第43話 千里の道も一歩から

「やりましたねぇ!これで正式に、イーノファミリー発足ですぅ♪」


 エルルがファミリー用の新居に引っ越してから、ひと月と経たないうちに。

 彼女が暫定的な家長となっていた「イーノファミリー」のもとへ、氷都市から一通の知らせが届いた。


 それは、ユッフィー(イーノ)・ミカ・モモ・メルたち「地球組」の四人を。正式な氷都市民になる資格あり、と認めるものだった。

 ミハイルはすでに、地球で有名なフィギュア選手だった実績があるから。すぐに市民の資格も得られたそうだが。無名の新人としては、異例の早さだ。


「何もかも、エルルちゃんのおかげです。私が正式にファミリーの長になっても、あなた無しではとても回りませんから」

「サポートなら、ど〜んとまかせてくださぁい!」


 彼女の明るさには、何度救われたか。

 ここまで来るだけでも。地球とバルハリアの両方で、多くの困難があった。壁にぶつかったとき、思い出すのはいつも…エルルの陽気な笑顔。


 今日は、イーノは本来の姿で話をしている。他の三人は来ていない。

 地球は今、昼間で。三人のアバターボディは、奥の寝室で眠りについている。

 どうしてイーノだけ、来ているのかというと。プログラミングの勉強に詰まってしまい、そのまま居眠りしてしまったからだ。


 地球でのイーノは。長年勤めた倉庫作業員の仕事を退職し、エンジニアへの転職を目指して勉強している最中だった。エンジニア業界は現在大変な人手不足で、それが将来に渡って続くと言われている。幸いプログラミングについては全くの素人ではなく、変数やサブルーチンの概念など基礎的な知識はある。

 もちろん、自分の手でベネチアンカーニバルSNSを作るためだ。


 こうなるまでの理由は、話せば長い。

 もうすぐ、事業所の移転で勤務先の物流センターが無くなる。先の震災では、夢の国のテーマパークで有名なあの街も液状化現象の被害を受けた。いくら用地確保がし易かったとしても、海沿いの倉庫では問題があるだろう。それに設備もガタがきている。

 いずれはロボットが導入されて、作業員が減らされるのでは?とも思っていたところ。先日、移転先の新しいセンター名で検索をかけたら、あるニュースサイトで予想が的中していた。

 これは、自分を変えるいい機会。


 もともと、イーノは若い頃にゲームクリエイターを志して専門学校に通い、プログラミングを勉強していた。しかし社交性に欠け、対人面でもコミュニケーション能力に難があったことから。ゲーム会社に就職することはできなかった。

 それ以後、ダラダラとフリーターや派遣社員を続けていたのだ。現実の世界に希望を見いだすことができないまま。


 一番の問題は、自分がADHDだと気付くのに人生の半分以上はかかってしまったこと。そもそも、発達障害自体の知名度が低かった時代だ。ADHDに由来する忘れっぽさや、頭の切り替えの下手さもあって、いつも仕事は長続きせず。

 一年ほどでクビになり、新しい仕事についてもまた同じことの繰り返し。さすがに自尊心はボロボロになり、一年近く引きこもりをしていた時期もあった。そしてその間、趣味のPBM(PBWの前身で、インターネットの普及以前に郵便でやりとりしていたMMO的なTRPG)やPBWに逃避していた。


 ところがPBM・PBW業界は。私が知る限りでは全ての企業がブラックと呼んでいいくらい、どこも未熟な運営ばかり。数多くの企業が乱立しては潰れ、最初にPBMを創始した企業は限界を悟って撤退。それを惜しんだ当時の最大手S社(仮)も、数年後にデタラメな経営が災いして破綻、廃業に至った。それが2000年代初頭。


 なお、のちにMP社を立ち上げる「ミスター・ビッグ」もS社の廃業騒ぎに巻き込まれており、前払い済みの課金が戻って来なかったらしい。私がS社に見切りをつけ、高額な郵便コストへの対策などでPBWへかじを切ったJ社(仮)に乗り換えてから、だいぶ後のことだったと覚えている。


 ネットの時代に入っても、PBW業界の混乱は続く。当時のJ社は何を考えてたのか、意味不明な事業多角化に乗り出し失敗。システム開発会社H社(仮)への支払いが遅延、サービス運営にも多大な支障をきたし。H社から取引停止処分を受けたことで決済システムの切り替えを強いられる。


 さらにはJ社から、初期のPBW3作を支えた主要スタッフらが離反し独立。これこそ、あのミスター・ビッグが率いるMP社だった。

 その後の十年以上に渡って、業界を引っ張る立役者であると同時に。長きに渡って「PBWのゲームマスターはプレイヤーになれず、プレイヤーとの交流も原則禁止」などの旧弊を引きずり。マスターのなり手が少ないことから来る慢性的なシナリオ供給不足と、その反動から起きたクオリティ無視の粗製乱造がたたって。

 PBWを結果的にただの「イラストオーダーサービスのついた、なりきりSNS」へおとしめた戦犯でもあった。


 MP社は一時期、日本で最も有名な国産TRPGの開発元であるB社(仮)とコラボしていたことがあった。思えばそれが彼らの黄金時代で、MP社の至らないところをB社が上手く補い、その頃が一番活気があったように思う。

 しかし、その協力関係も。MP社の舞台裏を支えていたH社がシステム開発から降板するのとほぼ同時期に、終わりを迎える。裏で何があったのかは分からないが、その後の彼らは今に至るまでずっとジリ貧だ。


 MP社が、実務能力に優れたチームだったのは疑いようがない。でなければ、今まで会社が存続していない。その代わりに…おそらく影で多くの人材を使い捨て、お人好しな客から搾取し。多大な犠牲の上に生き延びてきたのかもしれないが。


 そのような、血塗られた真っ黒な歴史ブラックヒストリーの系譜に。私は物好きにも、傍観者であることをやめて踏み込もうとしているのである。今までとは異なる発想や、長期的なビジョン…遠大なる百年の大計をもって当たらねば、地獄を見るのは必定。

 もう飽きるほど見てきた、限られた資源の奪い合いや。今が楽しければ先のことはどうでもいい、と言わんばかりの運営方針で。ひとつのタイトルを三年も経たずに寂れさせてしまい、新作に逃げるMP社のような愚を繰り返すわけにはいかない。


 そのために私は、いくつかの方針を定めていたが。


 まず、自分自身がシステムを開発できる技術を持たなければ、何も始まらない。

 事業立ち上げ後に、重要なエンジニアに会社から去られてしまい。結局自分が技術者にならざるを得なかった経営者の話も聞いている。MP社が衰退したのも、優秀なエンジニアが離脱したことが原因。だからこそなのだ。


 地球では、まだまだ私のひとり旅は続くだろう。応援してくれる人はゼロではないが、まずは自分が力を示すとき。語るよりやれ、の心意気だ。


 そんな矢先に、あの夢を見た。「勇者の落日」だ。

 そして、異世界バルハリアで心から自分の支えになってくれる人に出会った。


「イーノさぁん?」

 

 回想から戻ってきた私の顔を、不思議そうに見つめる…そう、エルルちゃんだ。


「地球の方でも、いろいろあってね。勇者候補生にふさわしい人を、氷都市に誘うためのSNSも準備しているよ」

「いいですねぇ♪」

「そうそう、いいね機能の仕組みとか。ようやく大体のことが分かってきたところ」


 そろそろ、地球に戻って勉強を進めないと。

 エルルちゃんと話したおかげで、いい気分転換になったし。


「それじゃ、また今夜」

「みなさぁんが発注された装備も、もうすぐ仕上がるそうですよぉ」

「みんなに伝えるよ」


 そうして、別れ際にハグを交わす。

 千里の道も一歩から。彼女と一緒なら、乗り越えられる気がしてきた。

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