二章 人魚姫、正体がバレる
1
園遊会の日。
空は一つの雲もない青色で、リベルトは日の光のまぶしさに目を細めつつ、会場となっている庭園に足を踏み入れた。
身にまとうのは宮廷服。いつもは楽だからという理由で軍装ばかりだが、今日はそうもいっていられない。
会場には丸いテーブルがいくつも運び込まれ、飲み物や食べ物がたくさん置かれている。天幕の下には椅子や長椅子が置かれ、すでに何人かが会話に花を咲かせている。
国王夫妻が姿を見せ、この場に集った者たちが順番に挨拶をしていく様子をリベルトは何とはなしに眺めている。
「次、アーリア姫の番だね」
いつの間にかとなりにテオドールがいた。
「ああ」
リベルトは視線をアーリアに固定したまま相槌を打った。
その表情は険しい。
今日のアーリアは胸元で切り返しのあるドレスを着ている。スカート部分は薄い布を何枚も重ねており、あれだと裾を踏むんじゃないのかというくらい長い。しかし彼女は器用に歩いている。躓く気配もない。
女のドレスは摩訶不思議だと、いつも思う。あれだけ動きにくそうなのに彼女たちはすまし顔をして歩いていくのだ。
国王への挨拶を終えたアーリアはコゼントの大使の元へ戻っていった。
国王へ挨拶する者が途切れた段階で、国王は集まった者たちへ言葉を発し、それが園遊会開始の合図となった。
リベルトの元にも多くの客人が訪れた。
それらを適当にあしらいつつ、リベルトはアーリアを見張るため彼女の近くへさりげなく近寄った。
「ごきげんようリベルト殿下」
「久しぶりに王都に出てきましたのよ。リベルト殿下は最近どうお過ごしですの?」
リベルトの周りにもあっという間に人だかりができた。主に貴族の令嬢たちだ。
リベルトは二十六になるが決まった婚約者はいない。父王は常々リベルトの結婚相手は他国の王族からと公言している。
それでもこうしてリベルトの周りに独身の妙齢の女性たちが寄ってくるのは、王妃にはなれなくても将来の愛妾候補として目に留まりたいという思惑があるからだろう。
リベルトは蝶々のようにわらわらと集まってきた色とりどりの娘たちを適当にあしらいつつ、すぐそばで取り囲まれているアーリアらの会話に神経を集中させる。
アーリアにとってトレビドーナ貴族が一堂に会する場に現れるのはこれが初めてのことだ。
皆、コゼントからやってきた珍しい色の髪をした王女に興味を引かれている。
彼女の周りにも少なくない人だかりができていた。
アーリアは自国の大使の横で清楚な笑みを浮かべている。
コゼントの国内についての話題が終わると、会話は主にトレビドーナの国内情勢や歴史や文学などに移った。
「王女殿下は宮殿のイルディスカ庭園にはいかれましたかな。あそこには歴代の王の中でも勇ましいと誉れ高いイルポー四世の石像が建てられておりましてな」
「ええ、一度行きましたわ。石像も拝見しました」
「イルポー四世といえば、マリート王国との戦いが有名ですな」
アーリアを取り囲む男性のうち、腹周りがまるでワイン樽のような男がのんびりとした口調で言う。
「大陸歴五百三十三年のクレビルの戦いですわね。マリートとの膠着状態が続き兵が疲弊したので、王は奇策を練られました」
アーリアはすらすらと答えた。
件の王がとった奇策のうち大抵の人間は二つくらいを答えるが、彼女は五つすべてをつっかえることなく説明をした。始まりから結果にいたるまでよどみなく答える。
アーリアの周りの人間が感心したかのように息を漏らす。
おそらく、樽腹の男はアーリアの知識を試したのだろう。従属国の王女がトレビドーナのことをどれだけ知っているかということを。
「まあ、アウレリア王女は歴史にお詳しいのね。わたくし、政治はさっぱりですのよ」
感嘆の声を上げたのはとある伯爵夫人だった。
「いいえ。そんな……」
アーリアの恐縮しきりな声が耳に届く。
「殿下、聞いていらっしゃいますの?」
と、ここで少し拗ねた口調が隣から聞こえてリベルトは自分が上の空だったことに気が付いた。
リベルトの周りを取り囲む令嬢や年若い夫人たちと何を話していたのか。悪いがさっぱり思い出せない。
「それはクレモル・レジャークの『夏の夜』の一節ですわね。わたくしも彼の詩は大好きですわ」
目の前の令嬢たちの声は耳を素通りするのに、どうしてだかアーリアの声は律儀に拾ってしまう。
彼女は別の夫人に請われるまま詩を暗唱し、また会話の流れでトレビドーナの歴史考察に戻った際にはややこしくて有名な某国王の名前と彼らの敷いた政策をよどみなく答え周囲から感嘆の声を引き出した。
(あいつ、すごいな……)
リベルトの正直な感想だった。
彼女の知識は昨日今日の付け焼刃ではない。その証拠にアーリアはコゼントの歴史や名産品などの背景についても披露し周囲の興味を引いていた。
特に女性陣はアーリアの持参した美容塩に興味を持ち、彼女はそれらの産地の歴史や製造にまつわる逸話などを披露してときには周囲の笑いを誘った。
彼女の努力の一部を垣間見た気がした。
きっと、アーリアもコゼントの王女として多くの努力をしてきたのだろう。
◇◇◇
園遊会が始まってからずっと会話をしていてさすがに疲れた。
アーリアの青銀髪はとても珍しいようで、みんなからかわるがわる褒められた。
嬉しいけれど、なんだか珍獣にでもなった気分だ。
アーリアはさりげなく会場の隅の方に移動をする。
というのも、今日は色々とまずいからだ。
人魚返り前には予兆がある。なんとなく、足がむずむずする。これはアーリアとか、他の人魚返りをする人にしかわからない感覚だろう。だからみんなにはいつも「今日は足が変な感じがする」としか言わない。これで察してくれる。
今日も朝から予感はあった。
しかし大事な園遊会。できれば車いすは使わずに過ごしたい。病弱設定だけれど、いつも車いすを使っているわけじゃないんだからね、と見せつけるためだ。
アーリアは園遊会会場の隅の方へとやってきた。ちょうど木立の脇で日陰になっている。日差しがきつい分、陰に入ると肌を撫でる風が気持ちいい。
確かこの木立を抜けると小さな庭園があって、そこには噴水があったはず。
それにもう少ししたら暑さにやられたとか言って部屋に戻ろう。
アーリアは園遊会の光景を眺めながら会場を後にする算段を考える。
彼らの談笑する声が風に乗って聞こえてくる。人々は思い思いに輪を作り、グラスを片手に様々な会話を楽しんでいる。アーリアも試されているなあと思うようなことを言われたけれど、ちゃんと答えることができたから及第点も貰えるだろう。
アーリアの視線の先、青年貴族らがこちらに向かってくるのが見て取れた。
やはり今日は珍獣扱いは免れないらしい。アーリアはやれやれ、と内心ため息をついた。
「こんにちは。アウレリア王女殿下」
近づいてきた男性三人がアーリアを取り囲むように立ちふさがった。
「ごきげんよう」
アーリアは無意識に一歩足を後ろに引いた。彼らの雰囲気が、どこか怖かったからだ。
けれどアーリアは自分を叱咤してまっすぐに彼らの視線を受け止めた。
「こんなところにいたんですね。私たちともぜひ話をしてください。みんなあなたと話をしたくてうずうずしていたんですよ」
三人のうちのリーダー格と思われる青年が瞳を細めた。なんとなく蛇を思わせる嫌な視線だった。
「それにしても美しい髪色だ。一房いただきたいくらいだ」
最初に話しかけてきた青年は、おそらくリベルトよりは年下だろう。しかし、彼とは違った有無を言わせない威圧感がある。
「ちょっと! 何をするのよっ」
アーリアは目の前の、金髪の青年の手をぴしゃりとはねのけた。彼はアーリアの許しなく、勝手に彼女の髪の毛を一房手に掬ったのだ。
今日のアーリアは髪の毛を緩く編んで後ろでまとめているが、豊かな髪の毛の半分は垂らしたままになっている。
「おおこれは。コゼントの王女様は気が強いと見える」
青年は意外そうに片眉を跳ね上げた。
「へええ。可愛い反応だね」
「髪の毛一房くらいで。ずいぶんとお高く留まっている」
残りの二人もリーダーに追随したかのように口を開いた。嘲笑のような笑みを浮かべた顔に不快感を感じたアーリアはキッと三人を睨みつけた。
「そんな顔しないで。わたしはきみともっと仲良くなりたいだけなんだ。気の強いお姫様」
金髪の青年が一歩前に進み、アーリアとの距離を縮める。
アーリアははじめて怖いと思った。
彼らはリベルトともまた違う。彼からは感じない、なにか嫌な視線と感情を目の前の三人からはひしひしと感じとる。
「わたくしはあなたたちと仲良くなりたいだなんて思いませんわっ」
それでもアーリアは渾身の力を体中からかき集め動揺を感じられないようにきっぱりと言った。
「その気の強い顔を泣き顔に変えるのも楽しそうだな。ねえ、お姫様。きみは自分のことをコゼントの姫だと思っているようだけれど、私たちからしてみればきみはただの従属国の人間だ。私たちと対等だとは思わない方がいい」
「なんですって」
「人質なんだから俺たちの言うことを聞いていたほうが何かと楽だと言っているんだ」
もう一人の青年の侮蔑を含んだ台詞があたりに響く。
人質と言われてアーリアは固まった。
トレビドーナ王家の人たちはみんなアーリアに親切だった。一応の独立国の王女として接してくれていた。リベルトはちょっと尊大だけれど、それでもこんなにもねっとりとする背筋が怖気だつ視線をアーリアに向けたことはない。
彼らから感じるのは純粋な悪意。
「毛色の変わった女もいいな。この見事な青銀髪。本当に美しい。もう少ししたら陛下に願い出て私の愛妾にでもしてもらうか」
愛妾という言葉にアーリアは目を見開いた。
「そんなこと!」
「しようと思えばできるんだよ。きみはトレビドーナへの貢物だ。私は王家の血を引く公爵家の人間だ」
アーリアは青年を睨みつけた。
こんな男最低。それなのに彼から感じる気配に完全に呑まれてしまいアーリアは一歩も動くことができない。
喉がからからに乾いているけれど、アーリアはなけなしの勇気をかき集めた。
「わたくしはコゼントの第一王女よ。確かにコゼントは現在トレビドーナの庇護下に入っているけれど、れっきとした独立国だわ。あなたたちに不当に貶められる謂れはないわ」
そうだ。
コゼントはトレビドーナに併合されたわけではない。経済や軍事力で協力関係にあるだけで、れっきとした独立国。
「ふんっ。生意気な女だ」
まさか反論をされるとは思っていなかったのか、金髪の男が不快そうに舌打ちをした。それからアーリアの腕を掴んだ。
「いやっ! 離しなさいよ」
「せっかく独立国のお姫様がいらしたんだ。私がもてなしてあげようではないか」
「あなたたちほんっとう性格が悪いわよ!」
アーリアは虚勢を張るが、掴まれた腕がぶるぶると震えだすのを止められない。
男たちは笑いだす。
「こんなに震えて。まだ強がるのか。本当に飼いならすのが楽しみだな」
アーリアは腹が立って仕方ない。
「おいおまえたち。誰の許可を得てアウレリア王女に触れている」
聞こえてきたのは、知った声だった。
けれどアーリアが知っているよりもずいぶんと低い声だった。
「リベルト殿下」
金髪の男は慌ててアーリアから手を離した。
「もう一度聞く。誰の許可を得て彼女に触れている」
目の前の青年よりも背の高いリベルトだ。
高圧的な物言いに、彼は目に見えて慌てている。
「い、いやだなあ殿下。私はただ、アウレリア王女と友人になりたいと思っただけですよ。こんなにも可愛い王女なのですから」
取り繕う言葉に他二人もこくこくと頷いた。
「他国からの遊学者たちは俺とテオドールの管轄だ。俺たちの許可を得ずに何先走ったことを話している」
リベルトは彼らの言い分を一蹴した。
それは彼が、先ほど目の前の貴族青年の、アーリアを貶めるような発言をきっちり聞いていたことを証明している。
もちろん、彼らもそのことについて思い至ったのだろう。だんまりを決め込んでいる。
相手を食い殺すような視線に臆したその他二人はリーダーを置いて逃げ去った。
完全に分が悪いと悟ったのだろう。
金髪の青年も後ずさり、その場から離れようとする。
その腕をリベルトが掴んだ。
「おまえはアウレリア王女を脅せるくらいに、いつからそんなにも偉くなったんだ? トレビドーナから独立でも考えているのか? そういうことならいつでも俺が直々に領地まで出向いて話し合ってやろう。兵はどれくらい連れて行ったほうがいい?」
「まさかっ! ほんの冗談ですよ。戯れだ!」
「戯れにおまえは他国の王女を貶めるのか?」
最後の台詞に顔を赤くした男は今度こそ逃げて行った。リベルトが腕の力を緩めたからだ。
アーリアは大きく深呼吸をした。
どうして、リベルトがやってきたのだろう。
「ちっ。今度本当に特別監査でもやってやろうか。腹立たしい」
逃げ去った青年に向かって毒づいたリベルトは、アーリアの方に向き直った。
アーリアと目が合う。
アーリアはなんて言っていいのか、口の中でもごもごと言葉を探した。
と、それは別の問題が発生していることにアーリアは慌てた。
本能的に思った。
あ、これまずいやつ! と。
アーリアはリベルトの存在を無視して脱兎のごとく逃げ出した。
後ろの木立の中をドレスが翻るのも気にせずに走る。
今日のドレスは胸元で切り返す、圧迫感のない意匠だ。足元を完璧に隠すくらいの長い裾に足を取られそうになりながらもアーリアはかまわずに駆けた。幸いだったのは、王宮の木立の中は下草がすべて取り払われていたことだ。
早く離れないと、という思いでいっぱいだった。
走っていると、途中で転んだ。
「あっ」
バタンと顔から地面に突っ込む。
海の王の魔法だ。下半身が淡い光に包まれ、今まで足だったものが尾ひれへと変化した。
「あああ……」
アーリアは項垂れた。
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