第3話

降りたことのない駅だ。

 コンビニがあり、ファーストフードがあり、書店があったりなかったり、パン屋があると嬉しくて、大体パチンコ屋があって、それは嬉しくない。

 駅自体が路線の高架化に際して周辺の駅と同様の規格で作られたようで、高校の最寄り駅とあまり代わり映えはしない。けれどベースが同じだからこそ、その微妙な違いがことさらに感じられる。

「ワクワクしてる?」

 駅前のコンビニに入り、飲料コーナーの陳列を眺めていた俺を横から覗き込むようにして大隣センパイが言った。

「知らない駅前っていうのは、結構好きですね」

「あら、そう。恥ずかしいね」

 口元を手で隠し、照れくさそうにする。

「なんでですか」

「ホームタウンだし。ま、今感じてるのはアウェイ感だけど」

 ここ、わたしが最後に来たときはセブンじゃなくてサンクスだったんだよ、と言った。気付いたときにコンビニが入れ替わっていることなんてありふれた話だ。半年もあればそういうこともあるだろう。

 センパイの分も含めて飲み物や使い捨てカイロを買った。商品が当たるクジが引けるというので一枚引くと、エナジードリンクの引換券が当たった。

「モンスターエナジーの引換券当たったんですけど飲みます? MP回復するかも」

 冗談めかして言うと、センパイは顔をしかめ、

「えー、モンエナまずいよ。レッドブルの方が好き。レッドブル、翼を授ける」

と言った。俺にはどちらもかき氷のシロップを炭酸で割った味としか思えないのだけれど。

「センパイ、空なら飛べます?」

「飛べないねえ。飲んだら覚えられるかね」

 羽が生えて飛べるというのは魔法使いの方向性じゃないか、なんて思案顔のセンパイ。

 俺は何も言わず、再びレジへ行き、レッドブルを購入した。大隣センパイは、口を真一文字にしてそれを受け取る。

 店の外へ出て、俺はモンスターエナジーを、センパイはレッドブルを飲んだ。ボス戦の前にアイテムでまとめて回復するようだ、なんてことを思う。

「回り道して行こう」

 センパイはそう言って、レッドブルの空き缶を自動販売機の傍のゴミ箱に捨てた。

「そんなにデートがしたいですか」

「わたしの家までの道順を覚えないようにね」

 俺は肩をすくめる。ここまで送ってきたのにあんまりな言われようだった。もっとも、大隣センパイは何も頼んでいないし、ある意味で付きまとわれているようなものなのだけれど。

「俺の帰り道はどうなりますか」

「タクシーでも呼んで帰ったら?」

「あんたは鬼か」

「違うよ、魔女だよ」

「あのねえ」

「まあ、分かんなくなったらここの銀杏並木を目指せば平気だから。ていうか、最短ルートだし」

 駅の出口から真っ直ぐに伸びる大通りを指差す。両端に銀杏が等間隔に植えられていた。道路の右側には、公営団地の建物が並んでいた。

「なんでそこ通らないんですか」

 俺との時間が名残惜しいわけはないので、センパイが遠まわりする理由が分からなかった。

「銀杏並木だから」

「ああ、なるほど」

 大隣センパイの短い返答に俺は納得した。銀杏の実の臭いというのは、どうしても鼻につく。

 団地間を縫うように敷かれた生活道路をじぐざぐに曲がりながら歩く。どこかひっそりとしていて、俺たちを囲むこの建物が全て廃墟であるかのような錯覚に陥りそうになる。けれど、カーテンやまだ取り込まれていない洗濯物が、生活の存在を証明していた。

 駅前は行き交う人や自転車、電車の発着音、自動ドアが開くと聞こえてくるパチンコ屋の騒音、ムクドリの群れが大挙して空を舞い、狂ったように鳴き、とてもとても騒がしかったのに、小道に入っただけでこんなに違うものかと思う。中層建築物が山のように、向こう側の世界とを分かつ壁になっているのかもしれなかった。

 道を進むと、ある区画から建物を防護ネットが覆っていた。傍から見ても随分と古びた建物だ。老朽化で耐用年数を越え、取り壊されるのだろう。駅にほど近い区画では新築と思しきマンションが並んでいたし、この団地そのものが大きな再開発計画の只中にあるのだろう。

 街は姿を変えていく。俺はこの街のかつての形を知らない。いまのところ、故あって訪れただけのよそ者でしかない。半年ぶりに帰ってきた大隣センパイにどう見えているのか、見当もつかない。

「あれっ」

 センパイが声を上げた。道を遮るように工事用の看板が立っている。通行止めの表示だ。

「通れないのか。行き止まりだ」

 大隣センパイが考えていたルートはこの道を通るのだったのだろう。小さく舌打ちするのが聞こえた。

「迂回ですね」

「この道行きが既に迂回だっていうのにね。ああ、面倒くさい」

 看板の前で立ち往生していると、傍らの建物の脇から犬が現れた。真っ黒で耳の立ったずんぐりとした犬で、俺たちに気付いたのか、こちらに近づいてくる。首にはリードがつけられて、老人が後ろから歩いてきた。

 老人は俺たちにこんにちはと声をかけた。挨拶を返す。黒い犬はセンパイの足元へやってきて、座り込んで舌を出している。

「犬だ」

 センパイは当たり前のことを言う。その場にしゃがんで、犬の頭を撫でた。犬は満足したのか、すぐに立ち上がり歩きはじめた。飼い主の老人は微笑を浮かべて、どうもありがとう、と言って去っていった。

 犬と老人が現れたのは建物の脇にある小さな隙間で、本来は道ではないところだ。既に誰も住んでいない棟らしく、抜け道に使っても咎める者がいないのだろう。

「ここが通れるなら、手間が省ける」

 そう言って大隣センパイはその抜け道に歩みを進めた。土地勘のない俺は黙って付いていくだけだ。道幅が狭いので、自然、縦に並ぶ形になる。

「タヌキみたいな犬だったね」

 大隣センパイの顔が見えないので、何のことかと思った。すぐに、先ほどすれ違った犬の話だと思い当たる。俺は犬種には詳しくないが、

「スピッツってやつじゃないんですか?」

 思いついた名前を挙げる。センパイはこちらを振り返らずに首を振り、

「いや、スピッツはもっとふさっとしてるよ」

「そういうもんですか」

「そういうもんだよ」

「少なくとも、スピッツをタヌキみたいに思ったことはないし」

 もっとな話だった。帰ったらインターネットで調べてみよう。

「犬を見たのも久しぶりだ」

 センパイの一言に、少しの間、言葉を失う。異世界から帰ってきたというセンパイ。人間はともかく、犬はいない世界だったのか。代わりに、多種多様のモンスターが街の外に潜んでいる。ぞっとしない話だ。

 小道を抜けて、再び舗装された道路に出る。ほどなくして、センパイは立ち止まった。

「送ってくれてありがとう。心強かったよ」

 大隣センパイの部屋のある棟に着いたらしい。建て替え前の旧棟だ。ここも近いうちに取り壊されるのだろう。センパイがいない内になくならないでよかったと思う。帰ってきたら家がなくなっていたというのでは笑えない。

 しかし、心強いという言葉とは裏腹に、センパイは相変わらずへらへらと薄い笑みを浮かべている。これも冗談なのだろうと、

「お茶の一杯でも出してくれればいいのに」

 なんて調子のいいことを言った。するとセンパイはすっと真顔になり、

「えい」

 と、平手で俺の額を軽くたたきつけた。

 俺は少々むっとした。はたかれるようなことを言っただろうか。別れ際にこれはあんまりではないか。しかし、センパイの一言で俺は自分の失策に気付いた。

「わたしはこれからシャワーを浴びるんだ」

「え、あ。すみません」

 白米とみそ汁が食べたいだろうなんて浅知恵を回したくせに、帰ったら風呂を浴びたいだろうと何故思い当たらなかったんだろうか。俺は身を縮こめた。

「……冗談だよ?」

 俺の反応が予想外だったのか、大隣センパイは申し訳なさそうにそう言った。そして、

「今日のことは本当にありがとう。このお礼はお茶だけじゃ済ませられない。いずれまた何かの形で返すから、その時に」

 大隣センパイは深々と頭を下げた。そんなに感謝されるようなことをした覚えはない。

「いいですって。俺が勝手にあれこれしただけですし。お礼なんて、そんな」

「……ほんと?」

 お辞儀のまま顔だけを上げた珍妙な姿勢で、俺のことをまじまじと見つめる。それには俺も笑うほかなかった。

 別れの挨拶を済ませ、センパイは団地の階段を昇っていった。俺も踵を返す。

 気持ち、駆け足で帰り道を行く。十月の空はだいぶ日が短くなっている。地図アプリを開き、最短距離で駅まで。遠まわりをしている暇は、恐らくはない。

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