6


◇◇◇ 


 思い立ったリベルトの行動は早かった。

 王都グアヴァーレから外れた森の奥。

 馬で駆けること約一時間半くらいの距離にあるその場所についてはフィルミオに調べさせた。


 目的地のコールドリスの森の奥には魔女が住まうという。今どき魔女なんてどうせ、いんちきだろうと疑う心が半分。

 フィルミオの調べによると森に住まう魔女はすでに年老いているとのことだが、体は丈夫で一人暮らしをしながら森のふもとの村の人間に薬を売ったりしながら生計を立てているらしい。

 魔女の数はここ百年くらいの間にずいぶんとその数を減らしたが、それでもまだいくらかはいる。


 人々は生活の知恵を魔女や魔法使いに求める。

 リベルトは森の奥、木材で建てられた粗末な小屋の前で馬を降りた。柵などはなく、小屋の周りには無造作に薪や盥、桶などが置かれている。


「おい、本当に行くのか?」

「ああ」

 リベルトは臆することなく木の扉をたたいた。

「王家の者だ。開けてもらおう」

 リベルトは声を張り上げた。

 しばらくそのまま扉の前で佇んでいると、中から人が近づいてくる気配がした。

 ぎいっと、用心深く扉が開かれる。

 細く開いた隙間からぎょろりとした瞳が覗いていた。


 リベルトは素早く扉に手をかけた。

「魔女の知恵を借りたくて来た。中に入れてもらおうか」

「……」

 瞳の持ち主は声を出すことはなかった。代わりに警戒感をむき出しにした視線が突き刺さる。

 リベルトはもう一度口を開いた。


「聞こえたか? 中に入れろと言ったんだ」

「言い方……」

 フィルミオが高圧的な声を出すリベルトに突っ込みを入れる。

「……」

 しかし魔女はだんまりを決め込んでいる。


「侮辱罪で今すぐ牢屋にぶち込んでやろうか」

 時間が惜しいのに、ちっとも反応を示さない相手にリベルトのほうがブチ切れた。

「……位の高い人間はすぐにそう言う。ああいやだ。お入り。坊ちゃん」

「坊ちゃんだと?」

「まあまあ」

 フィルミオがリベルトを宥める。


 腰の曲がった老婆は小屋の奥へと引っ込む。

白い髪に茶色の瞳をし、顔には皺がたくさん刻まれている。相当の年を重ねている証拠だ。

 腰は曲がっていても口はまだ達者らしい。


「前触れもなく突然訪問したのはこちらのほうだ。しかし、話を聞いてもらいたい。あんたの知恵を拝借したい。もちろん礼はする」

 リベルトはさきほどよりも幾分落ち着いた声を出す。

「前置きはいいさ。さっさとお入り。それでさっさと要件を言ってさっさと帰っておくれ」

 魔女に促されて二人は小屋へと足を踏み入れた。


 小屋の中は物で溢れかえっていた。

 外から見た小屋は小さかったが、案外奥行きのある、広い造りのようで、木の扉が一つついていた。隣にも部屋があるらしい。

 部屋の中央にある粗末な木の机と二つの椅子。そのうちの一つにリベルトは腰かける。竈には鍋がかけられている。机の上にも薬草と思しき乾燥した草が籠に入っていたり、天井に張り巡らされた細い縄からはたくさんの植物がかけられていた。


「それで、用件は何だい?」

 魔女はリベルトの正面に座った。

 自分だけ木製のカップを用意する。

「人魚について知りたい。知っていることを全部話せ」

「人魚……?」

「コゼントとか、海に面した国で色々と話が伝わっているだろう、人魚の。そういったものを殿下は知りたいんだ」

 フィルミオが補足をした。

 彼はリベルトの後ろ側に立ったままだ。


「王宮の書庫にでも当たったらどうだい」

 魔女はおざなりに返事をする。

「宮殿の書物庫に魔法書は存在しない」

 魔法が世界を支配していたのは何百年も前の話だ。


「人魚の何が知りたい?」

「海の王について」

「海の王だって?」

 魔女は訝し気に復唱する。

「そんなおとぎ話を王子様がご所望だとはねえ」

 魔女は面白そうに瞳を弓の形にゆがめた。


「ばあさんは知っているのか?」

「ばあさん……? ちょっと、ちゃんとフレヴィー様とお言い」

 目の前の魔女はフレヴィーという名前らしい。

「名乗らなかったのはお前の方だろうが」

 とはいえこっちも名乗っていないが、目の前の魔女フレヴィーはリベルトのことを王子と言った。


「ふんっ。あんたみたいな態度のでかい王家の者、なんて王子くらいしかいないだろう」

 ということらしい。いちいち失礼な魔女だ。

「それで、海の王について、知っていることはあるのか?」

「ちょっと待ってな」

 と言ってフレヴィーは「よっこらせ」という掛け声とともに立ち上がって隣の部屋へ行った。

 しばらくすると、いくつかの本を抱えて戻ってきた。


「人魚伝説で有名なのはコゼントのものだね。今から百五十年くらいまえに、コゼントの王子が人魚の姫と恋に落ちた」

「それは知っている」

 リベルトは苛立った声を出した。

 何しろリベルトのすぐ近くにその末裔がいる。

「そう急かすんじゃないよ。最初は優しい物語から教えてやろうと思ったのに。じゃあ自分たちで勝手に読みな」

 年の割にフレヴィーも短気なようだ。素っ気ない声をだして机の上に置いた本を目線で指し示した。

「そうさせてもらうさ」

 リベルトは積まれた本の一冊を手に取った。


 本を開いた瞬間、古い本特有のかび臭いにおいが鼻に届く。羊皮紙特有のにおいと、埃のにおい。

 リベルトはぱらぱらと項をめくっていく。

 本には古い異種族について書かれていた。

 人魚とは海に住まう妖精、精霊のような存在で、彼らは時折その姿を人へと変え陸地へやってくる。陸地で人の暮らしを知り、時には人との間に子供を作った。人魚は自由にその姿を変えることができるという。


 海の王は、彼らを統べる王。

 人魚の口から王の存在を聞く事はあってもその姿を見た人間はいない。

 王の魔力は絶大。大きな波を起こすことも嵐を起こすこともできる。彼らは普段は海深い場所にある彼らの世界でひっそりと暮らしている。

 本には他の妖精や精霊についても書かれていた。トレビドーナから北へずっと進んだところにある高地に住まう、背中に羽を持った種族や固い鱗に包まれた竜の種族のこと。

 次に手に取った本も似たようなもので、これには海の王は一定の期間を経て代替わりをすると書かれてあった。


 それというのも沿岸部では海の王を奉る人々がまだ存在し、彼らの中には精霊と精通する力を持つ者もいるという。

 この本はそういった古い伝承や伝説を集めたもので、著者が実際に海辺の村や町を訪ね歩いて集めた話が元になっていた。 

 最後の項に書かれた年は、リベルトが生まれる前、百年ほどまえのものだった。ずいぶんと古い本だが、虫食いもなく保存状態も良いことに感心した。

 リベルトとフィルミオはそれぞれ重要だと思うことがらをあらかじめ持参した紙に書きつけていく。


「写し代は別途頂くからね」

「わかっている」

 ヴィルディーのちゃっかりした発言にリベルトはげんなりと相槌を打った。


 ヴィルディーは二人の行動をしっかりと見張っていたらしい。本を読みふけっている間も立ち上がり、竈の火の様子を確認したり、乾燥させた雑草(にしか見えないがおそらくは薬草だろう)の束をより分けたりしていた癖に目端が利いてなによりだ。


「ばあさんは人魚を見たことがあるのか?」

「フレヴィー様とお呼び。……わたしはないね。この本は全部わたしの師匠から譲り受けたものさ。魔女と魔法使いの使命のうちの一つは知識の継承だからね。代価を払えば知識を授けることも仕事のうちの一つさ。たとえどんな偉そうな相手でもね」

 最後の一言は余計だ。

 リベルトは最後の本を手に取った。


 そこには人魚返りをした少女の話が書かれていた。著者が出会った少女は、月に数度人魚へと姿を変える。

「おい、フィルミオ。これを読んでみろ」

 リベルトは傍らで別の本の項を読みながら、睡魔と戦うフィルミオの腕を揺すった。体を動かすことを得意とするフィルミオが文字を追うことができる時間は限られている。許容量を超えると睡魔が襲ってくるとは、子供のころから身に染みている。

 フィルミオは眠そうに目をこすりつつリベルトの持つ本を覗き込んだ。


 本は人魚返りの少女の回顧を書き記していた。その中で『昔わたしは月に数度人魚の姿へと変えていた。親たちは、わたしに口を酸っぱくして言い聞かせた。この姿を他の人に見せてはいけない。……中略……わたしは人魚返りの魔法が解けた。ついにこの日がやってきた』という文を見つけた。


(やっぱり、人魚の魔法は解くことができるのか)

 リベルトは心が逸るままに項をめくっていく。文字を追う合間にも期待感が膨らむ。


 しかし。

 結局肝心なことは何一つ書かれていなかった。

(そろそろ時間か……)

 資料を読み込んでいたら思のほか時間が経過していた。


 今日はこのあたりで終わりにしないと、まだ片付けていない仕事が宮殿に残っている。

「邪魔したな、フレヴィー。また来る」

 リベルトは相変わらず眠そうにしているフィルミオの襟をつかんで立たせ、魔女の小屋を後にした。


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