第10話 百地丹波という忍(1)

 言い争いが側近の一声で静まり、曖昧な終わり方をした午後の会議は、十五時を少し過ぎて幕を下ろした。

 「…ったく、何だあれは! 長も甥っ子には甘いなァ~」

 神無月は、くわっとあくびをする。そして、肩にかけている上着をなびかせて会議室を後にした。

 彼女の後を私は追った。それに気づいた彼女は振り向いた。

 「ん、何だい? 葉月ちゃん」

 「あの、神無姐……」

 私が彼女に話しかけようとしたとき、それを遮る声が私の後ろから聞こえた。その瞬間、神無姐さんの表情が豹変した。

 私は恐る恐る後ろを振り向いた。

 「やあ、葉月。貴女と話したいことがあるんだ。よろしいかな」

 「なぁにが、よろしいかだよ。アンタみたいなヤツに、この子を渡すかよ」

 丹波に強く言い返したのは、神無姐さんだった。彼女は、私の肩を掴んで自分の方へ引き寄せた。

 「神無姐…?」

 私はじっと彼女の顔を見つめた。私のことをまるで妹のように優しくしてくれる彼女の温かみが好きだった。

 「神無月、私は葉月に変なことはしないさ。それなら、話が終わるまで傍にいてもらっても構わない」

 「アンタの話なんて、聞いてられるかよ。――失せろ」

 彼女の堅固な態度に、丹波はため息をついた。

 「…今回は諦めるとしよう。だが、私は君の隙を狙って来るね」

 では、と私たちに一礼して去っていく彼の背中を、私は半ば茫然として見ていた。

 「…ったく。隙を狙うとか、相変わらず性格悪ィな。…気を付けてよ、葉月ちゃん」

 「う、うん」

 なんだろう。何か、心の中でわだかまりができる。百地丹波を恐れているからだろうか。不安は恐れから生まれてくる。

 彼は私の隙を狙って会いに来ると告げた。彼の言う隙とは、何だろうか。私が何をしているときに、彼は私のもとへ訪れるのだろう。

 神無月は、深く考え込んでいる葉月の顔を見て言った。

 「…あまり、アイツのことを考えないほうがいいよ。知らないうちに、アイツの手の中にいる可能性があるから」

 「? どういうこと」

 「アイツの得意としている一つに、心理が関係している技があるんだよ。アタシは、力技よりそういう技のほうが怖いね」

 神無月が自分の弱みを言い出すことは珍しかった。『神無月』という仮の名を持つ忍は、凶忍の中でも知能や技力など、あらゆる面で優れている者に与えられる。その彼女が百地丹波を苦手にしている。

 すると、神無月から今の雰囲気から思いもよらぬ言葉が発せられる。

 「ねェ~、葉月ちゃん。今から、外に行かない? アタシさぁ、美味しい甘味処知ってるんだ」

 彼女の口調がいつものように明るくなっている。

 「うん。行きたい! …あ、でも、如月の様子を見に行かないと」

 「大丈夫だって! 如月ちゃんは、もう子どもじゃないんだから」

 「で、でも……」

 神無月は葉月の戸惑っている顔を見て、くすっと笑った。

 「葉月ちゃんは、如月ちゃんのこと好きなんだねェ~」

 「え? 好き、ですか?」

 私は如月のことを信頼している友の一人だと思っている。初めて会ったときは、しつこくて鬱陶しいやつだと思ったが。突然、戦いを申し込まれるとは思ってもみなかった。あのときに比べれば、如月は自分のことを信頼してくれているのかもしれない。

 「…如月は、私の大切な友です」

 神無姐さんのいう好きというのは、どういう感情なのか。如月のことを、好きか嫌いかと問われれば、好きである。

 「ふふっ。友達か。…なら、私は二人がそのままでいてほしいねェ」

 「? そのまま?」

 「ああ。そのまま、ね!」

 神無月は犬歯を煌めかせ、にっと笑った。そして、私に背を向けて言った。

 「お誘いは、今度で。如月ちゃんのこと、よろしくねェ~」

 「はい!」

 片手を振ると同時に、彼女の周りに霧が漂う。それは彼女を包み込み、霧が薄れると彼女の姿は消えていた。



 部屋に戻り如月の様態を窺うと、彼はすやすやと寝息を立てて寝ていた。その寝顔があまりにも可愛らしく、私は小さく笑ってしまった。

 「……よし、と」

 私は徹夜して書いた沢山の書類を携えて、自分の部屋を後にした。

 腕に抱えている書類に力が入る。この書類は、捉え次第では、長の命に逆らうことになる。もし、そうなってしまった場合、私はこれからどうすればいい。私はどうなる。恐怖のような震えが止まらない。最悪の場合、殺される。自分でも、顔が蒼白としていることに気づく。

 「…っ、だめだ。こんな考えをしたら、だめだ」

 私は足を進め、長の側近たちの部屋の受付嬢に書類を渡す。

 「これを、上にお渡し頂けますか」

 受付嬢は快く受け取ってくれた。私は一礼して、その場を去る。手渡すとき、腕の震えを止めようと必死だった。書類に書いた私の意見が通るかは、あとは側近たちと、私の説明力次第だ。だから、そのための準備をしよう。

 私はいろいろと思索しながら邸内を歩き、その後、夕方から始まる本日二回目の幹部会に出席した。

 滅多に十二忍揃わない会議の中で、私の頭の中に隼人の姿がよぎる。あのとき、部屋の中は夜なので明かりも少なく、はっきりと彼の姿を見たわけではないが、しかし、体格や声、そして何よりも彼の艶やかな黒髪がとても印象に残っていた。

 あれから一度も会いに行っていない。様子を見に行きたいところだが、それは難しそうだ。まだ明るい時間帯に朱雀家への招待状もなく忍である私が行けるはずもない。


 幹部会が終わる頃にはもう既に凶忍の活動時刻になっていた。

 簡単に食事を済ませ、精神的な疲労を背負ったままふらふらと歩いている葉月に、甲高い複数の声が沸き上がっていた。

 「?」

 そこには、葉月と同じくらいの年頃の女子たちが、入浴を終えた姿で話が盛り上がっていた。

 「も~、私、さっき丹波さまと目が合っちゃったぁ~!」

 「私なんて、微笑んでくれたのよ! なんて素敵な笑顔なの~!」

 「藍色の長髪の男なんて、滅多にいないわよねぇ~! ああ、カッコイイ!」

 どこかの同じ班に所属する彼女たちに隠れながら聞いていた葉月は唖然とした。どうやら彼女たちは、百地丹波の話をしていたらしい。

 彼女たちの言う通り、藍色の長髪にすらっとした体格、端整な顔立ちに惹かれてしまうだろう。

 「もし、丹波さまが次の長になったら、私、命尽きるまでお仕えするわ」

 「そうねぇ~。丹波さまだったら私ももっとやる気が起こるわ!」

 葉月は、すれ違い際に何故か、彼女たちのたとえ話の言葉に耳を止めた。

 「――百地丹波が、次の長……」

 その言葉に根拠もなく、証拠もないのだが、ぬぐえない不安が芽生える。彼女たちの話を聞いていて、自分の心の中でその可能性があるかもしれない、という考えを隠しきれなかった。

 言い争う幹部会の中で、ひっそりとひた笑う百地丹波が脳裏によぎる。何かを企んでいる顔だと思った。その企みが、まさか。

 「あの、君!」

 低い声が私の肩を掴んで呼んだ。

 「!」

 考えに浸り過ぎて、周りが見えなかった私は予想以上に驚いてしまった。

 「驚かせてすみません。君は『葉月』ですね? 私は長からあなたに言伝を頼まれた」

 彼の胸元にあるバッチがきらりと光る。

 「ありがとうございます、秘書官殿。その言伝とは?」

 側近一人につき、一人の秘書官が長から与えられる。知能の高い忍が秘書官に任ぜられることが多い。そして、胸元に光るバッチは、その証だ。

 「あなたが提出した件について、長があなたの話をお聞きしたいとのことです」

 「! それは、その件が認められたんですか⁉」

 認められれば、隼人をこちらへ…と、その期待はすぐに断ち切られた。

 「すみません。認められたかどうかは、私には分かりません。申し訳ありません」

 頭を下げて謝罪をする秘書官に、私は「気にしないでください」と戸惑いながら言った。

 秘書官は最後に言った。

 「今すぐ大広間に来させるように言われております」

 「はい、分かりました。言伝、ありがとうございました」

 秘書官に一礼して、私はひとり大広間へ向かった。

 その日の夜空に浮かぶ月は、薄い雲で霞んでいた。

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