1章

1-1 物語の起点

鋼(ハガネ)。

自然に存在している鉄には多くの炭素が含まれていて、その強度はとても脆い。その欠点を製鉄により補ったもの。

それは鉄鉱石から直接取り出しただけの脆い鉄から炭素の成分だけを除去した合成金属。単純な硬さとは違う、粘り気を備えている。

鋼は刃物に使われる金属という意味の「刃金」が語源となっている。



大学にクラスメイトというものは基本的にないが、履修科目によってそれに近い編成が生まれる。

特に理科の実験ともなれば、ある程度のグループで実施するのでクラスメイトと班が定められた高校生活の延長のような感じになる。

班員五名が分担し、圧力を加えるハンマーや測定器を取り付ける。どれぐらいの圧力、衝撃、温度変化があったのか、破断までの値を測定し結果を記録する。

今日の実験演習はこの鋼の強度試験なのである。ただ、丹念に錬成された鋼の耐久性は非常に高いものだった。


予定している授業の時間を大幅にオーバーし、材料化学の実験を終えたのは、日照時間の最も長い6月の太陽が傾く頃になっていた。

帰宅の準備をしながら、私は班員たちと少し雑談をする。


「ねぇ、橘さん。噂の天才少女、見た?」

「天才少女?いや、見たかどうかというよりも、そんな話、初耳だけど。」

大学内での友達付き合いが悪いわけではないが、入学して直後に魔法少女となった私は、こういう一般生活の情報を得る機会が少なくなった。魔法使いとしての活動に時間を割いているためだろう。

「なんでも、特例で飛び級してきたらしいよ。」

「特例って、どういう子なの?」

「理科の成績が際立って高い、帰国子女の中学生。

専門はバイオ関連らしいけど、薬品の研究も視野にあるみたいで化学分野も受講してるんだって。」

「帰国子女の天才少女か・・・。」

しかも中学生。少子化だっていうのに世の中、凄い子が増えたなぁ。

「もっとも、飛び級は理科だけで、他教科は付属校で受けてるんだけどね。」

「えっ?!理科だけ飛び級とかって出来るの?」

「いや、だから、特例なんだってば。」

「あぁなるほど。」

飛び級で入学したのが特例なんじゃなくて、“理科だけ”を大学で受け入れたのが特例なんだ。確かにそれはなかなか新しい形と言える。

もしかするとそれなら、英語を学ばなくても良い環境が作れるのではないだろうか。

うーむ、これはじっくり考える必要が・・・。



「それじゃあ、皆、お疲れー。」

「橘さん、また明日。」

同じ実験をしていた班のメンバーに挨拶をして帰路に着いた。一般的な家庭の夕飯の時刻は遠に過ぎている。そういうわけで、化学の実験棟を一歩出た瞬間、グゥ〜〜という重低音が私の腹太鼓から響き渡った。昼食から今の時間までロクに休憩もなしで実験を行っていたので、私のお腹はペコペコ状態である。


ちなみに数学や理科などの論理的思考は脳内でブドウ糖を消費する。(脳でエネルギーを消費するのは理数系だけではないが、論理的な思考は他の状態に比べ、脳細胞がより活発に活動するとされています。)

つまり、

スイーツ大好きな女子はというのは本来、理数系に有利な存在なのである。そう考えると確かに、私は別にダイエットというものを意識したことはない。それに、成長が止まってからは体重の増減があまりない。

筋肉をつけないで痩せる究極の方法はまさにコレなんじゃないだろうか?


「よし。食べて帰ろう。」

私は本日の夕飯を外食と決め、目的の場所に向かって歩き出した。


この大学は私の属している化学棟のほかにも物理、生物、地学と単元によって棟が分けられている。

単元棟のほかにも、全体の運営をする中央棟があり、そこには併設される食堂がある。

【都会村学生食堂】

都会村とは、過疎の村を強引に作り変えたことで生まれたこの街、理科学実験学園都市を揶揄した俗称である。

もちろん、妬みや嫌みから名付けられたものなのだが、この街の住人は良くも悪くも空気が読めない。都会村という名称をひどく気に入り、街の愛称としてしまっているのだ。ここはそんな愛称の名を冠した大学内の食堂。


この食堂は主に学生と職員向けであるが、大学の水産試験場、農業試験場と提携しており、一般開放をすることで味の評価実験などを行っている。何をするにも実験。この街らしい。

そんな都会村学生食堂のメニューの中に“マグロの兜焼き定食”なるものが存在する。

さっきのブドウ糖と類似する話だが、マグロの身、特に頭の部分には、DHA(ドコサホコサエン酸)という必須脂肪酸が多く含まれており、記憶力の向上、脳細胞の活性化にその効果があると研究されている。そういう成分を私の脳細胞が欲した・・・というわけじゃないけど、入学以来、私はその味にすっかり魅了されてしまっていた。

まったく、料理は魔法だわ。

「今夜はキハダかなー。」

「また、マグロ?」

カバンの中で寝ていた化け猫がムクッと起きてきて、猫の仕草で瞼をこすりながらそう言った。

「いいでしょ、別に。」

「僕はサーモンの方が好きなんだけどな〜。」

「へぇ〜。じゃあケットシーにはもう頰肉のところ分けてやんない。」

その言葉にケットシーが耳をピンと立て、完全に眠気を吹き飛ばした。

「あ、いや。僕はマグロも大好きです!」


食堂に入るなり、私はカウンターに腰掛けて、

「おじさん。マグロのカブト焼き一丁!!」

まず、注文。

カブト焼きは時間がかかるため、最初に注文するのがセオリーである。皆さんも注意されたし。


テーブル席、座敷には内輪の宴会をしている数組の客がいるが、カウンター席にはスーツ姿の男性客が一名いるだけだった。

カウンターはそれほど広くはないので、男性客から目一杯距離を取っても二メートルに満たない位置になるのだが、男性は後ろ姿で顔は見えない。私がそんなことを考えていると、

「兜焼きとはなかなか勇ましいな。」

隣の席の男性客がこちらを向いた。その人物は、

「きょ、教授?!」

任務である監視の対象者。魔法使いとしての記憶を失っているはずの人物。この物語の原因を作った犯人。仮面の賢者、ワイズマン、その正体であった人物、“教授”であった。

「橘君。一回生がこんな夜遅くまでとは、熱心だな。」

「あ、いや。普段はもうちょっと早いんですけど、今日は材料化学の実験が長引いてしまって・・・。」

私がそう答えると教授はほんの一瞬だけ考えたそぶりを見せ、こう答えた。

「あぁなるほど。金属疲労の実験かな。」

「よく分かりましたね。」

まるで、用意していたかのような回答である。

「あの実験は毎年、新入生がハマるのだよ。年々、物質の性能が向上して疲労しにくくなっているから。」

実験の課題は金属を疲労させて破壊することだけど、もちろんそれは耐久性の向上を目的としている。学生の実験結果をフィードバックしてまた新たな物質を作るのだと言う。

ちなみに私が試験をしたのは日本刀に使用される強靭な玉鋼だった。


「鋼は、成分や化学式で考えれば単なる鉄だ。

だがね、錬成や精製によってその性質は大きく違う。」

「それって同素体・・・。鉛筆の芯とダイヤモンドが化学式としてはどちらも同じ炭素である。みたいな感じでしょうか?」

「うーむ、そうだな。私の言いたいことは、同位体や同素体とは少し違う。

君の専門分野、化学でいうなら・・・

希硫酸と濃硫酸に近いのではないかな。」

「!?」

「どうかしたかね?」

「い、いえ。奥が深いですね。」

正直なところ、動揺が隠せていない。私の化学魔法、マジカル濃硫酸は賢者になってから威力が落ち、希硫酸になってしまったという経緯があるためだ。

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