第48話 蒼き氷の下で

 エルルは、雪の家イグルーに作られた女性用の寝室で寝袋に包まっていた。アバターボディの中の人までは分からないが、とりあえず外見の性別で部屋を分けている。

 隣には、同じく寝袋に包まり寝息を立てるユッフィーの顔が見える。その中身であるイーノは今頃、地球に戻って朝を迎えているのだろう。


 イーノが、ユッフィーとして語ったことを思い出しているエルル。生きる希望を失い、社会への復讐心さえ抱いて破滅的な暴走を起こしたという人のこと。何も最近の話だけでなく、そうした事件は何年も前からたびたび起きていること。

 永遠の冬の世界・バルハリアと比べ、はるかに恵まれた環境なのに。人々の心の中に「大いなる冬」がある…。


 氷都市は逆だと、エルルは思う。世界は雪と氷に閉ざされているが、助け合いを必要とする環境が絆を育み、人の心は暖かい。厳格なセキュリティに守られたある種の管理社会ではあるけれど。目立った弊害はなく、利点の方が多い。


 イーノは、ものごとの本質を見る人だ。表面だけを見て対症療法を施すことは、真の解決にならない。凶悪な事件が起きれば、普通は加害者を異質なものとみなして理解を拒み、疎外する。でも本当は、誰もが等しく心に闇を抱えているのではないか。本物のファンタジーが持つ癒しや成長の力で、そこに光をもたらせないか。その手段としての勇者候補生。それが彼の考えていること。


 そんなイーノを、自分は支える立場にいる。自分もまた、かつて孤独だったから。これからもずっと、自分は彼のそばにいよう。エルルはそんなことを思いながら、静かに目を閉じ夢の世界へ旅立っていった。


◇◆◇


 時間は夜。イーノが居酒屋の暖簾のれんを潜る。場所は東京都内だろうか。彼の姿を見かけると、近くの席にいた体格のいい五分刈りの男性が手を上げる。イーノは会釈をして、男性の隣に座った。

 同席しているのは、二人の女性。会話の内容からすると、ひとりは士業で、もうひとりは小売業。五分刈りの男性を含めて、みんな自営業であるらしい。イーノはただひとりの無職で、十年以上勤めた職場に見切りをつけ退職したと話している。


 八月末に事業所の閉鎖と移転が決まっているが、それまで残るより先にエンジニアになるための勉強と、転職活動を優先したい。倉庫作業の仕事は、いずれロボットが入るだろうと思っていたら、物流系のニュースサイトで本当にそう報じられていた。将来性のない仕事だとは思っていた。イーノはそう語っている。


 少し話すと、イーノは他の人の話を聞く姿勢に入った。仕事の上での苦労話、家庭や育児の話。イーノ以外は、全員既婚者らしい。五分刈りの男性は、どうやらイーノの「先生」であるらしかった。かなりお酒を飲んでいるようで、顔が真っ赤になっている。それに比べるとイーノは冷静というか…大人しすぎる。バルハリアで地球組のリーダー格をやっているときとは、あまりに違う姿だった。


 恋愛の話となると、途端に肩を落としてしょんぼりした雰囲気になるイーノ。それでも子供の話題になると、親と同居している独身者だがときどき甥っ子や姪っ子が家に来てくれることを嬉しそうに話している。話を聞きながら黙々と料理を口に運び、ちびりちびりと酒を飲むイーノ。そのペースは、酒飲みのエルルと比べるとあまりにスローだ。


 結局、お酒を二杯ほどしか飲まず。イーノの参加した飲み会はお開きとなった。それでも彼は、どこか満足そうな表情をしている。彼にとって、自営業の人たちと接点を持てる場は貴重であり。いつか起業を目指しているイーノには、大切な学びの場であるらしい。となると、あの体格のいい男性は彼の「起業の先生」だろうか。


 四人が解散する場面で、エルルが見ていた地球の夢は途切れた。


◇◆◇


 エルルが寝床から起き上がる。白夜の季節だから昼夜は分からないが、十分に睡眠をとったのだろう。深呼吸して手を伸ばす。


「おはようございまぁす」


 居間に入ると、クワンダが火の番をしていた。リーフは、何か緑色の板を覗き込んでいる。地球のタブレットPCにも似た魔法道具だ。今回の旅の趣旨は「先人の苦労を追体験する」ことだが、リーフは試作品の動作テストのためにクワンダから特別に許可を得ていた。上手くいけば、今後の冒険に役立つだろう。


「おはようございます、エルルさん。僕たちは今、この辺ですよ」


 リーフが、タブレットに映るバルハリアの地図を指し示す。バルハリア大陸は地球の南極大陸を上下逆に回転させた形に酷似していて、ちょうど南極点のあたりに氷都市がある。今はそこから北西にいくらか進んだところだった。


 ユッフィーたち四人が起きてきたのは、それから数時間後。みんなで朝食を取りながら、クワンダが今日の予定を説明する。


「今日は大雪原を抜け、氷河洞窟に入る。そこからは徒歩だ。洞窟内で一泊する。洞窟を抜ければ、旧都に通じる渓谷の入り口に差し掛かるぞ」


 クワンダは、イグルーの壁面に投影された地図を指差している。リーフがタブレットを操作して、プロジェクター機能を使っているのだ。


「改良型タブレットの動作テストは、今のところ順調ですね。クワンダ様の話では、『勇者の落日』の時は通信障害が酷く使いものにならなかったそうですけど。今度は絶対に大丈夫な通信方式を採用していますよ」

「本当か?」


 半信半疑といった表情のクワンダ。あのとき、遺跡探索の序盤では問題なく機能していた紋章盤タブレットは、味方の位置確認や索敵、マッピングに大いに役立っていた。しかし旧都の深部に満ちる「災いの種カラミティシード」の残滓が濃厚になるにつれ、端末間の通信が途切れがちになり。ついには全く動かなくなってしまった。


「そう、エルルさんさえいれば」


 リーフは自信ありげな笑みを浮かべて、エルルの方を見ている。


「わたしぃですかぁ?」


 自分の鼻の頭を指差して、不思議そうな顔をするエルル。クワンダもわけがわからないといった表情をしている。


「詳しくは、旧都に入ってからのお楽しみです」


 転移紋章石を開発する以前から、リーフは異世界テレビで見た地球の電化製品を元に多くの魔法道具を作り出している。その彼が言うのなら、確かなのだろう。

 一行は支度を済ませると、犬ぞりを走らせて氷河の洞窟へと出発した。


 大雪原を西へとひた走る一行。空には併走するかのように、白夜の太陽が浮かんでいる。決して沈むことなく、また高く上ることもなく。


「う〜ん、冒険の旅っ♪そんな感じだよね!」


 今日は、メルが犬ぞりの操作方法を教わっている。一応、全員が交代で体験する予定だ。それを見守るユッフィー。


「そういえば、野生動物だけじゃなくモンスターもいないね。楽でいいけど、遺跡から出てこないのかな?」


 鼻歌を歌っている最中に、ふと浮かんだ素朴な疑問を口にするメル。


「確か、遺跡の外には出られないんでしたわね」


 勇者の落日を、夢で見ていたユッフィー(イーノ)。氷像の怪物、アニメイテッドたちの姿を思い出して答えている。


「遺跡を守るように、何者かの指示を受けているって説もあります」


 リーフは紋章術だけでなく、遺跡についての研究もしている。両者の関係は切っても切れないほど深い。遺跡に眠る多数の、未知の紋章。それは氷都市の冒険者にとって、何にも勝る宝となり得る。雪を溶かし真水を確保し、ドームを暖めたり魔法道具のエネルギー源を確保する。氷都市は、紋章術の力で快適な居住環境を実現しているのだ。新たな紋章を発見すれば、武具のさらなる強化も可能となる。


「女神様のご加護でぇ、遺跡に結界が張られてるかもですねぇ」


 多くの冒険者、そして親友を飲み込んだ呪われし遺跡。エルルにだって、それはもちろん怖い場所だ。だけど信頼できる仲間と、敬愛する女神アウロラの加護が共にあるなら。自分だって巫女としてみんなを守る。彼女はそう決心していた。


「私もクワンダ様に稽古をつけてもらったけど…本体をいくら攻撃しても破壊できず、目に見えない操る糸を切る以外に対処法がない敵。厄介よね」

「蒼の民ではないわたくしたちに、その糸は見えません。いったい、どうすれば…」


 ミカとユッフィーが、真剣な表情で顔を見合わせる。今の自分たちが、あれを相手にミキやクワンダ、アリサのように戦えるのかというと。正直かなり不安が残る。


「地球人には、地球人なりのやり方があるだろう。それこそ、蒼の民を含めた氷都市の人間が思いもつかないようなやり方がな」


 正解はひとつじゃない。自分の強みを活かせばいいと、クワンダは地球人たちに語る。「勇者の血筋」だけに頼る時代は終わった。蒼の勇者クワンダは、あの苦い教訓を経てそのような考えに至っていた。


「魔法の絵の具をぶっかけて、見えない糸に色をつけるとか?」

「紋章術に使う絵の具の消費量が課題ですけど…発想は悪くないですよ」


 モモの突拍子もない発言に、意表をつかれたような顔のリーフ。


「それじゃリーフくん、もっと手取り足取りぼくに教えてなの♪」


 少年の面影を残す、可愛らしい天才青年紋章士に。モモは親しみを込めていつものハグをするのだった。


◇◆◇


 一行は氷河の下にできた洞窟に足を踏み入れていた。時間の凍った世界であっても氷河は年々移動しており、入り口の場所は変化し続けている。そして夏が来ないためずっと溶けない。

 床は大変滑るため、全員が靴底に金属の爪アイゼンを装着している。

 

「ミキちゃんだったらぁ、スイスイ滑っていけそぉですねぇ?」


 エルルは光翼族の翼を発現し、淡い翠緑の光で青一色の洞窟内を照らしている。その姿はまるで、深い海の底で光る深海生物のようでもあった。


「まぁ…」


 氷の洞窟の神秘的な美しさに、ユッフィーも思わず息をのむ。


「地球だったら、海外旅行にでも行かない限り見れないよね」

「本物は圧巻なの」


 メルとモモも、海の中にできた道のような天井をしきりと見上げている。


「こんな絶景を一円も払わず見れるなんて、勇者候補生の役得よね」

「ええ。十分、地球の皆様に頑張ってもらう理由になります」


 地球人を異世界に呼びつけて頼みごとをする以上、何らかの価値ある報酬がなければいけない。その認識は、ミカとユッフィーの話を聞いているバルハリアの面々も共有している。


「ここもガイド無しでは危険だ。注意して進むぞ」

「タブレットのオートマッピングは正常に動作しています。気をつけていれば、迷う心配は無さそうですよ」


 クワンダにとっては見慣れた光景なのか、特に普段と変わりない様子で。リーフもそれに続き。一行は足音を響かせ、淡々と洞窟の奥へと歩みを進めていった。

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