3

◇◇◇ 


 翌日も旅は順調だった。

 しいて言うなら、商人という触れ込みなのに皆態度が固く、おおよそ商人らしからぬぴりりとした空気を身にまとっていることくらいだろうか。

 もう少し柔らかで、世間話を適当に振れるくらいにならないと商人という設定は難しいだろうな、とテオドールは心の中で減点をつけた。


 しかし、今日だけでいうなら兄リベルトの放つ空気もとても物々しい。

 普段にもましてぴりりとしている。

 馬車の中は本当に通夜か葬式のようだった。特に、自分に対する風当たりが強い気がする。

 アーリアに対してはきちんと気を使っているけれど、彼女は昨日リベルトに対して恋心を始めて認識したようで、見ているこちらまで顔を背けたくなるくらい意識しているのがわかってしまう。


 リベルトが話を切り出したのは夕食のあと、二人が部屋へ戻ったときのことだった。

 兄弟というところはそのままの設定のため同室なのだ。

「昨日は遅くまでアーリアの部屋にいたそうだな」

「え、あ……そうだね。少し用事があって」


 テオドールは口ごもる。

 険のある声だ。リベルトの不機嫌の理由はやっぱりテオドールの昨日の行動によるところらしい。

 二十年も兄弟をやってきているのだ。テオドールだって兄の心の機微くらい測れる。今回ばかりは測りたくもなかったけれど。


「妙齢の女性の部屋に二人きりで、か。少しは自覚をしろ」

 リベルトが言いたいことはわかる。

 アーリアは現在複雑な立場だ。


「わかっている。だから、僕……伝えたんだ」


 言ってしまった。

 もうあとには引けない。

 けれど、これはテオドールにとってもけじめだ。

「何を?」

 テオドールは唇を湿らせた。


「僕は彼女に伝えたんだ。アーリア姫が、彼女のことを一人の女性として好きだって」

 一気に言った。

 リベルトは言葉を失った。


 彼にしてみたら思いもよらない告白だったようだ。普段冷静沈着な兄から、こんな呆けた顔を引き出すことができて、それはそれで少し出し抜いた気分になる。

 そうか、兄上でもこんな顔ができたのか。などと感心してしまった。


「そ……そうか」

「……それだけ?」

 沈黙が流れて、思わずテオドールの方から質問をした。


「……ほかに、何を聞けと。おまえは普段からアーリアと仲がいいだろう……」

 リベルトは椅子から立ち上がった。

 ふらりと当てもなく歩いて、窓辺に寄って、なぜだか再び戻ってきた。

 彼は口を開かない。

 沈黙がその場を支配する。


「……僕、振られたよ」

「そうか……」

 沈黙に居たたまれなくなってテオドールは自ら事の顛末を述べた。


 かえってきたのはどう聞いても適当に相槌を打ったとしか思えない返事。

 だからテオドールは悲しいかな、もう一度言う羽目になった。


「僕、断られちゃった」

(なにこの自虐プレイ……)

 心の中で乾いた笑みを浮かべる。


「断られた? アーリアがおまえを振ったのか」

 リベルトの頭の中にようやく思考が戻ってきたらしい。

 テオドールは疲れてしまった。だから無言のまま頷いた。

「……あいつ、どうして」

 どうしてもこうしても、他に好きな男性がいるのだから仕方ない。思えば、最初からきっとアーリアはリベルトを信頼していたのだ。人魚になったアーリアを最初に助けたのはリベルトだ。それからの彼は行動が早かった。


「ほかに、好きな人がいるんだって」

 そう言ったら、こちらからもはっきりわかるほどリベルトの顔色が変わった。


「兄上は、アーリア姫のことどう思っているの?」

「……俺に……そんな感情、必要ないだろ」

「そうかな? 僕は、ちゃんと彼女自身を見てあげてほしい」

 テオドールは精一杯伝えた。

 自分の口から彼女の想いを代弁することはできない。


「けど、……あいつは好きなやつがいるんだろう」

 しまった。これは伝えるべきではなかったかもしれない。

 しかし、言ってしまった言葉は覆らない。テオドールは仕方なしに頷いた。

「僕は、もしも彼女が僕たちと結婚したくないなら、彼女を逃がしてあげようと思う。僕はあいにくと振られちゃったし、兄上が彼女を大切にできないのなら、僕は……父上に逆らうよ」

 生まれて初めてテオドールは兄と父に逆らう言葉を口にした。


「何を言っている。そんなこと……するわけにはいかない。彼女をみすみす他国へやるわけにはいかない。アゼミルダはアーリアとの婚姻を足掛かりにトレビドーナとコゼントの関係を潰しに来る」

「それは、僕たちの事情だよ……。僕は彼女に幸せになってもらいたい。好きな人が、自分との結婚を……ただの義務だと割り切られることが辛いって彼女は言っていた。僕は、そんな考えの人に、アーリア姫を渡したくない」


 テオドールは言いたいことだけ言って立ち上がった。

 寝室へ続く扉を開いて、寝台に倒れこむ。

 結局いろいろなことを暴露したような気がする。兄とは距離が近しい分、つい余計なことまで言ってしまうようだ。

 その日リベルトは遅くまで寝室に戻ってこなかった。


◇◇◇ 


 コゼントに入って四日目。

 アーリアが人間の姿に戻ったため、リベルトはフェドナに言ってあらかじめ用意させておいた修道女の着る衣服を着るよう彼女に命じた。

 髪の毛をすっぽり覆う修道女のベールはこういうとき大いに役に立つ。

 コゼント国内でもアーリアの髪の色は目立つからだ。

 用心に越したことはない。


 今回本隊と別行動をとったのは、軍事演習でもなんでもない。

 アーリアを変な集団の目から引き離すことだ。海神狂とかいう、人魚の末裔をつけ狙う連中。万一のことを考えてリベルトは一計を案じた。

 人間に戻ったアーリアはリベルトの制止などお構いなしに好奇心の赴くままに動き回ろうとする。フェドナの苦労を垣間見たリベルトだ。


「おまえ、少しはじっとしていろ」

「だってぇ……」

 リベルトは無理やり彼女を馬車に押し込んだ。


 彼女が突然元気になったおかげで連れてきた部下たちも目を白黒させている。なにしろ昨日まで棺の中の死体役をさせて移動をしないといけないほどの体調不良だということにしていたのだ。

 ふり幅の広さに首をかしげていることだろう。

 旅をしてきたおかげで、彼女と普通に会話ができるようになった。出発の前、リベルトは無自覚に彼女を怒らせてしまったから。


 彼女が人魚でいるとき、人手が足りないことを理由にリベルトはアーリアが移動するときずっと抱きかかえる役を担っていた。

 彼女を誰にも渡したくない。

 彼女に触れていいのは自分だけだと勝手な独占欲が日に日に強くなる。

 それはテオドールから、アーリアに好きな人がいると聞かされた日から顕著になった。


 やがて馬車がゆっくりと動き出す。

 今のところ何も起こっていない。

 フェドナには事前に二手に分かれるということを伝えていた。彼女の判断で信頼できる侍女を一人連れてくるように言ったら、彼女はコリーニを連れてきた。

 テオドールはせっかくの異国だからと御者席に座っている。

 そういえばアーリアはテオドールのことを振ったのだ。

 彼女はほかに好きな男がいるという。その男は、アーリアに対して結婚は義務だと割り切った言葉を言ったらしい……。


(……まさか、な)

 そんな都合のいいこと起こるはずもない。


 彼女の想い人は幸せ者だな。薄暗い馬車の中、アーリアは髪の毛を覆っていたベールを脱いでいる。リベルトはふわふわとした豊かな髪の毛に指をうずめたい衝動に駆られた。


「どうしたの?」

「いや。……城に着いたら、俺はおまえの呪いを解くために調べ物をしようと思っている」

 リベルトは頭の中から邪念を消し去った。

「呪い?」

 アーリアはこっくりと首を傾ける。


「人魚返りなんて、立派な呪いだろう。おまえの意思を無視して人魚の姿に戻すなんて。俺は、おまえのそれを解きたいんだ」

「べつに……無理しなくていいのに」

「無理じゃない。文献を調べたんだ。実際に魔法が解けている人の話が載っていた。おまえのそれは、解けるんだ」

 リベルトは口早に言う。


 マリアナから告げられた言葉も気にかかっている。

 人魚返りの魔法にかかった者は子供を身籠らない。

 彼女の言葉は真実なのだろうか。

 トレビドーナでは資料も人手もない。じっくりと調べるには不利な場所なのだ。


「あなたは……ときどき、残酷だわ」

 アーリアは小さくつぶやいてぷいと横を向いた。

 声にどこかあきらめのような、悲しみの色が混じっている。

 それきり彼女は口をつぐんだ。

 リベルトも何を言うわけでもなく、ただ車輪の回る音を聞き、車輪の振動に身を任せた。


 アーリアのことをどう思っているか。

 そう弟は問いただしてきた。

 彼女に好きな男がいる。それを知らされたリベルトは自分の足元が大きく崩れて奈落の落とし穴が生まれたような錯覚に陥った。


 自分が選ばれる立場など、なんて脆いものなのだろう。

 胸が痛かった。

 王族の婚姻に個人の感情など必要ないなどよく言えたなと思った。

 リベルトはその時初めて、自分がアーリアに心惹かれていることを認めた。


 リベルトの心情など気にも留めない弟はその後一方的に言いたいことだけを言って部屋を出て行ってしまった。

 彼の言葉を頭の中で反芻して、リベルトはぎくりとした。

 彼女が言ったという言葉。

 それはあのときの自分の言葉と似ていたからだ。

 もしも、彼女の想い人が自分だったら。

 いや、そんな都合のいいことが起こるわけもない。日に何度も相反する考えが頭の中に渦巻く。


「おまえは……好きな男を夫に選ぶのか?」

 ついそんなことを口にしていた。


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