第3話 息抜き

 私の心は、苛立ちでいっぱいだった。

 ――俺と戦わない?

 挑発するような口調で、見下すような眼差し。

 立ち止って、自分の手の平を見つめた。

 自分はそんなに弱く見えるのだろうか。

 『葉月』らしくないのだろうか。

「――…私だって、なりたくてなったわけじゃないのにっ…」

 ぎゅっと、手の平を握った。

「……何も知らないくせに――」

 両膝の力が抜けて、その場でしゃがんだ。

「…そんなに羨ましいなら、この称号なんて、あいつにくれてやる」

 でも。

 ――『葉月』としてお前の生涯を終えろ

 自分を愛情いっぱいに、時に厳しく育ててくれた師匠の姿が思い出される。

 師匠の期待を裏切るようなことだけはしたくない。

「……あの~、だいじょうぶですか?」

 険しい顔をしていた自分に心配そうな声がかかった。振り返ると、幼い少女が私の傍で立っていた。もちろん、この少女も忍である。

「…う、ううん。何でもないよ。気にしないで」

 立ち去ろうとした自分の腕を、小さな両手が止めた。

「…お姉さん、……泣いてるよ?」

 可愛らしい声の少女は悲しそうな顔をしていた。

 私は自分の頬を撫でてみた。涙がつたった痕が残っていた。

「……ねぇ、お姉さん。これから、あたしと遊ばない?」

「えっ……?」

 戸惑いを隠せない私を見て、少女はにこりと笑った。

「…甘いもの食べない? あたし、美味しいお店知ってるから!」

 腕をしっかり掴まれて、少女が行く方に引張られた。

「ちょ、ちょっと待って…。私、仕事がまだ……」

 少女はくるっと向いて私を見た。

「疲れたときは、甘いものがいいんだよ。ね?」

 私は、少女の無邪気な笑顔に勝てず、従うことにした。

「…わかったよ。今から、準備してくるから、東門で待ってて」

 大きな瞳がぱあっと開かれる。

「うん! あたし、待ってる!」

 花のような可愛らしい笑みに、私は先ほどまでの感情が一気に緩んだ気がした。


「おぉ~い、こっちだよ!」

 細い腕を精一杯伸ばして私を呼ぶ。

「…ごめんね、待たせちゃったかな?」

「ううん、全然大丈夫!」

 私は忍の服装から、お出かけ用の着物に着替えた。髪型も、普段一つ結びしているのを、お気に入りの髪留めをして綺麗に伸ばした。

 門を出ると、予想以上の人が街を行きかっていた。

 辺りを見渡すと大人も多い。賑やかだった。

「…手を繋ごうか、迷子になっちゃうからね。えーっと…」

 少女に手を差し伸べると同時に、少女の名を知らないことに気づいた。

 それを察したのか、少女は手を出して言った。

「あたし……」

「おーい、華~」

 後ろからの声に私と少女は振り向いた。

 その正体に私は嫌気をさしたが、少女のほうは瞳を輝かせて、声の主に駆け寄った。

「お兄ちゃん!」

「元気にしてたか、華?」

 少女の頭を慣れた手つきで、優しく撫でる。

「うん! 今からね、お姉ちゃんとお買い物行くの」

 少女の兄は、少女が指をさすほうへ顔を向けた。

「……あ」

 先ほど、ずっと自分にしつこかった奴が、私の顔をじろじろと見た。そして、近づいてきた。

「華のこと、よろしくお願いします」

 私に対して軽くお辞儀をした。これには、驚かずにはいられなかった。

「お前、先ほどとうって変わるんだな。誰と話しているか自覚あるの?」

 私は華と手を繋ぐ。

「え? 何のことですか?」

 まさか、本当に私が『葉月』ということに気づいていないのか。

「…あの、俺、前にもあなたと会ったことがありましたか?」

 前というか、さっきだよ。

「す、すみません。あなたのこと、覚えていないみたいです。良かったら、お名前を…」

 私の顔を不機嫌で覆っているのが伝わったらしい。

「……別にいい。さ、行こう、華ちゃん」

「う、うん」

 華は私の手をぎゅっと握った。

 賑やかな街へ一歩踏み出す。

 如月は、楽しそうに話す二人の後ろ姿が見えなくなるまで立っていた。

「……誰なんだ?」


 街は騒がしいほど賑わっていた。

「今日は安売りだよ~。そこのお嬢さん、買っていかない?」

「新鮮な野菜だよぉ~。ゆっくり、見ていってちょうだいな」

 商店街は商人の呼びかけが行きかっていた。

 兄と別れて一言も話さなくなった華に私は話しかけた。

「…華ちゃん。何か欲しいものある?」

「え?」

 大きな瞳の中に、私の姿がある。

「欲しいものがあったら、買ってあげるよ」

「う、うん! ありがとう、お姉ちゃん」

 華はちらほらと店の中を見渡していると、

「あっ! あそこのお店、行きたい」

 華が指したお店は、ピンク色を基調とした可愛らしい雑貨屋だった。

「うん。行こうか」

 その店は、華のような小さい子どもで賑わっていた。

「あたし、見に行ってくる」

 私の手から離れ、お店の奥へ行ってしまった。

「ああ、うん。私、ここで待っているね」

 初めて、こんなお店に訪ねた私は、動揺を隠せないでいた。それに隣にいた主婦が気づいた。

「…ふふ。お姉さんは、妹さんとお出かけ?」

 その主婦は、お腹が膨らんでいた。お腹のなかに赤子がいるのだ。

「あの子は、知り合いで…。仲良くさせてもらってます」

 主婦はにこやかにほほ笑んだ。

 すると、女の子が主婦に近づいた。

「お母さーん。これ、買ってぇ~」

 手に取っているおもちゃを母に見せる。母は娘の頭を撫でながら

「はい、はい。じゃあ、お金渡すから、自分で買ってきなさい」

 主婦の娘はお金を受け取ると、再びお店の奥へ入って行った。

「…お姉さんは、この近くの人?」

 大きいお腹をさすりながら私に尋ねた。

「はい。この町の者です」

 私もそうよ、と主婦も頷いた。

「お仕事は、何してるの?」

 主婦の問いに、私はぎくりとした。何と答えればよいのだろう。忍の仕事してます、なんて言えない。

「え~っと、私、修行の身でして…。職業というのは…」

「あら。なんの修行してらっしゃるの?」

 頭の中が、熱くなっていく。混乱している。

「…そ、それは…師匠から口止めするように言われていて…」

 もうこう言うしかない。嘘なんてつきたくない。

「そうだったの、ごめんなさいね。無理に聞いてしまって」

 主婦の顔が悲しみに覆われていく。

「い、いいえ! 気になさらないでください」

 すると、先ほどの女の子が母のもとへ戻って来た。

「じゃあ、お姉さん。また、どこかで」

 母は娘の手を取り、私にお辞儀をした。それに対して私もお辞儀をした。

「は、はい…!」

 姿勢を元に戻すと同時に華が戻って来た。

「あたし、これが欲しい!」

 手に握っていたのは、風車だった。

「可愛いね! はい、これを渡すから、買っておいで」

 お駄賃を華に渡す。そして、華はお店の奥へ入っていく。

 不意に思った。

 先ほどの母と娘のやり取りと同じことを、私はしている。

 一人でくすくすと笑ってしまった。

「お姉ちゃん、買ってきたよ!」

 元気な声が私に駆け寄る。

「うん。華ちゃんが、欲しいもの買えて良かったよ」

 華の手を取る。

「さあ、家に帰ろうか」

「お邸じゃないの?」

「うん。華ちゃんのお兄ちゃんのところへ帰ろう? 私たちの家へ」

 私には家なんてないけど。この子には、家がある。

 賑やかな街を私たちは後にした。



 人を殺す。

 それは、人として良いことなのだろうか。

 長が殺せと言っているのだから、良いのだろうか。

 長の命令に逆らうことは許されない。そんな掟があるところに、私はいる。

 この手で、人を殺せるのだろうか――



「お姉ちゃん。今日は、ありがとう」

 華の声が、突然耳に入って来たので、私ははっとした。

 いつの間にか邸の中に入っており、彼女の家に着いていた。

「…あ、ああ。うん、いいよ。私も楽しかったから」

 華の顔を見て笑った。華も、私の顔を見て笑った。

 華の小さな手が、私の手から離れる。

「じゃあね、お姉ちゃん。また、遊ぼうね」

「うん」

 お互いに手を振りながら、別れの挨拶をした。

 私は軽くため息をついた。子どもは、なんて元気なんだろう。私にも、あんな頃があった。母と父、そして家の者に囲まれながら。

 葉月の瞳に闇が宿る。

 あまり、良くない記憶だ。あの頃の自分にとっては、幸せな思い出だったと思うが。しかし、ここにいいる自分にとっては、そうでない。

「――あの」

 後ろから、低い声が私を呼ぶ。

 何だろうと後ろを振り向くと、彼がいた。華の兄がいた。

 またか、と思いながらも声をかけた。

「…何か用?」

 すると、彼は私の顔を真っ直ぐ見て言った。

「……今日は華を、その…喜ばせてくれて……ありがとう」

 最後の「ありがとう」という言葉に、私の耳がぴくっと動いた。

 感謝の言葉を言われた。お礼をされた。それも、先ほどまで、嫌気がさしていた『如月』に。

「べ、別に…あの子を喜ばせようとして行ったんじゃ…」

 少し顔が熱を帯びているのが感じられた。

 お礼をされただけで、照れている自分が恥ずかしい。情けない。

「…でも、華はあなたを気に入っているっぽいですよ?」

 彼の言葉に耳を貸す。

「……そう。それは嬉しい。けれど…」

 きっと、私が『葉月』だということを知ったならば、華は私を恐れるに違いない。

「けれど?」

 彼の問いに私は戸惑う。

 こんなやつに、私の弱音を聞いてほしくない。

「…あなたには関係のないことよ。そんなこと聞かなくたって、お前には分かるでしょ」

 そうだ。『如月』のお前なら。私と同じ、凶忍なら。

「あなたは、華に自分が凶忍だということを伝えたの?」

「え?」

 なぜか、彼は驚いていた。しかし、その理由が、彼が唖然としている間に気づいた。

「あなたは、なんで、俺が凶忍だってご存じなんですか?」

 彼は首を傾げた。

「………っ」

 今の私が『葉月』ということに、彼は気づいていなかった。つまり、彼にとって、今の私は初対面ということになる。それなのに、私は。

 私は自分の目元を手で覆った。

「ど、どうしたんですか? どこか、体の具合でも…」

 心配そうな声を私にかけ、近づこうとした。しかし、彼が私の体を支えようと触れる直前に、手を出してそれを止めた。

 こうなったら仕方がない。正直に話すとするか。

 深く息を吐いた。

 そして、如月の顔を見る。

「…如月。今更だが、私は『葉月』よ」

「―――…え?」

 ぽかんと口を開けている彼に、もう一度告げる。

「私は『葉月』」

 私を上から下へと何度も見る。

「え? え! …マジ?」

「嘘を言って何になるの」

 すると、彼の顔が徐々に赤くなっていった。

「…っ、マジか。俺、なにやってんだ? 葉月に対して…」

 両手で顔を隠し、頭を抱えている。

「…そんなに、落ち込むこと?」

「……あ、当たり前だろ! なぜ、気づかなかったんだ、俺!」

 あぁ~と唸り声を上げている。

 その時自分のことで必至な如月は、葉月が哀しそうな顔をしていたのに気づけなかった。

「…なら、もう私に近づかないで。あなたも、華も」

「え?」

 顔を上げると、葉月はもう既に、その場から去っていた。




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