6

 テオドールが合図をすると給仕が前菜を運んできた。

 前菜の皿には正方形の形に切られたオムレツが乗せられている。刻んだ玉ねぎやニンジンに卵液を流し込みじっくり焼き上げたものを冷まして切ったものだ。ほかにはオリーブ油で煮たほうれん草と薄くスライスされた熟成肉。


「セレスティーノ様はいつごろからこちらに滞在しているのですか?」

 前菜を口に運ぶ合間にアーリアは気を取り直してセレスティーノに話しかけた。

「僕に敬語は必要ないよ。僕たち立場は一緒だろう」

 首を傾げられてアーリアは遠慮がちに顎を引く。

「わかったわ」

「うん。そっちのが気が楽でいいなあ。僕は二年前からかな。一応跡取りなんだけど、今後の両国の関係を鑑みてもうあと二年くらいいる予定」

 アーリアは驚いた。

 遊学という名の人質は普通王の子の中でも跡を継がない第二子以降や王女が選ばれることが多い。


「ニンフィア公国はトレビドーナに反抗的だから、あえてセレスティーノを呼び寄せた」

 と、ここで突然ビルヒニアが口を開く。

 しっかりと会話を聞いていたようだ。


「わたしは別にあなたに対して怒っているわけではない。それに、わたしもちょうどあなたに会ってみたかった」

「え、本当?」

 ビルヒニアの友好的な言葉にアーリアの心が弾んだ。


「あ、ごめんなさい」

「わたしにも敬語は不要」

「う、うん」


 前菜の皿が片付いて、そのあと野鳥をじっくりとオーブンで焼いた皿が供される。アーリアに出された皿は足の部位で、香草の香りが食欲をそそる。


「あなたというよりも、あなたの背景。あなたの先祖は人魚って聞いたから」

「ええ。そう言われているわ。コゼントでは有名な話で、絵本にもなっているの」

「知っている」

「アーリア姫の髪はきれいな青銀髪だよね。きみの家族も同じなの?」

 セレスティーノが興味津々といった顔つきで聞いてきた。

 ここ最近、同じ質問ばかりされている。


「わたしが一番青味が強いわ。お兄様はもう少し薄い色なの。お母様は銀色ね。お母様の家系も、人魚の血を引いているって言われているわ」

「なんだかおとぎ話のようだね。姫は本物の人魚に会ったことがあるの?」

 セレスティーノが感嘆する。

「いいえ。昔の伝承では、人魚は時折海の上に姿を現したなんて書いてあるけれど。今はもう伝説になっているわ」

「てことは、今はもう海の上には出てこないの?」

「そうみたい。本当に今でもいるのかどうか。よくわからないわ」


 海の王の魔法が作用してアーリアは人魚返りをする。だから、おそらくまだ王は存在するのだろうが、目撃情報はないと兄から聞いたことがある。

「人魚……いい響きだわ。研究のし甲斐がある」

「け……研究?」

 初めて聞く単語だ。

 アーリアは彼女の言葉を復唱した。


「ビルヒニア、趣味に突っ走るとせっかくできたお友達が逃げちゃうよ。ごめんねえ、アーリア姫。彼女趣味が民間伝承とか、魔法学を研究することなんだ。この間もすぐそこの裏で怪しい文様をスコップで掘っていて怒られたばかりなんだよ」

「魔法学……」

 魔法がおとぎ話になってずいぶんと久しい。昔はたくさんいたという魔法使いや魔女だが、最近その数は随分と少なくなったと聞く。


「わたしは正真正銘の魔女の名を受け継ぐ者」

「だからって宮殿で好き勝手振舞うな」

「……」

 リベルトが会話に加わり、ビルヒニアは沈黙した。


(んもう! せっかくいい空気だったのに)

 アーリアはリベルトのことを睨みつけた。


 彼女の視線にリベルトが気づき、アーリアは慌てて鶏肉を食べることに専念する。

「そうだ! ビルヒニア姫はとてもよく当たる占い師でもあるんだ」

 大きな声を出したのは毎度おなじみテオドールだ。


 せっかくなのでアーリアもその話題に乗っかった。

「あ、もしかしてお客さんって占いを希望される……」

「そう。いい商売なのにそこの王子のせいで今日の稼ぎが台無し」

「もう、駄目だよビルヒニア。宮殿で勝手に商売を始めたら」

 セレスティーノはため息をつく。


 リベルトも何かを言いたそうにしたが、テオドールが身振りで制して、結局彼は口を開くことはしなかった。

「お金がないと物が買えない。餌代がかかるし、欲しいものもたくさんある」

「ペット買っているの?」

「知りたいのなら招待してあげる。そこの男どもを抜きにして。わたしもあなたに聞きたいことがある」

「なあに?」


「人魚の鱗……」

「へっ……?」


「人魚の鱗を売っているところ教えてほしい」

「どどどうして、また」

 アーリアは内心びくつきながら言葉を返す。

 彼女の低い声が少し、いやかなり恐ろしい。


「新鮮な人魚の鱗には不思議な力が宿っているって本で読んだ。興味がある」

「や、やだなあ。ビルヒニアったら。人魚は伝説だってさっき言ったじゃない」

 アーリアはわざと笑い飛ばした。


(剥かれる! 人魚だってバレたら確実に鱗剥がされる!)

 遊学仲間はかなり強烈な個性をもったお姫様だった。


◇◇◇ 


 実質人質という名の遊学生活と言ってもそこまで窮屈というわけでもなくアーリアもある程度の自由が許されていた。

 昼食会の後、数日間人魚の姿になり自室での引きこもり生活を送った。


 テオドールとセレスティーノは見舞いと称して果物や花を贈ってくれた。兄以外の男性から優しくされることなんて初めての経験で感動してしまった。

 対するリベルトは本当に侍医を寄越してきて、こっちはフェドナとマリアナがいつも以上に気合を入れて追い返していた。


 リベルト自らがアーリアの私室へ乗り込んでくるのも時間の問題かもしれない。相変わらずトレビドーナの女官の私室への立ち入りを制限しているため、彼のアーリアへの不信感は日を追うごとに増しているようだ。


「それにしても、遊学生活っていったいなにをすればいいのかしら。コゼントとトレビドーナの友好のためなのでしょう?」

 アーリアは思案気につぶやいた。

「姫様は現状、王太子殿下とあまり友好的とは言えない関係をおつくりになられておりますが」

 手厳しい突っ込みをいれるのはフェドナの役目だ。

 自分でもわかっているアーリアは渋面を作る。


「王太子殿下は男性ですもの。姫様、積極的に男性と仲良くなる必要なんてありません」

 はーい、と片手をぴんと上げて主張するのはマリアナだ。彼女は昔から男性がアーリアに近づくのをよしとしないところがある。


「ビルヒニアやセレスティーノは何をして過ごしているのかしら」

 あの二人はいわば遊学生活における先輩だ。

「セレスティーノ様は将来に向けての帝王学やトレビドーナと歩調を合わせるための政策などをこちらの教師と学ばれているようですわ。ビルヒニア様は、占いサロンのようなものを開かれていらっしゃるとか」

 仕事のできるフェドナは二人の生活ぶりもしっかり把握済みのようだ。アーリアの質問によどみなく答える。


「そういえばそんなことを昼食会で言っていたような」

「ええ。高貴な方はサロンを持つものでしょう。人気のサロンには常に人が絶えないとか。ビルヒニア様は得意にされている占いをサロンで披露しご婦人方の間でも評判だとか」

「なるほど。サロンね。それならコゼントのことも色々と知ってもらえそうね」

 アーリアはがぜんやる気になった。


 それに、実家では人魚返りという特殊体質のせいもありアーリアは城の奥に厳重に隠されていた。王女なのになにもできなかったことが申し訳なくもあったけれど、トレビドーナではアーリアも表に立つことができるかもしれない。


「しかし姫様。サロンを開くとおっしゃられても、前途は多難ですわ。まず姫様は人魚と人間の間を行ったり来たりするのですから」

 フェドナの冷静な指摘にアーリアはみるみるうちに顔を歪めた。せっかくやる気になったのにフェドナの言い分はもっともだが、せっかくやる気になったのに面白くない。


「フェドナはいっつも姫様に言いすぎなんですよ」

「マリアナありがとう」

 アーリアの味方をしてくれたマリアナにアーリアは感謝の念をたんまりと送った。

 二人から抗議の視線を受けたフェドナは降参した。


「ではまず、ビルヒニア様の占いサロンがどんなものなのか見学されてはいかがでしょうか。わたくしがお手紙をお届けしますから」

「わかったわ」

 アーリアは機嫌を直して頷いた。そういえば彼女も招待すると言ってくれた。

 人魚体質がばれるのはまずいが同じ立場のビルヒニアとはもっと仲良くなりたい。


「ではさっそくお手紙を書きましょう」

 アーリアは訪問の約束を取り付けるべく便箋を取り出しいそいそと手紙をしたためた。

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