四章 人魚姫、王子二人と里帰りをする

1

 コゼントへの道のりの最中。リベルトは本当に今回の旅に彼女を伴うべきだったのかを考えている。父王は実利を優先するし、リベルトにも国をまとめる者としてその考え方が理にかなっていることも十分にわかっている。


 それなのに。

 リベルトは以前のように彼女のことを従属国の人質と考えられなくなっている。


 アーリアを危険な目に合わせたくない。

 そう思うようになっていた。

 それは、もしかしたらトレビドーナの王太子には不必要な感情なのかもしれない。個人の感情は、国を率いる者にとっては、時に邪魔でしかない。

 視界に移るアーリアが笑っているとそれだけで安心する。心の中のわだかまりがゆっくりと溶けて無くなっていくような気さえする。


(……俺には最近笑いかけてくれないけどな)


 リベルトはつい恨みがましい本音を心の中で呟いてしまい、慌てた。

 最近どうかしているとしか思えない。

 王太子一行を迎えるという栄誉ある役目を仰せつかった地方領主の館の応接間で、アーリアはテオドールと談笑をしている。

 時折、お互い微笑みあっている姿が垣間見え、はた目にはほほえましい光景なのだろうが、あいにくとリベルトの心は苦い薬草を飲んだ時のような気持ちしか沸いてこない。


(俺にはちっとも笑いかけてこないのに……なに話してんだ)


 今後の予定についてフィルミオと確認している最中なのにちっとも集中できない。

 テオドールは普段の女性恐怖症が嘘のようにアーリアに対して心を開いている。

 彼は一生懸命アーリアを楽しませようと心を砕いている。

 アーリアは時折テオドールに相槌を打ち、楽し気に肩を揺らす。それも気に食わない。

 二人の間にいったいなにがあったというのか。この間は突き放すような言い方をしたのに、ここのところ彼の感情は大きく揺さぶられていた。

 気になるなら今すぐにでも二人の間に割って入ればいいのにそれもできないでいる。


「リベルト殿下。ちょっとは集中してくれませんかね」

 フィルミオが呆れた声を出す。

「……悪い。続けてくれ」

「明日は森を走り抜け、順調にいけば……」


 リベルトの部下のうちの一人が地図を広げ今後の旅路を指で辿っていく。

 順調にいけばもうあと三日もすればトレビドーナを抜けてコゼントに入ることができる。

 リベルトはしっかりと頷いてから、今まで返答をしていた男の隣の兵士に向けて口を開く。


「例の準備は万端か?」

「はい。殿下より指示されたものを手配済みにございます」


 部下の男は軍属で、リベルト指揮下の部隊の人間だ。

 今回の旅では不測の事態に備え近衛騎兵隊と軍部の直属部隊の精鋭を合わせた編成部隊を組んでいる。

 少し物々しいが、特別軍事演習を兼ねていると言えば言い訳が立つ。

 リベルトはアーリアの人魚返りが周囲にばれないよう注意を払い、かつ安全にコゼントまで連れて行かないとならない。

 最大の懸念事項は以前フェドナから聞かされた海神狂という存在。


「ナァァァン」

 足元でふてぶてしさを凝縮したような鳴き声が聞こえた。

「おまえはなぜにここにいる」

 どうしてビルヒニアの使い魔もとい飼い猫がこの場にいるのかというと、理由は簡単。なぜだか荷物に紛れていたからだ。


 初日の夜に馬車の中から発見された黒猫は、首に巻かれたリボンに紙切れを挟んでいた。開いてみるとそこには『ナッさんが海に興味があるというので連れて行ってあげて。お土産は人魚の鱗か、涙がいい』とちゃっかり発言と共にしょうもない理由が書かれていた。


「向こうへ行け」

 リベルトの言葉に猫はつんと顔を背ける。

 ふてぶてしい態度は主人にそっくりだ。

「こいつ……。楽器の材料にしてやろうか」

 遠い遠い異国では猫の皮をはいで弦楽器の材料にするという。

 身の危険を察知したナッさんはリベルトを睨みつける。


 部下たちが見守る中、少女の声が割って入る。アーリアだ。

「ナッさん、駄目よ。こっちへいらっしゃい。おやつあげるわ」


 おやつという言葉に反応したナッさんはふいっと体を翻しアーリアの元へ駆け寄った。

 身を低くしてナッさんを抱き上げるアーリアと、そのアーリアの胸に顔をこすりつけるナッさん。

「ナァァ」

「やあん。くすぐったいわよ」

 アーリアは抗議しているがその声は甘さを孕んでおり、まったく怒っていないことは一目瞭然だ。

 リベルトは目をすがめた。


(あいつ、わざとか?)


「ナァァァ」

 これ見よがしに猫はアーリアの胸に顔をうずめる。たしかあの猫は雄だったはず……。

「もう。甘えん坊さんね」

アーリアは変態猫のされるがまま、むしろ背中を優しく撫でている始末だ。

「フィルミオ、剣を貸せ」

 リベルトは北の山の万年雪のような冷たい声を出した。


「え、なんのために?」

「ちょっとそこの猫の皮をはいでくる」

 フィルミオの傍らにある自身の剣を持ち上げ、リベルトはアーリア、いやナッさんに近づいた。

 怖い顔をして近づいてきたリベルトに気が付いたアーリアは顔を真っ青にする。


「ちょっと、リベルト殿下。なんで剣を持っているの。え、ちょっと、だめよ。なっさんはビルヒニアの大切な使い魔なのよ」

「知るか。そんなこと。そのすけべ猫の皮をいますぐにはいで楽器の材料にしてやる。アーリアどいていろ」

「ちょ、ちょっと待って。さらりと怖いこと言わないでちょうだい。あ、やぁっ! ナッさんだめよ」

 身の危険を察知したナッさんはアーリアの肩に乗り、首すじに顔をうずめる。

 ひげがあたってくすぐったいのか、アーリアが可愛らしい悲鳴をあげる。


「こ、この猫……」

 リベルトは頬を引くつかせた。

 自分だってそんなことまだアーリアにしたことがないのに。と、本音むき出しの悔しさを滲ませる。

「あああ兄上。おお落ち着いてください」

 テオドールが上ずった声を出す。


「おいこら! アーリアから離れろ」

 リベルトはナッさんに向かって腕を伸ばした。

 しかし猫はすばしっこいもの。

 リベルトの動きなど最初から読んでいると言わんばかりに「ナア」と鳴いてぴょんと、アーリアの肩から逃げ出した。


「キャアア」

 突然の出来事にアーリアが体のバランスを崩す。

 傾いだ彼女の体を支えようと、リベルトは持っていた剣を放り出してアーリアの背後に回り込む。床に倒れる寸前で彼女を受け止める。


 久しぶりに触れたアーリアの細腕、背中に回した腕から感じる彼女のぬくもり。

 深い海色の瞳が頼りなげにリベルトを見上げる。

まともに視線が絡み合い、リベルトは動揺した。深い海色の瞳から目が離せなくなる。


「怪我、ないか?」

「……ばか」


 アーリアは顔を真っ赤にしたまま、ぷいと顔を背けた。

 全面的にリベルトが悪かったので、彼は甘んじてそれを受け入れた。



◇◇◇ 



 アーリアが人魚の姿になったのはそれから二日後のことだった。

 コゼントの国境を超えるまであと一日といったくらいの距離。昨日からむずむずとしていた足は本日めでたく尾ひれに変わっていた。


「大丈夫。心配するな。今回はとっておきの策がある」

 リベルトはなんてことないように部屋を出て行った。テオドールも「うん。ちゃんと兄上が準備していたから、安心して」と、言ったが、どこか視線が泳いでいた。


 準備のために時間が必要だと言われて滞在する領主の館の一室で待たされた。

 準備ができたからとリベルトがアーリアを呼びに来たため、アーリアは車いすに乗って裏庭へとやってきた。

 黒い長方形の馬車が二台停まっていた。飾りはなく、普通ついているはずの窓が壁面にない。


「これって……」

「葬式用の馬車だ」

「!」

 リベルトはなんてことないように言った。

 アーリアはテオドールを見た。

 彼は顔に苦笑いを浮かべている。


「これから俺たちは二手に分かれる。おまえをこれに乗せてコゼントに向かう隊と、これまで通り王太子一行の隊列と、だ。しばらくの間俺たちは身分を隠して行動をするからそのつもりで」

 アーリアは口をぱくぱくと開けたり閉じたりした。

「えっと……。理由を聞いてもいいかしら」

 話に付いて行けずにアーリアは額からたらりと汗を一筋流した。

「まず第一に、おまえの人魚返りをばれないようにするため。おまえ前回こっち来るとき相当無理していただろう」

 人が多くかかわる隊列の中にいれば必然人と接する機会も増えてしまう。トレビドーナ行の時はかなり気を使い、確かに大変だった。


「第二に、おまえを安全かつ早くコゼントの王城に送り届けるため。速さを求める旅は身軽な方が機動力が上がる。その分連れて行ける人数は限られるが、そこはちょっと我慢してくれ」

「で、でも少ない人数であなたたちを護衛する人はどうするの?」

「俺と俺の厳選した部下を甘く見るな。おまえとテオドールを守るくらい簡単だ」

 名指しされたテオドールは苦笑を浮かべる。


「えっと、中は……快適だと思うよ? ……たぶん。棺に水を張ってあるから鱗が乾く心配はないと思うんだ」

 テオドールが小さな声で付け足した。

 アーリアのためを思って別途手配してくれたのは嬉しい。

 嬉しいけれど……なにか釈然としないというか、もう少し別のところで気を使ってほしかったと思うのはわがままだろうか。

 なぜに棺……。もう少し情緒がほしかった。


「アーリア姫……。ぼく、僕でよかったから、抱き上げ……ようか?」

 テオドールが意を決したような声で申し入れをしてきた。

「あ……」


 アーリアは体を強張らせた。

 テオドールのことは好きだ。

 彼は優しいし、一緒にいると楽しい。

 けれど、彼に触れられる、とそう思ったら、その先の言葉が出てこなくなる。

 アーリアはどうしていいのか分からなくなって、二の句を継げなくなる。


「テオドール様」

 アーリアのすぐ後ろに控えていたフェドナが改まった声を出す。

 アーリアは彼女の声を頼もしく感じた。

「いや、俺が運ぶ。アーリア少し触れる」

 二人の空気を破る様にリベルトがアーリアを軽々と持ち上げた。そのまま馬車へと乗り込み、用意されていた棺の中にゆっくりとアーリアを降ろした。驚いたことに棺の中にはクッションが敷かれてあった。もちろん水に沈んでいる。


「あ、あなた……。急なのよ……色々と」

 アーリアは急いで抗議した。

 抗議の言葉を口にしないと、自分の心が保てないと思った。


「今回はおまえの侍女を全員連れて行けない。だから、その……少しの間だけ我慢してくれ。表向きトレビドーナで亡くなった父を輸送するコゼントの商人ということにしてある。主人に同行する召使に女がたくさんいたらおかしく思われるだろう」

 そこまで聞いてアーリアの顔が青くなる。


「まさかわたしは……」

「察しがいいな。俺の親父役だ」

「それってもしかしなくても死体役じゃないっ!」

「大丈夫。宿に着いたら棺ごと降ろしてやるから安心しろ」

「なにその本格仕様!」

「軍事演習の一環も兼ねている」


 リベルトは事もなげに言う。

 馬車に乗り込んだのはリベルトとテオドール、それからフェドナ。

 もう片方の馬車にはフェドナが選んだコリーニと旅の荷物など。


 馬車が動き出したが窓がないためアーリアは今どのあたりを進んでいるのかさっぱりわからない。

 大きな棺が馬車の真ん中に鎮座しているため、他の三人が窮屈そうでそれも罪悪感だ。

 フェドナはいつもの通りまじめな顔をし、時折アーリアの乗り心地を確かめる。


 がたがたと揺れる馬車の中、口数の少ないリベルトは自分から話題を提供することもない。いつもは何かと会話の糸口を探してくれるテオドールが、今日に限って何か思い詰めたような顔をしているのが印象的だった。

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