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 フレヴィーは頷いた。

「ああそうさ。王子は海の王の魔法を解いた。彼らの魔法には法則がある。魔法の法則を見つけることができれば魔法を破ることはできるのさ」

「その法則ってなんだ?」


「知るかい、そんなこと」

 瞬殺だった。


「ちっ。役に立たないばあさんだな」

「フレヴィー様ってお言い!」

 フィルミオの舌打ちにフレヴィーが瞬時に叫んだ。


「こんな内陸地の魔女なんかを頼るのが間違いさ。海の王のことは海の人間に聞く事だね。あっちには昔から海の王をあがめる民がわんさかといるよ。それこそ無法地帯だ」

「そうだ。フレヴィー、あんたは海神狂って知っているか?」

 海神狂と言う言葉を聞いたフレヴィーは口の端を持ち上げた。


「海の異端者たちを知っているとは、王子はこれから異教徒狩りにでも行くつもりかねえ」

 フレヴィーは狭い部屋の真ん中に置いてあるテーブル席に腰を掛けた。


「ああ、ちょいと若いの。水を一杯汲んでおくれよ」

 フレヴィーの頼みにフィルミオが動いた。

 室内にある水瓶から水を汲んだ彼はフレヴィーの前に置いた。

 フレヴィーは木製のカップの水を口に含んでほうっと息を吐いた。


「そんな物騒なことをするつもりはない。コゼントの法にのっとって対処をするだけだ」

「人の王の定めた法律だね。海神狂はそんなもの屁でもないさ」


 魔法使いは彼ら独自の教えにのっとって行動をする。彼らの帰属意識はあくまで魔法使いであるということ。

 国や人が違っても魔法使いは、彼ら独自の文化や習慣、決まりごとがあり、それらが生活に根付いている。

 リベルトら国を動かす者が魔法使いを扱いづらいと思う所以。これは教会の聖職者にも言えることだが、国の定めた決まり事よりも自分の仕える神や、教えを優先するということは実は危ういことでもある。

 彼らには現在住まう国の法律よりも優先させるものがあるからだ。


「質が悪いな」

「それはあんたが王家の人間だからだろう」

 フレヴィーは鼻で笑った。

 リベルトの傍らにいるフィルミオがにわかに殺気立つ。リベルトは動かない。


「だが、おまえもトレビドーナに住まう、この国の住人だろう」

「まあね。だからわたしはおとなしくしているよ。ただ、知識はともかく魔法の力を国のために使おうとは思わない。魔法使いはね、大きな権力に安易に力を貸してはだめなのさ。そうやって権力闘争に力を貸したから多くの力が結果失われた」

「魔女の御託はいまはどうでもいい」

 リベルトが冷たく言い放つとフレヴィーは肩をすくめて口を閉ざした。


「ま、海神狂ってやつらはいかれている連中だよ。彼らにしてみたら、自分たちが正当だと主張するだろうがね。生贄を差し出す集団はいつの時代も自分たちの正当性を主張することにだけは長けているからねえ」

「知っていることはないのか?」

「ここは内陸だよ。詳しいことはなあんも知らないねえ」

「嘘じゃないだろうな」

 フィルミオが凄みを利かせるがフレヴィーはそれをあっさりと受け流す。

「魔法使いは嘘はつかないよ」

 フレヴィーはにんまりと笑ってからカップの中の水を飲みほした。


◇◇◇ 


 アーリアは彼女と同じ年頃の少女たちに囲まれていた。

 午後のお茶の時間。

 宮殿の一角、もうすっかりおなじみになったビルヒニアの住まう一角にある日当たりの良い部屋。


「みなさんアーリア様と一度お話したいと思っていた方たちばかりなのよ」

 キラミアはそう言って少女たちを紹介した。

 今この場にいるのは、アーリアと同じ年頃の少女たち。みんなビルヒニアの顧客で、トレビドーナの貴族や大商人の令嬢たち。


 宰相の娘であるキラミアがアーリアたちを呼ぶときに様を着けているおかげなのか、彼女たちも従属国の姫であるアーリアたちに敬意を表してくれている。


「お体のお加減はよろしいのですか?」

「え、ええ。先日の舞踏会は結局欠席をしてしまい……心苦しいですわ」

 本当は運悪く人魚返りしてしまっただけなのだが、対外的には暑気あたりをし、伏せっていたことになっている。


「回復されてよかったですわ。それにしても舞踏会は残念でしたわ。わたくしたち、アーリア姫が最初にどちらの王子殿下と踊るか、それはもう気になっていましたのよ、とと」

 心配から一転、好奇心丸出しの言葉を発した令嬢が隣の友人らしき少女に腕を小突かれ慌てて口を閉ざした。


 アーリアは清楚な笑みを浮かべて、そっと瞳を伏せた。

 実は舞踏会を欠席出来て安心していた。

 舞踏会でリベルトとテオドールどちらの王子と最初に踊るべきか。

 最初に踊った方のことを気にかけているのではないか、と周囲の人は考えるだろう。というかどちらの王子を選ぶべきなのか。

 そんなこと考えたってわからないのに。


 それに、リベルトとはあの一件以来顔を会わせていなかった。一方的に怒った自覚は十分にある。アーリアも大人げなかった。

 リベルトの冷静な態度にカチンときたから。


 けれど、それについてこちらから謝るのは何か違う気がする。

 アーリアは傷ついたのだ。

 何に傷ついたのかがよくわからなくてアーリアも戸惑っているのだが。


「まあま、皆さん。だめですわよ、そんな風にアーリア様をせっついては」

 キラミアがこの場の空気を取り仕切る。

 宰相の娘でもあり、兄がリベルトの側付きでもあるキラミアは宮殿内での発言力が高いようだ。


「それで、アーリア様はどちらの王子殿下のことが気になっているのかしら?」

「へ?」

「やっぱり王太子殿下? それとも弟殿下なのかしら」

 アーリアの隣に座ったキラミアは先ほどの少しまじめな顔から一転。

 瞳をキラキラさせてアーリアに詰め寄る。

 さきほど少女たちの質問から助けてくれたと思ったのは……どうやらアーリアの勘違いだったようだ。


 アーリアが答えに窮していると再び辺りが騒がしくなる。

「あら、テオドール殿下は少し頼りないのではなくて?」

「けれど王太子殿下も厳しい方よ。威厳のある、素晴らしいお方だけれど、夫となれば、その……」

 王太子相手にあまり下手なことは言えないのか、金色の髪をした少女は最後口を濁らせた。

 まあ言いたいことは分かる。

 アーリアも最初は冷たくて厳しい人だと思っていたからだ。


「アーリア様、そこのところどうなのかしら?」

 キラミアが代表で尋ねてきた。

 他の少女たちも真剣な眼差しで見守っている。

 ビルヒニアは一人興味なさそうにナッさんを撫でている。ナッさんも同じようにアーリアの気持ちなんておやつ以下だと言わんばかりにご主人様の膝の上で丸くなっている。


「え、っと……」

 アーリアは困ってしまう。

 自分なんかが、男性を秤にかけるなんて。そんな大それたことを。と思ってしまうからだ。


「まあ、悩むのもわかりますわ。お二人とも真逆の性質をお持ちだもの」

「そうですわ、ここはひとつビルヒニア様にお力添えをお願いしてみては?」

「力添え?」

 アーリアは首を傾けた。

 アーリアの関心を引いたことに気をよくしたのか、少女は饒舌に語りだす。


「ええそうですわ、アーリア王女殿下。自分の気持ちに迷いが生じたときや、行く先が分からない時こそ占いの出番ですわ」

「そうねえ、あなたこのあいだ舞踏会で幼馴染の男性どちらと先に踊るか、結局はビルヒニア様に解決してもらったのでしょう」

 と、したり顔で語った少女の隣の令嬢が茶々を入れた。


「ええ。ちゃんと解決してもらいましたわ」

 途端にお茶会の席がざわめき出す。


 今度はビルヒニアに一同の視線が集中する。

 ビルヒニアがアーリアのために占う。

 結果、どちらが選ばれるのだろう。


「で、ではここでアーリア姫の旦那様が決まってしまうの?」

「まあ、わたくしたちとても素晴らしい場に同席しているのですね」


(え、ちょっと、ちょっと待って)

 話が思わぬ方向に進んで困ったのはアーリアだ。


 ここで彼女に占ってもらって、そして結果が出たらその通りに結婚しないといけないのだろうか。

 占いが選ぶのはどっちの王子なのだろう。

 リベルトかテオドール。アーリアは自分の心臓の鼓動が急に早くなるのを感じた。


「アーリア様、いかがします?」

 みんなのまとめ役としてキラミアがお伺いを立ててきた。

 ビルヒニアはだんまりしたままだ。

 注意深くアーリアの顔色を探っている。


「だ、だめよ!」

 アーリアは叫んでいた。

 お茶会の席がしんと静まる。

 アーリアは我に返って、それから慌てた。


「あ、その……わたし……」

 アーリアは自分の思いを言葉にしようとするがうまく出てこない。


 ビルヒニアの能力を疑っているわけではない。けれど、もしも占いの結果が出てしまえばその人がアーリアの伴侶に相応しいわけで。その相手を聞くのが怖かった。


 と、そこでビルヒニアが初めて口を開いた。

「今のアーリアにわたしの占いは必要ない。彼女は自分で答えを持っている」


「え……?」

 ビルヒニアの言葉に一番驚いたのはほかならぬアーリアだ。

 一方の少女たちは互いに顔を見合わせ、それから頬を紅潮させていく。

「まあ、それって」

「もしかしなくてもアーリア様はすでに心に決めておられるということ?」


(そ、そうなの……?)

 アーリアも心の中で自問自答する。


 アーリアは知らずに自分の髪に添えた薔薇の花に手をやった。

 ほんの少しくたびれかけている白薔薇。実は舞踏会に出席できなかったアーリアのために翌日リベルトが贈ってくれた薔薇だった。

 勝手に怒ったアーリアのためにわざわざ気を使ってくれたのだ、リベルトは。


「きっとコゼントへの里帰りから帰ってくる頃にはどちらかの殿下を、と心に決めているのね。そうしたらいよいよアーリア様も花嫁さん。わたくし、絶対に花嫁の付添人をするわ。そして、ぜひ結婚式で持たれたブーケをわたくしに頂戴ね」

 キラミアはアーリアの両手を取り、にっこりとちゃっかり発言をした。


 すぐさま目くじらを立てたのは同席する少女たちだった。

「キラミア様! それって抜け駆けですわよ」

「そうよ、わたくしたちだって、ブーケほしいですわ」

「あら、あなたたちには必要無いでしょう! あなたたちには筋肉男が身内にいないじゃないっ! わたくしは、ブーケの魔法にすがらないと結婚できないくらいに切羽詰まっているのよ!」

 キラミアがくわっと目を見開く。


 彼女の言う筋肉男とは、リベルトの側付きをしているフィルミオで、アーリアの秘密を知る数少ない人物でもある。

 今度のコゼント行きにも当然のことながら同行し、うるさすぎる兄の不在を何よりも喜んでいるのは普段から過干渉な兄に辟易しているキラミアだ。


「そんなの関係ないですわ!」

「そうよ」

「そうですわ」


 突如始まった花嫁のブーケ争奪論争にアーリアは目を白黒させた。

 花嫁のブーケを、花嫁自身から手渡された人物は、次の花嫁になると言い伝えらえれてる、と知ったのは侍女のフェドナに聞いてからだった。


◇◇◇ 


 フェドナはアーリアの寝室の花台を彩っていた花束が無くなっていることに気が付いた。

 まさかと思って彼女はとある人物を探した。

 離宮の裏手の使用人用の出口から外へ出て、ゴミ捨て場へとたどり着くと。

 そこにはマリアナの姿があった。


「あなた、何を勝手にアーリア様の花を捨てているのです」


 マリアナはリベルトが贈ってよこした白薔薇を踏みつけていた。

 後姿からは表情まで見えない。

 フェドナの詰問に、マリアナはゆっくりと振り返った。

 その顔には笑みが浮かんでいる。

 邪気のない、純粋な子供のような顔つきをしている。


「もうそろそろ萎れかけているでしょう。姫様の寝室を彩るにはふさわしくないですわ。萎れた薔薇なんて。だから捨てたんです」

 普段と変わらぬ明るい声。

 フェドナは知っている。

 白い薔薇を、まるで送り主その人と対峙しているように頬をうっすらと染めて眺めている主の姿を。


「萎れた花をどうするか決めるのはアーリア様です。あなたが先回りをする必要はありません」

 マリアナの足元で薔薇は無残な姿をさらしている。踏みつけられて、土にまみれ、花弁はすでに散っている。

 フェドナの叱責にマリアナは顔から表情を消した。


「わたし、コゼントに帰るのも姫様の結婚も反対です」

「それはわたくしたちが意見できることではありません」

 フェドナは感情を押し殺す。

 目の前の少女が分からない。彼女は昔からアーリアを過度に崇拝していた。美しい人魚姫に対するあこがれのようなものだと思っていた。


「わたしは、姫様とこちらの宮殿の片隅でひっそりと暮らせればそれでよかったのに。王子たちがわたしのお姫さまを見つけちゃったんですよね」

 マリアナは困ったふうに一度息を吐いた。

「どちらにしろ、姫様はコゼントの第一王女。政略結婚は免れなかったでしょう」

 フェドナがそれ以上言おうとするとマリアナは彼女の言葉など聞く気もないようにさっさとその場から歩き出す。


「マリアナ、お待ちなさい」

「もう、いいです」


 なにがもういいのだ。

 フェドナがもう一度声を出そうとするも、マリアナは早足で立ち去ってしまった。

 フェドナは一人取り残された。

 土とほかのごみくずにまみれた白薔薇。

 これではアーリアの元に戻せるはずもなく、フェドナは少ししたのち離宮へと戻った。ひどく重い道のりだった。

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