第14話 料亭―楓

「……策の初めが、話し合いからだとは……」

 如月は片手で頭を抱えた。今、彼がいるのは「楓」という料亭だ。そこは、葉月が指定した店であった。いかにも忍第一の彼女が、下町の料亭を知っているのか謎だが。

 「…如月さん、しっかりして下さい。これは、葉月さまのご命令です」

 「……うるせぇ」

 それも、ここに使わされたのが、自分に加え百地丹波と一緒とは。まだ、俺はこいつに対する疑いは完全になくなっていない。何か裏があって葉月の傍にいるのではないかと。そのときは、百地を除き、一番傍にいてやれる俺が守らないと。そんな使命感が、俺の中で生まれていた。

 朱雀家の次男に文を書いたのは、百地丹波。幹部の一人であり、この件担当の葉月が、もし直筆で書いたとすると、その直筆がいずれの時に悪用されてしまう恐れがあるということで、彼が書いたのだ。各班の頭である幹部たちに代わって、班員が文を代筆するのは珍しいことではない。その宛先が、よほど高い身分の者でなければ。

 「…なぜ、葉月さまはここの女将と知り合いなのでしょうか?」

 「……知るか。俺に聞くな。あいつに聞け」

 丹波は俺の斜め右前に腰を下ろしている。そして、俺もこいつも忍であるため、人前に姿を現すときは顔に黒の幕を垂らす。顔を知られないためである。しかし、ここに来るまでに、このような姿で街を歩くとなると不審がられるため、己の身に人の目をごまかす術をかけている。

 朱雀家の次男から返答が来た日に、俺はあらかじめ「楓」の亭主である女将を呼んでもらい直接会って、葉月から預かった文を彼女に手渡した。すると、彼女は初め驚いた顔をし、そして彼女の目は涙で溢れようとしていた。ここの女将とどんな関係があるのか、俺も不思議に思わなかったわけではない。女将が涙した理由を、同僚ではあるが関係ない自分が聞けるはずもない。

 「…確かに受け取りました。二日後、お待ちしております」

 女将の言葉を聞き受けた俺は、料亭を後にした。


 料亭「楓」。

 町の噂で聞くと、この料亭は女将とその息子と切り盛りをしているそうだ。十数年前に他界した前亭主の夫に代わり女将が責任を負っているとのことだ。従業員も多くはないけれども、誠意に満ち溢れて、町の人たちから愛されている料亭であるらしい。

 「…お客様をお通し致します」

 襖の外から、俺らは朱雀家が訪れた呼びを受け取る。

 ゆっくりと襖が開かれ、俺と百地は軽く一礼をした状態で出迎えた。

 百地の前に男が座った。俺たちも上半身を起こし、対面した。

 俺はその男を見て目を疑った。

 「…お初目にかかります。朱雀聖也さま。この度は、こちらの都合により…」

 少しも動じていない百地の後ろで俺は、ツッコミたくなるぐらい自分は動揺していた。

 朱雀聖也。兄の朱雀隼人は十九。つまり、弟である彼はそれよりも年下のはずだ。おそらく十八である俺よりも。

 しかし、目の前にいる人物はどう見ても、俺よりも恐ろしいほど大人びていた。外見から子供らしさの部分が見受けられないのだ。

 「忍の方々、そう畏まらず。…で、貴方が今回の件の?」

 後ろにいかにも強そうな臣下を連れて来た聖也が何を尋ねているのか理解した丹波は答えた。

 「…いえ。私らは、その配下と同胞です」

 その答えに不満を持った朱雀家の臣下が立ち上がった。

 「こちらは、依頼したご本人である聖也さまをお連れしたというのに、そちらの身勝手さは…!」

 「落着け。お前ら」

 聖也の彼らを鎮める声は、とても冷たく低かった。その脅威に、百地も驚いたようだった。

 「…すまない、家の者が。まあ、私としてもそちらのご本人さんと対面したかったが…残念だ」

 「申し訳ございません」

 百地に倣って、俺も頭を下げた。

 「…で、用件は」

 さっさと話そうと、話題を本題に移した。この話し合いでは、百地が朱雀家に交渉をする役目。そして、俺は。

 「では、一つずつお尋ねしたいことがあります」

 すると、百地は俺と目を合わせた。俺は目で合図を送り、俺の役目を果たすときがやってきた。



 「お前、また連れて来たのか」

 「…うん。だって、お腹空いてるって言ってくるから」

 「…ったく、仕方がないな。食べ終わったら、そいつにちゃんと言うんだぞ」

 「分かった」

 俺は大きく頷いた。父さんから、牛乳の入った器をもらい、お腹の空かせた子犬に与えた。

 「…なあ、お前。今日だけ、特別だからな。これから自分でするんだぞ!」

 すると、子犬は顔を上げて言った。

 『うん。分かった。今日は、本当にありがとう』

 俺は子犬の頭をわしわし撫でてやった。ふわふわで気持ちいい。

 「じゃあな」

 子犬はワンと吠えて、俺のもとから去っていった。すると、次に一羽の小鳥が俺のもとへやってきた。

 「あれ? どうしたんだ」

 『僕の友達を助けて! 怪我しちゃったんだ!』

 「分かった。今からお薬持っていくから、少し待ってて」

 俺は祖父の蔵にある沢山の調剤から、怪我に効く薬を探し手に持った。すると、その蔵に訪れた祖父が俺に声をかけた。

 「何をしとるんじゃ?」

 「あっ、爺ちゃん。あのね、小鳥が怪我しちゃったから、その薬が欲しいんだ」

 すると祖父は少し首を傾げた後、俺にこう言った。

 「動物を助けるんだったら、この薬を使いなさい。お前の手にしているものは、人間のためのものだからのう」

 自分の手にある薬を祖父に渡し、そして祖父から薬を受け取った。

 「ありがとう、爺ちゃん!」

 急いで小鳥のもとへ駆け寄る孫の姿を見て、祖父は何とも言えない顔をした。

 「…お前の能力は、良いとも悪いとも言えんな」

 すると、蔵の扉から息子が顔を出した。

 「あ、親父。ちょっと怪我したんだけど、薬くれない?」

 「はぁ。いい年して、怪我じゃと? お前がそんな状態じゃとこの老いぼれもまだ死ねんな」

 「言うなって。今回の任務、結構辛かったんだから」

 「…仕事で怪我したんか?」

 息子はばつの悪そうな顔をして頷いた。

 「……思った通り、お前はわしと同じ職で働いたほうが、身に合っているようだな」

 「調剤? 無理だよ、俺には。身体を動かしていた方がいい」

 「…まあ、今更じゃな。ほれ、これ持っていけ」

 息子に探し出した薬を渡す。すると、息子は先ほどと変わって、悩んでいる顔をしていた。

 「…どうした」

 「……親父はさ、息子をどういう道に進めさせればいいと思う?」

 自分の息子が何を伝えたいのか汲み取った祖父は、一言告げた。

 「お前の心配していることは分かる。しかし、己の道は己で決めるものだよ。お前のようにな」

 かつて忍組織の医療班で調剤の仕事をしていた自分とは違い、忍本職を選んだお前のように。

 「…そうだな。すまんな、親父」

 「いや、謝ることはない。あの子の異能が、将来どうなっておろうかのう」

 「ああ、本当だな。動物だけでなく、人の考えていることを読み取ってしまう、あの子の力は――」


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