3
「体の調子はどうだ? 大丈夫か?」
ついさっきまでの口調から一転、今度は心の底からアーリアを想う声だった。
アーリアはぎこちなく頷いた。
「よかった」
温かみのある声色にアーリアの胸の中で、何かが弾けた。
(な……んで……こんなにも優しいのよ……)
逃げ出したいのにアーリア一人では動くこともままならない。沈黙が居たたまれない。けれど何を離していいのか分からない。アーリアの頭の中はまるで渦に飲み込まれた様にぐるぐると回る。
短くない沈黙をやぶったのはリベルトの方だった。
「おまえ、人魚だったんだな」
ただ、事実を確認するだけの独り言のような声だった。
アーリアはもう一度ぎこちなく頷いた。
「海のお姫様と人間の王子の昔話は知っている?」
アーリアは彼の言葉に質問で返した。海の王の娘とコゼントの王子が恋に落ちた昔話。
「ああ」
リベルトが頷いた。
「あれには続きがあるの……。最愛の娘を人間に取られてしまった海の王は、さみしかった。陸へと渡った海の民を想った彼の魔法は、人魚の血を引く末裔たちに魔法の作用を及ぼしたわ」
娘を人の王子に取られた父王の悲しみから端を発した魔法が人魚の血を引く子供たちへ対象を拡大し、人魚返りを引き起こすこと。もちろん人魚返りはすべての人魚の子孫に降りかかるわけではない。
それが人魚返り。
「人魚返り……。要するに、人間だけれど人魚の血を引くために魔法の力が及んで人魚になったりするってことか」
アーリアはこくりと頷いた。
「魔法のかかり具合は人それぞれで……わたしはとりわけ魔法の影響を強く受けているの。ひどいときは月の半分を人魚の姿で過ごしているわ」
「なんとなくわかった。……海の王ね。今でも、人魚たちはお前たちの前に姿を現すのか?」
「どうかしら。昔話では、海の王はこれ以上人魚と人間が交わることをよしとしない、なんて書かれていたりもするけれど。実際は分からない。わたしはずっと王城の奥で育ってきたし」
「海の王って、あれだろ。沿岸諸国であがめられているんだろう」
「ええ。コゼントやアゼミルダ、マリートなんかでも」
仇敵の名前を聞かされてリベルトは眉を顰める。アゼルミルダとトレビドーナはもう何百年にもわたって領土争いを繰り返しているからだ。
「あら改宗しているから、国教はあなたの国と同じよ。けれど、長い間の風習ってそう簡単に変えられるものではないでしょう。うちは信仰についてはおおらかな方よ」
「……水浴び健康法ってのはそういうことか」
「だってそれしか言いようがないじゃない」
アーリアはばつが悪くなってぷいっと横を向いた。
「だったら、最初に言えばいいだろう。ちゃんと事情を打ち明けてくれて入れば俺だって余計な気をまわさずに済んだ」
「これは最重要機密事項なのよ! 言えるわけないでしょう」
アーリアはリベルトを睨みつけた。
「俺はおまえたちを監督する立場だ。おまえが不自由な思いをするのを見過ごすわけにはいかない」
「そのわりにビルヒニアに対しては厳しいじゃない」
「あれは、あいつが奇妙な自分設定をつくっているからだ」
「自分設定?」
アーリアは難しい顔を作った。意味が分からない。
リベルトは気を取り直すように咳払いをした。
「とにかく、だ。さっきはすまなかった。ああいう奴が今後現れないように俺の方でもちゃんと対処する」
さっきのこと、と言われてアーリアはびくりと身を震わせた。
急に怖くなった。
彼らはアーリアのことを明らかに見下していた。それで、自分の思いのままに扱おうとしていた。
「あっ……」
アーリアはぶるりと身震いをした。
男性たちに取り囲まれたときのことをまざまざと思い出してしまった。人を馬鹿にした声色に、命令することに慣れ切った声。はっきりと見下された。
リベルトはアーリアの怖がる仕草を痛ましそうに眺め、それから彼女の正面に顔を見せるように地面に膝をついた。
「怖い思いをしたんだな。すまない。トレビドーナの王太子として謝る、アーリア」
突然真摯な態度をされて、アーリアは困惑する。
どうしてリベルトが謝るのだろう。
「ビルヒニアが言っていた。トレビドーナの貴族の、男は嫌いって。あんな人たち……最低」
今までアーリアは狭い世界で生きてきた。
人魚返りは絶対に秘密で、限られた人にしか知らさせていなかったこともあり、男性と触れ合う機会もほとんどなかった。
だから、怖かった。
勝手に髪の毛に触れられた。そんな無礼なことをされるなんて信じられなかった。
「最低だなんて、言わないでくれ。そうじゃないやつもたくさんいる」
リベルトの声は途方に暮れていた。
ずっと、怖くて威張った男だと思っていたのに。少し気落ちした声を出されるとアーリアの方が彼に意地悪をしている気持ちになってしまう。
「あの……さっきは……助けてくれて……ありがとう。あと、その……水に浸けてくれて、それについても。その……ありがとう」
何か言わないといけないと思った。
だからアーリアは助けてくれたことに対してお礼を言った。
「いいや。このくらいどうってことない」
リベルトのほっとしたような顔を見たとき、アーリアはうろたえた。
彼の態度が、親しい人に向けるように穏やかだったからだ。既知の人間に対するようなそれに対してアーリアもぎこちなく笑みをつくった。
「これからはもっと俺たちに頼れ」
「う、うん……」
アーリアは首を縦に振った。
「あ、あの。早速なんだけれど……」
「なんだ?」
「わたしの侍女たちを呼んできてほしいの」
「もう、元気になったのか?」
「ええ。水に浸かったもの、平気よ。あとは、部屋に戻らないと。人に見つかったら大変」
「おまえの侍女にはフィルミオが知らせに行っている。おまえ覚えていないだろうけど、あっちの木立の中で倒れていた。それを発見した俺とテオドールと、フィルミオはおまえの正体をみた」
リベルトの告白にアーリアが蒼白になる。
「そんなにも?」
「大丈夫だ。口外は絶対にしないしさせない」
信じられる、とアーリアは思った。
彼の真剣な想いを感じ取ったアーリアは、顔を赤くして、それを悟られたくなくてわざと別のことをした。
水から上がってびしょ濡れのドレスと髪の毛を絞っていく。
呼んできてもらった侍女たちの手を極力煩わせたくない。
「水にぬれて寒くないのか?」
「人魚だもの。平気よ」
侍女たちを待つ間アーリアはリベルトと横並びで噴水に腰を掛けていた。
今まで厄介な王太子という位置づけだったのに、正体がバレてしまい彼から親切にされてアーリアは心を落ち着かなくさせる。
なんだかとっても変。
(それにいつの間にかアーリアなんて呼ぶんだもん)
リベルトはアーリアに無理をさせないよう気を使っているのか必要以上に話しかけてくることはなかった。
(もっと根ほり葉ほり質問攻めかと思っていたわ)
二人きりの時間が妙に面映ゆくてアーリアの心臓は妙な具合にどくどくと脈打った。
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