⑤清水夏蓮パート「みんなでやろう! 合宿!!」
◇キャスト◆
―――――――――――――――――――
「みなさん、よ~ろしっくねーん」
唐突にも柚月から合宿メニューを渡された、夏蓮を始めとする笹二ソフト部員。
マネージャーのきらびやかな笑顔とは裏腹に、あまりの過酷日程に誰もが強張っていた。
「ゆ、柚月ちゃん様……これは、正気なのでしょうか……?」
「当ったり前じゃな~い! これくらいこなしてもらわないと~、お先真っ暗よ~」
「だからって……これ、ですか……」
夏蓮の背は徐々に丸まっていき、両手で握るプリントを思わず睨む。
横文字の箇条書きスケジュールは、まず一日目の練習内容と活動時間が記され、二日目の起床時間まで載っている。合宿は三日間であることから、後日からの練習内容は初日と同じなのだろう。
しかし、正直当たってほしくない予想でもあった。
『量より、質より、両方って……メチャクチャ無茶だよ……』
何よりも下行に太字で書かれた合宿スローガンを見つめ、ついに夏蓮の額が机上に落ちる。誰もが知るドSマネージャーらしい一言だが、ここまで受け入れがたい内容は久方ぶりだ。
「……ねぇ柚月?」
「なによ、梓?」
「このピッチャー特訓って、具体的に何をやるの?」
梓が指差した欄には確かに、注意書で“ピッチャー特訓”の文字が浮かんでいた。他の部員とは別の練習を平行して励むのだろうが、詳しい内容は一切皆無。
「フフフ! それは当日に言うわ。楽しみにしててね~ニコッ!」
「……楽しませる気はないでしょ、絶対」
幾人の男子を射止めてきたモテモテスマイルが放たれたが、やはり梓はため息で呆れていた。
「ちょっとちょっと柚月!! これバレー部どころか、野球部より練習時間多くなってるよ!!」
今度は咲が、怒号と共に立ち上がり抗議する。
ソフトボール部に入る前は女子バレーボール部に所属していた彼女も、部活動の合宿を何度か経験してきた身だ。今回の残酷極まりないスケジュールには、あの赤点娘ですら
「
「そ、それに!! 起きる時間だって五時は早すぎるよ!! 夜中に起きるのは御肌に悪いんだよ!?」
「早朝よ……」
幼い子のように何度も言い返す咲だったが、頭も冴える柚月にはいとも簡単に論破された。いよいよ諦めて着席する頃である。
「せめて五時にしないと……危ないよ~」
「はぁ? 何が危ないのよ?」
「決まってるよ。だって、ちょっと早く起きちゃったら……」
柚月から冷徹な視線を受けた咲は、何やら危険を予想したかのように顔色を悪くしていた。
責任も多い主将も気になって振り向いた次の瞬間、長い付き合いのお転婆娘が両手の甲を垂らす。
「――四時四十四分だよ~。オバケが出るよ~。うらめしや~……」
「え、咲ちゃん……何言って……」
――ガタッ!!
「へ……?」
ふざけているようにしか見えず細目を向けたが、突如起こった物音に言葉尻が被せられた。不思議に思い教室後方を覗いてみると。
「ゆ、唯ちゃん? どうしたの……?」
二度三度瞬きをした夏蓮の瞳に映ったのは、きららと美鈴の二人に挟まれる唯の、何故か起立し固まった姿だった。妙に青ざめた表情だが、よく観察してみると肩も震えている。
「……なぁ、美鈴?」
「は、はいっす? ……ゥワッ!?」
刹那、美鈴の低い両肩がギュッと掴まれ、鬼面の唯によって前後に揺さぶられる。
「お、お前!! まさか知ってて、いつも早く来てオレのこと起こしてたのか!?」
「な、なんのことっすか~!?」
「と、
「ご、誤解っす!! てかオバケなんている訳ないっすから~!!」
「お、オバケオバケって何度も言うな!! 夜中眠れなくなんだろォォ!!」
「唯、落ち着くにゃあよ? それにミスズンは一回しかオバケって言ってないにゃあ」
「お前もだァァ!!」
長い黒髪と共に荒れ狂いだした唯。きららも眉をハの字にして落ち着かせていたが、どうも過る疑問が
『あれ? もしかして、唯ちゃん……』
中学生当時から知る唯は、校内では問題児扱いされてきた一人だ。誰も引き付けない恐ろしいオーラを放ち、よく校内の上級生や他校の不良グループと
しかし、今やその面影がどこにも見当たらなかった。
「……オバケ……お、オバケ……」
「菫ちゃん……?」
未だ騒がしい唯の一方で、夏蓮に再び怯える一声が聞こえた。視点を変えた窓際席では、やはり身震いを顕した菫が、隣席の凛に横目を向けられている。
「四時四十四分……四十四分……」
「菫も落ち着いてって?」
「ヒッ! な、なに!? り、凛どうかしたの? アハハー!」
「どうかしたのは菫の方でしょ……」
「あ、あたし!? い、嫌だなぁ~。あたしはもう怖くないって~! 卒業卒業! 卒業したんだもん! ハッハッハァ~!」
「……」
不自然に繰り返される、明らかな苦笑いだ。頭を掻いて
『もしや、菫ちゃんも……?』
「ニッヒヒ~……ねぇねぇ菫~?」
「ん? なにメイ?」
「うらめしや~……」
「ギャァァァァァァ゛ッハッハッハ~……」
白目剥き出しのメイに、菫はついに限界が訪れ、正面から撃たれたように倒れていく。凛によって背後からキャッチされたものの、気絶状態以外何物でもない。
「菫……大丈夫?」
「フへッ……フへへ……凛? 今日からは、四時四十五分に起きようね……へへへ……あと、トイレ行きたくなったら、あたしもいっしょに行くから、遠慮なく言ってね~……へへへ……」
「はぁ~……」
安らかな顔を見せて目を閉じた、七人大家族の長女。その目前でメイが無邪気に笑いながら、仕返しの意図を表す。
「どうデスカ~菫!! これはさっきワタクシの前でヘラヘラしていた罰デスカラネ~!!」
「ちょっと!」
「ん? 凛なんデスカ?」
真剣な表情に変えた凛に顔を向けられたメイは、まだ笑い顔をしていたが徐々に収まっていく。
「なんでこんなことするの!? 菫は小さいときから虫とオバケが苦手なのに!」
「自業自得デス!! ワタクシが注意してたのにヘラヘラしてた菫が悪いノデス!! ちゃんと反省しない人はダメナノデス!!」
「あなただっていつもヘラヘラしてるじゃない! 夜中のトイレ、菫はやっと一人で行けるようになってたのに!」
「そんなの知りマセンヨ!! オバケが苦手なら、尚更やった甲斐がありマシタ!! これで
「なんでそういう考え方しかできないの!? 夜中のトイレだけじゃなくて、また菫が一人で鏡の前に立てなくなるじゃない!」
菫を挟む小さな一年生二人組の言い合いが続くが、未だに唯も荒々しく暴走に浸っていた。部員誰もが簡単に察することができる、恥ずかしい弱点を
『――二人は、オバケが大ッ嫌いなんだ……』
「ほーら、静まりなさーい」
脱線から取り戻すべく、呆れ顔の柚月が手拍子で抑止する。しかし、唯は相変わらずの歯軋り。また菫は倒れたままで、凛とメイが白頬を膨らませて睨み合っていた。静まったとはいえ、解決には至っていない。
「……んで話を戻すけど、合宿中のスケジュールは変えるつもりないわ。寝坊した人には、
「でも~……」
一向に着地点が見当たらない様子の咲は起立のままで、スケジュール表を見つめながら呟いた。不満というよりかは心配に等しい。
果たして、地獄の三日間を乗り越えられるのか。チームをまとめる主将さえ俯きかけると。
「……そんなの、当たり前でしょ。だって、そうでもしなきゃ……」
苦々しいトーンを漏らした柚月に、夏蓮だけでなく全部員の注意が向く。揉め合い組たちも心が起きると、顧問の信次にも見守られながら、マネージャーの鋭き目付きが返される。
「
真剣な質問を繰り返したドSマネージャー。決してふざけた態度が垣間見えず、一人一人に瞳が向かっていた。
柚月の言葉には一寸たりとも間違えを感じられなった。量も質も問われる点は、新生チームとして至極当前な姿勢である。
ところが、選手側から受け入れる返事は鳴らなかった。
『正直、怖いな……冗談無しに、みんなが……いや
日程を見れば見るほど、眉間に皺が寄ってしまう。提案者の柚月も本気であることはわかるが、夏蓮は喉を指示できなかった。頼りない自分を含め、まだまだ入りたての未経験者こそ多い部だというのに。
『いくらなんでも、ちょっとやり過ぎなんじゃ……』
心配が不安を呼び、不安が迷走を覚まし、やがて仲間への批難が芽生えそうに至る。
静観とした一室には、嫌な沈黙が漂い続け、持ち上がっていたはずの肩も沈みかけようとした。
そんな矢先だった。
――「心の不安は、熱心な汗で
場に温度を呼び覚ますように破ったのは、ミーティング中一言も話していなかった信次の
落ち込んだ柚月の横姿を一目向けると、ニッと笑んだ童顔スマイルで立ち上がる。
「不安なのは、ボクも同じさ。顧問として、みんなに付いていけるかってね……ボクだって、ろくにルールも知らないド素人だから」
窓から射し込む夕陽を背景とした信次には、部員たちの視線が集まる。まだ受け入れ切れぬ下目遣いの状態で。
「辛く厳しいとわかってるから、誰だって不安になる……でも、もう少しだけ目線を上げてみると、どうかな?」
すると窓の外に視点を移し、夏蓮たちも広い笹二グランドを見つめた。橙の時刻でも
「遠い景色が見えてくるよね? あんなにも、キラキラしてる世界が……」
新生部が他部の勇姿に見とれる中、顧問は変わらず穏和に
「そんな世界が待ってると思うと、不思議なことに、不安は少しずつ解消されてくんだ……完全とは言えないけど、人は
練習を行うことは、
「なりたい未来が、それぞれにあるから……」
しかし、どの選手からも見てとれるものは、決して諦めない熱気的姿勢だった。
内野守備範囲内の凡打とわかっても、急遽オフェンスからディフェンスに切り換えても、ギリギリを狙うダウンザラインを攻められても、コーナー付近で身体がぶれても、止めずに精一杯走り込んでいる。
「さっき牛島も言ってたじゃないか? 筑海や磐湊戸のような選手になれると思うと、とても楽しみだって」
「ま、まぁ……」
「だったら!」
唯のか細い返事がなった刹那、信次が改めて笹二ソフト部員たちと対面する。祈りの夕陽と似合う、少年らしいハニカミを
「――
「努力をし続ける……信念」
ボソッと呟いた主将に、信次は誇らしく頷いた。いよいよ教壇へと向かい、教卓に両腕で身を支える。
「この合宿で一番大切なものは、みんなで努力しようとする気持ち……意識の高め合いだと、ボクは思う!」
能力面以前に心の重要性を
「どんなにたくさんの練習をやったって、その本人にヤル気や熱意が無ければ、それはただの
先ほどの観戦では、夏蓮たちと同年代――現在高校二年生の選手が出場し、その誰もが貢献していた。当時は一年生のはずが、歳上の先輩にしか見えなかったことさえ本音である。別次元にいるのではないかと錯覚させるほどで、そう簡単には追い付けないライバルだ。
「だからこそ、今のみんなに……ボクを含めて、必要なのは……」
十人の選手と一人のマネージャーに注目される、スポーツに
「――しっかりとした、心の土台を作らなきゃいけないと思うんだ! 辛くても辞めない、苦しくても諦めない……そんな強く
信次の言葉が響き、一時の静寂に包まれた。しかし、それは先ほどの嫌悪的な空気ではなく、発火前の静けさである。心から伝わり目にも映る、青春の炎が。
「……どう? 先生もこう言ってるわ。悪いようにはしない……騙されたと思って、みんなでやってみない?」
まずは発案者の柚月が、僅かに頬を上げて囁くと。
「フン! あったり前でしょ! これぐらい乗り越えなきゃ、プロは
夢追い人たる副主将の叶恵が、強気な面構えで先陣を切れば。
「……だな。今回ばかりは、田村の言う通りだ。オレだって、やるからには上手くなりてぇし。ガチに行きてぇしな」
「唯先輩がそうなら、うちもミートゥーっす!」
「大好きな信次くんのためなら、きららもガンバってあげるにゃあ!!」
結果的に信次を苦笑いにさせたが、攻撃的三人組の唯と美鈴、またきららも
「あたしたちだって、先輩たちに置いていかれないようにしなきゃね!」
「菫、生き返ったんだね」
「Sure!! 菫の言う通り、ワタクシたちだって憧れのplayerを目指しマスヨ~!!」
「さっきは菫の敵だったのに……ウフフ!」
間に疑心の呟きが割り込むも、優秀な一年生三人組の菫と凛にメイも頷くと。
「うぉ~燃えてきた!! 何なら明日にでも合宿やろうよ!!」
「明日はまだ平日だから」
「あ、そっか!! エヘヘ~失敬失敬!!」
「咲ってば……」
輝く笑顔の向こう見ずな失言でため息が起きたが、幼き日々からの親友である咲と梓まで親指を立てた。
九人の合宿了承には、柚月に信次も表情を
「さぁ! キャプテンは、どうする?」
代表した信次の合図で、夏蓮は最後に部員たちの的になった。だが、強張るような緊張感は起こらず、温度に触れた心地好さが芽生える。
『そんなの、決まってるよ……』
そっと立ち上がり、“量より、質より、両方”のスローガンを再確認する。加えてプリント全体にも目を通し、無茶ぶりと称せられる合宿スケジュールに向かって微笑む。
『柚月ちゃんが、
かの有名な残虐ドS女王様が作成したとはいえ、嫌がらせでまとめた日程とは窺えなくなった。今日までたった一人で、相当な時間を割いていたに違いない。元天才経験者で培った経験を踏まえて、実に頼もしく親友でもある、一人のマネージャーとして。
『――そんな柚月ちゃんの努力にも、
ついにプリントから目を離すと、夏蓮は部員たちに向かうように振り返る。当初に襲っていた不安の念を置き去りにして、声に勢いを足す。
「みんなでやろう! 合宿!!」
――「「「「オオオオ~~~~!!」」」」――
幼さ際立つ白歯を見せて告げると、今度は選手側から受け入れる返事が拡声した。
全ての顔色が曇天から快晴へ移ろい、今週末から始まるゴールデンウィーク内の三日間合宿が決定されたのだ。
『
意見の一致に時間もさることながら、新生笹浦二高女子ソフトボール部の試合後ミーティングが終わろうとしていた。やはり主将らしくきっちり幕を閉じようと眉を立てたのだが。
「それじゃこれで今日の活動しゅ……」
「……あ、夏蓮言い忘れてたんだけどさー」
満面の笑みを咲かせた柚月に言葉尻を被せられ、思わず傾げてしまった。自分自身もつい忘却していた、悲惨な未来を今知らされようとは。
「さっきー、みんなには今後注意してガンバってほしいこと伝えたじゃなーい?」
「……あ、うん。咲ちゃんだったら捕手の練習とか、梓ちゃんだったらコントロールとか……ッ!! ま、まさか、
「さっすが夏蓮ちゅわ~ん!! ホントにイイ
「す、全て……オール、ですか……?」
折角の良い雰囲気で締めくくろうとしたのも束の間、最後になって評価が飛んできた。練習試合では守備も打撃も良いところが無かっただけに、笑顔の鬼マネの前で背中が小さくなっていく。
「そーそー全て全てー! 夏蓮ちゃんにはー、今まで以上に努力してもらうからねー」
「い、今まで以上とは……?」
「そうねー! 例えば、今日から素振りを一日二百回とかー」
「手、手がぁ、手がぁ……」
「例えば、体力つけるために一日五キロの走り込みとかー」
「足が取れちゃう……」
「例えば、人一倍ノック受けたりー。例えば、人一倍バント練習取り組んだりー。例えば、人一倍走塁練習で盗塁も加えてみたりー。例えば……」
「ア、ハ……アハハ……アハハハッハー!」
そのとき、少女は壊れた。
不気味な笑いを続ける夏蓮は、ふらふらと
「アハ、アハハー!」
「か、夏蓮……大丈夫……?」
「アハハ……願わくは、天国に逝きたいにゃあ……」
「きららの真似してる……南無阿弥陀仏」
梓によって元の席に運ばれた夏蓮だが、ぐったりと気絶したままだ。こうしてまた幽体離脱者が増えると。
「それから先生もよ!」
「え゛……ボクも?」
「もちろんよー!」
――ドサッ!
矛先は顧問にまで及んでしまう。目を丸く型どった信次の机上には、突如柚月が持ち出した本のタワーが設立された。各一冊は雑誌よりも部厚く、中には辞書にも劣らない物まで含まれている。数にしてみると軽く十冊は越しそうだ。
「……あの、これは?」
「ソフトボールのルールブックと教本よー。先生は監督でありながらルール知らなすぎだから、宇都木監督見習って覚えてねー!」
「だからって、この量を……まぁ、来年までには……」
「ちなみにー、それホンの一部に過ぎないから。来週また何冊か持ってくるわねん!」
「ぶ、ブラックだぁ……」
夏蓮に引続き信次も錯乱した末、
最後にも二人の犠牲者が出てしまった、恐ろしき笹二ミーティング。結局締めくくる者は主将ではなく、はたまた顧問でもなく、誰よりも
「ということで! 明日から練習、そしてゴールデンウィークからの合宿、みんな気を引き締めていきましょうね!」
男子を瞬殺し女子を暗殺する、研ぎ澄まされたドSウィンクで幕を閉じた。
―――――――――――――――――――
メイ「信次くんセンセイ😄
久々の
信次「うん❗ また今年もよろしくね😁」
次回
十七球目
◇美鈴、グローブを買う◆
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