5

◇◇◇ 


 二人は回廊を囲む形で作られた正方形の中庭に降り、片隅にあるベンチに座った。

 ちょうどかんきつ類の木の下設えられており、木陰になっている。

「兄上と、喧嘩でもした?」

 テオドールの言葉にアーリアは顔をあげた。

 アーリアの顔の動きで色々と悟ったらしい。テオドールは柔和な瞳をさらに困ったように細くした。


「やっぱり。今日、その……。兄上の様子がちょっとぴりぴり、していたから」

 弟というものは兄の小さな変化にもすぐに気が付くようだ。アーリアだってイルファーカスの機嫌の良し悪しには早く気が付く。

「ええと……わたしが怒らせちゃったんです」

 アーリアは素直に白状した。


 自分が掛けられた魔法について、今一つ真剣に向き合おうとしないアーリアの態度に彼は怒った。

 そういうことをつらつらと横に座るテオドールに話した。

 話をすべて聞き終えたテオドールは何も言わずにじっとしている。


 そしてゆっくりと口を開いた。

「ええと……その……。アーリア姫って、僕の目から見ても……その」

 テオドールは言いよどむ。

 アーリアは辛抱強く待つ。


「自分のかけられた魔法について、あきらめているところがあるなあって思っていたというか。努力の方向性が、魔法にかかっていることが前提だったというか」

 テオドールからも同じように指摘をされてアーリアの胸が波打つ。

「だって、それは……」

 アーリアが少し反論しようとすると、テオドールは慌てて弁解する。

「わかっているつもりだよ。代々続く魔法の解き方なんて、早々にわかるものでもないことくらい……ただ……その」

「その?」


「兄上は、自分と同じ温度になってもらいたかったんじゃないかな」

「温度?」


 よくわからなくてアーリアはテオドールの言葉を繰り返す。

 テオドールはぎこちなく頷いた。

「アーリア姫にも、兄上が感じるのと同じくらいの気持ちを持ってほしかった……ってことじゃないかと思うんだ」

「リベルト殿下と同じ……」


「僕はね、小さいころから色々と不器用で、要領がよくなかったんだ。本を読むのはすきだったけれど、体を動かすのが苦手で。ついでに口下手で……」

 だから、とテオドールはゆっくりと続ける。


 六歳年上の完璧な兄。兄は王太子に生まれるべくして生まれたような子供だった。

 勉強もでき、体を動かすことも好き。もちろん県の腕前だっためきめきと上達をした。人前で話すことも苦にならない。

 それに比べておまえは、とテオドールは母から何度も言われて育った。

 勉強だけできても何にもならぬ、と。


「僕もね……あきらめていたんだ。ずっと。よく兄上には怒られてきたよ」

「テオドール様が?」

「……情けない話だけどね。兄上はきっと僕のあきらめをわかっていたんだ。だから、歯がゆかったんだろうね。あきらめて立ち止まっている僕を見ていて」


 テオドールはいつのころからかあきらめた。将軍直々に剣の稽古をつけられてもこんなの無理だと涙を浮かべる始末。

 人前にでることも苦手。

 父から従属国から迎える遊学者の面倒を見ろと言われても手探りの状態。年下のビルヒニアに翻弄されっぱなし。

 本を読むことは好きだから、将来は文官のお手伝いでもできたらいいなあくらいにしか考えていなかった。


「だから、僕が、その。こういうことに気が付いたのは……本当につい最近のことなんだ。お恥ずかしい話だけれど」

 テオドールはアーリアの顔を見て、それから照れくさそうに笑った。


「アーリア姫に出会ったおかげ……かな」

「わたしに?」

 アーリアは小さく息をのんだ。

 テオドールはこくりと首を下げた。


「うん。きみに出会って、その……好き、になって。きみのことを考えるようになって……って、今はもうちゃんと吹っ切れているから大丈夫だよ」

 途中テオドールが慌てて弁解してきたからアーリアは「う、うん」と頷いた。


「アーリア姫の魔法を解きたいって僕も兄上も思った。けれど、肝心のきみは魔法は仕方のないものとして、そのうえで完璧な王女であろうと知識だけは磨くという努力をしていた。……だから、その、少し寂しかった。僕たちはきみの魔法を解きたいのに、アーリア姫自身は諦めちゃっているから。正直歯がゆかった……歯がゆく思って、僕は初めて、兄上が僕に対して怒った意味について思い至ったんだ」

 アーリアはテオドールの言葉をゆっくりと頭の中でかみ砕く。

 アーリアの魔法に対する思いに対してリベルトは寂しく思ったということだろうか。

 彼は魔法を解きたいとあがいているのに、アーリアには本気度が欠けていた。


「きっと兄上は、アーリア姫と一緒に悩みたかったんだよ。一緒に魔法を解こうともがいてほしかったんだ」

「一緒に悩む……」

「これに気が付いたのは本当にここ数日のことなんだけど」

 テオドールは不甲斐ないんだよ、僕と言った。


「リベルト殿下は、わたしと一緒に悩みたかったの?」

「たぶん」

「僕はね、コゼントに来ることができてよかった。……今まで外に出ることをしないで、ずっと本ばかり読んでいたけれど。ここにきて、色々と自分の目でみることができてよかった」

 テオドールはそんな風に話題を変えた。


「こんな僕でも、王家に生まれたからにはできることがあるのかもしれない。外交っぽいことをしてみて、そう思ったんだ」

 ぽいところがまだまだ未熟者だけれどね、とテオドールは言い添える。

 いまいち自信がない物言いになってしまうのは仕方のないこと。彼はきっとずっとそんな風に物を考える習慣になっていた。

 けれど、彼はすこしのきっかけで広い世界に目を向けた。


 アーリアは考える。

 リベルトがアーリアに伝えたがったことを。リベルトと同じくらいの気持ちを持っていたのか、と言われてアーリアはもちろんと答えたけれど。

 たぶん、彼の中ではまだ足りなかったのだろう。もう一歩踏み出してほしかったのだ、アーリアに。リベルトと同じように自分の魔法について真剣に向き合ってほしかった。もっともっとあがいてほしかった。


「僕も兄上と同じ思いを持って、国を支えられるかな……。いや、支えたい。兄上の政治を助けたいんだ。ずっと心では思っていたのに、たぶんそれだけじゃ駄目だったんだろうね」

「わたしも! わたしも分かったわ。能天気に口づけされたら魔法が解けるかもなんて思っていたんじゃいけなかった」

 アーリアは叫んだ。

 今アーリアに必要なのは、リベルトと同じ方向を向くこと。二人で魔法を解く手がかりを探すこと。

 元気を取り戻したアーリアにテオドールが少しだけ身を引いた。


「う、うん。正直兄上はかなり、その……負けず嫌いだと思うよ」

「そうなの?」

「だって、僕がアーリア姫に触れようとしたら止めようとしたんだよ。きっと、海の王相手でも同じだと思う」

 その兄上と、きみを取り合ったことのほうが信じられないよ、と彼はつづけた。

 会話が微妙に色恋づいてきてアーリアは下を向いた。


「えっと、今はもう大丈夫だからね。きみのことは、その……友達として大事ってだけだから」

「ありがとうテオドール殿下。わたし、リベルト殿下に会いたいわ。彼は今どこにいるのかしら」

 アーリアがそう言うとテオドールは目を泳がせた。何かあった、という正直する反応だ。


「もしかして……なにか……」

「いや。そんなことないよ。ただの視察だよ、ただの」

 やけにただの、を強調する。

 アーリアが顔を曇らせる。

「大丈夫。ちょっと、城下で騒ぎがあって、兄上が視察のために同行しているだけだから。アーリア姫は帰りを待つ間書物庫とかで、本を読んだら……いいんじゃないかな?」

 テオドールは詳細を省いた。


 騒ぎの内容が気になるが、アーリアへの外出許可は下りないだろう。生まれてこのかたアーリアは城下へと連れて行ってもらったことがない。

「わかった……」

 アーリアは素直に頷いた。

 気にかかることはあるけれど、トレビドーナの宮殿で聞きかじった話ではリベルトの県の腕前は相当なものらしい。よっぽどのことがない限り彼が手負いになることはないだろうと、アーリアは自分に言い聞かせた。


 アーリアは話に付き合ってくれたテオドールにお礼を言って彼と別れた。

 相変わらず腕の中にナッさんを抱いたままアーリアは書物庫へ向かおうと城の中を歩く。

 外回廊を歩いていると、急にナッさんが腕の中で暴れ出す。前足で強く押されてアーリアは腕をほどいてしまった。


「ナッさん! どこへいくの?」

 ナッさんはぴょんと地面に着地をすると、一目散に駆け出す。そのまま植木の奥の茂みへと姿を消してしまう。

「もう」

 猫は気まぐれだ。きっと何かいいものでも見つけたのだろうとアーリアは見当をつけた。遊んだら帰ってくるだろうと深く考えずアーリアはそのまま道を進むことにした。回廊の柱から人影が現れたのはそんな時だった。


「姫様。お久しぶりですね」

 金色の髪を一つにまとめ、お城で働く女性たちに配られるお仕着せを身につけたマリアナだった。


「マリアナ」

 彼女は、リベルトへの暴言以降アーリアの側付きの任を解かれている。

 マリアナはアーリアの知る人懐こい笑みを浮かべていた。アーリアも久しぶりに会った彼女の笑顔に微笑んだ。

「姫様に朗報があって話ができる機会を伺っていたんです」

 マリアナは屈託なくアーリアに近づいた。


◇◇◇ 


 王都スキアは港町でもある。

 コゼントの貿易港を抱えるこの街には外国人も多い。現在はトレビドーナ海軍も駐屯しているため、トレビドーナ人も多く住まう。

 トレビドーナは内陸国で、航海技術は持ち合わせていない。隣国アゼミルダに対抗するためにトレビドーナでは近年海軍整備が急務となっており、軍の予算も多く割り当てられている。


 とはいえ、船の操舵や海図の読み方など、陸地での実践と海の上での技術はまるで違う。トレビドーナはそういった技術をコゼント海軍に頼っている状態だ。

 従属国コゼントだが、作られて間もない海軍の人間にとっては彼らは教えを乞う師匠のようなもの。

 そこまで高圧的な態度をとる人間もいないと思っていたのだが、小さな芽を見逃していたらしい。

 トレビドーナに反感を持つ地元コゼント人とトレビドーナ人との衝突。

 一報を聞かされたリベルトは自分も現場に行くと、無理やり同行した。


 傍らにはフィルミオもいる。

 衝突自体はすでに鎮圧されている。

 下手をしたら国際問題になりかねない事態。イルファーカスもリベルトと現場に急行した。

「市民に手荒な真似はするなよ」

 フィルミオがトレビドーナ海軍相手に声を張り上げる。

 現場では今まさに自体が収束した。

 騒動の中心にいた市民と海軍兵士を取り押さえたばかりだ。


(頭が痛くなる……)

 リベルトは口には出さないが、余計な騒動を起こした兵士に立腹している。


 きっかけは些細なことだった。

 ほんの少しの諍い、口でのやりとりから始まった。

「殿下。実は……」

 リベルトを呼びに来たのはスタルトン提督の部下の男だ。軍人らしく背筋の良い姿勢でリベルトに向かって敬礼をしたあと、彼は声を落とした。

 スタルトンの部下に連れられて、リベルトは騒動の中心となった海軍兵士が拘束されている部屋へと入った。

 イルファーカス自らが現場近くの家人に交渉をして部屋を提供してもらったのだ。


「殿下。この男は金で雇われた外国人です」

「なんだと」

 フィルミオを伴って部屋に入るなりスタルトンが固い口調で告げる。

「ここにいるラリティーニという男は記憶力に長けておりまして。彼はコゼントに駐屯する兵士と、海軍基地で働く人間すべての顔を記憶しております。その彼が、このような男の顔はみたことがないと言っております」


 リベルトはラリティーニへ顔を向ける。

 リベルトの視線に動じることもなく、彼は肯定の意を持って小さく顎を引いた。

「ずいぶんと便利な特技を持っているな」

 今後色々と使い勝手がありそうな逸材だ。リベルトは頭の片隅に彼の名前を刻んでおくことにした。


 拘束された男は、自分の今後が危なくなると身の危険を感じたのかあっさりと経緯を吐いた。

 要約すると賭博で有り金を使い果たしてしまい宿を追い出されたところに声をかけられたらしい。トレビドーナの海軍の振りをしてほしい、できれば町の人と諍いをおこしてほしいと。そんなにも大きなことをしなくていい、ちょっと肩がぶつかったとかそういう些細なきっかけ。それでいい、と。


「いや、俺だって最初は断ったさ。けど、これはトレビドーナの海軍風の制服であって本物じゃあない。ちょっと似たようなものを着ていただけだって、言えば大丈夫だって言われたんだ」

 捕らえられた男は必至だ。


「あとは任せる」

 リベルトは外へ出ることにした。

 自国の兵士の仕業ではなかったことに一応安堵しておく。

 外へ出ると、少なくない市民らが遠巻きに事態の行方を見守っている。

 フィルミオはコゼントの役人たちに詳細を伝えに行く。


「聞きましたよ殿下。兵士は偽物だったようですね」

 イルファーカスが側へやってきた。

 彼はスキアの住人の対処に当たっていたのだ。

「そっちの様子はどうだ?」

「どうやら、焚きつけた人物がいるようです」


 その言葉でリベルトはなんとなく背景が分かった。おそらくは両国の関係に一石を投じたい勢力の嫌がらせだろう。

 特に今はトレビドーナからリベルトが訪れている最中でもある。

 小さなほころびが時に大きな騒乱へ発展することがある。過去幾つかの国を併合した歴史を持つトレビドーナにとってそれはある意味よくあることだった。

 一つの騒動が発端となり蜂起に繋がることもあるからだ。

「今回諍いの中心になった街人は、兵士と肩がぶつかったとき、因縁をつけられたと。彼は素直に謝ったそうですが……。どちらに非があるのかは一目瞭然だったらしいです」

 偽兵士は明らかに街人にわざとぶつかりにいった。時刻は午前十一時過ぎ。街には多くの人出がある時間帯だ。当然に目撃者も多い。

「そのうちの一人が、トレビドーナ人は調子に乗っている、と言い出したそうです」

「そいつが工作員か」

 イルファーカスは目を伏せた。


 そういう話があるのはフィルミオから聞いて知っていた。ちまちまとトレビドーナ海軍への不満キャンペーンをしている者がいる、と。それについてはイルファーカスにも話してあった。アゼミルダ人が水面下で工作活動をしているかもしれない、と。


「舐めた真似をしてくれる。今回うちの海軍兵士だと思われた男は真っ赤な偽物だった。今から公表する」

 それでなんとか事態が落ち着けばいいけどな、とリベルトは心の中で付け加えた。

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