7
◇◇◇
手紙の返信はその日中に届けられ、二日後の午後は空いていると記されていた。
アーリアは指定された日に、彼女の住まいを訪れた。先日の昼食会場にほど近い場所のため迷うことなくたどり着くことができた。
「こんにちは。良いお天気ねビルヒニア」
外は良い天気なのだが室内は重いカーテンが窓を覆っており、薄暗い。およそ十七歳の部屋とは思えない、茶色や黒を多用した色遣いの部屋。
ビルヒニアともう一人、茶色の髪をした少女が席に座っていた。
「こんにちは」
そっけない口調はビルヒニアだ。
知的な顔立ちと落ち着いた雰囲気からアーリアの一つ上、十七歳とは思えぬ貫録を身にまとっている。
今日の彼女は紅玉よりも濃い色の赤いドレスを纏っている。黒い髪はそのまま背中に垂らされており、足元には黒い猫が丸まっており、アーリアの方に首を持ち上げて「ナァァアン」と鳴いた。
「ビルヒニア様、わたくしのことも紹介してくださいな」
と、ビルヒニアの隣に座っている少女がねだる。
こちらの少女は桃色のドレスを着ており、きっちりと巻いた髪の毛を頭の上でまとめている。そで飾りのレエスが何枚も重なり、花の妖精さんのように華やかな装いだ。
少しふっくらとした頬には赤みが差し、ぱっちりとした目元が印象的だ。
「彼女はキラミア・エレ・トゥーリオ。この国の宰相の娘でわたしのお得意様。今日はあなたに会いたいと言って同席をした」
「はじめまして。わたくしはキラミアですわ。一度あなたに会ってみたかったの。人魚の末裔って本当なのかしら。とってもきれいな髪の毛をしているって噂になっているのよ。噂と言えば、特別なお塩を使って体を磨いているって本当? 母もわたくしも興味津々なのよ。コゼントから取り寄せることはできるのかしら」
年頃の少女らしく好奇心を隠しもしない、きらきらとした瞳をアーリアに向けてくる。
「ナァァァァ」
ビルヒニアの足元で丸まっていた猫が立ち上がり、アーリアの元にすり寄ってきた。
猫はしっぽを立ててアーリアのドレスにこすりつける。
「猫は嫌い?」
「嫌いというか……初めてみたわ」
半分魚なアーリアとしてはなんとなく、どこか落ち着かない。
「ナァァァ」
猫がごくりとつばを飲み込んだ。
アーリアと目があう。猫が黄金色の瞳を心なしか細める。
アーリアの背中に汗が伝う。
「えっと……」
「あら、ナッさんたらアウレリア様のことをお気に召したのね」
「おいでナッさん」
ビルヒニアの言葉を受けてナッさんと呼ばれた猫は名残惜しそうにアーリアから離れる。
アーリアはほっと息を吐いた。
「こちらへどうぞ」
ビルヒニアに招かれてアーリアは彼女たちと対面する形で椅子に座った。
女官が茶器を用意する。
アーリアはきょろきょろとあたりを見渡した。植物の多い部屋で、木製の棚の上にも陶器の鉢植えがいくつも並んでいる。
床に置かれた鉢の数も多い。どれも緑色の葉っぱを豊かに茂らせているが、花やつぼみを着けているものは少ない。
「ビルヒニア様の占いは少し変わっているのよ。植物占いを得意とされているの。わたくしもよく占ってもらうの。アウレリア様、ねえ、アーリア様って呼んでもよいかしら」
キラミアの問いかけにアーリアは頷いた。彼女はにっこり笑って話を再開させる。
「あなたも今日は占いに興味あってこちらに来たのでしょう? やっぱり恋占いかしら」
「こ、恋占い?」
アーリアは素っ頓狂な声を上げた。
「ええそう。恋占い。あ、それから嫌な殿方を退ける占いとか? わたくしもよくお願いするの」
「えっと、誰か嫌いな人……いえ、その苦手な方がいるの?」
直接表現を避けて婉曲に聞いてみた。
宰相の娘なら意に沿わない男性からのお誘いも多そうだ。
キラミアは可愛らしい顔を不愉快気にゆがめた。
「そうなの……。実はわたくしには敵がいるの。もうっ! ほんとうに最悪な男でね! わたくしに交換日記を強要するし、外出先をしつこく聞いてくるし、挙句の果てにキラミアは一生結婚しなくてもいいんだよ、お兄ちゃんがおまえのことを死ぬまで養ってあげるなんて言い出す始末……。ふふっ……もう、どうしてくれましょうか」
少女らしいふっくらとした健康そうな顔を歪めて低い声を出し始めたキラミア。
アーリアは思わずのけぞった。
なんだか、見てはいけない闇を見た気がする。
しばらく背後から青い炎を出して低い声で笑っていたキラミアは顔を上げて、さきほどまでの可愛らしい笑顔を顔に張り付かせた。
一瞬みせた闇がきれいに消え去っている。
「わたくしにことはともかく。さあさ、せっかくだから占ってもらいませアーリア様」
「え、えっと」
突然の提案にアーリアは戸惑ってビルヒニアとキラミアの顔を交互に見た。
目が合ったビルヒニアは小さく頷いた。
「わたしはかまわないわ。あちらの机に移動しましょう」
あれよあれよという間にアーリアは部屋の隅にある小さな机へと連れてこられた。
白い机の上には植木鉢が六つ置かれている。
「ナッさんはあっちへ行っていなさい」
ちゃっかりアーリアたちに付いてきたナッさんをビルヒニアが追い払う。
ナッさんは踵を返してキラミアの方へと向かった。
キラミアはおとなしくお茶を飲んで待っている。どうやら占いの間は邪魔をしないという暗黙の了解があるようだ。
アーリアは机の上の植物をまじまじと眺めた。
花などは生えておらず葉っぱだけだが、葉の一部が筒状になっていたり、支柱に巻き付いたつるの先に袋状のものが垂れていたりと、なかなかに個性的な種類だ。
「これは?」
アーリアは思わず尋ねた。
「わたしの占いの道具」
ビルヒニアはどこからともなく皿を取り出した。
皿の上には薄い桃色のかけらとそれらをつまむためのピンセットが載っている。
「それでは占っていく。あなた、なにを占ってほしい? 恋愛・金運・健康・交通祈願・一年のおおまかな運勢。いろいろあるけれど」
アーリアは思案気に視線を宙へ向けた。
突然の振りだったため、特に何も思い浮かばない。
恋占いは違う気がする。そもそも相手もいないし、というか誰かと恋仲になって人魚がばれるのも困る。
金運と交通祈願もあんまり関係なさそうだ。
「えっと、じゃあ……一年間の運勢で」
「わかった」
ビルヒニアは頷いて、おもむろにピンセットで皿の上の物をつまんで、植物の上に落とした。
植物は落とされたものをぱたんと葉っぱと葉っぱで押しつぶした。
その他、袋になっている部分にも同じように何かのかけらを落としていくし、筒状の中にも以下同様。机の上の六つの鉢植えの植物の上にビルヒニアはそれぞれ薄桃色のかけらを落としていった。
ビルヒニアは植物をじっと凝視する。
袋状の中には液体が入っているようで、薄桃色のかけらがみるみるうちに解けていくのが影となって見て取れた。
アーリアは驚いてまじまじと眺めていると、「ギィィィィィィィ」という不気味な音が聞こえてきた。
(こ、こわいっ!)
アーリアは思わず椅子を後ろに引いた。
今しがた聞こえてきた音は植物から聞こえてきたからだ。
ビルヒニアはまだ動かない。まじまじと植物らを観察している。
アーリアは顔を引きつらせる。
しかし、ビルヒニアはまだ沈黙したままだ。
アーリアはそろそろ何か話しかけるべきか悩み始めたとき、「わかった」とビルヒニアが話した。
「ええと、何がわかったの?」
「占い。わたしの一番得意な占いは食虫植物占い」
「植……占い?」
「そう。この植物たちは肉食。主に虫を主食とするけれど、肉ならなんでも食べる。だからわたしは生の鶏肉をあげることが多い」
「へ、へえ……」
アーリアは青い顔をして相槌を打った。
もはやどこから突っ込んでいいかわからない。
「それで、あなたのことだけれど。あなた、生まれながらに重い運命を背負っている。それはトレビドーナに人質に来ることではない。もっと、違う、不可抗力の力」
ビルヒニアは淡々と言った。
アーリアは別の意味で顔を青ざめさせた。
(それって海の王の魔法のことよね。わたしの人魚化の。え、うそ。ばれてる? バレちゃったの?)
「これからのあなたに決定的な印は見当たらない。確かに困難が立ちはだかっているけれど、道は示されている。悪いようにはならない」
「悪いようには?」
ビルヒニアはこくりと頷いた。
まっすぐにこちらを見つめる、彼女の緑色の瞳からは何の感情も見えない。ただ、事実を淡々と述べているだけなのだろう。
「ええ。これは一年の運勢だからざっくりとしたことだけ。月別に詳しく知りたいのなら後日改めて占う」
(対象を限定すれば人魚返りがいつ解けるのかもわかるのかしら?)
でも、占いで魔法は解けないなんて結果が出たらそれはへこむ。
「この一年で言えば、悪い運勢ではないということ。運命の出会いがあるって出ている」
「運命! 出会い?」
思いもかけない発言にアーリアは思わず叫んだ。
「まあ! 運命の出会いですって?」
その言葉に飛びついたキラミアがものすごい速さでアーリアたちの座る、部屋の隅へとやってきた。
体全身から好奇心をむき出しにしている。
「ええ。運命の出会い」
「それってアーリア様が運命の男性に出会うってことかしら?」
キラミアはすでに男性と決めつけている。
アーリアはついていけずに目を白黒させる。
「さあ。運命の出会いとはいってもいろいろある。例えばわたしはこの宮殿に来てナッさんに出会った。ナッさんはわたしの使い魔」
ビルヒニアが「ナッさん」と呼ぶとナッさんは「ナアナン」と鳴いてビルヒニアの元へとやってきて、彼女の膝の上に飛び乗った。
「使い魔?」
「そう。彼と契約をした。彼はわたしの手先となる忠実なしもべ」
ビルヒニアはナッさんの頭を撫でる。
彼は気持ちよさそうに瞳を細めた。
「それよりも今は運命の出会いの真相よ。恋の方が絶対に楽しいわ」
「こればかりは出会ってみないとわからない」
「そっか。運命の出会いって言ってもいろいろなものがあるのね」
アーリアは息を吐いた。
いきなり運命の恋人なんて言われたから心臓がどっきどきしたのだ。
異国への遊学だって一大事なのにそのうえ運命の出会いだなんて。
「あ、でも。こういうのもある意味運命の出会いなのではないかしら」
アーリアの言葉にキラミアが可愛らしく首をかしげる。
「わたし、コゼントでは病気がちのせいもあってずっとお城の奥で過ごしていたの。だから、同じ年頃の女の子とお茶するの初めで。とっても嬉しいの」
なんだかとても恥ずかしいことを言っているな、と途中で気づきアーリアの言葉が尻すぼみになる。
「まあ、アーリア様ったら可愛らしいわ。ねえ、ビルヒニア様」
キラミアに問いかけられたビルヒニアは口を小さく開けたまま固まっていた。
キラミアは赤くなるアーリアと、固まるビルヒニアの顔を交互に見て、それからにこにこ微笑んだ。
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