2
「つーか、あの猫しっかり最後までついてきたんだな」
別行動の折、誰かに命じて途中で捨てさせればよかったとリベルトはつぶやいた。
こちらのナッさん嫌いもどうにかしないと。
「みんな忙しそうにしているからナッさんに遊んでもらっているの」
「おまえはあんまり忙しくないのか?」
「お勉強はしているわ。だけど、お父様もお兄様も過保護で、昔からわたしのことを外に出してはくれないの」
今回も同じなのよ、とアーリアは少し面白くなさそうな口調だ。
「あなたと一緒にわたしも視察をしたかったな」
リベルトは押し黙る。
どうやら彼も過保護の部類に入るらしい。
「トレビドーナに戻ったらお妃教育が待っているし、結婚後は公務が目白押しだ。いまのうちにのんびりしておけ」
やがて出てきたのはそんな言葉。
アーリアは唇をすぼめた。
「そうむくれるな。可愛い顔が台無しになる」
「もう、リベルト殿下ったら」
可愛いなんて言われるとこそばゆくて今すぐ飛び跳ねたくなる。
まっすぐにリベルトのことを見上げると、彼は少しだけ身じろぎをして、アーリアに座るよう促してきた。
二人で東屋のベンチに横並びに座り、アーリアは心を引き締めた。
実は、ぜひとも試してみたいことがあったのだ。
「ねえ、リベルト殿下」
「どうした?」
「わたしたち、恋人になったのよね?」
「ああ」
素っ気なくではあったが、ちゃんと望み通りの回答をもらえた。
だから、次が本番。
「リベルト殿下……口づけしてくれないの?」
◇◇◇
アーリアはリベルトを見上げた。
背の高いリベルトとはお互い座っていても高低差が生じる。
アーリアの言葉にリベルトは押し黙った。
結構な時間が経ったかと思う。
「リベルト殿下?」
「え、ああ。なんだっけ」
リベルトはわざと言った。
もちろんちゃんと聞こえていた。というか聞こえすぎていて己の耳の性能を疑ったくらいだ。
「もう。わたしの言ったこと聞いていた? 婚約者はね、将来を誓って妻になる女性に口づけをするものなのよ。わたし、あなたからしてもらってないもの……」
やはり幻聴ではなかった。
アーリアは可愛らしい声ではっきりと口付けと発音をした。
「……そんな風習初めて聞いた」
「昔読んだおとぎ話に書いてあったわ」
「お……とぎ話?」
リベルトの問いかけにアーリアはこくんと頷いた。
王子様とお姫様が登場するお話。小さなころ毎晩読み聞かせてもらったものに書いてあったとアーリアは説明してくれた。
ああそうか、女の子はそういう本を読んで育つのか、だから嫁いだ妹も普段偉そうなくせに妙に乙女な一面を持っていたのか、とかどうでもいいことが頭に浮かんだ。
「……いいのか、本当に」
リベルトは神妙な声を出す。
「うん」
アーリアはしっかりとリベルトの目を捉えた。二人は向き合うように体の位置をずらした。
リベルトは覚悟を決めた。
したいかしたくないかと問われればもちろんアーリアに触れたい。
リベルトはゆっくりと自身の腕をアーリアの後ろに回した。
もう片方の手を彼女の顎に近づけ、そっと彼女の顔を持ち上げる。
アーリアが瞼を閉じる。
リベルトはゆっくりと彼女に顔を近づけ、それからふわりとアーリアの唇に自身のものを重ねた。
暖かな体温と柔らかな感触。
好きだと自覚してからずっと触れたくてたまらなかった少女が腕の中に収まっている。
リベルトは一度そっと離した唇をもう一度彼女に重ねる。
今度は少し長く。
一度始めればもう戻ることができない。
彼女を離したくない。
この腕の中にずっと閉じ込めておきたい。
アーリアへの感情が一気にあふれ出し、リベルトは感情のままにアーリアを求め始める。
柔らかな唇をたどる様に何度も何度も彼女のそれを甘く食む。アーリアは初めての口付けが思いのほか長かったと感じたのか、息をしたいと顔を動かした。
小さく口を開いた隙を見逃さずリベルトは彼女の中に入り込む。
アーリアが身じろぎをしたのでリベルトは回した腕に力を込めた。
まだ離したくなかった。
「んん……」
アーリアの吐息ごと飲み込もうとリベルトは彼女の口内をむさぼる。
やがてアーリアはリベルトから逃れようと腕を動かした。リベルトは名残惜しかったけれど、彼女を解放した。
「あ、あなた! なんてことするのよ」
アーリアは涙目になっていた。
開口一番に抗議の言葉を口にする。
「なにって、口づけだろう」
「違うわよ! こ、こ……こんなの。口付けじゃないわよっ。だって、し、舌が入ってくるなんて、そ……そんなの聞いてない」
さすがに初心な王女の知識の中にはこの手の口付けの種類は入ってなかったらしい。
「おまえ、恋人から口づけ強請られた男が、触れるだけのものに満足できるわけがないだろう」
「満足しなさいよ、そこは」
「あほ言うな。こっちは毎日どれだけ我慢していると思っている」
「知らないわよ」
アーリアの大きな瞳から一粒涙がこぼれた。
しまった、と思った瞬間リベルトはアーリアを抱きしめた。
「アーリア、頼むから泣くな。俺を拒絶しないでくれ」
彼女に泣かれるのが一番参る。
確かに少し先走りすぎた。これでアーリアがリベルトを嫌いにでもなったら。
それは嫌だ。リベルトは背中に回した手をゆっくりと上下させた。アーリアを落ち着かせようと背中をさすり続ける。
「俺が全面的に悪かった」
どれくらいそうしていただろうか。リベルトの胸の中でぐすぐすとしていたアーリアのくぐもった声が聞こえてきた。
「あ、あの……取り乱してごめんなさい」
「……俺こそ、少し性急すぎた。……悪い」
リベルトは彼女の背中に回した腕をほどいて、彼女の顔を覗き込む。
アーリアの顔は赤く染まっていた。
「わたし……いろいろなことに慣れていなくて……。殿下が、教えてくれる? 急には、少し……怖いから」
「ああ……。むしろ俺以外が教えらえるわけがないだろう」
「ん……」
小さく頷いた彼女が可愛くて、リベルトはもう一度アーリアに顔を近づけた。
今度はゆっくり。
リベルトは自分の熱をアーリアに改めて伝えた。
◇◇◇
「ねえお兄様。最近のわたし何かが変わったと思わない?」
明るい声を出すアーリアは全身から幸せオーラを発している。
イルファーカスはこれまで見たことがないくらい明るい表情のアーリアにくすりと笑みを漏らした。
「うーん。何か変えたのかい?」
イルファーカスはじっと妹を観察する。
頭から足の先まで一通り眺めてみたが、あいにくと変わったところは見当たらない。髪型は、いつものように左右の髪を後ろに持っていきりぼんで結んでいる。髪の長さは変わらないように思える。
「むううう」
兄の答えにアーリアは不満げだ。
「あ、もしかして枝毛を切ったとか?」
「違うもん!」
アーリアは悔しがる。
兄妹仲がいいとは言われているが、十代も後半に差し掛かったアーリアの複雑な心理を正確に読み取れ、なんていうお題はかなり難易度が高い。
「じゃあ新しいドレスとか?」
「それはそうだけど、それも違うの」
お手上げ、とイルファーカスは文字通り両手を上に掲げた。
アーリアは両手を腰に添える。
「んもう。お兄様ったら。ねえ、わたしの魔法解けたと思わない?」
妹の爆弾発言にイルファーカスは目を見開く。
「なんだって?」
「だって、もうずいぶんと人魚の姿になっていないわ」
アーリアがコゼント城に帰ってきてからかれこれ二週間ほどが経過していた。
イルファーカスは思い返す。たしかに、彼女が帰ってきてから人魚返りはしていない。
「本当に? でも、一体どうして」
兄妹水入らずのひと時。
イルファーカスは驚きのあまりいつもよりも大きな声を出した。
「それはもう、きまっているじゃない。愛の力よ」
アーリアは得意げに胸を逸らした。
「ええと……」
イルファーカスには訳が分からない。とにかく妹の言い分を全部聞く事が先決のようだ。イルファーカスはアーリアに先を促す。
「わたしね、家に帰ってきて昔読んでいた本とかつい懐かしてくて手に取ったの。ほら、トレビドーナへのお嫁入りの支度とかのついでに荷物の整理もしていたじゃない。それで、懐かしさで昔読んでもらった童話の本をめくったら、色々なお話がでてきて。それで、その中にね。王子様の愛の口付けでお姫様の呪いが解けましたっていうお話があったから、わたしピンと来たのよ。それで、リベルト殿下にお願いしたの……って、ここまでよ、お兄様にお話しできるのは。これからさきは聞いたらだめぇぇ」
アーリアは説明をしていくうちに徐々に赤くなって、最後は赤くした顔を隠すように手で覆った。
イルファーカスもなんとなく決まずくなって、「え、ああ」とか「うん」とか生返事をした。
そうか、妹とリベルト殿下はそういう関係なのかとか頭の片隅で思い浮かべてしまい慌てて首を横に振って自分が今考えた事柄を追い払う。
さすがに妹の色恋について深く考える趣味はない。
話を要約すると、昔読んだ童話に倣って恋人から愛の口づけをもらった。だから自分にかけられた厄介な魔法も解けているはずだと、そういうことのようだ。
「ナァァン」
いつの間にか二人の足元には猫がやってきていた。
態度の大きな猫は、トレビドーナでできたアーリアの友人の飼い猫だという。アーリアから聞かされる遊学生活の中には何人かの女の子の名前が登場する。同じ遊学仲間でもあるビルヒニア王女とは円滑な友好関係を築いているようで兄としても一安心だ。
「アーリア、きみの言いたいことはわかったけれど。それっておとぎ話の中の話だろう」
イルファーカスは一応指摘をしておく。
「あら、おとぎ話だって馬鹿にはできないわよ。それに、わたしたちのご先祖様だって愛の力で海の王さまの魔法を打ち破ったじゃない」
「あれはなんていうか、物語めいたオチというか」
「オチとか言わないでちょうだい」
身もふたもない解説にアーリアが拒絶反応を示す。
こういうもっともな指摘をするところがイルファーカスの駄目なところで、先日も殿下はデリカシーに欠けています、と某貴族の令嬢に言われた気がする。
「わたしだって真剣なのよ」
真剣という言葉にイルファーカスは首を横に傾むけた。彼の記憶が正しければ、アーリアは小さいころから魔法についてはかなり楽観的だったからだ。
そういえば今日はリベルトが父国王から呼び出されていたな、とイルファーカスは思い浮かべた。
見定めたいと、リベルトとの個人的な面会を避けていた国王ビアージョルトだが、ついに観念したのか、彼とさしで話す気になったのだ。
「お兄様ったらひどいわ。わたしの言うこと信じてない」
すぐ横では妹の抗議が続いている。
「ああ、ごめんごめん」
イルファーカスはぽんぽんとアーリアの頭を撫でた。
◇◇◇
リベルトはコゼント国王の個人的な部屋に呼ばれていた。
侍従は抜きにした完全な二人きり。
二人は向かい合って椅子に座っている。
目の前のテーブルの上に出されたお茶に手を付けるわけでもなく、リベルトは相手の出方を窺っていた。
目の前の王とは、もちろんコゼント入りしてから何度か口を交わした。政治的なことやアーリアとの今後のことなどについてだ。
「今日は、一人の親としてあなたと話をさせてもらおうと思う」
先に口を開いたのはビアージョルト王のほうだった。
人魚の血が流れている一目でわかる銀色の髪は、流れた月日のせいなのか少し黒ずんでいる。年相応の皺が顔に刻まれている。
リベルトは何か言おうとして、口がからからに乾いていることに気が付いた。
王族として他国の国王相手でも緊張するなんてことはないのに、と思いそうではないと心の中で頭を振る。
目の前の男が恋人の父親だから緊張しているのだ。
「私もずっとあなたと話をしたいと思っていました。単刀直入にお聞きします。アーリア、いやアウレリア王女の魔法を解く方法をあなたはご存じなのですか? 彼女が以前言っていました」
リベルトは身を乗り出した。
公務の合間にリベルトはコゼント城の書物室へ案内してもらい文献を漁った。
しかし、まだ有力な手掛かりは得られていない。だったら人魚返りの人間を探そうとフィルミオに命じてスキアの街の人間で該当者を探させているが、こちらも成果は上がっていない。
ビアージョルト王は黙ったままだ。
リベルトは焦っていた。
このままだとアーリアを連れて帰ることができないかもしれない。リベルトの父は、アーリアとトレビドーナの王家の人間の間に子供ができることを望んでいる。
そこに価値を見出しているのに、魔法にかかったままだと子を成すことができないという。
「我が国は貴国の申し出の通り、王女アウレリアを差し出す所存だ。王女の身の振り方についてはアゼミルダやマリートも口出しを始めてきてな。コゼントと縁続きになって貴国との関係に釘を打ち込みたいらしい」
コゼントは強国三国の緩衝する役目も担う。ずっと三国とつかず離れずの距離を保ってきたコゼントがトレビドーナの従属国の道を選んだのは九年前にあたり一帯を襲った大凶作が原因だった。
長年領土拡大でつばぜり合いを行ってきたトレビドーナとアゼミルダとマリートは仲が悪い。二か国はトレビドーナがコゼントを従属国としたことを面白くなく思っている。
ビアージョルトはそこで一度咳払いをした。
「あなたは、アウレリアを愛しておられるのか。政略結婚の相手ではなく一人の女性として」
今の言葉は王としての言葉ではなく、父親としての想いなのだろう。
「もちろん」
リベルトは即答した。
「だからこそ呪いを解きたい」
「呪いか……」
ビアージョルトは自嘲した。
「ええ、私からみたら立派な呪いです。アーリアは、彼女は昔からその理不尽な呪いのせいで王女としての誇りを砕かれてきたのではないですか。私は彼女を解放したい」
アーリアが時折見せる寂しそうな、どこかあきらめたような顔。
そっと目を伏せるアーリアの心の中を占める罪悪感から彼女を解き放ちたい。
「海の王の魔法など、怖くないということか」
「怖いというよりも、ぶっ壊してやりたい」
リベルトはこぶしを強く握った。
魔法があるから彼女は理不尽に狙われる。
自由に外を歩くこともできない。
いつ人魚返りをするかという不安にさいなまれて暮らすことになる。
アーリアを自由にしてあげたかった。
「そうか。その言葉が聞けて私は満足だ。アーリアの、いや、海の王の魔法を解く鍵は……互いを想う心の強さ」
「想い合う心?」
「ええ。あなたは海の王と彼の娘の話を調べましたか? 魔法は真実あの話の通りに解くことができる。海の王は、人間が自分の娘を真実愛することなどない、と思い娘に魔法をかけた。しかし、二人は深く愛し合った。魔法は王の想いから端を発している。だから、我が先祖の王子は王の娘を深く愛することで魔法を打ち破った」
「それが、アーリアたちにも適用される、と?」
ビアージョルトは頷いた。
リベルトはにわかには信じられなかった。
しかし、思い出すこともあった。
コールドリスの森にすむ魔女フレヴィーは以前言っていた。彼らの魔法には法則がある。魔法の法則を見つけることができれば魔法を破ることはできるのさ、と。
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