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◇◇◇
アーリアは浴槽の中に沈んでいた。
頭まで浸かってぶくぶくと泡を吐き出す。
リベルトに人魚体質がばれた翌日のことだ。
「姫様~。大丈夫ですか?」
浴槽を覗き込むのは侍女のマリアナだ。
朝からずっと水に潜っているアーリアのことが気にかかるようで時折こうして声をかけてくる。
けれどアーリアは沈黙を貫いている。
考えないといけないことがたくさんあって体は不自由なのに頭の中が忙しすぎる。
(昨日はマリアナが失礼な態度をとっちゃったし。それについても謝らないと。……て、わたしも考えてみたらばかとか変態とか言ったわね……。い、今更ながらにどうしよう。それに……)
アーリアを迎えにやってきたマリアナは噴水に並んで座る二人の間に突進して、アーリアを抱え込む様にリベルトから引き離した。
子供を取り返しにやってきた母犬のように鼻息荒く、全身で威嚇をしていた。
トレビドーナの王太子相手に失礼極まりない態度だった。フェドナが何度もリベルトに頭を下げていた。
彼はアーリアが部屋へ戻る道のりを律儀に付添、車いすを持ち上げて階段を登るのは大変だろうと、アーリアを抱き上げて上の階へと運んでくれた。
ちゃんと、真摯にアーリアへ触れることについて許可を求めた上でだ。
本当は恥ずかしかったし、少し前に男性に恐い目に合わせられたので抵抗はあった。けれど、侍女たちに負荷をかけたくなかったためアーリアは内心の動揺を押し殺してリベルトの求めに応じた。
(リベルト殿下……優しかったな。それに、お兄様とは全然違った……)
普段軍で鍛えているというリベルトの逞しい腕の感触を思い出してしまったアーリアだ。
水の中で悶々と考えていたら別の深みに落ちそうだったからわざと考えを別のストレスにすり替えた。
「ああああ~! 泳ぎたぁぁいっ!」
アーリアはざばんと勢いよく水から顔を出して別のことを喚いた。
「姫様ったら。すっかりいつもの調子に戻って。マリアナ感激です」
突如叫び出したアーリアの様子を見てほっこりするのはマリアナだ。
「姫様大変です」
フェドナが慌てて部屋へと飛び込んできた。普段沈静なフェドナにしては珍しい。
「どうしたの?」
「王太子殿下とテオドール殿下が面会を求めておられます」
「反対! 絶対反対」
アーリアよりも先に拒絶の言葉を発したのはマリアナだ。
「マリアナ黙りなさい。アーリア様より先に口を開くとは何事ですか」
フェドナにぴしゃりと叱られたマリアナは口を閉ざしたが不満そうにフェドナを睨みつけた。
「リベルト殿下が?」
昨日のあれやこれを思い出したアーリアの胸の奥が激しくざわめく。
(まさか変態発言を根に持って……?)
昨日の今日での訪問だとこのくらいしか思い当たることがない。
「えっと、具合が悪いからってことでお引き取り……」
「もうその言い訳は王太子殿下相手には通用しないかと。準備が整うまでいくらでも待つと仰せです」
「もしかして、王太子って仕事案外暇だったりする?」
「姫様!」
ついにフェドナが叫んだ。
「冗談よ……」
アーリアは観念することにした。
「では姫様お着がえをしましょう」
「へ?」
「へ? じゃあありません。今姫様が身にまとっていらっしゃるのは室内着でございます。殿方の訪問を受け入れるにはきちんとそれに見合った装いというものがございます」
フェドナにずいと迫られたアーリアは明後日の方向に視線を泳がせた。
つい実家の時と同じように考えてしまったが、ここはトレビドーナの宮殿。イルファーカスを招き入れるわけではない。
「そ、そうよね……」
「姫様は知識だけは詰込み型で豊富でいらっしゃいますが、乙女の大切なものをもっと丁寧に扱ってくださいませ」
結構な言い様にアーリアは心の中で、わたしだって一応乙女よと反論した。
大体今着ている室内着だってちゃんと胸元は隠れているし、意匠だってかわいい。
「姫様これなんてどうですか?」
フェドナの説教を聞き流す形でマリアナが持ってきたのは肌をしっかりと覆う、冬用のドレス。
「マリアナ。季節を考えなさい」
フェドナがこめかみをもむ仕草をする。
「だってぇ」
どたばたな様相を呈してきた着替えは開始から長くなる気配が濃厚に漂っていた。
◇◇◇
濡れたドレスから乾いたものへと着替えて尾ひれには乾燥防止策として濡れた布を巻いた。こうしておけば少しはもつ。
髪の毛はまだ湿っているけれど、仕方ない。
車いすを押してもらってアーリア用の応接室へと入ると、軍服に身を包んだリベルトと、宮廷服に身を纏ったテオドールが立ち上がった。
リベルトの視線からアーリアを気遣うものを感じ取り、つい恥ずかしくなって目を伏せてしまう。
「体調はどうだ?」
「絶賛人魚のままだけれど、仕方ないもの」
口調が少しだけそっけなくなる。
「アーリア姫。この間はその……ごめんなさいっ! 不可抗力とはいえきみのドレスの中を覗くような真似をしてしまって」
と、爆弾発言を落としたのはテオドールだ。
「!」
(スカートの中ですって)
アーリアは顔を真っ赤にした。
「おいこら。テオ、もうちょっと言葉を選んで謝罪しろ! それじゃあ俺たちが真正の変態みたいだろ」
「みたいだろ、じゃなくて真正の変態じゃない!」
アーリアはつい叫んだ。
「僕はその、兄上がスカートをめくっていた間から尾ひれを見ちゃっただけで」
テオドールの追い打ち発言にアーリアはけだものを見るような視線をリベルトに投げつける。
「こら! どさくさに紛れて変なこと言うな。状況確認をしていただけだ」
「どうしたらスカートをめくることが状況確認になるのよ変態!」
アーリアは目の前の男がこの国で偉い部類に入ることを忘れて叫ぶ。
「誤解だ誤解! その顔やめろ」
この世のごみを見るような目つきをしたアーリアに対してリベルトが喚いた。
「ごめんなさいアーリア姫」
テオドールが再び身を低くして謝った。
「状況確認とはいえ悪かった。というかほんの少しスカートのすそを持ち上げただだけだ。誤解するな」
男二人から謝罪を受けたアーリアは口をぱくぱくと開いて、それから「何も見なかったことにして頂戴」とだけ言った。
過ぎたことだし、とにかくこれ以上こんな心臓に悪い話題を口にしていたくない。
「それで、今日はどうしたの?」
アーリアは話題を変えるべく口を開いた。
「おまえに新しい住まいを提供しようと思って」
「住まい?」
「それから、おまえのことをもっと知りたい」
その言葉にアーリアはどきりとした。
真摯な瞳でまっすぐに問われて、アーリアの心臓が騒がしくなる。
「ええと……それってどういう……」
膝の上で指を交差させる。なんだか落ち着かない。
「人魚の飼育、いや世話なんて初めてだから勝手がわからない」
「飼育って……失礼ね」
リベルトは言い直したが、あいにくとはっきりと耳に届いた。
「水に浸かっていないといけないのはわかった。塩水じゃないといけないのか?」
「いいえ。別に真水でもいいのよ。塩はね、故郷を離れるわたしへのお兄様からのお餞別。少しでもコゼントのことを思い出すようにって」
「そうか、よかった」
兄弟二人は顔を見合わせて息を吐いた。
「故郷と言ってもわたし海で泳いだことないもの」
「ないのか」
「ええ。お父様もお兄様も心配性なの。お城から一歩も外に出してくれなかったわ」
生まれたからずっと不自由な体だったこともあり、両親も兄もアーリアに対して過保護だった。一度も王都を歩いたこともないし海へ行ったこともない。
「人魚に変化するのには、なにか法則性があるのか?」
リベルトは続けて質問をする。
「んん~、特にないわね。この間はずぅっと人魚のままだったけれど、二日人間の姿で一日人魚になって、また人間に戻って数日後に人魚に……なんてことばかりよ」
「突然変化するのか? 不自由だな」
「そうよ、わたし大変なの。って、ちがう。ええとね、人魚返りって前触れがあるの。足がむずむずするっていうか」
「むずむず?」
テオドールが首を傾むけた。
アーリアは彼に向かって頷いた。
「ええ。わたしの感覚なんですけど。こう、なんていうか足に違和感が。だから、なんとなく、あ、今日まずいなっていうのがわかるんです」
「てことはおまえ、この間は相当に無茶をしていたってことか」
リベルトが低い声を出した。
アーリアは身を竦ませた。
「だって! 大事な園遊会じゃない。だから人ごみから離れるようにしたし、あなたからも逃げ出したもの。あっちに噴水があるのは知っていたし」
「じゃあ、おまえがやたらと散歩していたのは……」
「宮殿内の水場の位置を知っておこうと思って」
「そういうことは最初に言っておけ」
「だから。第一級の機密事項だってこの間も言ったわよね、いえ、言いましたよね」
アーリアは普通に会話をしていたことに気が付いて、今更ながらに口調を改めた。
人魚バレ騒動でつい素の口調になってしまっていたが、相手はトレビドーナの王太子だったことを今思い出した。
「だからって……」
リベルトは疲れたような声を出す。
「だいたい、あなたわたしのこと胡散臭いって思っていたんでしょう。お塩のことだって噂で聞きました。悪かったわね、無駄に心配をさせてしまいまして。体を磨くお塩と食用のものとじゃまったく違うんです。流用しないことをおすすめしますわ」
「そうなのか?」
アーリアはこくりと頷いた。
「だったら今度俺の母上におまえの持っている美容塩を少し分けてやってくれ。ついでに使用方法と今の説明を丁寧に説明してやってくれ。そうすれば正しい情報として同席した女官や貴族の女性が広めてくれるだろう」
「分かりましたわ」
リベルトはそこで顔を和ませた。
「もしかしたら、コゼントの新しい産業になるかもしれないな」
「そ、そうなるかしら……いえ、でしょうか」
アーリアは少しだけ胸をドキドキさせた。
自分がトレビドーナの宮殿で美容塩を紹介すれば、国が潤うことになるのだろうか。
少しは故国の役に立つことができるかもしれなくてアーリアは心の中でこぶしを握った。
「さて、そろそろ出かけるか」
リベルトは唐突に立ち上がる。
これからの話の流れを把握しているのかテオドールも彼に続いて立ち上がった。
「ええ、と……」
アーリアは慌てた。
「引っ越しだよ、アウレリア王女殿下。おまえを新しい部屋へ案内する。それから、その口調もやめろ。さっきまでの通りでかまわない」
リベルトはアーリアの本名を呼ぶとき少し芝居がかった声を出した。
アーリアは話についていけずに目を白黒させながら王子二人に誘導されるまま突発的お引越しをすることになった。
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