第5話 誰もがみんな

 瞬時に道化との間合いを詰めたミキは、固く握り締めた拳を振りかぶる。すると彼女のフィンガーレスの長手袋に、複雑な紋様が浮かびあがった。

 およそ拳闘には向かない、舞踏会にでもつけていくような手袋だが…何らかの魔法で強化されているのだろう。


「おおっと」


 よろけたような仕草で、ミキの拳撃をかわしてみせる道化。続くワンツーパンチに回し蹴りのラッシュさえも、まるで酔拳のような動きで間一髪、避けていく。

 あとには、重い棍棒を振り回したかのような…ぶぅんと風切り音。彼女の細い手足からは、想像もつかないような鍛錬の証。

 だけども、それをあざ笑うように。道化が本気を出していないのは明白だった。


「これが、わたしの不注意が招いたことなら」


 自分の未熟さが、蒼の勇者たちのトラウマそのものだった「最悪の敵」の復活を招いた。ならばその落とし前は、相手が誰だろうと自分でつける。

 責任感の強い娘だ。


 まるで、剣と魔法のファンタジー世界で見かけるような踊り娘。それでいて、地球のフィギュアスケーターがまとう衣装のデザインを取り入れた。

 たとえるなら、氷の妖精…そんな装いの「巫女」であっても。ミキの得意は、素手での格闘だった。


「ミキ、落ち着け!」


 ベテラン冒険者のクワンダから、声が飛んだ。


「ミキよ!ここでおぬしが選ばれたのは、おそらく偶然。場合によっては…わらわの宿敵が現れていたかもしれぬ」


 同じく手練のアリサも、落ち着き払って状況を読む。


「面白い推論です…何を根拠に?」


 敵の質問に、正直に答える道理も無いが。ミキを落ち着かせる時間くらいは稼げるだろうと、アリサは言葉を紡ぐ。


「この世界、バルハリアの氷都市に集った勇者はのぅ。みなそれぞれに宿敵との因縁を抱えておる」

「アリサさん…」


 ミキも思わず、攻撃の手を止めて。

 アリサの話に耳を傾けるけど、眼前の敵からは目をそらさない。


「災いの種の残滓とやらが、誰の心を覗いたとしても。そこの面妖な道化以上の『悪夢』が顔を見せたかもしれん。我らはそういう苦労人の集まりじゃ」

「この先、未知の領域に足を踏み入れるたび。俺たちは過去の傷と向き合い、実体化した己の『影』と対決せねばならない…そういうことだな」


 この遺跡に思わぬ形で残っていた「災いの種」の残滓。そして、それがもたらす強制的な「過去との対面」。

 その関係を、アリサと共に理解したクワンダは。ミキの隣に進み出て、道化に向かって槍を構える。


「お前ひとりが背負うことは無いんだ、ミキ」

「わらわもついておるぞ」


 アリサもまた、まだ鞘から抜きはしないものの。同じように愛刀を構える。


「ミキちゃん、わたくしも応援いたしますわ!」


 後ろから、紋章士ベルフラウも手を振っている。


「みなさん、ありがとうございます!」


 道化を包囲する冒険者のチームからも、ミキを応援する声が飛んだ。


「まあまあ…美しい友情ですこと」


 少しの沈黙のあと。

 皮肉を込めてか、静かに道化はつぶやいた。


「けれども、あなたたちは…」


 道化の口元が歪む。

 彼はまた、人の心の傷をえぐろうというのか。


「蒼の勇者たちが犯した最大のあやまちに、耐えられますか?」

「…何だ?その話」

「オレは聞いたこと無いが…」


 その指摘に、今度は。冒険者たちの間にざわめきが広がった。

 おそらくはミキと面識の無い、新参の冒険者からだろう。


「氷都市の冒険者なら。いずれ、誰もが知ることです」


 そう返したのは、意外にもミキだった。

 彼女にもう、さきほどの気負いは無い。その心は、澄んだ空のように。


「まだの方は、この機会に聞いてくださっても構いません」

「では、聞くとしようか」


 この奇妙な道化との遭遇が、今回の探索での最大の成果だろう。ならば調子に乗っているうちに、色々しゃべらせておけばいい。

 寡黙なレオニダスは、内心そう思いながら相槌を打つのだった。


「ミキさんのお仲間、百万の勇者ミリオンズブレイブがここへ来れないのは…」


 蒼の勇者たちの英雄譚サーガを聞いた者なら、誰もが彼らに会いたいと思うだろう。


「ワタシの陽動にまんまと踊らされて、あまたの異世界に災いの種カラミティシードを拡散させてしまったからですよ」


 その張本人である、道化の言葉に。一同は背筋の寒くなる思いがするのだった。

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