第18話 新しい日々の始まり
私の病室にやってきたのは、金髪の少年だった。彼は、昨夜、この私を背負ってこの屋敷に運んだ。
「もう目が覚めたのか。身体の調子はどうだ?」
「ああ、特に問題はないと思うが…、えっと君は…」
「如月だ」
彼は素っ気なく己の名を言うと、私の近くにあった椅子に座った。
私は、彼が口を開くまで静かに待った。
「……お前はここでどうしたい?」
「え?」
「お前は自分の意思でここに来たのかもしれないが、葉月が連れて帰って来たようなものだ」
そして、少年はこう告げる。
お前は葉月のもとで、どう生きたい。彼の問いに私は強めの口調で答えた。
「あの少女の力になりたい。もう寝たっきりの生活はうんざりだから」
すると、如月はニヤリと笑った。
「その言葉、待ってたぜ! じゃあ、今日から猛特訓だ!」
「と、特訓…⁉」
「そりゃそうさ。だって、お前、全然筋力ねぇもん。筋力なきゃ、ベッドから立ちあがることさえ難しいぜ」
彼の言葉に納得できる自分がいた。昨夜、自分よりも背の低い彼に、軽々と自分を運ぶ様子を見て、己の筋力の無さは実感したからだ。
「その特訓は、如月がしてくれるのか?」
「すまん、それはできない。俺は頭としての仕事があって結構忙しいんだ。お前専属のトレーナーが指導くれるはずだ」
「そっか。その特訓で、君のことを知りたかったんだけどな」
私よりも年下で、小柄な少年でも、責任の重い仕事に携わるというこの世界のことを少し知った。この先、あの少女の力となるためには、もっとこの世界について知る必要がある。
「お前が特訓している姿を、仕事の合間を縫って、俺と葉月で様子を見に行くな」
「気を使わせてしまったかい?」
「いや。こちらのただのお節介というやつだ」
私は彼の答えに、ふふっと笑ってしまった。そのとき、私は、なぜか、ここで暮らしていくのが楽しみに思えたのだった。
風に揺らされた笹の音が小さな庵を包む。
長はその音を縁側に立って聴いていた。
「…『葉月』よ。やってくれたのぅ」
奇想天外な応えは先代譲りなのか。殺せと命じたのだが、生かして帰ってくるとは。
「――お前と同じ匂いがするな」
私はまたこの匂いに悩まされなきゃいけないのか。お前がこの世界から退いて、ほっとしたのにもかかわらず。
長はふおっ、ふおっと昔を懐かしむように笑った。
彼とは今でも文を交わす仲である一方、自分の最もライバルな存在だ。
「『葉月』はやはりお前の弟子じゃのぅ」
ところで、葉月が遂行した任務についてこのような処置となった。
対象者、朱雀隼人は忍の世界の住人となり、この世界で生きていくことを誓った。
長は、葉月を命に背いた処罰として、彼を責任をもって生かすこととした。側近のものたちから「そのような罰は甘い」という指摘があったが、大目に見ることにした。また、朱雀隼人への援助資金の一部を葉月の報酬から支払うことを命じた。
「兄のこともそうだが、まさか弟のほうとつながりを持つとは思わなかったのぅ」
今回の任務の依頼人である弟の朱雀聖也は、葉月たちが任務を終えて去ろうとしたときに、彼女に対して同盟を求めたのだった。
「…朱雀家の力は強い。しかし、聖也殿はその力を使いこなすことができるのか不安じゃのぅ」
なにせ、その父親はまだ生きているのだから。彼にとって最大の敵は父の存在だろう。
「ふおっふおっ。跡継ぎ争いというのは恐ろしいものだのぅ」
長は自室に戻ろうと振り返ろうとしたとき、縁側の外から思わぬ来訪者が現れた。
「――それを長がおっしゃいますか?」
「⁉ お前は…‼」
長の前に現れたのは、長のかつての親友であり好敵手である人物だった。
…ま…、さ…ま…。
わ…ら……べる…よ。
私を呼んでいるのか。誰を呼ぶ声なのか。
助けを乞うているのなら行かないと。
私ひとりでは力不足だ。協力してくれる誰かを呼ばないと。
誰か。誰か。誰かいないのか。
助けを呼んでいるから、力を貸してくれ。
助力を願おうと声を出そうとしたが、声が思うように出ない。
助けを呼ぶ声を探そうとして足を踏み出そうとするが、足は思うように動かない。
――誰を ――どこへ 助けるのだろうか?
――これは本当に助けを呼ぶ声なのか……?
「…⁉ はっ…はっ…」
私は怖い夢でも見たかのように急に体を起こした。
今のは金縛りというやつなのだろうか。
「はぁ…はぁ…はぁ」
胸に手を当てて、自分自身を落ち着かせようと深呼吸した。
あまり目覚めの良くない夢を見て、そして起きたあとも覚えているような朝はいつぶりだろうか。
そうだ。同じような朝を迎えたのは師匠のもとで暮らした日の翌日の朝だった。
あのときも突然、目が覚めた。
しかし、今日の夢は誰かに呼ばれていた夢だ。あのときの夢とは違う。
その呼ぶ声が誰のものだったのか、最後まで夢で見ることはできなかった。
「…まあ、夢だからね」
怖いのだろうか、もう一度同じ夢を見るのが。
大丈夫、大丈夫だと自分を安心させる言葉を自分自身に投げかけた。
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