第12話 凶忍『葉月』

 丹波の言う通り、真っ直ぐ奥へ進むと一つ襖が開いていた。ここから入れと示しているのだろう。

 私は襖の前で膝をつき、屈む。

 「長らくお待たせ致しました。葉月、今参上致しました」

 「入れ」

 この声は長本人の声でなく、側近のものだ。長はこの部屋の一番奥に控えているはずだ。

 私は部屋の中へ入り、部屋の中央に腰を下ろした。

 側近が私に言った。

 「長がお前の件について話を聞きたいと仰せだ」

 話を聞きたい、か。つまり、私のこれからの説明で、この件が許されるか否か決まるわけか。

 「了解致しました。では、一から申し上げましょう」

 私が話し始めようとすると、後ろの襖が開き、側近の隣に百地丹波が座った。

 「…あの、申し上げる前にお尋ねしたいことが…」

 すると、側近は私が尋ねる前に答えた。

 「百地殿のことを気にせず、話せ」

 「……はい。承知しました。では、続けます」

 私は長に、加えて側近と百地丹波に、朱雀家へ下見に行ったときの話をした。

 一つ、朱雀家嫡男、朱雀隼人は病弱でありながら、暗殺対象者であるということ。

 二つ、本人曰く、殺されることは今回が初めてではないということ。そして、その本人が、誰が自分を殺そうとしているのか知っている模様であること。

 三つ、朱雀家当主、つまり、朱雀隼人の父が、彼に固執していること。

 そして、四つ、朱雀隼人をこちらで預かり、生かさせること。これは、私の希望だった。

 「……以上でございます」

 私の報告に、長は唸り、そして言った。

 「最後の一つを除いて、三つは、私に対する疑問か?」

 「…はい。どうしても解せぬことで、長から直接、それらの答えを伺い所存です」

 長は再び唸り、悩んでいるようだった。

 そして、重々しく口を開いた。

 「お前、席を外してくれ」

 お前と呼ばれて反応したのは、側近だった。側近は、長の言葉通り従った。部屋には、私と長と百地の三人になった。

 「…前回も今回も、同じ依頼人からだ。その依頼人は…、朱雀隼人の実の弟だ」

 「弟……⁉」

 隼人には三つ離れた弟がおり、今、朱雀家では後継者争いの真っ只中で、隼人を支持するものと、弟を支持するものに分裂しているという。兄の隼人が病弱であることは、家の者全員が知っており、その大半が弟を支持している。しかし、兄の後ろには、現当主が支えている。たとえ、家の者の数が多いといえど、誰も当主の言葉に逆らうことはできない。

 「弟は、兄の隼人を殺すことによって実権を握ろうと……?」

 長は言い続けた。

 「前回は全滅だった。私は忍の頂点に立つものとして、恥をかかされた。だから、依頼は失敗に終わり、もうその依頼は受けないと決めていた…」

 しかし、と長は言った。

 「しかし、どうしてもと再び依頼されて、私は仕方なく受け入れた。これが最後だ、と言って」

 「……隼人は何も悪くないです! 周りに巻き込まれてしまったから、殺され…」

 私は怒りの感情でいっぱいだった。あの日の隼人の笑顔が蘇る。とても穏やかで、優しい顔。けれども。

 ――今が楽しいから、笑顔になれる

 嘘だ。それを隠すために、笑顔にしているだけだ。

 私は膝の上についた両手を強く握りしめた。

 隼人は、私が必ず助ける――!

 そのとき、私の中の何かが、目覚めたような気がした。

 「…父は、それを分かった上で、嫡男を外に出さないんじゃろうなあ」

 私は長の言葉に耳を止めた。

 「あ、あの、隼人は病弱で外に出られないんじゃ…?」

 すると、長は何かを思い出したような顔をして、私に告げた。

 「…嫡男は何も病気などない。おそらく、幼いころから外に出させてもらえず、そのため体力が落ち、動けないのだろう」

 衝撃だった。隼人は病気ではない。父の過剰な固執によって、弱い身体になってしまったのだ。

 「……ない。…さない。許さない!」

 身体の中で、パチンと何かが外れる音がした。

 「絶対に…、許さない‼ 隼人は、私が……っ!」

 私はこのとき、次々と怒りだけが溢れていた。先ほど、パチンと音を立てて解放されたものが、全身に駆け巡る。

 自身では、身体のどこかに異常は感じられなかった。力がみなぎるような感じがするだけで。

 「…っ! 丹波、葉月を抑えろ‼ 早く、今すぐ!」

 「は、はい……!」

 長に命じられ、私は葉月に近づくと、怖いほどの憎悪を彼女から感じた。目は輝きを失い、焦点が定まってしなかった。

 「葉月、目を覚ませ! おい!」

 身体を揺らして、声をかけ、元の状態に戻そうとしたが、変化が見られなかった。

 「…くそっ…」

 舌打ちをする。忍の中でも、葉月は特殊な忍なのか。戸惑っている自分に、いらいらしている自分がいる。

 「…葉月! 目を覚ませ! しっかりしろ‼」

 なぜ、自分はここまで必死なのだろう。伯父が命じたからか。それとも、目の前にいる女忍が、しばらくの間、自分の主になるからか。なぜだ。

 混乱し始めた私に、伯父は大きな声で告げた。

 「…丹波! もう良い! 気を失わせろ」

 私もそうするべきだと思い、葉月の首元を素早く打った。すると、がくんっと葉月の体が撓り、そのままどさりと前に倒れた。

 「……ふう。もう大丈夫、か?」

 葉月の体を仰向けにして、様子を窺うと、規則のよい吐息を立てて眠っていた。私は羽織っていた上着を、彼女の体にかけた。

 伯父もやれやれといった様子だ。そこで私は思った。

 「…伯父上、これはどういうことです? 教えて頂けませんか?」

 「…………」

 伯父は悩んでいるようだ。そこまで知られたくないこととは。

 「…まあ、お前だから話す。……この娘が、なぜ『葉月』か分かるか?」

 「それは、強いからではないのですか?」

 私の答えに、伯父は横に首を振った。

 「…丹波、忍が幹部として選ばれる条件を言ってみろ」

 「選ばれる条件ですか…? まず…」

 私は一つひとつ、思い出して言った。

 幹部になるときは、十二の暦の名を与えられる。そこで奇数月を吉忍として、偶数月を凶忍として分けられる。そしてその中で、知識や体力、技力の優劣をはっきりさせる。吉忍では、位の高いほうから、霜月、長月、文月、皐月、弥生、睦月。凶忍では、師走、神無月、葉月、水無月、卯月、如月となる。

 「…その通りだ――表向きでは。…もう一つ、条件がある。とくに、『葉月』として選ばれる条件が」

 それは、長と五本の指よりも少ない側近しか知らないという。私は、固唾をのんだ。

 「…いつから、その専門が『葉月』になったかは分からない。…先代の『葉月』もそうだった」

 伯父は何かを懐かしく思い出すように見上げた。

 「……『葉月』が恐れられているわけ。ただ単に、強いからではない」

 「…確かに。『葉月』は上位の忍ではない……」

 幹部の中で最も上位の忍は、『霜月』と『師走』である。伯父は大きく息を吸って言った。

 「――『葉月』は、とびぬけた霊力を備えた忍に命じられるのだ」

 霊力。陰陽道を用いて力を武器として扱う、あれか。

 「…霊力は先天的なものだからな。努力したところで、得られるものではない」

 「…というと?」

 伯父は扇で手の平をパシンッと叩いた。

 「もし、『葉月』が霊力を使って戦うとしたら、わしも敵わぬだろう。もちろん、お前もな」

 長の言葉に、私は驚愕した。忍の頂点である長よりも、強い忍が『葉月』であるとは。

 「それも、この『葉月』は、今までと違うのだ…」

 「どう違うのですか、伯父上?」

 長は目を閉じて、扇を強く握った。その腕は、震えていた。

 「…すまぬ。これ以上、話せん。口にするのが、恐ろしい…」

 長である伯父をここまで恐怖で震えさせるとは、この娘はいったい何者なのだろうか。

 「…丹波。お前の力で出来る限り、この娘の霊力を防げ。解放してはならない。頼むぞ」

 「……はい。心得ておきます」

 私は倒れたままの葉月を抱え、伯父の部屋を後にした。葉月を抱えた私は、この屋敷の一室を借り、そこに葉月を寝かせ、その傍に私は腰を下ろした。すっかり、彼女は寝息を立てている。こう健やかな姿を見れば、まだ幼い少女のようだ。

 葉月のほんのりと赤い頬をそっと指先で撫でる。柔らかった。そのまま彼女の長い髪の毛を少し掬い、自分の口元にそっと近づけた。

 「…短い間とはいえ私が貴女さまをお守り申し上げます、葉月さま」

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