たぶん、他に行き場や居場所の無い引きこもりの人も含まれている。かつての経験から、イーノはそう読んでいた。せめてMP社が潰れたとしても、その人たちには自分の手で代わりの居場所を作ってあげたい。そう思って、競合他社の調査とユーザーの不満を自分のつくるサービスに活かす名目で、イーノはマキナに残っていた。半分くらいは、自分もまた他に行き場の無い難民なのだと自覚しながら。
MP社が即興力の高さ故に陥った泥縄式の負の連鎖の全てを、イーノは変えたかった。まず、物語や世界観が良くなければ始まらない。一年も経たずに飽きられる薄っぺらい舞台ではなく、十年以上の運営にも耐えうる緻密で重厚な土台が。見る人の共感を呼ぶテーマが。それをよりよく伝えるため、一通り読みさえすれば設定がすんなり頭に入る、原作小説が必要だ。
堅固な地盤があれば、それが当たった時に小説の書籍化、漫画化、ゲーム化など。他のメディアに展開して、ひとつのコンテンツが繰り返しお金を生んでくれる。一度作っただけで使い捨て、再利用すらままならないようではあまりに無駄が多い。
イーノの小説は、最初から十年以上の長期展開、メディアミックス展開を前提に構想されていた。実現のあても無いままに。
その小説を原作として、他のユーザーの夢渡り体験や見聞きした異世界のエピソードを取り込んで拡大していける、PBWの「次」を見据えたなりきりSNSをつくる。そのためには、自分自身もある程度はプログラミングを理解できないとエンジニアとの相互理解に支障が出て、優秀な人材に去られたMP社の二の舞になる。
事実、会社に勤めて数年して一定以上の技術を身につけ実務経験を積んだら、フリーランスに転向するエンジニアが少なからずいることを知り、イーノは他人事ではない危機感を感じていた。
さらに、イーノには普通に会社員になって技術と実務経験を得ることが困難だった。プログラミング上達の一番の近道は、仕事でプログラミングができることと、詰まった時に質問できる熟練者が近くにいる環境を手に入れること。けれどADHDによる不注意の多さと認知の歪み、生まれてから一度も正社員なんかになったことがない彼には、面接を通る自信も会社組織の中で上手くやっていける根拠も無い。当然、求職活動を続けるモチベーションも湧いてこない。
せっかく高いお金を奮発してプログラミングスクールに半年通っても、働きながら勉強と作品制作と就職活動を両立できず、ベネカSNSの試作版は就活用のポートフォリオとしても役に立たない中途半端なものになってしまった。甘い見込みのせいで、自分はまたも投資を回収できないでいる。そしてもうそろそろ、見切りをつけて退職した前の職場も事業所移転により完全閉鎖される。もう同じような物流の仕事につくつもりはない。将来性が無いのだから。
また、引きこもりに戻りつつある自分。それに抗うように小説の執筆を進める。これだけは、途切れることなく苦労も感じず続けられた。すでに数年分の構想が頭の中にある。
自分の作品を、どうやって世に出すか。イーノはその道筋も考えていた。今はとある大手出版社の運営する小説投稿SNSで連載をしているが、新人賞などに応募する気はない。新人賞やその手のコンテストは非常に狭き門であり、強力なライバルとの過当競争が起こる。自分にそれを戦い抜く勝算は無い。遺跡の探索と同じで、勝ち目の無い敵は回避して進むのがイーノのポリシーだ。
新人賞に応募するなら、自分の作品を「嫁に出す」覚悟もしなければならない。大抵の場合、応募の時点で全ての権利を出版社に譲り渡すことに同意しなければならないからだ。
イーノの小説は、自分でつくるなりきりSNSの世界観の土台になる、原作としての役割がある。だからそれを他人に邪魔されるわけにはいかなかった。
用心深いイーノは、出版社や編集者の役割についても情報収集を進めて警戒心を高めた。新人賞に通ったが、編集者の方針に振り回されて本来の持ち味を失い、作家の道を諦めた人のブログを読んだりもした。
好きだった人気漫画が打ち切り同然の不完全燃焼な結末を迎えたと聞いて、その影に作者の意向を歪める何かを察知したり。新人賞に通るには選考委員のご機嫌取り
をした上で、デビュー後にはさらに関係者のご機嫌を取って売れる小説を書かねばならないと知り。イーノはますます出版社と編集者への偏見と警戒心を強めた。何だか出版不況と呼ばれるものの原因を垣間見たような気さえした。
そういえば、以前に編集者を主人公としたアメリカの映画を見たこともあった。文章が湯水のように湧いてくるが、自分では上手くまとめられない天才肌の無名作家と。彼の才能を見い出し作品をベストセラーに育てた編集者との交流を描いた内容だった。あのような編集者が今の日本にいるのかは、分からない。小説全体を作者以上に俯瞰し、作品の本質を理解した編集者が「より良い表現のために」リライトを求めるのならば、イーノにも受け入れる用意はある。
しかし現実には、目先の利益だけのために売れる要素をとにかくぶち込めと強制したり、あるいは編集者個人のエゴで作品を歪めようとするろくでなしの悪い評判ばかりがネットに流布している。そういうリスクがあるからこそ、イーノは新人賞を経由せずにメジャーになったタイトルの映画化作品に強い関心を持ち、劇場に足を運んでいた。
そんな折、作家のエージェントなるものの存在を知った。作家の代理として、出版社や編集者と利害の調整を行う交渉人だ。交渉ごとに疎いイーノにとっては、朗報だった。そのような味方がいれば、全ての権利を譲渡しろなどと一方的に不利な要求を強いられることも避けられるかもしれない。新人賞に通らなくても、自分の作品を世に出すことができるかもしれない。
欧米では、作家にエージェントがつくことが一般的だという。日本でそのような事業を行う企業はまだごく少数しか知られておらず、もしかするとエージェントの存在自体を嫌う編集者もいるかもしれない。
もちろん、彼らもビジネスでやっていることであり、作家からお金を取っている。自分たちに利益を生む見込みの無い者に、関心は示さないだろう。安易な考えで飛びつけば、自分の考えの甘さを指摘され、作品そのものを否定され、散々な思いをするかもしれない。でもそのぐらいの挫折は、元から想定内で織り込み済みだ。何より、お金も売れる見込みも無いのに自費出版なんかに走るよりは賢い選択だろう。
ほとんどの作家が一部例外を除いては案外儲からない、時給換算にすると酷いことになる職業であることは、何となく分かっている。そもそも時給換算で考えること自体が間違いだが。
イーノは、はじめからお金だけを目的として作家を志しているわけではない。そんな心構えでいたら、デビューできても長続きしないだろう。彼の狙いは、自分の小説を通じて今の日本を少しでも良い方向に変える。優しくて、暖かくて、楽しい場所に変えること。まるで、バルハリアの
かつて、文豪チャールズ・ディケンズは映像メディアも無い時代に豊かな想像力を活かし、当時の産業革命期のイギリスで荒んだ世相の中、忘れられていた「クリスマスの心」を蘇らせる名作「クリスマス・キャロル」を著した。イーノが本当に書きたいのは、そのような役割を果たす作品だ。真の意味でのファンタジーだ。
まだ、自分はその域に達していない。今の自分とその作品には、そんな綺麗事を掲げるには黒い部分が多過ぎると自覚もしている。イーノ自身が、無慈悲でケチな守銭奴の金貸しスクルージの気分だ。
ここまで考えて、ふと思う。結局自分は、ノリと勢いだけで突っ走って予見可能なミスやトラブルを何度も繰り返すあの男を笑うだけの、考えるだけで何も行動に移せない頭でっかちに過ぎないのか。いつまでも思い切った行動に踏み込めず、臆病者として何もできぬまま、無為に一生を過ごすのか。イーノの脳裏に、自分を嘲笑い見下すライバルの顔が浮かぶ。
とりあえず、小説をキリの良いところまで書いてみて、作家のエージェントにお金を払って原稿を見てもらうまではやってみよう。自分が現実の世界で、真冬の曇り空みたいな灰色の人生から抜け出すには。
そう。自分はあの夢で見た、夏への扉の前に立っている。自分の心の中にある、大いなる冬を終わらせるために。
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