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◇◇◇ 


 馬車は無事に国境を越えてコゼント王国へと入った。

 リベルトは事前に商人としての身分証まで用意していたらしく、テオドールたちはコゼント商人とその仕え人という立場のまま国境越えを果たした。


「ずいぶんと本格的だね」

 兄の手際の良さにテオドールは感嘆した。

「軍事演習の一環だと言っただろう。何かあって身分を偽って国境越えをしなきゃいけなくなった時のためだ。部下たちの演技の練習にもなる」

 リベルトは常にいろいろなことを考えている。トレビドーナは大国ということもあり、多くの国と国境を有している。それはつまり多くの国との間に戦の可能性を秘めているということでもある。


 自分の目で世界を見て来い、と父王はテオドールを送り出した。

 自分は小さな世界で生きていたんだなあということをこの旅で何度も実感させられた。

 リベルトは部下たちに指示をし、アーリアの横たわった棺を宿の一室へ運び入れた。

 中身が死体だと信じて疑わない宿の亭主は青い顔をして見守っている。


「そんな顔をしなくても中身はすでに骨になっている」

 リベルトは事もなげに言うけれど、テオドールとしてはそういう問題でもないけど、と突っ込まずにはいられない。


 しかし古い時代から棺桶を脱出用具にする方法は王族の間ではよく用いられていた。

 まさか自分が立ち会うとは思ってもみなかったけれど。

 中のアーリアは今どんな気持ちだろう。

 アーリアのことを考えて、テオドールは自分の気持ちが重く沈んだことに気が付いた。


 意を決して彼女を抱きかかえると申し出したが、見事に玉砕した。

 彼女は、テオドールの言葉の後戸惑いの表情を浮かべた。深窓のお姫様なのだから仕方ないと思ったが、テオドールも焦っていた。

 彼女はリベルトが相手になると、他の人よりも心を許しているように見受けられるから。


 無事に宿の部屋の一室に運ばれたアーリアは棺の中から起きて、うーんと伸びをした。

「大丈夫?」

 テオドールはアーリアと話すために身をかがめた。

「え、……ええ」

 アーリアはテオドールの顔を見て、それからふいと横を向いた。

 ぎこちない沈黙がお互いに流れる。


「……あの、さっきはその……突然でびっくりしたよね……。その……えっと」

 テオドールは自分から墓穴を掘った。

 早速何が言いたいのか分からなくなる。

 対するアーリアは顔を赤くした。


「アーリアのことは俺が運ぶ。必要があったら俺に言え」

 上から淡々とした声が振ってきた。

 声の持ち主はリベルトだ。

 テオドールは心臓をわしづかみにされたような心地になった。

 ああやっぱり、兄上も彼女のことが。

 アーリアはリベルトを見上げた。

 顔つきは変わらないのに、ほんの数秒前まで見えなかった、感情が彼女の瞳の中に浮かんでいるのがテオドールにはわかった。

 春を待ちわびた小鳥のような瞳だった。

 ずっとずっと彼女を見つめてきたからわかってしまった。自分と兄との違いに。


(ああそうか……アーリア姫は、兄上のこと……)

 気づきたくないことには気づいてしまう人間って厄介だな、なんて、テオドールは悲しみに瞳を伏せた。



◇◇◇ 


 その日の夜。

 テオドールはアーリアの部屋を来訪した。

 現在アーリアは濡れた布を尾ひれに巻き付けて、車いすに座っている。

「夜も遅い時間にごめんね。不自由はない?」

 テオドールはアーリアの傍らに腰を下ろした。フェドナに交渉をして、なんとか三十分だけというお許しをもらって二人きりにしてもらった。


 フェドナはおそらく隣室へ続く扉のすぐ近くで息をひそめているだろう。アーリアに異変があったらすぐに駆け込めるように。

 棺安置のために宿の中でもよい部屋を借りたリベルト一行はさぞ宿の従業員からは変人扱いをされているに違いない。


「ええ。フェドナとコリーニが付いていてくれるもの」

 アーリアの答えにテオドールは微笑みを浮かべた。昼間の一件でアーリアとぎこちなくなってしまったらどうしようと不安だったけれど、表向き彼女は友好的な態度でテオドールに接してくれている。

「少し強行軍になるけれど、もう少ししたら王都に入るから。……もうあと、少し……我慢してね」

「ううん。みんなわたしのために色々と準備してくれたんだもん。こっちこそ、気を使わせてごめんなさい」

「いや、大丈夫……。僕も、きみに早く安全なコゼントのお城に……到着、してほしいし」


 テオドールもリベルトと同意見だ。

 人魚姿を他の人間にばれないよう少人数で移動することにも賛成した。トレビドーナの王太子一行という隊列だとどうしても進みがゆっくりになってしまう。

 その兄と言えば。旅に出てからぴりぴりしていることが多くなった気がする。


 不機嫌というのとも違う。常に周囲に目を配り、気を張っている。腹心のフィルミオとは別行動になったからかもしれない。

 それこそ毛を逆立てた猫のようだ。

 そういえばナッさんはどうしているだろう。おいていかれて拗ねているかもしれない。彼は時折、こちらの言葉を理解しているかのように絶妙な間合いで鳴くことがある。

 さすがはビルヒニアの飼い猫だ。


「というか、棺案しか用意できなくて、ごめんなさい……」

 テオドールは謝罪した。さすがに年頃の女の子にこの役は無いと思ったのだが、兄を止めることができなかった。

「そこは、その……」

 アーリアは唇を舐める。なんて答えていいのか分からないらしい。

 ちなみに兵士たちは軍事演習も兼ねた別動隊にアーリア姫が協力してくれることになったというリベルトの言い分を鵜呑みにして、見かけによらず行動力のある姫さんだ、と感心していた。


「あ、そうだ。何か足りない物とかない? 困っていることとかあったら……言ってね。僕は……こういうとき……あまり役には立たないけれど……それでも、その……」

「今のところ大丈夫よ。フェドナが気を使ってくれているから」

 アーリアに頼ってほしいと思ったのに、返ってきた答えがテオドールを消沈させる。


「……僕、頼りないよね……。ごめん……」

「そんなことないわ。テオドール様は知識が豊富で、思慮深くて、思いやりがあるもの。ちゃんと、わたしやビルヒニアのことを気にかけてくれているわ。そういうのをわかっているから、リベルト殿下は安心して軍の方に注力できるのよ」

 アーリアは力説した。


「ありがとう」

 テオドールがくしゃりと顔をゆがめた。

 結局アーリアに気を使わせてしまった。

 女の子の前で弱音を吐くなんて。いいところを見せたいのに、弱い時分ばかりさらけ出している。


 けれど……。


 テオドールは今日の本来の目的を思い出す。自分のやり遂げたいと思うことがあってアーリアと二人きりにしてもらった。

 弱音を吐露するためではない。

 テオドールは勇気を体中からかき集めた。一度深呼吸をして、それからアーリアの瞳にまっすぐ己の視線を据えた。


「……僕、本当は、女性が苦手で……。でも、アーリア姫は、僕のことちゃんとみてくれて。優しくて。僕、初めて女性のことを好きになったんだ」

「え……」

 アーリアは目を瞬かせた。

 テオドールはもう一度今度はもっとわかりやすく言いなおす。


「うん。……僕のお嫁さんに、したいくらい……きみのことが好きなんだ」


   ◇



「あ、あの……わたし……」

 アーリアはなんていうべきなのかわからなかった。

 突然彼から好きだと言われた。


 最初はよくわからなかった。

 アーリアの表情からそれを察したテオドールはもう一度言い直した。

 お嫁さんにしたいくらい、という言葉で遅ればせながら、アーリアは彼が自分のことをどう思っているか理解した。


 要するに彼はアーリアのことを妻にしたいくらい好きで……。というか本人がそう口にした。

 妻にしたい、ってことは要するにアーリアのことが好きなのだろう。

 うん、これもさっき聞いた気がする。


(えっと、だからその……。テオドール殿下はわたしのことが要するに……純粋に好きってこと? お嫁さんにしたいくらい? って、そういうことなの?)


 そういう結論に至ったら一気に頭が沸騰した。

「うん……、きみは、僕のことをどう思っている?」

 テオドールはそのままの顔で先を促す。

 アーリアは何か言おうとした。


 でも、何を言えばいいのだろう。


 彼のことは好きだ。

 けれど、それはたぶんビルヒニアやセレスティーノに感じる気持ちと同列のもの。

 一緒に話をしたり勉強を教えてもらうのが楽しい。他愛もない話をしてみんなでテーブルを囲む心地よさ。


「今、僕が……きみのことを抱きしめたいって言ったら……きみは受けてくれる?」

 隣に座るテオドールが、まったく知らない人に見えた。

 相変わらず優しい眼差しをしているのに、彼の中に何か別のものを感じ取る。それが、怖いと思ってしまった。


 アーリアは瞳をさまよわせた。

 リベルトから同じことを言われたら、たぶんアーリアは動揺はするけれど怖いとは思わない。

 今朝彼が難なくアーリアを抱きかかえたとき、心臓がうるさくなったけれど、彼の大きな腕に覚えたのは安心感。


(わたし……わたし……)


「そんな、顔しないで……。きみの中にはだれか、別の人がいるんだろう?」

 アーリアが何かを言う前にテオドールがくしゃりと泣き笑いを浮かべる。

 何かを諦めたような、さみしい微笑みだった。


「わたし……」

「うん。わかっているよ。アーリア姫は、兄上のことが好きなんだろう?」

 アーリアは目を見開いた。

 自分の心のことなのに、まるでついていけなくて、情けなくもテオドールの顔を伺い見る。


「……もしかして、気が付いていなかった?」

 テオドールがそろりと切り出す。

 アーリアは戸惑う心と一緒に頷いた。

「わたし……リベルト殿下のこと、好きなのかな」

「そうだと思うよ。だって、いつもきみは最初に兄上の顔を見るんだ。今日だって……、いや、今日のことが決定的だったな。だからね、……僕はアーリア姫に告白をしようと……思ったんだ」


 テオドールは困ったように笑った。

 彼は優しい。アーリアが気に病むことが無いように、笑顔を保ってくれている。その気遣いがアーリアを申し訳ない気持ちにさせる。彼を選ぶことができたらよかったのに。

ううん、違う。アーリアは自分の気持ちに気づかされた。


「わたし……彼が好き……。リベルト殿下のこと、好きなんだわ。だから、わたし、彼に対して怒ったのよ」

 口に出したらすべてがすとんと心の中に落ちてきた。

 リベルトのことを想っているから、だからアーリアは彼が自分の結婚について他人事のように語る姿勢に傷ついた。彼の気持ちが見えなかったから。


「兄上に、何か……言われた?」

「ううん。わたしが勝手に怒っただけなの。リベルト殿下は、わたしが彼を選ぶと言っても、きっと粛々とそれを受け入れるだけなのよ。それが王太子に生まれた責務だからって。妻となる女性を信頼できるように努力をするって……。わたし、そんなの嫌。彼を選んでも、リベルト殿下の心がわたしに向いてくれないんじゃ……一緒になっても辛いだけだわ……」

 アーリアは自分の心の内をすべて吐露した。

 吐き出してから気が付いた。


 今の言葉がすべてで、だからアーリアはリベルトに対して怒った。彼にしてみたらいい迷惑に違いない。アーリアが勝手にリベルトに恋をして、彼の心が欲しくてたまらないから、駄々をこねている。

 王族の結婚に政略はつきものなのに。


「兄上に……気持ちを伝える?」

 テオドールがゆっくりとした口調で尋ねる。


 アーリアは頭を振った。

 そしてすぐに気が付いた。

 テオドールは、アーリアの気持ちが自分にないことを承知の上で気持ちを伝えてきた。それはどんなに勇気がいることだろう。


「ご、ごめんなさい。あなたは、とても勇気のあることをしてくれたのに……」

「ううん。違うよ……僕はね、臆病なだけだよ。だから、早くすっきりしたくて自分の気持ちを吐露したんだ。きみにしてみたらいい迷惑なだけなのにね」

 テオドールは自嘲気味に息を吐いた。

 そんなことない、とアーリアは再び首を振る。


「もうだいぶ時間が経っちゃったね。僕は……これからも姫の味方だよ。これからも……友達でいてくれると嬉しいな」

 テオドールは立ち上がる。

 アーリアは慌ててこくこくと頷いた。


「わたしの方こそ! これからも、普通に話せたら嬉しい」

「ありがとう。アーリア姫」

 テオドールは最後にふわりと笑ってアーリアの部屋から出て行った。

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