5
◇◇◇
アーリアが秘密裏にコゼント城へ帰還した更に数日後。マリアナはようやく懐かしい故郷の元職場へと帰ってきた。
(やっと姫様と再会できる)
マリアナは怒っていた。
何しろ事前になんの通告もなく大好きなアーリアと引き離されたから。フェドナの馬鹿! と何度も心の中で罵った。
王子二人とアーリアは少人数のお供を連れて別行動になると聞かされたのは、彼らが去って数時間が立ったころのこと。
アーリアに付き従ったのはフェドナとよりにもよってコリーニだった。
いつもはマリアナの役目だったはずなのに。
コゼント城へたどり着いたマリアナはアーリアの元へ急いだ。今はとにかく姫様が恋しい。まぶしい笑顔でこちらに笑いかけてもらいたい。
マリアナは勝手知ったるコゼント城の奥へ奥へと大股で進んでいく。
やがて、マリアナはお目当ての人物を見つけて、ぱあっと笑顔になり、それからむっと唇を引き結んだ。
彼女の目線の先には二人仲良睦まじく手を繋いで歩くアーリアとリベルト。
明らかに距離感がおかしい。
「ひひひ姫様……」
マリアナはよろけた。
アーリアの瞳は以前とはだいぶ変わっていた。ただ一人の男をひたすらに見つめるその様子はまさに恋する乙女そのもの。
「マリアナ。あのね、わたしリベルト殿下と想いが通じ合ったのよ」
頬を淡く染めたアーリアは淡く微笑んだ。
傍らのリベルトは特に顔を変えるわけでもなく、いつもの憎たらしい顔つきのままアーリアの横に立っている。
いや、彼はアーリアを見つめるときだけはいつも瞳に親しみを乗せていた。その瞳の中に、うっすらと色恋のそれを見つけたからこそ、マリアナはリベルトのことをずっと警戒していた。
マリアナの前で恥ずかしくなったのかアーリアはリベルトとつないでいた手をほどいた。リベルトは離された手を、よりにもよってアーリアの腰に回した。
そっと、けれど有無を言わさず彼の方へアーリアを寄せるその仕草にマリアナの頭の中は白く染まった。
「やめて! 姫様に触らないで」
気が付くと強く叫んでいた。
いつの間に、どうしてこんなことになっている。
あれではまるで恋人同士ではないか。
アーリアは恋など知らない、純粋無垢なお姫様だったのに。マリアナだけの、人魚姫。それが、男の手に落ちてしまった。
「どうして男が、姫様の隣にいるんですか! 姫様はずっとずっとわたしたちのものなのに」
「マリアナ?」
アーリアの困惑気な声にもお構いなしでマリアナはリベルトだけを見据えた。
「今すぐその手を放して! たかだかほんの少し前に姫様の前に現れた分際で」
「おまえ、誰に向かって口をきいている」
リベルトが低い声を出した。
美しい人魚姫に群がる蠅のような男。
滅んでしまえばいいのに!
「マリアナ。お下がりなさい! リベルト殿下に向かってなんていう口の利き方ですか」
凛とした声があたりに響いた。
フェドナだ。アーリアの侍女頭フェドナはずかずかとマリアナの前へ進み出ると、彼女の頬を叩いた。
「いっ」
突然のことにマリアナは驚いたが、強い恨みを込めた視線をフェドナに送った。
フェドナは平然とそれを受け止めた。
「あなたは、次トレビドーナに戻る際、連れて行くことはできません。コゼントに残りなさい」
「な……んですって」
頬を打たれた傷みなんて一瞬で吹き飛んだ。
目を剥くマリアナにフェドナは表情も変えずに淡々と通告する。
「主人の夫となる男性を敬うことのできない侍女など必要ありません。ここに残りなさい」
フェドナの声だけがあたりに響く。
マリアナは彼女の女神さまへ助けを求めた。視線をアーリアに送れば、彼女は困惑していたが、しかしマリアナを庇うような言葉をかけることはなかった。
口元は閉じられたまま。
先に動いたのはリベルトだった。
彼はアーリアを促し、踵を返す。
「あとは任せた」
簡潔な言葉にフェドナはお辞儀をする。
リベルトに先導され、アーリアは去ってしまった。
ただの一言もマリアナに声をかけることもなく。マリアナは絶望に打ちひしがれた。
残された侍女二人はそのまま立ち尽くす。
主君の気配があたりから完全に消えた頃合いを見計らいフェドナが小さくため息をついた。
ほんの少し前までの硬い声から一転いたわるような姉のような声を出す。
「……マリアナ。あなたは、少し姫様に入れ込みすぎていたようね。姫様は美しく成長された淑女なのよ。一国の王女なのだからそれに見合った未来が待っているの。あなたがどんなに願ってもいつかは結婚をしてしまう」
「でも! 許せないっ!」
「あなたの意見は関係ないわ。わたしたちは姫様にお仕えしている侍女に過ぎないのだから。トレビドーナか、アゼミルダか。それともマリートか。いずれはどこかの王国に嫁ぐことになっていたのよ」
フェドナの言葉は遠い国の言語のようだ。
マリアナの頭の中にはまるで入ってこない。ただこれだけはわかった。
終わってしまったのだと。
アーリアがマリアナたちと楽しく暮らしていた時はとっくに終わっていた。城の奥の、箱庭のような世界だった。女性たちだけの世界はあっけなく崩れ去った。
「わたし……ここが好きだった。姫様とずっとずっと一緒に楽しく暮らしていたかった」
けれどそれもかなわない。
マリアナは両手で顔を覆った。
「わたしも楽しかったわ。けれど、子供でいる時間には必ず終わりがやってくるものよ」
マリアナはいやいや、と首を横に振る。
「少し、頭を冷やしなさい」
フェドナはやっぱり最後まで侍女頭だった。
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