三章 人魚姫、突然縁談を突き付けられる

1

 数か月に一度ある遊学者たちを交えた晩餐会の日。

 アーリアはこの日トレビドーナで今年はやっているというドレスに身を包んだ。

 青銀色の髪を目立たたせる少し濃い紫色のドレス。袖口は大きく開いており、扱いに苦慮する。袖口を皿の上のソースなどでよごさず優雅に食事をすることも一種腕の見せ所だ。

 髪の毛の半分ほどを頭の上の方でひとつにまとめてもらい、あとは所々ピンで固定しながら背中に垂らしてもらった。


 アーリアの体調を最優先に決めてもらった日程のため本日のアーリアはちゃんと二本足で立っている。

 王家の聖餐用の間は光輝く黄金色で彩られていた。長細い卓の上には金に輝く器と燭台。美しい薔薇が至る所に飾られている。

 椅子の背もたれと座敷部分に施された精緻な刺繍は贅沢な絹糸がふんだんに使われている。トレビドーナの中で一番偉い国王と王妃、王子や重鎮たちと同席をするアーリアは緊張のせいで食事を味わうどころではない。

 けれど近くに同輩であるビルヒニアとセレスティーノがいるという事実だけでとても心強い。ビルヒニアは黒い髪の後ろ部分に金色の鎖を何連にも垂れ下げた飾りをつけている。


「こちらの食事にはだいぶ慣れて?」

 アーリアに話しかけてきたのはクロティエラだ。


 今日もきっちりと頭を結い上げ、小さな冠をつけている。耳を飾るのは冠とおそろいのダイヤモンド。

 アーリアと同じ袖口の大きく開いたドレスを着付けており、下に垂れ下がる袖口もなんのその。優雅な動作でゆっくりと食事を口へ運ぶ。


「はい。毎日おいしくいただいております」


 前菜は蒸したほうれん草と木の実をオリーブ油で和えたもの。冷たい肉のゼリー寄せにきゅうりやセロリを細かく刻んで香草と酢で混ぜたサラダ。

 次の皿の香りを嗅いでアーリアはびっくりした。

 どこか塩の香りのする濃い黄色の煮米だ。

 アーリアははやる気持ちを押さえながらゆっくりとフォークを口へ運ぶ。


「これって……」

「そうだ。コゼントで加工されているマグロの卵巣の塩漬けだ。最近そなたの国から送られてきてな。今宵の料理に取り込んだと料理長が言っておった」

 アーリアの驚きの声に返したのはコゼント王自らだった。


 そのことにもアーリアはびっくりした。

 まさか彼がこんな風に話しかけてくるなんて思ってもみなかった。

 王と口を交わしたのは園遊会での挨拶以来。あのときもアーリアの口上に対して、王は決まり文句を返しただけだった。


「食べると癖になる味だ。我が国の煮米ともよく合う」

 コゼント王フレミオはマグロの塩漬け卵巣がいたく気に入ったようだ。目じりを少し下げている。

 煮米とは、トレビドーナの北部湿地帯で栽培されているという米をスープで炊いた伝統食だ。元は東の地域から伝わった穀物でアーリアはトレビドーナへ来て初めて食べた。麦のように挽かずにそのまま煮て食べるとのことだ。


「王妃もアーリア姫から献上された美容のための塩をいたく気に入っているのだったな」

 クロティエラは目を細めた。

 王を見つめて平素とは違うつややかな声を出す。口調もアーリアが知っているそれよりもいくらかたおやかだ。

「ええ。皆から羨ましがられておりますわ。今度はわたくし直々にコゼントへ買い付けに行こうと思っておりますの」

「おおそれは本当に気に入っているようだな。どれ、今度大使に言って、商人でも呼びつけようか」

「あら、ぜひそうしてくださいな」

 クロティエラは満足げに微笑んだ。

 どうやら単身乗り込むという言葉は彼女の冗談だったようだ。


「コゼントにはわが国にはない資源がたくさんある。海からもたらされる資源と、海の向こうの国々から渡ってくる貿易品の品物だ。これからわが国とコゼントの関係を強固なものにしていくために、どうだろう、アウレリア王女。そなたの伴侶は我が息子たちのうちのどちらか一人から決めてほしい」

 自国の塩を褒められて誇らしかったのに、国王の次の爆弾発言でアーリアはあやうく手に持っていたフォークを落としそうになった。


「えっ!」

 大きな声を出してしまい慌てて口元を手で押さえた。


 その場の人間の視線がアーリアに向かう。

 リベルトとテオドール、二人とも聞かされていなかったのか、国王フレミオの方を凝視している。


「わたくし、初耳ですわ」

 最初に口を開いたのはクロティエラだ。

 先ほどの機嫌のよさから一転、彼女の口調に温度は感じられない。


「宰相にしか話しておらなかったな」

 のう、トゥーリオよ、とフレミオは近くに座る宰相に顔をやる。

 ということは本当にリベルトも今この場で知ったらしい。

「父上……それはあんまりにも急な」

 リベルトが口を挟む。

「急ではない。前から考えておった。アウレリア王女にいくつかの縁談が上がっているからな」


(って、わたしのほうがそれ初耳なんだけど!)

 人の知らない間にいったい何の縁談話があったというのだ。


 息子から視線を元に戻し、フレミオ国王はアーリアをしっかりと見据えた。

 アーリアは自然と背筋を伸ばす。

「王女よ、そなたはトレビドーナの王の息子のうち、どちらか添い遂げたいと思った方を選ぶことができる。どうだ、破格の申し出だろう」


 むしろそれくらいしてやるのだから必ずどちらかと結婚しろと言っているように聞こえる声音だ。いや、そういうことなのだ。

 アーリアの意思は関係ない。

 ここにあるのはただ国と国との結びつき。

 それが政略結婚というもの。

 アーリアの喉がからからに乾燥する。


「あ、わたしは……」

 なにか言わないといけないとは思うのに突然のことに頭の中が真っ白だ。

 大国の国王と対等に渡り合おうという方が無謀というもの。


「なに、いまここで決めろという話ではない。姫には初秋の頃、王子二人とコゼントへ行き、コゼント王の前でどちらかの王子と婚約する旨を報告してほしい」

 思いがけぬ里帰り案にアーリアは目を瞬いた。

「わたしが、コゼントにですか?」


「ああそうだ。旅の道中二人の王子を見定めどちらを伴侶とするか決めるがよい。アウレリア王女はどちらの王子とも友好関係を築いてるようだが、夫を選ぶという視点で観察をすれば、また違った印象にもなろう、なあ王妃よ」

「……ええそうですね、陛下。二人の王子の性格や相性を見極めるのにはちょうどよい期間でしょう」

「ぼ、僕もアーリア姫と一緒に旅をするんですか?」

「なんですかテオドール。みっともない」

 慌てた声を出すテオドールにクロティエラは不愉快そうに眉を顰めた。


「そうだ。おまえにとってははじめての外遊になろう。普段宮殿に閉じこもって本ばかり読んでいては見えぬことも見えよう。しかと学べ」

「……はい」

「リベルト、おまえはコゼントに駐留する海軍の視察をしてこい」

「かしこまりました、陛下」

 息子二人の返事を鷹揚に受け止めたフレミオは最後にアーリアに向かって再び口を開いた。


「詳しいことは追って知らせる。さて、この話題はここまでとして、王妃よ、そういえばこの間おまえが言っておった……」

 フレミオはこれ以上のことは本当に晩餐の席で話すつもりがないようだ。

 話題はさっさと別のことへを移っていった。後日行われる舞踏会の曲目や会場で出される果物は何が良いか、または王都グアヴァーレで最近はやっているという戯曲まで話題はさまざまだった。


 アーリアはまさかの縁談話にその後出されたデザートの味もさっぱりわからなくなってしまったというのに。


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