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◇◇◇ 


 リベルトは夕食を終えた後、父王を捕まえた。晩餐会が終わった翌日のことだ。

「父上初耳ですよ。私の婚約者候補がアウレリア王女だったとは」

 昨日の晩餐会での父の爆弾発言に顔を真っ赤にしていたテオドールに対してリベルトは平時と変わらぬ顔色を貫いていた。


 しかし内心はテオドールと変わらないくらい驚いていた。顔に出さなかったのはひとえに王太子としての矜持とアーリアの前で醜態をさらしたくなかったからだ。


「小国の王女がトレビドーナの王子二人のうちから伴侶を選ぶだなんて。なんて贅沢なことでしょう」


 親子二人の密談に女性の声が割り込んだ。

 クロティエラだ。ぱたんと扉を閉めて、彼女はフレミオを眺めた。


 少し不快そうな声を出したクロティエラにフレミオは「おまえは私の決めたことに意見をするのか?」とねめつけた。

「いえ。別にそんなつもりはありませんわ」

「だったら余計な口を挟むな」

「……申し訳ございません。陛下」

「父上、母上と同じように私も動転しています。わかりやすいように説明をしてください」

 冷たい夫の態度のはけ口はおそらく息子二人へとやってくる。リベルトは両親の間に入った。


「簡単なことだ。コゼントとの絆を強固にするためには婚姻が一番だろう。強引に軍を駐留させてもコゼントの国民の反発を買う。地方のもめごとはグルミ地方やアンゼラ地方でこりごりだ。二代前の王の時代のように力づくで国を併合しても後々の禍根を残すだけだ。いまだにグルミ地方のいざこざは消えない」

 どちらも二代前の王が強引な併合を行い圧政を敷いた。トレビドーナ語の使用を定め、元あった文化や伝統をことごとく廃止をした。現在の軋轢の元になっているし抵抗組織の活動も消えることはない。

「それで婚姻ですか。ですがコゼントにはイルファーカス王太子がいますよ」

 その言葉にフレミオが頷いた。


「わかっている。だが、姫との間に子どもができればこちらにもコゼントの王位継承権を持つ子を得ることができる」

「それはつまり」

 リベルトは慌てて口をはさんだ。

「黙って聞け。別に何も起こさん。ただの保険だ。王女を他国に取られる方が余計な軋轢を生む。アウレリア姫がおまえたちどちらかと結婚をすればコゼントの国民も、トレビドーナに悪い印象は持たないだろう。彼女が望んで結婚をするという風にする」


「望んで?」

「ああ。だからおまえたちどちらがいいかはアウレリア王女に任せることにした」

「まさか私も対象にしているとは。父上はアウレリア王女が将来の王妃になっても、構わない、と。そうおっしゃるのですか」

「コゼントから得られる利益を鑑みればそれもありだ。それくらいのことをすれば、コゼントの国民も悪い気はしないだろう。もちろん、王女がテオドールを選んでも同じだ。王家との縁談ということには変わりない」


 リベルトは少なからず驚いた。

 従属国の姫君相手にしては破格の申し出だ。それだけ海への出入り口、港はトレビドーナにとって重要なのだ。


(俺に婚約者をあてがわなかったのも、これを見越してのことだったのか)


 父王は再び口を開いた。

 しかも今度は意味深なことを言う。

「そういえばおまえはずいぶんと王女に親切にしているようだな。一部の者は、王太子がアウレリア王女を囲っていると噂しておるぞ。おまえ知っていたか?」

 フレミオが何を言いたいのかリベルトはぴんときて冷静な態度を崩さずにすかさず返した。

「彼女は病弱です。だから、静かな環境を提供したまでです」

「あれほど頑なに離宮から動かなかったおまえがな」

 対するフレミオはどこか面白げに眉を持ち上げた。


「それこそ友好関係を築くためですよ」

 リベルトの口上にフレミオが頷いた。本心はどうか知れないが、この場をやり過ごせればそれでよい。

「彼女は随分と奇怪な健康法をしているのだったな。水浴びを定期的に行うことが健康の秘訣だとか。コゼントの姫君は、難儀な体質をしておる。流れる血のせいか」


 フレミオの言葉にリベルトはぎくりとした。婉曲な言い回しだが、彼はどこまで真実を知っているのだろう。

 もしかしたら彼はすべてを承知なのかもしれない。目の前の男はトレビドーナの王だ。事前に情報を集めていたとしてもおかしくはない。


「そうだ。彼女の体調を考えると長旅に耐えられると思えません。どうして彼女をわざわざコゼントへ里帰りさせるのです?」

 リベルトはもう一つの文句を口にした。


 アーリアがトレビドーナへやってきたとき、彼女は衰弱しきっていた。人魚の姿になったアーリアの移動には細心の注意が必要だ。常に鱗を濡らしていないといけない。

 今回もおそらく人間と人魚の姿を行ったり来たりするだろう。人間の姿の時に距離を稼げればいいが、女性の移動だ。無理をさせるにも限界があるし、続けていれば倒れてしまう。


「本当はもっと前に王女をこちらへ呼びたかったのだ。そうれば王女が年頃になり王子と恋に落ちたという筋書きで、将来の夫婦で王女の実家に里帰り、という筋書きができたものを。まあ、多少のずれは仕方ない。こういうのはまどろっこしいが目に見えるパフォーマンスも重要なのだ」

「しかしですね」

「王女を安全かつ安静な状態でコゼントへ連れて行く手段を考えるのがおまえの仕事だろう。それとな、コゼントをめぐってはアゼミルダの動きも気になる。おまえはそっちのほうの動きも注視しておけ」


 フレミオは今度こそ妻、クロティエラを部屋の外へ追い出し、リベルトに対していくつか最近のコゼントをめぐる動向について話をした。


◇◇◇ 


 まさか自分の知らないところで縁談話が進んでいたとは思いもしなかった。

 とはいえアーリアだって王女だ。

 自分がいつか国のためにどこかに嫁ぐだろうことは覚悟していた。いや、もしかしたら人魚体質故そういうこともないのでは、などと思っていたのかもしれない。


 おかげで今ものすごく動転してる。

 何しろある日突然、息子二人のうちどちらかを夫に決めろと言われたのだ。

 まさに青天の霹靂だった。

 ちなみにその候補者のうちの一人は今アーリアの目の前で事務的に今回の婚約の背景を語って聞かせている。


「おい、聞いているのか?」

 黒髪の婚約者候補その一、リベルトの問いにアーリアは「聞いているわよ」と答えた。


(どうしてこんなにも冷静なのよ……リベルト殿下の……馬鹿)


 彼の涼しい顔を見ていると、さっきからどうしても心の中で悪態ばかりついてしまう。アーリアは目の前にリベルトがいるというだけで緊張してしまうというのに。

 どうしてだか動悸が早くなったり、彼の顔を眺めていたくなったりするのかがわからない。この人が、自分の夫になるかもしれないなんて考えると今すぐに人工池に飛び込んでしまいたくなる。あいにくと今日は人間の姿なのでそれはできない。いや、できるけれど、フェドナに怒られる。


「わたし……どうやって決めたらいいのかしら」

 正直よくわからない。

 二人ともアーリアに優しくしてくれる。

「それは……」

 初めてリベルトが口ごもる。


「とにかく、だ。おまえも王女なんだから腹くくってどちらかを決めろ。父上も今すぐに決めなくていいっておっしゃっていただろう。俺は、おまえの出した結論を尊重するし、希望が叶うよう力になるよ」

 彼の言い回しに、アーリアの心臓が跳ね上がる。


「あなたは……結婚相手がある日突然決まっても、それでいいの?」

 アーリアはつい勢いで聞いてしまった。


 本当は一番気になっていたことだった。

 あの晩餐会の席で、フレミオ王から提案をされたとき。アーリアはリベルトが王の提案に何を思ったのかが気になった。


 なのに彼は自分は蚊帳の外、みたいに何食わぬ顔をして食事をしていたし、口を挟むこともなかった。

 晩餐から三日たって、あの日以来初めて会ったリベルトは今日も平常運転だ。

「それが王太子に生まれた者の義務だろう。あてがわれた相手と婚姻を交わして、子を成す。それが務めで義務だ」

 リベルトははっきり言い切った。

 よどみのない口調だった。


 自分の結婚相手は誰でもいい、ともとれる発言。

 アーリアは心の奥にとげがささったかのような痛みを覚えた。


「あなた、結婚相手は誰でもいいっていうわけ? わたしのお父様とお母様はとても仲が良かったわ。二人とも、よく笑い合っていた……」

「俺だって妻になった女性とはそれなりに信頼関係を築いていくよう努力するつもりだ」

 リベルトが心外だと言わんばかりに反論をした。


 アーリアは反射的に尋ねた。

「それって、わたしとはまだ信頼関係が築けていないって、そういうこと?」


「べつにおまえ一人に限定した話じゃない。おまえはまだ誰とも婚約をしていないんだ。不用意な仮定法は使うな」

 リベルトの口調が少しきつくなる。


 アーリアは立ち上がりざま語気を荒げる。

「ああそう。いいわよ、もう! 今日は色々と教えてくれてありがとう」

 中庭に設えてある小さな屋根付きの東屋で二人は話していた。

「ちょっと待て。アーリア!」


 リベルトの早口が後ろから聞こえたがアーリアは振り返らずに自室に戻った。ものすごく腹が立っていた。

 部屋に戻ったアーリアは寝室の、大きな天蓋付きの寝台に飛び込んで枕を抱えて横になった。

 自分でもわからないけれど、とても傷ついていた。


◇◇◇ 


 何がアーリアの機嫌を損ねたのか分からなかった。リベルトの引き留める声に反応することもなく、彼は一人中庭に取り残された。

 こっちはこれでも色々と気を使って話をしていたというのに、一体何なのだ。

 リベルトは乱暴に頭を掻きむしった。

 こっちだって色々と大変なのだ。


 具体的に何がと言われればはっきりとは分からないが、アーリアがリベルトの妻になるかもしれない、と理解したとき。

 いつの日か自分に向けてくれた太陽のような純真な微笑みを思い出した。

 あの笑顔を独り占めすることができるのか。そんな風に考えてしまった。


 リベルトはつい先ほどアーリアの機嫌を損ねてしまったから、しばらく彼女は自分に対して笑顔を見せてくれることはないかもしれない。

「ったく、女ってわからねえ」

 仕方なくリベルトは戻ることにする。


 どうして突然怒ったのか見当もつかない。こちらは客観的に今回の結婚相手選びについての父王の思惑を伝えようと心を砕いたというのに。

 リベルトが退出を告げると、見送りとして付添に来たのはマリアナだった。


 彼女はアーリア至上主義のようで、とにかく彼女に男が近づくのを嫌っている。

 侍女という身分のため、一応王族であるリベルトやテオドールなどには気を使っているが、彼女は自分の背後から立ち上る嫌悪感という感情を隠しきれていない。わりいつもとダダ洩れている。

 リベルトの後ろにひっそりと付き従う彼女マリアナの様子をなんとなく気にしながらリベルトは離宮の入口へと歩く。


「そういえば、殿下はご存知でしたでしょうか」

 リベルトが去ろうとした頃合いにマリアナが小さな声を出した。


 疑問形に、リベルトが振り返る。

 マリアナの顔には何の感情も乗っていなかった。アーリアに近づく男はみんな虫だと言わんばかりの目つきでもなく、少し虚ろ気な視線は、リベルトを見ているようで、別の何かを捉えているようでもあった。


「姫様のような海の王の魔法にかかった、半端者の人たちは、子どもを身籠ることはないんですよ。身籠れないんです」


 マリアナはうっすらと笑った。

 リベルトの目を見て、優越感に浸るように口元を持ち上げる。

「なにを根拠にそんなことを言う」

 リベルトは思わず反論した。


「殿下こそ、人魚返りの何をご存じなのです? ああでも、このことは姫様も知りません。王様はお姫様に隠し事をたくさんしているんですよ。でも、このことは本当ですよ。だから、姫様をわたしから取り上げるようなことはしないでください。お願いしますわ殿下」


 マリアナは歌うように滑らかに言い、ぺこりと深くお辞儀をした。

 自分の用が済んだ彼女はリベルトの言葉を聞く気もなさそうに、その場でくるりと向きを変え離宮の中へと引き換えした。

 彼女を追って真実を問いただせばよかったのに、リベルトはそれができなかった。

 まるで影を縫い留めれられたかの如く、その場から動くことができなかった。


 マリアナの言葉が頭の中で何度も繰り返される。

 人魚返りの人間は子を身籠ることができない。半端者。王様の隠し事。


 彼女は自分は嘘を言っていないと言う。

 リベルトにはそれを確かめるすべがない。

 どうして彼女は人魚返りについて詳しいのか。

 まだ、何かあるのか。


「殿下。いかがなさいましたか」

 微動だにしないリベルトの元に外で待機を指せていた近衛隊の男が遠慮がちに声をかけてきた。

「いや、なんでもない。戻るぞ」

 リベルトは歩き出した。


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