3

「健康法ですか?」

 テオドールは首をかしげる。

「ああそうだ。水浴び健康法だとかいうもので、旅の間も毎日宿で大量の水を彼女の部屋に運び入れていた」

「それは……なんていうか。古代から伝わる禊のようなものでしょうか。聖女はよく水に浸かって精神統一をすると言いますし」

「聖女? まさか」

 リベルトが吐き捨てた。

 そんな噂はついぞ聞いたこともない。


「宮殿についてからも彼女の侍女たちが大量の水を運んでいた。トレビドーナ側の女官や侍従は頑として姫に寄せ付けようともしないで全部自分たちでやるという」

 リベルトの声がどんどん固くなっていく。

 リベルトとテオドールが遊学中の従属国の貴賓の監督を務めているのだ。

「姫のお加減はいかほどに?」

「さあなあ。うちの侍医を遣わすと言っても侍女に一蹴された」

 リベルトの声がもう一段低くなる。

 テオドールは内心まずいと思った。兄の機嫌が悪くなっている。色々と気を使っての発言をことごとく却下されて腹にため込んでいるのだろう。


「あ、そうだ。せっかくですからビルヒニアやセレスティーノを交えて昼食会でもいかがでしょうか。同じ年頃の女の子とお友達になればお互いにいい刺激になりますし生活に張り合いが生まれますよ」

 テオドールは名案とばかりに明るい声を出した。

 対するリベルトはビルヒニアという名前にぴくりとした。

「そういえばあいつの話も聞いているぞ。俺がいない隙に庭園に怪しげな魔方陣を描こうとしたんだってな」

「うわ、兄上。お耳が早い」

 さっきは彼女の名前を聞き流していたのに、今思い出したようだ。


「テオ、いい加減あのこじらせ王女を甘やかすのはやめろ」

「い、いやあ……ほら。その……彼女も彼女なりに一生懸命暮らしているわけでして」

 控えめな性格をしているテオドールはおろおろと視線をさまよわせた。

 いくら従属国の人間だからと、強く出ることができないのがテオドールなのだ。


「おまえがそんなことでどうする」

 対するリベルトは相手が誰であろうと厳しい態度を取るときは取る人間だ。

 現に今も弟相手に説教のスイッチが入ってしまったようだ。

「えっと、兄上も明日早いでしょうから僕はこれで失礼します。昼食会は僕の方で執り行いますから」

 テオドールは伝えることだけ伝えてそそくさと兄の私室から逃げ出した。

「おい……まだ話は終わってないぞ!」というリベルトの声が後ろから聞こえてきたが、聞こえないふりをする。


 薄暗く静かな回廊を歩きながらテオドールは思案する。

 平素から女性と会話をすることに慣れていなくて、いつも失敗ばかりだけれど仲良くなれればいいなと思う。どちらの立場が上とか下とかそういうことを抜きにして信頼関係を築ければお互いによい方向性に国を持って行けると思うのだ。


 こういうところが甘いと父や兄に一蹴されるけれど、高圧的な態度が苦手なテオドールは甘い考えの方が性に合っている。

 だから自分には国王には向いていないことも十分にわかっているし、その点自分は次男に生まれてよかったと思う。


(それよりも昼食会のことを考えないと)

 新しく来た王女がトレビドーナを好きになってくれるように。



◇◇◇ 


 トレビドーナの宮殿に到着してから数日後。


「やったぁぁ~! 人間に戻ったわ」


 アーリアは両手を空へ向けて、全身で喜びを現した。

「姫様おめでとうございます」

 アーリアの喜びの声に乗ってくれたのはマリアナだ。

「マリアナ。わたし、わたしやったわ」

「はい。姫様、やりましたね」

 アーリアのじんわり実感のこもった視線をしっかり受け止めてくれるマリアナの声は若干芝居かかっている。


「はいはい、姫様。そのくだりはもういいですから。早くお着換えくださいな」

 朝から何度もこの芝居めいたやり取りを聞かされているフェドナは少し冷たい声で二人をあしらう。

「フェドナ冷たい」


「姫様が嬉しいのはよおく存じております。さあさ、ドレスにお着換えください。姫様が対外的に伏せっている間にいくつか招待状をいただいております。まず一番重要かつ大切なのは王妃様の主催するサロンへご挨拶に行くことでしょう」

 フェドナはアーリアにいくつかの招待状を見せた。人魚の血を引くコゼント王家の姫君を一目見ようと茶会に招かれているらしい。その中でも最重要なのは現国王の妃であるクロティエラの主催するサロンだ。


「そうだった」

 アーリアの顔から血の気が引いた。

「さあ、お着替えですよ。とびきり美しくして差し上げます」

 フェドナ以下侍女五人がかりでアーリアは飾り立てられた。


 青銀色の髪の毛に香りづけされたオイルを垂らされて念入りに櫛で梳かれる。何度も丁寧に梳かれた髪の毛は生来よりも輝きを増し、侍女たちは手際よく髪の毛にこてを当て、巻いていく。魔いた髪の毛の半分を後ろで結わえてところどころに白い生花を添えていく。

 ドレスはコゼント伝統の意匠。胸の下に刺繍が施されたリボンを巻き、そこからスカートがふわりとつま先まで覆う。上掛けと下から見えるスカートは濃紫から淡い色へと変化をつけたグラデーションだ。

 出来上がった姿を鏡の前で確認をしてアーリアはくるりと一回りする。


「お美しいですわ、姫様」

 フェドナが満足そうにうなずいた。

「本当、姫様可愛すぎです」「姫様の美しさは世界一ですわ」「トレビドーナの皆さんも姫様の打つ草の前にひれ伏してしまいますわ」フェドナに続いて他の侍女たちも熱心にアーリアを褒めてくれた。


 お世辞だとはわかっていてもアーリアは頬を緩むのを止められなかった。

 女の子は褒めれると嬉しいもの。


「そんなあ。みんな身内びいきよ」

 などと言ってはみるも、やっぱり嬉しい。

 口元がにやけてしまう。


「さあさ、姫様。気の抜けた顔をしていないで出かけますよ」

 最後にこう付け加えるのがフェドナだ。

 彼女はアーリアの侍女だけれど、年かさの家庭教師のように規律や礼儀に厳しい面も持っている。

「はあい」

 アーリアは小さく肩をすくめてサロンへと向かうために外へ出た。


 トレビドーナの宮殿はコゼントのお城に比べるまでもなくとても広大だ。

 数日前に宮殿へと着いたとき、最初の検問所から宮殿入口まで馬車で十分以上はかかった。敷地内にはいくつもの庭園があり、離宮もあるとのことだった。

 女官に先導され、向かったのはクロティエラ王妃と、彼女の女官やトレビドーナ貴族らが集うサロン。

 案内されたのは宮殿の南側の地上階。


 日の光が注ぎ込む明るい室内は淡い色の壁紙が張られ、壁にかけられた絵画も花や田舎の風景など女性の好むもので統一されている。

 サロン手前の控えの間には王妃専属の女官が待ち構えていて、彼女がサロンの扉を開けた。


「王妃様。コゼント王国のアウレリア王女殿下がお越しになられました」

 女官が頭を下げる。


 アーリアも同じように腰を落とし、頭を下げた。視線を下げた中でも、室内に集まった人々の視線がこちらに向けられていることを感じる。

「ご苦労、ガーレイ」

 声は少し硬質で、低かった。

 その声の後、すぐそばで布ずれの音がする。女官が下がったのだ。


「面を上げなさい。アウレリア王女」

 王妃の声の一拍あと、アーリアは顔を上げた。

 一人掛けの椅子に座っているのは金髪に青い瞳をした女性だ。年齢の頃は四十を超えたくらいだろうか、赤井紅をさした唇が印象的だ。


 冷ややかな双眸はリベルトをほうふつとさせた。

 金色の髪は一寸の乱れもなくきっちりとまとめられている。その身にまとうドレスは藍色だが、金糸で刺繍が施されているため地味ではない。腰ひもの代わりに金の鎖が巻かれており、淡い赤や青の宝石が鎖にちりばめられている。


「お初にお目にかかります、クロティエラ王妃様。コゼント王が息女アウレリア・ソラ・ロヴァッティ・コゼントと申します。このたびは貴国への遊学の機会を得ることができ、至極恐悦に存じます。この素晴らしい機会、さまざまなことを学び、両国の友好に役立てたいと存じます」

 アーリアは用意してきた口上を一気に述べた。

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