第11話 百地丹波という忍(2)

 基本、幹部会に長は出席しない。では、長はいったいどこにいるかというと。

 「…伯父上。許可を頂きたいことがあります」

 長は、忍屋敷の奥深くの林のなかにある小さな草庵に住んでいる。ここへは、側近の中でも側近の数少ない忍関係者しか立ち入ることを許されていない。さらに、その草庵までは、確かな道しるべがないのだ。

 「――丹波、か。よかろう、述べてみよ」

 しかし、この屋敷で唯一身内に許された自分に、伯父は行き方を教えてくれた。

 「ははっ。……私をしばらくの間、葉月のみの補佐として命じられたい所存にて…」

 橙色の眩しい光が、私の頬を差す。屋敷では、二回目の幹部会が開かれている頃だろう。

 「――何故だ」

 「…理由を述べますと…そうですね…、今回の葉月の用件について興味が湧いた、というところでしょうか」

 目の前の大きな権力者は、少し驚きを見せたが、すぐに長としての顔に戻った。

 「…葉月の補佐となり、何をするのだ?」

 「あの女忍は『葉月』と言えども、まだ未熟なところがお見受けします。そこを、私の力で補助できたら、と」

 ほう、と伯父は頷いた。手に持っている扇を、パシリと音を立てた。そして、しばらくの間、黙しているとき。

 「…失礼致します。長、『葉月』より用件をお受けしました」

 長の右腕とされる一人の側近が、部屋の隅に控えていた。

 「…『葉月』、だと?」

 側近は長の傍まで寄り、筒状にされた書類を長に手渡しした。長はそれに軽く目を通し終えようとしたとき、長の目が止まり、険しい面持ちになった。側近も、長に渡す前に目を通していたようで、緊張が窺える。

 「……長、いかがなさいますか」

 「――――ふむ…」

 長はもう一度、その書類を初めから目を通したあと、私の名を呼んだ。

 「――丹波、お前に命ずる。……葉月の補佐として、働け」

 「はっ。ありがたき所存にて、礼を申し上げます」

 座ったまま頭を下げた。そして、私は長の目を見た。

 「…その理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 尋ねると、長はこっちへ来るよう言った。そして、私は長に近づき、葉月の書類を読んだ。

 「…こ、これは…っ⁉」

 長の顔を見ると、長はため息をついて私にこう言った。

 「はぁ~、私は葉月に『殺せ』と命じたはずなんじゃの~。どうしてまた、こんなことを思いつくかのぅ」

 長は頭を抱えて唸り声を上げた。

 すると、側近が告げた。

 「暗殺対象者を生かし、それもまた、こちらで面倒をみるとは…、葉月は正気か?」

 「葉月にも考えあるんだろう。しかし、一人でこれを果たすのは難しいだろうな。丹波、お前の力を貸してやれ」

 側近は「今すぐ、葉月をここへ呼べ」と長の命を受け、部屋を去った。

 「…丹波よ、お前はどう思う? これを許すか」

 長は扇を開けて、ゆっくり仰いだ。

 「……どうすべきかのぅ」

 私は頭の中で整理して考え、長の問いに答えた。

 「私は、なぜ葉月が暗殺対象者を殺さずに、生かそうとしているのか、理由をまず聞きたいですね」

 「そうじゃな…、話を本人から聞いてから考えるとするかのぅ」

 扇で仰ぎながら、長は橙色の空を眺めた。

 「まあ、どうであれ、お前を葉月の補佐として命じ、助けてやってくれ――頼むぞ」




 あれから何日たっただろう。

 いつ、彼女は自分を逃がしてくれるのだろう。

 こんなことを、何回繰り返して思っただろう。

 やはり、この世に生まれて、ほとんど地を踏んだことのない自分が、外の世界で生きていくことなど難しいのだ。

 彼女は私を裏切ったのだろうか?

 「兄上、おはようございます。…兄上?」

 「…彼女は…私を……」

 「あ、兄上? いかがなさいましたか?」

 兄の肩を揺らして呼びかけると、兄ははっと目が覚めたように自分に気がついた。

 「…大丈夫ですか、兄上? 身体の具合がどこか、悪いですか?」

 弟は自分の背中を支えて心配した。

 「ああ、大丈夫だよ。心配をかけたね」

 「あまり、無理しないでくださいよ」

 弟は、部屋の障子を開けた。眩しい光が、部屋の中に差し込む。今日もいい天気だ。

 「いくら兄上がご病気だからといって換気をしないのは、よくありません。ほら、朝の空気が気持ち良いですよ」

 「本当に気持ちが良いな。お前の言う通りだね」

 弟は屈託ない笑顔を見せた。弟と私は、三つ離れている。私は生まれつき身体が弱いが、弟はとても丈夫だった。子どものころも、そして今も、私が読書をしているとき、弟は武道や剣道の稽古に励んでいる。私が体を休めるために、床に臥せているとき、弟はしっかりと彼の仕事を行っている。対照的な兄弟だ。私は、弟の姿に憧れを持っていた。自分も、弟のように生きたい、と。

 だから、自分という存在があまりにも情けなく思えてしまう。

 「兄上、今から朝餉を用意するように言ってきますね」

 「ああ、ありがとう」

 弟があまりも眩しい存在だから、それが、自分の心を救っているように見せかけ、負担を与えている。

 そして、弟は父の後を継ぐのだ。長男である私でなく。身体が丈夫である弟が。しかし、父は私に継がせようとしている。

 だから、依頼を受けて忍が尋ねて来たときも、私を殺そうとする者はおそらく弟を支持する者だろう。私が上に立ったら、父の建てた会社がすぐに潰れることを恐れてだろう。

 私自身、自分が会社を継いでも、周りに迷惑をかけるだけだ。それは嫌である。いつか、その日が来たら私が弟を説得させて、弟に会社を継がせる。

 それが、一番であると思う。私は命が尽きるまでこの部屋で、寝て食べては起きての繰り返しの生活を送ればいい。


 「……あ、れ? ここは……?」

 目を開けると、見慣れた天井が見えた。自分の部屋か。

 「…よい、しょっと」

 鉛のように重い身体を起き上がらせる。頭を上げると眩暈に襲われ、近くの壁に身を預けた。

 「……うっ」

 片手で頭を抱える。それがだんだん治まってくると、明かりはないが部屋の中が少しずつ見えてきた。

 「?」

 ここは自分の部屋でない。自分の部屋は、もっと物で散らかっているはずだ。誰かが、片づけたのか。じっくり部屋の中を見渡す。

 ここは。

 「――葉月、いるのか?」

 自分の呼びに、誰も応えなかった。如月は足を進め、カーテンで閉じられていた窓を開けた。すると、少し肌寒い風が肌を撫でた。夕暮れになっていた。あと数刻で、凶忍の仕事が始まる。

 ここで倒れた自分を葉月が看病してくれたと推測し、如月は普段着に着替え、部屋を少し片づけると葉月を探しに部屋を去った。



 「ここで、合っているのか?」

 言伝の通り大広間に訪ねたところ側近から場所が変わったからと、その場所が記された地図をもらい、その通りに来たのだが。

 「…どう見ても、竹林だな」

 この奥に長がいるらしい。だが、ここからが問題だった。ここから長のところへの行き方がもらった地図に書いていないのだ。

 「……取りあえず、入ってみるか」

 林の中へ一歩踏み出したとき、背後に気配を感じ、振り向いて右に跳躍した。

 「……っ」

 背後に迫っていた影に私は目を開いた。

 「……百地丹波」

 名前を呟くと、彼は微笑んだ。藍色の髪の毛は、夜の色に同化して見えにくい。

 「…長のところへ私が案内しよう」

 「? あなたは、長がどこにいるか知っているの?」

 丹波は私の問いに答えず、背を向けて歩き出した。彼の髪の毛だけでなく、身体までも暗闇に溶け込んでいく。私は見失ってはいけないと思い、その後を追った。竹林に足を踏み入れると、丹波は持っていたランプに火を灯した。小さくて仄かな光が、二人の足元を照らす。

 「…私の後にちゃんとついてきて下さいね」

 「……はい、分かりました」

 長の草庵に着くまでの道のりの間、彼の大きな背中を、私はじっと見つめていた。背中から、恐怖や強さだけでなく、どこか頼りがいを感じた。

 二人の踏む音と、風で揺れる竹の葉の音しか聞こえなかった。

 「着きましたよ」

 「!」

 突然振り向かれ、私は驚いてしまった。すると丹波は私に近づき、ランプを持って顔を近づけた。

 「‼」

 「大丈夫ですか? …ふふっ、…よく見ると、可愛い顔をしていますね」

 丹波は微笑んで言った。ランプで照らされた彼の顔が、いつもより美しく見えた。

 本当に、この人は神無姐さんが言ったように悪い人なのだろうか。

 「ここを上がって、真っ直ぐ奥に進んで下さい」

 草庵の奥を指で指した。

 「は、はい! 丹波さん、ご案内ありがとうございました」

 礼を述べ、お辞儀をすると彼は笑顔でこう答えた。

 「いえいえ、このぐらい礼には及びませんから」

 彼のあまりの誠実さに、私の頭は百地丹波という人物について混乱し始めた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る