2-12 マツリの回想5

ーーー

魔法少女の契約試験を不合格となった人間は魔法に関する記憶を消され日常へ戻される。

雪の降る寒い夜に保護していたカラスはどこかへ行ってしまった。茉理に残る記憶はただそれだけだった。

「不思議な気分。」


そしてまた、茉理には灰色の日々が戻ってきた。

しかし、その翌日・・・。


学習塾で行われた全国模試の返却があった日。

茉理の手には結果が握られていた。

判定は、合格圏内に遠く及ばない、【E】


「・・・。」


この判定、中学受験をする上で茉理の学力が低いわけではない。今回、茉理が受けたのは大学入試の試験だったのだ。

本命はこの大学“科学技術女子大の付属中学”を受験するがそちらは既に充分な合格判定を得ている。


帰国子女という英語の優位性、ズバ抜けた学力を誇る理科を武器に受験を試みようとしているのだが、国語、社会、数学を含めて全部となるとハードルが一気に上がる。

事実、英語と理科はほぼ満点。

数学は合格のボーダーライン。

だが、国語と社会は知識に頼る部分が大きく、今の茉理では歯が立たなかった。


母子家庭に比べ、父子家庭への支援はさほど大きくない。

母が亡くなって数年、慣れない家事をこなし、生活のために懸命に働く父の姿は茉理にとって誇りであり、重しであった。

十字架を背負った父。

早く大学を出て仕事に就きお父さんを支えたい。

その思いが茉理の信念に火を付けていた。


母の命を救えなかった理科は万能ではない。だが、自身の資質を認識していた茉理は、最大限“理科を利用してやる!”その思いを心に固く秘めて試験に臨んだ。



しかし、現実は無情である。

下された判定にこうべを垂れ、帰路についていた。


逢う魔が時に邪が通る。


茉理は横断歩道の信号機が青色になったことを確認してから渡り始めたつもりだが・・・。

真ん中の辺りでトラックのけたたましいクラクションが鳴り、自分に向かって猛スピードで突っ込んで来るのが見えた。

スローモーションになる視界、色を失っていく世界に直面し、

「あっけないモンだなぁ。」

茉理は自身の“事故死”を悟る。


しかしその時、“風が吹いた。”

冬の寒空に似つかわしくない、熱気を帯びた南国の風。風速二十メートル。台風レベルのその風はランドセルの中身を盛大にぶちまけて背中を押し、茉理自身を転倒させる。

風に押されたことで体ひとつ分、トラックの車幅から外れる。


そして、ブレーキ音。

キイィイイイッ!!


それにようやく世界が追いつき、色と時間が正常に動き始めた。


自分に起こったのは紛れも無い交通事故である。あの風がなければ即死だっただろう。そのことを実感すると肩の震えが止まらなかった。

『私なんか生きていても何の価値もない。』

口でそうは言っても実際に死に直面すると価値観は変わる。

・・・ゴクリ。

息を飲むことでなんとか震えを止める。


「お嬢ちゃん大丈夫?」

「!?」


向かいにいた幾人かの歩行者たちに囲まれ視界を遮られる格好となった茉理は、スカートの裾を正し、立ち上がって風上の辺りを見渡す。


風に姿、形などない。

では、あの風は第六感?

そんなバカなという考えが頭をよぎるが、何者かが意図的に風を発生させたのなら、と思ったのである。


「怪我とかしてないかい?

えっと・・・。警察、いや救急車が先か。」

慌てふためくトラックのドライバーを尻目に

茉理は走り出した。


「あ、おい。ちょっと!!」


朧げに見える“何か”の残滓(ざんし)を辿るように薄暗い裏路地へ一歩、足を踏み入れると、そこにいたのは・・・

「あーら、お嬢ちゃん。

こんなところに一人で何の用?」

こんな場所では少し違和感があるスーツ姿の女性だった。

年齢は40代後半といったところだろう。

薄暗い夕方で、ビルに挟まれた路地という条件が視覚情報をシルエットだけにしていた。


「お、おばさんこそ、何をしているんですか?」

「私?私はこの街の・・・公務員よ。獣害対策の一環でね、そのカラスを駆除しようとしているの。」

「か、カラス?」


!?


射し込んだ光がおばさんの足元を照らす。そこには捕らえられた一匹のカラスの姿があった。

トラックの事故現場から感じていた第六感のような“何か”はこのカラスから発せられている。

「その子に何をするんですか?!」

「何って、獣害駆除よ。

都会のゴミを荒らして、衛生状態を悪くするカラスだもの。」

一見すると言動に筋は通っているが、市の職員がスーツ姿で路地裏のカラス一匹をわざわざ駆除することなど違和感だらけだ。

「か、カァア・・・。」

茉理は、このカラスが交通事故から自分を救い、また、自分の持つ“何か”の助けを必要としていることも理解出来た。しかし、この女性に対する明確な否定の言葉が見つからない茉理は納得出来ないまま黙ってしまう。


「貴女、このカラスの飼い主なのかしら?」

「・・・そ、そうです。」

「見え透いた嘘はおやめなさいな。」

捕獲され、カゴに捕らえられてしまうカラス。その時になってようやく市の職員だというこの女性の顔の部分が見えた。素顔ではない。いや、別に女性の化粧が厚く覆われていたという意味ではない。顔の部分を見ることが出来ても表情は読み取れなかったのだ。

「!?」

なぜなら、女性は顔を仮面で隠していたのだから。


「ま、マツリ・・・たすけ」

「!?」

カラスが喋ったことで、茉理の脳裏に“何か”が蘇る。それはこれまで感じていた理科と言う名の魔法のチカラ。

自分の中にチカラを感じたのとほぼ同時に、

「ヤタガラス!!」

声に出していた。


「あーら、そういうこと?

飼い主というのはあながち嘘じゃないということなのね。」

「その子を放してください。」

「・・・それは飼い主だから?」

「違います。」

現実世界で召喚獣は宿主となる契約者無しには生きられない。ヤタガラスが弱っているのはエネルギー不足のせいである。

そんな状態でありながらチカラを使い、自分を救ってくれたことそのことに対し、

「その子は私の命の恩人(?)です。」

そう表現した。


「ははーん。さっきのチカラは貴女を救うためだったということね。話が繋がったわ。」

そしてチカラを使ったことで位置が特定され、今度はヤタガラスがピンチになった。


「しかし、貴女、契約に失敗してるみたいじゃない。

記憶を消されたチカラを持たない者がどうしてここに来れたのかしらね。」


ヤタガラスの特殊能力“導きの風”

これはけして強いチカラではないが、特定の脳波を放ち、秘められた能力、人体のリミッターを解除する働きがある。

ヤタガラスが吉兆をもたらす鳥であるとする所以である。

(ただし、このチカラは脳を持つ生物に限定される。つまり、範囲が及ぶのは動物から昆虫まで。植物や無機物には効かない。)


「どうしてヤタガラスを捕まえるんですか?」

質問は先ほどと同じだが、獣害対策でカラスを駆除するのと、ヤタガラスを駆除するのとでは意味がまるで違う。

仮面の女性も今更、市の職務などと方便を言う素ぶりは見せなかった。

「どうして?

この世界の人間にはね。古来から異形のモノを排除する、狩るという習慣があるの。

英雄たちの伝説はみな、そう。」

モンスターの討伐。歴史、神話の一般論である。

「あなたもそうだと言うの?」

「私?

別に私は英雄でもハンターでもないわ。」

「?」

ロジックが噛み合わない。

話のややこしさに茉理が怪訝な顔になった。

異形のモノを狩るのではないのなら、最初のどうしてという疑問に戻ることになる。


「駆除をする理由はね、私のことを付け回していたからよ。正当防衛。

言ってみればストーカー退治ね。」

「あなたは理科のチカラを利用する過程に問題があります。

私は契約の自主解除を促しに来たのです。」

首根っこを掴まれた状態のヤタガラスが反論をする。

しかし、そこまで言うと女性はチカラを強めてヤタガラスを地面に押し付けた。


「私には理科を操る資質がある!

理科嫌いで問題があるのはそっちの子の方でしょう?魔法契約に失敗しているんだから。」

「か、カァァア。」

何かしら反論の意味を込めてヤタガラスが口を開くが、それはうまく声にならなかった。

拘束されて自由を奪われていることに加え、ヤタガラスの体力が尽きかけている証拠だ。


「理科とか魔法とか、いい加減にしてください!

おばさんに特別な事情があろうとなかろうと、ヤタガラスを傷つけて良い理由にはならないはずです。」

精一杯の大声は路地裏のビル壁で反響した。

「・・・。」

重苦しい沈黙ののち、女性が仮面越しに茉理のことをまじまじと観察する。

「そう・・・。そういうこと。」

「?」

「貴女、理科嫌いなのに、なかなかの資質を持っているのね。」

茉理にはその言葉の意味が理解出来なかった。

不明点が一から十まで説明されることなど現実世界においては稀である。だから茉理の理解など置いてけぼりにして物語は進む。


「ヤタガラス。見逃してあげるわ。」

女性はヤタガラスを解放して、こう続けた。

「私は賢者、パンディット。

お嬢ちゃん。貴女にひとつアドバイスをしてあげましょう。」


解放されたヤタガラスを抱きかかえ、

「・・・何をですか?」

警戒しながらそう言った。

「世界には理科が満ちている。先人の賢者たちが解明してきた万物の法則。幻想や夢物語などではなく今そこにある現実としてね。

理科を嫌うのなら、夢ではなく勉学の道、賢者を選択しなさい。」

賢者の資質。知識と探求、創造力のロジックのもとに成り立つ理科の真髄。

賢者には魔法少女のような任務と言う名の義務は存在しない。だが、チカラの行使には学力と研鑽を必要とする。


女性が茉理に対して言った資質の意味は、単なる魔法使いとしての契約上の【素質(そしつ)】の話だけではないようにも取れるが、この時の茉理にそれを詮索している余裕などなかった。


「ソイツ(ヤタガラス)を救うには貴女が契約者になる他にないわよ。おそらくね。」

夕陽がビルの隙間に差し込み、茉理の視界を逆光線で遮る。眩しさを手で覆い隠し、再びその場に目を向けると、女性の姿は消えていた。

「・・・。」


あのとき・・・

横断歩道の信号機の色が青になったのを確認して渡り始めた。そこへ信号無視をしたトラックが茉理の方へ一直線に向かってくる。

被害に遭ったのは茉理だけ。

そんな偶然、あるわけない。


茉理は赤信号で飛び込んだのだ。


理不尽な世界、上手くいかない現実に、小さな身体は押しつぶされて、白線を超えてしまった。

あの時の風は、陽の光に満たされた温度と柔らかさ、そして、

『その選択肢は選んじゃいけない!』

言葉を運んで来たのである。


「ありがとう。ヤタガラス。

私、この命、大切にします。」


こうして茉理はヤタガラスと魔法契約をした。

賢者、グレイベアードとして。

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