2
乗せられた小舟はゆっくりと沖へと進んでいく。
海神狂のアジトは断崖の下にある洞窟を利用して作られており、アーリアは海へと続く洞窟の入口から小さな船の乗せられた。
抵抗して見せたが腕も足も縛られている身の上でできることは限られている。
しかも現在足には枷がつけられ、その先には重石までついている。
さっきから嫌な想像をできるだけしないようにしている。
「……マリアナは……ずっとわたしのことをだましていたの?」
沈黙に耐え切れなくなってアーリアは言葉を探した。
探して出てきたのはかなり直球な言葉だった。
マリアナも船に同乗している。
帆柱が一本しかない、木造の船にはアーリアとマリアナ、長老とミーファともう一人の男が乗っている。
「ええそうです。わたしの祖父なんですけどね、あの人。わたしは小さいころに両親を亡くして、それから祖父に引き取られて彼から教えを受け継ぎました」
マリアナは無視することなく会話をしてくれるようだ。
「わたし、あなたのこと好きよ」
アーリアは悲しくなる。
マリアナのことはずっとお姉さんのように頼りにしてきた。人魚と人間の間を行ったり来たりしている面倒な体質のアーリアの世話をずっとしてくれた。
王女としての責務を中途半端にしかこなせないアーリアに『王女様は、その存在自体が希望になるんです。だからいつも笑っていてください。わたし、女神さまのような姫様が大好きです』と言ってくれた。
「でも、姫様の一番はわたしじゃないですよね。あの男になったじゃないですか」
マリアナの視線が険しいものになる。
「もちろん、これまでだってわたしのものじゃないことくらいは分かってます。でも、それとこれとは違うんです。これまでのように恋とか何も知らない純粋なお姫様のままならよかった……。ずっとわたしたちと一緒にお城の奥で暮らしていけて。それでよかったのに……姫様はわたしを裏切った」
吐き出されるのは彼女の本心。
初めて見せたマリアナの本心にアーリアはたじろいだ。
彼女の話す言葉は、異国の言葉のようにも聞こえる。
「わたしの役目は姫様の懐に入り込み、信頼してもらって、姫様をお城から連れ出すお手伝いをすることでした。けど……初めてお会いした時、そんな役目忘れちゃいました」
忘れた、というところで長老の耳がぴくりと動いた。
けれど彼は口を挟むことはなかった。
「だって、とってもきれいなんですもん。こんなにもきれいなお姫様の側に仕えることができてわたし幸せでした。毎日が楽しかったです。本当ですよ。だから、祖父からの手紙も無視していました。どうせ、お城へ入ってくることなんてできないんだから」
そういえばマリアナは里帰りをしない子だったな、とアーリアは思い出した。たまには家族の元に帰らなくていいの、と聞いたことがあった気がする。けれど彼女はそれよりも姫様の側にいたいです、と笑っていた。
「それなのに……トレビドーナの王太子のせいですべてが狂ったんです。あの王子が姫様に近づくから! 姫様もあの男に惹かれていった! そんなの許せないっ!」
マリアナの瞳が激情に揺れる。
金切り声がアーリアの胸の奥底に響く。
マリアナが初めて見せる本人に触れた。
彼女がアーリアを大切に想ってくれているのは分かっている。
最初は、トレビドーナの王太子相手に警戒をしているのかと思っていた。けれど、彼のやさしさに触れてアーリアの心が徐々に彼への信頼を深めていってもマリアナの態度は変わらない。
アーリアは悲しくなる。
本当はマリアナにも祝福してほしかった。
「わたしは……リベルト殿下のことを」
「それ以上は口にしないでください。あんな男のこと姫様の口から一切聞きたくないっ!」
再びマリアナが叫ぶ。
ここでミーファが茶化すように口笛を吹いた。
マリアナはぎろりと彼を睨みつけた。
「もう、いいんです。姫様が男のものになるのなら、だったらいっそのこと海の王の元へお返したほうがまだましです。わたしも一緒に還りますから」
マリアナの言葉は一方的だった。
アーリアの考えをすべて拒絶したうえでのマリアナの欲望。ただそれだけだった。
「それでも……わたしはリベルト殿下が好き。神様に感謝をするわ。政略結婚を義務付けられたわたしが、リベルト殿下に出会うことができて、彼を好きになった。彼も同じものをわたしに返してくれた。あなたの期待に応えることは出来ないけれど……わたしは、それでもマリアナのことだって好きよ」
「もう、いいんです」
最後にマリアナはふっと笑った。
それは、月夜にしか咲かない白い花のようにはかなげで、頼りないものだったが、アーリアは彼女の決意が変わらないことも、自分の声が彼女の心に届かなったことも理解した。
それ以降二人は口を噤み、辺りには波の音だけが響いている。
月明りと必要最低限の明かりの元、小舟は沖へ沖へと進んでいく。
時折遠くの方に灯りが揺らいでいるのが確認できる。
夜にも船が沖合にでることがあることはイルファーカスから聞いて知っている。
沖へ漁に向かう船だったり、沖に停泊している船だったり。
アーリアはそれよりも、これから起こるであろう事態に意識を傾ける。
本当に海の王なんて現れるのだろうか。
彼らの話では海の王は代替わりが近いのだという。その前にアーリアを王の元へ返したいとの願いらしいが、アーリアにしてみたらとってもいい迷惑だ。
(けれど本当に海の王とやらが現れるのならいい機会だわ)
直接本人に魔法の解き方を教えてもらえばいいのだ。
しかし、その前に息が続かないかもしれない。なにしろ彼らはアーリアを海へ突き落す気が満々なのだから。
物事をいい方に考えようと思うのはいいことだが、今のこれは確実に現実逃避だ。
アーリアはぎゅっと瞳を閉じた。
大好きな人とは微妙なしこりをのこしたままだ。
彼の元に帰りたい。
このままだなんて嫌。
彼に会って言いたかった。わたしも魔法を解きたい、あなたの隣にずっといたい、と。
彼と同じ方向を見て、彼とずっといるために魔法を解きたい。
リベルトは海の王の魔法にまでやきもちを焼いたのだろうか。だったら、どれだけ独占欲が強いのだろう。
けれど、そのくらいの想いを寄せられてアーリアの心は嬉しさで震えてしまう。
(わたしだって同じ。リベルト殿下にすべてをささげたい)
だから本当はすぐにでも逃げ出したい。
お願い。もう一度彼に会わせて。
同乗する男が声を上げたのはそんなときだった。
「おいっ! あの船こっちへ向かってくるぞ!」
◇◇◇
船の上がにわかにあわただしくなる。
皆の顔に緊張感が走った。こちらに向かってきた船はアーリアの乗るそれよりも一回り大きなもので、暗い影がいくつか目視できた。
「リベルト殿下……」
アーリアは信じられない思いでつぶやいた。船から発せられる声は確かに彼のものだった。
そう気づいたのはマリアナも同じようで、立ち上がった彼女は向かってくる船と相対する。
「姫様の準備をして頂戴」
マリアナは振り返らずに男に命じた。
アーリアは青年に背後から持ち上げられた。
「い、いや……」
船はこちらへと近づいてくる。
「アーリア!」
「お兄様」
懐かしい声にアーリアは涙ぐみそうになってしまう。
まさかイルファーカスまで同乗しているは思わなかった。
こんな暗い夜の海になんか出てきて、万が一のことがあったらどうするつもりなのだろう。
「アーリアを解放しろ」
リベルトが声を張り上げた。
「おあいにく様。王子様には姫様を渡すわけにはいかないの。そこで大人しく歯噛みしていればいいのよ」
マリアナがリベルトを挑発するように応対する。
恍惚とした声色にアーリアの胸が早鐘を打つ。
自分の命運を握っているのはマリアナだった。
「おまえ、自分が何をしようとしているのか分かっているのか?」
リベルトが叫ぶ。
「ええ。もちろん。姫様を海の王にお返しするのよ。あなたには絶対に渡さない。人魚のお姫様は海へ還るの。わたしも一緒にお供するわ」
マリアナが堂々と宣言をした。
高らかに、歌うような口調。
「マリアナ、わたしは海の王に従う気はないわ」
アーリアは口を挟む。
挟まずにはいられない。
リベルトが助けに来てくれた。
最後まであきらめたくなかった。
男に抱えらえたアーリアは、まるで捧げられた供物のように宙へ浮く。すぐ下には船の縁。
「い、いや……」
アーリアは体を動かそうとするが、大きく動くと海へ落ちてしまいそうになり、慌てて静かにした。
「姫様。わがまま言わないでください。大丈夫です。わたしもすぐに参りますから」
マリアナがくるりと振り返った。
穏やかな笑みは、小さな子供をあやす姉のよう。
アーリアはぞくりとした。
彼女に、アーリアの言葉は通じない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます