第4話 師匠との出会い、そして家族との別れ
闇に溶け込むような色の服装をしている男の袖を引っ張って尋ねた。
「…お前は何者?」
私の存在に気づいた男は、優しそうな面持ちで応えた。
「……私は、殿に仕えている者でございます」
男の顔の目元以外、着ているものと同じ色の一枚の布で覆われていた。そのせいか、発している声が聞こえにくい。
「こんな遅くに何用なの? 父も母も家の者も、既に休んでいるわ」
その夜は満月の光でいつもより明るかった。
「…私の仕事は夜なのです。さあ、姫様もお休みください。私はこれで失礼させて頂きます」
すると、強い風が私を襲う。腕を翳して目元を覆った。
「……?」
目を開くと、男は自分の前から消えていた。
翌朝、あのときの男のことを母に聞いてみた。
母は、自分にこう言った。
「…その者が言った通りですよ。殿に仕えているのです」
この答えに、なぜか私は腑に落ちなかった。理由は分からないけれど、母は何か隠しているように見えたからだ。
だからといって、さらに追求はしなかった。そういうことは、子どもは知らなくていいのだ、と悟っていたから。
その後は、いつものように家の者を困らせるぐらい、家の中でも外でもはしゃぎ回った。
「ふふっ。困った子ですね」
「ああ。いつになったら、おしとやかな姫になるのだろうか」
両親ははしゃぎ回る娘を困った顔で笑っていた。
「姫さま~。お待ちください! 危のうございます」
「あははっ…! 私を掴まえてみよ」
笑いが絶えない幸せな家庭だった。自分が笑っていれば、家の者すべてが、幸せそうに笑う。
「姉さま~!」
「ほら、お前も一緒に走ろうぞ!」
自分より二つ下の弟の手を取る。しかし、弟の足に合わせて走っていたら、すぐに掴まってしまった。
「…はあ~っ。さあ、姫さま、お稽古の時間でございます」
「むぅ。……まだ遊ぶ!」
「…お稽古が終われば、また遊べますから」
家の者に従い、お稽古をしに行く。
「…姉さま!」
弟が自分を止める。自分の袖を掴む弟の手をやんわりと外す。
「お前も、勉学に励め。遊びは、また今度だ」
「………はい」
俯いた頭を優しく撫でた。
「さあ、姫さま、行きましょう」
その場に残された弟は姉の背中を見えなくなるまでじっと立っていた。
自分は姉が悲しそうな顔をしているところを見たことがないぐらい、毎日笑っていた。
姉が笑っていると、自分も笑みが零れる。
まるで、姉の笑顔が、この家に幸せを呼んでいるように思えた。
「…若さま、お勉学しましょう」
家の者が自分を呼ぶ。それに、自分は頷いて応える。
すると、母が声をかけた。
「頑張って立派な男になりなさい――月太郎」
自室に戻った私は、部屋の壁にもたれてしばらく座っていた。
窓から差し込む橙色の光が私を優しく照らす。
やはり『葉月』は、忍からも嫌われる存在なのだ。
吐いたため息が、重く感じられる。
「……、準備をするか」
今夜の下のために、荷物を整理し始める。持っていくものは、最小限にしなければならない。たとえ下見であっても。
地図に包帯に煙玉。
そして、クナイを掴んだ。
最終的にこれで朱雀家の嫡男の胸を刺すのだ。失敗は許されない。
ぎゅっと強くクナイを握って、荷物の中にしまい込んだ。
荷物の準備が完了したら、任務を実行する時まで仮眠をとる。体力補充のためだ。
天井をぼーっと眺める。そして、何故か昔のことが思い出された。
師匠に引き取られてから、十年ぐらいが経つ。
あの家は今、どうなっているのだろう。
弟は、どうしているだろう。
別れる間際、私にしがみついて離そうとしなかった。顔もくしゃくしゃになるほど涙を流していた。
それを見た瞬間、胸にチクリと痛みが走った。
あのときのことは、今も鮮明に覚えている。忘れなどしない。
私は身体を丸め、布団の中に潜り込んだ。
家の者が何とかして、自分を離したが泣き止まなかった。それに苛立った父が怒鳴った。母はそれまで必死に父を止めていたらしい。
「この家の嫡男としてなんたる態度…っ! 情けないにもほどがある…っ!」
自分を叱りつけると、父は家の奥に行ってしまった。
自分はひっくひっくと、泣くのを我慢しようとした。
「…若さま、家に入りましょう」
家の者が自分の背中を優しく撫でた。
「待って」
姉は家の者を止めた。そして、姉は自分に歩み寄って告げた。
「――またどこかで会えるわ。それまで、立派な男になりなさい。月太郎」
「―――姉上…」
貴女は今でも笑っているのですか。
忍の生活は貴族の暮らしとは全く違う環境でしょう。
そんな中でも、貴女は笑っているのでしょうか。
太陽のような面差しの笑顔で――
「…若様。お時間でございます」
家来が自分を呼ぶ。
「――ああ。了承した。今から参る」
立ち上がって、宴の場所へ向かう。
不意に夜空を見上げる。
美しい満月が夜空を照らしていた。何気なく見ていた両目を張った。
それは一瞬のことだった。丸い月に映された一人の影。
あれはおそらく、忍というやつだろう。初めてこの目で見たが、忍という者は本当にいたのだと実感させられた。
もし、あれが。自分の姉だったら。
ここからでは遠く過ぎて誰の影なのか分からなかったが、もし一瞬の間に姉だと認識できたなら呼び止めていたかもしれない。
自分の身体のどこからからか、姉に会いたいと思っている感情が湧いてくる。
もう二度と会えないと分かっていても。
男は視線を戻して、足を進めた。
人などの生きるもののほとんどの気配が静まった頃に、忍の仕事は始まる。
仕事用の服装に着替える。黒に近い青一色の生地で作られた忍者服は、とても動きやすい。仕事内容を考えた上で作られているためだ。
腰に荷物を装着する。カチャ、と金属同士が擦れ合う音が鳴る。
顔を隠す布を頭で結んだ。
「―――よし。行くか」
真っ暗闇の空へ一歩踏み出して駆けた。
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