第47話 寒い世界と寒い時代

 一日中、太陽が沈まない白夜の雪原で。ユッフィー、メル、ミカ、モモの四人がイグルー作りに取り組んでいる。


 ユッフィーが率先して雪を掘り、メルが大剣の腹で叩いて固める。ミカはクワンダの指示に従い、半月型の曲刀で雪のブロックを適度な大きさに切り出す。

 モモは、リーフの計算通りに一緒にブロックを積み上げ。エルルは、ソリを引く犬たちを休ませている。その中の一匹がしきりにじゃれついてきて、彼女は首やあごの下、ほおや耳の後ろをなでてあげたりして和んでいた。


「道具として役立つ武器にして、よかったですわ」


 ユッフィーが握っているのは、先端に宝玉のついた魔法の杖なのだが。宝玉からはスコップ状の光の刃が発生している。

 夢刃杖ヨルムンド。それが彼女の武器の名だった。


「私のハルパーも、雪のブロックを切り出すスノーソーのこぎりの代わりになるけど。王女の杖は万能ツールね」

 

 精神だけの召喚のため、地球から何も持ち込めない勇者候補生たち四人の装備は。自分たちで働いて稼いだお金で買ったり、改造を加えたものだ。特にユッフィーの武器はこだわりの塊で、手に持って念じることで光刃の形状をプログラミング・登録できるようになっている。槍でも斧でもハンマーでも、たいていの長柄武器は再現することができた。もちろん、既成品ではない。


 氷都市で扱っている装備品の質は高い。RPGに例えると、ラストダンジョン手前。店で買える中では最後まで使えるレベルの、高性能なものが揃っている。理由は

氷都市の特殊な立地条件にあった。

 冒険者と言っても、経済的に行き詰まればすぐ強盗に転じる「武装したならず者」から、実力・品格において「真の英雄、あるいは勇者」と呼ばれるに相応しい者までいるが。一部の例外を除けば、氷都市は後者にしかその門を開かないからだ。


 多くの勇者や英雄、熟練冒険者が集まる氷都市には、当然彼らが持つ高品質な装備も持ち込まれる。中には、多元宇宙の各世界で伝説の武具と呼ばれるものもあるだろう。それらを研究し、一部の解析に成功することで、氷都市の武具制作技術は高レベルなものになっている。アリサの呪われた鬼骨の刀のように、未解明のものも少なくないが。


 しかし今、氷都市に自力でたどり着けるような冒険者のほとんどは「勇者の落日」で失われた。だからと言って、今まで秘匿されてきた氷都市の門をならず者たちに開くわけにもいかない。

 地球人を「勇者候補生」として氷都市に招くイーノの提案は、渡りに船だった。


 まだ経験の浅い地球組が、ゲームソフトのRPGでいう最終装備レベルの武具を扱うのは分不相応だが。それくらいの装備でなければ、どうやっても破壊できない呪いを帯びたアニメイテッド相手の戦闘には役立たない。もちろん高価ではあるのだが、勇者候補生たちには特例として分割払いも認められていた。

 本来、いつ死ぬか分からない冒険者相手に分割払いで商売をするなど愚の骨頂だ。それを変えたのは、転移紋章石。どんな状況からでも、瞬時に確実に脱出できる手段があれば。そして相手が、絶対に借金を踏み倒して逃げ出さないと分かっているなら。


 勇者候補生の四人にとっては、バルハリアでの冒険は楽しいRPGと同然。その中で借金を負ったとしても、地球での生活に悪影響を及ぼすわけでもない。しょせんはゲームの中の借金なのだ。ベルフラウとリーフ姉弟の発明と、地球人イーノの立てた「楽しみながら勇者を育てる」戦略の効果は、すでに本格的な探索の始まる前から発揮されていた。 


「形ができたら、内装はぼくたちの出番なの」


 時間を忘れて、はじめての雪の家づくりを楽しんでいるうちに。玄関口と通路、居間と女性五人の寝室を備えた立派なイグルーが出来上がった。外の風が直接吹き込まないように、通路は丸くカーブしていて。居間の天井には、たき火をするための通気孔もある。床に敷いたグランドシートのおかげで、地面からの湿気も遮断されている。


 男性二人の寝室を兼ねた居間の天井に、絵筆を握って星を描いているモモ。隣ではリーフが月を描いている。ふたりの絵が出来上がると、雪のドームの天井から熱を持たない光が静かに。明るすぎず、暗すぎない適度な加減で照らしはじめる。

 初歩的な紋章術、燐光の紋章だ。


「おもしろかった〜!完成だね♪」


 メルは上機嫌だ。


「みなさぁん、お疲れ様ですぅ!」


 エルルが、一同の肩をもんで回る。


 たき火を囲む七人。エルルが小さな竪琴で素朴なメロディを奏でる中、クワンダが氷都市ができる以前の先人の暮らしについて語っている。


大いなる冬フィンブルヴィンテルを迎える前。かつてローザンヌ王国と呼ばれる国があった頃のバルハリアは、今よりかなり暖かった。豊かな自然に恵まれ、美しい四季があった」


 数百年以上、昔の話だが。自分たち蒼の民にとっては、昨日のように鮮明に思い出せるとクワンダが言う。古代ギリシャの叙事詩オデュッセイアのように、長い苦難と雌伏の時を経て故郷への帰還を果たした、勇者の一族。


「いまは、薪になる植物さえ見当たりません。これは何を燃やしてますの?」

 

 白い煙をあげるたき火を見て、ユッフィーがクワンダに問う。


「地球にもある伝統的なものだ。しっかり乾燥させれば臭いもない」


 その一言で、だいたい想像がついた。植物ではなく、石油や石炭のような化石燃料でも無いとすれば、あとは限られている。それをはっきり指摘するのは、あまり上品ではないだろう。


「氷都市ができるまでの間は、快適だった暮らしを急激な寒冷化で奪われ。先住民の方々は、地球の北方狩猟民イヌイットのような生活を強いられていたんですのね」

「大体はそうだ」


 ユッフィーの「中の人」、イーノは。地球でバルハリアの人々を題材とした小説を「勇者の落日」の後も書き続けている。永遠の冬の世界で、かつての楽園を取り戻そうとする人々の…苦難に満ちた道のりを。

 単なる好奇心でなく、取材という目的があるから本気度が違う。イーノの目には、その姿が地球で暮らす人々にも重なって見えていた。


 一億総中流。かつてそう呼ばれ、日本人の理想とされた豊かな暮らしには、多くのほころびが生まれていた。いつからか、大きな停滞の中に取り残され。明るい未来、夢や希望のビジョンを描けなくなった人々。

 誰も、時間を止めたままではいられない。時の流れさえ凍りついた永久凍結世界・バルハリアのようには。


「地球も、今のバルハリアも。本質的には似た状況にあるのかもしれません」


 クワンダが、意外そうな目でユッフィーを見る。現代の地球はバルハリアのような氷河期ではないし、はるかに恵まれた星だ。


「大いなる冬は、人々の心の中にあります。日本では『氷河期世代』などという言葉がありまして」

「地球って、たしか温暖化してませんでしたかぁ?」


 エルルも不思議そうな顔をする。氷都市に異世界テレビがある以上、地球人でない彼女もそのくらいの情報は見聞きしている。電波は直接受信できないので、テレビ番組が映っているテレビの画面を千里眼で見るという、変則的な方法だが。


「かつて、人々が実態の伴わない好景気バブルに浮かれ騒いだ時代がありました。それが文字通り泡と消えた後、窮地に陥った企業は人件費の圧縮を目的として大幅に採用を手控えました。これを『就職氷河期』と呼びます」

「それが、まともな職につけない若者を大勢生み出した。そういうことですか?」


 リーフが、ユッフィーの話から推測したことを確認する。どんなに世界が違ってもそこに同じような人が暮らすなら、経済の基本は変わらないからだ。


「ええ」


 うなずくユッフィー。メル、モモ、ミカの三人娘は、少々微妙な顔をしている。まさか異世界に来てまで、バブル崩壊の話をするとは思わなかったからだ。


「職につけなかった若者たちは、低い賃金でフリーターや派遣社員など非正規の雇用に甘んじる他ありませんでした。さらに、それさえできなかった人たちは」


 そこで、一旦言葉を切ると。クワンダ、エルル、リーフたち「バルハリア組」の面々は…それぞれに想像をめぐらす。それを見計らって、再び口を開くユッフィー。


「ニート、引きこもり、自宅警備員などと呼ばれ。親や社会から非難のこもった目で見られたのです。何も、彼らだけに原因があったわけではないのに」


 いわゆる「失われた十年、二十年」の間に政府が講じた手も、何ひとつ大きな効果を発揮しなかった。その説明もきちんと加えて。


「イーノ様も、そうした引きこもりのひとりでした。さらに彼は、子供の頃世間によく知られていなかった『大人の発達障害』も患っていたと聞いております」


 まるで第三者のように、彼女は語る。地球人イーノとドワーフのユッフィーは別人であり、彼から話を聞いたという風に。

 もちろん、事実は異なる。けれどそれが、自分の辛い過去を客観視して打ち明けるのに役立っていると、その場の誰もが認識していた。


「イーノ様が言うには。一年近く家に引きこもっただけの自分など軽い方で、十年や二十年心を閉ざした人がいること。生きる望みを見失い、ときに社会への復讐心さえ抱いた一部の個人が破滅的な暴走を起こすことに、胸を痛めておられました」


 そう言って目を伏せる彼女の表情は、深い憂いの色を帯びていて。


「ニュースで、ときどき見るものね。最悪な場合…子が親を殺す、親が子を殺す事件にも発展する場合があって」

「事件起こすなら、ひとりで死ねばって言う人…さすがに冷たすぎると思うよ」

「なるほどな。それで『大いなる冬』にも例えられるか」


 ミカとメルからも地球、特に日本の事情を聞いたクワンダが思案する。


「もしかするとぉ、バルハリアの雪と氷に閉ざされた風景は。氷河期世代の引きこもりさんたちの心そのもの…」


 切ない想いが込み上げてきたエルルは、思わずユッフィーを後ろから抱きしめたくなる衝動に駆られてしまう。それを察したモモは、優しくそっと背中を押して。もう、エルルもためらわなかった。


「ふふ。こうしてエルル様に抱きしめて頂くと、あったかいですわ」


 目を細めて、身体をあずけるユッフィー。


「一見、バルハリアとは無関係に思える地球人のイーノさんが。勇者の落日のときにどうして『夢渡り』で旧都の遺跡へ迷い込んだのか、分かる気がします」

「寒い時代に生きる地球人が、夢の中で寒い世界に魂を引かれるか…」


 リーフは、地球人イーノの存在を知った時から抱いていた疑問の答えを見つけたように。クワンダは、勇者の落日の現場に居合わせた者として。それぞれ感慨深い気持ちになっていた。


「本来、資格無き者がバルハリアにたどり着くのは、困難なこと。だから彼の出現は、この世界にとって偶然でないように思いますの」


 全ての生命の誕生と成長を止めてしまう、大いなる冬フィンブルヴィンテル。地球もまた、それに匹敵する「寒い時代」の真っ只中にいる。

 かつて、地球もまた異世界との直接的なつながりを持ち、人々が行き来していた時代があったという。地球以外の異世界で見られる和風文化、中華文化などはその証拠と考える者もいる。

 ふたつの世界は、予想外な理由で再びつながろうとしているのかもしれない。


「過酷な現実から目を背けて、ただ今だけを楽しく過ごせばいいという人もいるでしょう。けどわたくしには、そういう世渡りはできないと思います」


 ユッフィーを演じるイーノの脳裏に浮かぶのは、自身と全く正反対の性格を持つ「ミスター・ビッグ」社長の姿。彼もおそらくは、イーノと年が近い。彼は彼なりの方法で、今の寒い時代を面白おかしく生きようとしているのだろう。


「だから、市民宣誓式の日。わたくしは誓ったのです。地球と氷都市、両方の明日を担うと。勇者候補生を育てるのは、地球の日本の現状を変えるためでもあるのです」


 RPGのような演出をしているが、単なるゲームでない。その意図するところは、メル、モモ、ミカの三人にも何となく伝わりはじめている。その狙いがあるからこそ、氷都市も手を尽くして援助してくれているのだと。


 過去の歴史においても、夢渡りでの異世界体験を自分の作品に取り入れて。人々を良い方向に導こうとした作家がいたに違いない。イーノは、1843年のクリスマス直前に名作「クリスマス・キャロル」を発表した文豪、チャールズ・ディケンズがそうなのではないかと考えていた。


「さあ、そろそろ寝ましょうか。本来、クワンダ様のお話をお聞きするところをわたくしが長話してしまって、申し訳ありませんでした」

「構わんさ。お前の本気は伝わった。弟子として世話を焼く価値はあるだろう…アリサのようにな」


 氷都市にいる相棒を思い浮かべ、クワンダはユッフィーと拳を突き合わせる。小さな拳だが、彼は頑固者ドワーフの心意気を頼もしく思った。

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