8


◇◇◇ 


 テオドールの前方方向にパラソルをさした少女が侍女と一緒に歩いている。

 パラソルから見え隠れするのは目立つ青銀色の豊かな髪。少しくせっ毛の髪が風にそよいでいる。

 コゼントからやってきた王女アーリアだ。


 彼女に会ったとき、テオドールは雷を受けたかのような衝撃が体に走った。

 事前に見せられていた絵姿よりも、本物の彼女は生気にあふれはつらつとした少女だった。

 お城の奥で育った彼女は、物怖じしない伸びやなか娘だった。テオドールの挙動不審な態度に眉を顰めることもなくて、そこも好感を持った。


 今日アーリアがビルヒニアの元へ行くと聞きつけ、どうにか会話をする機会があれば、と公務を抜け出してきた。

 第二王子でもあるテオドールは兄に比べるとまだ任されている執務は少ない。

 体を動かすことよりも読書が好きな物静かな青年に成長した彼だったが、ここ数日心が落ち着かない日々が続いている。


 女性と話すのは苦手なはずなのに、アーリアとはもう一度話をしたいと思った。

 テオドールは意を決して彼女の後を追いかけた。どこのタイミングで声をかければいいのだろう。迷っていると、先に彼女の侍女の方がテオドールの存在に気が付いた。


 侍女はアーリアに何かを告げると、アーリアが振り返る。

 なんとなく心の中を敗北感が占める。

「ごきげんよう、テオドール殿下」

「ごき……こんにちは。アーリア姫」

 テオドールははにかんだ。

 彼女の笑顔がまぶしすぎて直視できない。


「ええと、お散歩?」

 気の利いたことが言えなくてテオドールは事実確認を口にする。

「ええ。ついさきほどまでビルヒニアのところでお茶をしていたんです。最近は体調が良いものですから、物珍しくてついお散歩を」

 アーリアははつらつとした声でテオドールの質問に答えた。


 日傘を持つのは金色の髪をした侍女で、心なしかこちらを見つめる瞳が険しい。

 もう一人の侍女は銀色の髪をしている。

 テオドールはどうにかして会話を繋ごうと意を決して言葉を出した。

「コゼント王国にも、金髪の人っているんだね。みんな銀髪なのかと思っていたよ」

「コゼントにもさまざまな髪をした人がおりますわ。銀も金も茶色も黒も」

 アーリアはゆるりと笑った。

 テオドールはぽうっと見とれた。


「え、ああ。そうだよね。でも、その。姫君の髪の毛はとてもきれいで珍しくて。最初初めてみたとき、とてもその……。ええと」

 最後は何が言いたいのかわからなくなって、意味もない言葉を繰り返す。

 テオドールは昔から女性を前にすると緊張してしまう。

「ありがとう……ございます」

 テオドールの褒め言葉を聞いたアーリアの顔がほんのりと赤く染まった。


「銀髪の人はみんな人魚の血を引いているの?」

「人魚は青銀髪をしているのだそうです。昔は人魚は人間の前に頻繁に姿を現し、人間を伴侶に選ぶことも多かった、と」

「ぼ、僕も本で読んだよ。なんていうか、おとぎ話のような世界だなって思った」

 コゼントから姫を迎えるにあたりテオドールは沿岸部の民話を集めた本を幾つか読んだ。

「コゼントだけでなく沿岸国ではよくある話です」


 世界が違うなと思う。

 内陸部と沿岸では風土が異なる。同じ文化圏だが、祭りや進行する土着の神や風習など、珍しいものが多く記されていた。

 コゼント以外の海に面した国で、トレビドーナとも国境を有しているアゼミルダとマリートとは仲が良くない。昔から国境線を巡って戦ってばかりの歴史を繰り返している。


「いままであまり積極的に海辺の風習とか文化を学ぼうとはしなかったんだ。アゼミルダとはあまり仲が良いとは言えないし」

 アーリアはだまってテオドールの話に耳を傾けている。

「けれど、その……コゼントとの関係が、その、あれになったし、これからは僕ももっといろいろなことを知ろうと思うんだ」

「ありがとうございます。わたしでよければお教えしますわ」

 アーリアの笑みが深まった。

 自国に興味を持ってもらったことが嬉しいらしい。


 思いがけず次への約束に繋がるような会話ができてテオドールは天にも昇るくらい心が沸き立つのを感じる。

 けれど、ここで次の具体的な約束を取り付けられないのがテオドールだ。

 恥ずかしくて視線を逸らせつつ、「そういえばアーリア姫はどこへ向かおうとしていたの?」と尋ねた。


「どこも。物珍しくてつい散歩が長引いてしまいました。そういえば……この先には何がありますの?」

 トレビドーナの宮殿は広い敷地を持つ。

 王都の南側の、森を切り開いて作られた宮殿はいくつもの庭園や館、離宮などを抱えている。

「え、ああ。そっちには離宮があって、今は兄上が一人で住まわれているんだ」

「まあ。王太子殿下が、離宮に、ですか?」

 アーリアは目をぱちくりとする。


「普通、びっくりするよね。もっと昔は僕の姉上が住まわれていたんだ。姉上が嫁いで行って、そのあと兄上がこじんまりとしたのがちょうどいいって、移ったんだ」

 テオドールとは違い、王太子として執務に追われるリベルトは私的な時間くらいゆっくり過ごしたいと、妹が嫁入りし空いた離宮を占領した。

「そうですか」

「だからあんまり近寄らない方がいいよ。兄上は自分の領域に人を入れるのを好まないんだ。要件があるときは執務室の方へ行くことをお勧めするよ」


 テオドールはそう締めくくった。

 アーリアは少しの間視線を離宮へと続く小道へとやって、それから「それではそろそろ帰ります」と言ってもと来た道を戻っていった。


◇◇◇ 


 ここ数日リベルトは不機嫌だった。

「リベルト、そんなにぎゅっと眉間に皺寄せていたら取れなくなるぞ」

 執務室にはリベルトとフィルミオの二人きり。他の人間がいないとき、彼は途端に砕けた口調になる。

「うるさいな。これはもともとの顔だ」

「殿下にテオドール殿下の振りまく愛想のかけらでもあれば……」

「俺だって愛想の一つくらいは持ち合わせいる」

「うわ、初耳」

 フィルミオは盛大におどけた


「それで。どうしてそんなにも怖い顔をしているんだ?」

「あれしかないだろう」

 リベルトは窓の下を顎でしゃくった。

 ちょうどここから宮殿の庭園が見える。侍女に日傘をさしてもらってゆっくりと歩く少女の姿が見える。


「ええと……、あああの髪はコゼントの姫さんか」

 日傘から洩れる長い髪の毛は特徴的な青銀髪だ。腰まであるゆるやかなくせっ毛が風に揺れている。

「あんな色の髪、沿岸国の人間にしかいないだろう」

「人魚の末裔だっけ」


 フィルミオは感心したように、口笛を吹いた。軽い態度だが公式の場では一転、名門トゥーリオ家の名に恥じない落ち着いた所作になる。

「眉唾物だけどな」

 リベルトは肩をすくめた。


 確かに、最初であったときは感心した。見事な青銀色の髪だから。

 しかし、魔法や精霊、妖精の類が物語の中のものになりつつある時代、素直に信じることができない。


「けど、すごい綺麗な色だよな。この国であの髪は目立つぜ」

「そりゃあそうだろう。最近元気がいいんです、とか言って母上のサロンを皮切りにいくつかのサロンに顔を出している。みんなあの髪色に興味津々だ」


 初対面の時は車いすから立ち上がることもできないくらい弱っていたのに。

 それが最近では一人で立ち、その上宮殿内を散歩している。そのくせ、体調不良で数日部屋に引きこもってみたり。


「振り幅が大きすぎるだろう」

「さあな」

 フィルミオはリベルトに同意せずに大きく肩をすくめた。

「元気になったなら、それはいいことだろ。死なれたら難癖付けられるぞ」

「だから侍医を遣わすと何度も言っているのに強固に断る。こっちの親切をなんだと思っているんだ」

 それだけではない。

「あの王女、サロンで色々と質問をされて塩美容法なるものを話したそうだ。おかげで貴族の女たちが目の色を変えている。これはまずい」

 リベルトは低い声を出す。


 女たちはアウレリア王女の肌の白さを褒めたたえたそうだ。沿岸国で潮風や強い日差しにさらされている王女の肌は日に焼けているし傷んでいるに違いないと高をくくっていた女性陣はアーリアのきめの細かい白い肌に感嘆したそうだ。

 そして件の王女は素直に自身の侍女らが行ってくれる行為を白状した。


「くそっ。あの王女やってくれた」

「ええと、話が見えないぞ」

「女たちはあの王女を真似て塩で体をこすったり洗ったりすればきれいな肌になるのかと思い込むだろう。となれば……金に物をいわせて塩を買いあさるだろうな」


 と、ここまで言うとフィルミオも顔色を変えた。内陸国であるトレビドーナでは塩など取れない。もっと内陸の、とある国では塩の取れる洞窟なるものもあるらしいが、広大な国土を持つトレビドーナではあるが、あいにくと塩を自国生産する手段を持たない。


 人間塩を取らないと生きていけないし、塩の安定供給は国を治める者としての義務である。海に面した隣国アゼミルダとマリートとは昔から領土拡大で小競り合いばかりを繰り返している。貿易も行ってはいるが塩の価格を巡っていつも衝突を繰り返している。


「現に一部の人間が塩の買い占めに走っているとのことだ。商人たちは金を積む人間のところに塩を届けるために流通を制限するかもしれない。まったく、迷惑なことをしでかしやがって。新手の嫌がらせか?」

「そこまでは考えていないだろう。ほら、海辺の国から来たんだろうからさ。塩だって安いんだろうし」

「……むかつく」

 こっちは昔から塩の価格維持で苦労しているというのに。


「大体、おかしいだろ。なんで急に元気になるんだ」

「さあ。色々と難しいお年頃なんだろ」

「体調にお年頃もなにもあるもんか」

 投げやりになったフィルミオの返答にリベルトは噛みつく。


「妹と同じ年頃だしなあ。最近色々と大変なんだよ。交換日記だって一言『爆発してちょうだい、お兄様』とか書かれるだけだし。俺のこと虫けらでも見るような目をして眺めてくるし」

 フィルミオは先ほどの声を一転、この世の終わりのような悲し気な声音になる。

 ついでに両手で顔を覆いその場にしゃがみこんだ。

 自分と同じ年である二十六の男のそんな仕草は見たくない。


「気持ち悪い。立て。ウソ泣きはやめろ」

「はあぁぁぁ……。お兄ちゃんはただ、ただ心配しているだけなのに。可愛いキラミアに変な虫、いや、特大の害虫が付かないようにと。お兄ちゃんが頑張って働いているのも、ひとえにキラミアを政略結婚させないためであって、兄妹仲良く末永く暮らすことを夢見ているだけなのに」

「キモチワルイな……、おまえ」

 リベルトは数年会っていないフィルミオの妹に盛大に同情した。


「おまえにこの気持ちがわかってたまるかぁぁぁぁぁ」

 フィルミオはくわっと目を見開いて大声で主張した。


 リベルトにも二人の妹がいたが、あいにくと彼の気持ちはさっぱりと分からない。

 一人は夭折し、もう一人は数年前に他国の王子の元へ嫁に行った。

 そう、夭折した妹のような、目を離すと命の炎がふっと消えてしまうような危うげな雰囲気が、彼の王女からは感じられなかった。


 コゼントからやってきた王女アウレリアは、神秘的な青銀髪に透けるような白い肌をした、見事な美少女だった。

 くっきりとした瞳の色は深い青色で、その瞳には星が宿っているかのよう。

 長いまつ毛にすっと通った鼻筋。

 白い肌だが、その頬はほんのりと色づいており、おおよそ病を得た人間とは思えなかった。


 だから、疑問なのだ。

 リベルトの本能が告げている。

 あれは何かを隠している。


 大体、病弱な人間が健康法で水風呂に入るものなのか。

 コゼント王が、娘の遊学に承諾をした際、彼は一つ要望を寄越した。

 それは、大きな浴槽を姫のために用意するということ。


 手紙を受け取ったトレビドーナの担当官たちは一様に首をかしげた。

 しかし、まあ浴槽の一つくらいで済むのなら、と深く考えずに承諾した。

 リベルトは再び窓の外に視線をやった。


 散歩をしていたアーリアは植木の近くに設えられたベンチに腰を落としている。

 木陰の下ということもあり、侍女が日傘を畳んでいた。

 侍女のうちの一人に額の汗を拭いてもらっていたアーリアを、リベルトはそのまま眺めていた。

 と、彼女がふいに視線を上げた。

 目線が合ったような気がしたのは、気のせいだろうか。


◇◇◇ 


「そういえばもうすぐ園遊会なのでしょう。二人とも参加するの?」

 最近人間の姿でいるときはビルヒニアの部屋を頻繁に訪れているアーリアは、この日も彼女の部屋で刺繍をしていた。

 ビルヒニアがコゼントなど、海辺の国に伝わる伝統模様に興味を示したため、図柄を教えているのだ。

「わたしは出ない」

 ビルヒニアは布から顔を上げた。


「え、出ないの?」

 アーリアはびっくりした。こういうのは参加必須だと思っていたからだ。


「わたくしも出ることができないの。……というのもどこかの筋肉男が『男のうじゃうじゃいるところなんかに出るな!』なんて言うのよ。本当……一度爆ぜればいいのに……」

 一緒に刺繍をしていたキラミアが顔に似合わない低い声を出す。


 筋肉男とは彼女の兄のことだろう。

 聞いたところによるとリベルトの側仕えをしている男性らしい。ということはアーリアも何度か顔をあわせたことがある人だ。


「そっかあ。さみしいな、二人とも出ないんだ」

 アーリアは肩を降ろした。

 友達二人が出席しないとなると心細い。

 いくつかのサロンに顔を出しているが、アーリアに対してここまで友好的なのは今のところこの二人だけだ。


 他の年の近い令嬢たちはまだ、どちらかというとアーリアのことを遠巻きに観察している。

 侍女のマリアナ曰く『女の子って、自分より上か下か、はっきり見極めたうえで付き合いを決めますからね』とのことだった。

 難しい処世術は苦手だ。


「あら、わたくしからも何人かのお友達にお手紙を書いておくわ。アーリア様のことをよろしくって」

 キラミアが請け負ってくれてアーリアは微笑んだ。

 頼もしい友人を持てたことが嬉しい。

「ありがとう。嬉しいわ」

「いいのよ。みんなまだ、緊張しているだけなの。アーリア様とってもきれいだし、青い髪も神々しいし」

 キラミアはうっとりとアーリアの頭部をながめる。


「ビルヒニアは、フェラーラ公国の代表なのに出なくてもいいの?」

「人前に出るのは嫌い」


 好き嫌いで免れることができるものなのか。思わずキラミアの方を確認すると彼女も、処置なしといった風に首を小さく振った。どうやら筋金入りの出不精のようだ。

 ここ数日アーリアの人魚返りの間隔は短くなっている。二日前に一日だけ人魚に戻り、昨日人間に戻ったけれど油断はできない。


 園遊会の招待状が来たのは十日ほど前のこと。毎年春先に行う恒例行事だそうで、宮殿でもっとも美しい庭園に薔薇が咲き始めたころ開催される。

 国王夫妻がトレビドーナの貴族や王都グアヴァーレに駐在する各国大使やアーリアのような従属国からの遊学者などを招く会だ。


 当然のことながら二人の王子以下王族らも出席をする。

 アーリアはたとえ人魚になっていても車いすを押してもらって出席しようと意気込んでいた。人質王女なのだからきちんと義務は果たしたい。


「トレビドーナの貴族……とりわけ男は嫌い」

 ビルヒニアは心底忌々しいというような低い声を出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る