第12話【現代】芝浜(後編)
『ちょっとっ! 遊希! 早く起きなさいっ! 今日こそ面接に行ってもらうわよ!』
「花梨が酒の臭いのする部屋でぐっすり眠っている遊希の布団をひっぺがします」
『うるせぇな……。昨日呑み過ぎたんだから昼まで寝かせてくれよ……。てか、面接ってなんだよ。最低でも三百万は入るんだから、一年、いや、二年は働かなくても暮らしていけるさ』
『……なに? 三百万って』
『は? お前こそ何言ってんだよ。昨日拾ったカードだよ。オークションに出品しただろ。入札あるかな?』
『そんなの知らないわよ。夢でもみたんでしょ』
『夢なわけあるか。……はあっ!? ねぇ!出品したのに消されてやがる!』
『ほら、夢じゃない』
『夢じゃねぇって! 昨日拾っただろ。……ここでもない、こんなとこに置くわけないし……どこだ!おいっ!どこにしまった!?』
『だからなにを?』
『カードだって言ってんだろ!ほら、“ブルーアイズ・ティガレックス”だよ。昨日見せたろ!』
『見てないって!昨日は何があったのか知らないけど、お酒呑み過ぎよ!』
『…………じゃあ、なんだ? 酒を呑んだのは現実で、カードを拾ったのは夢だってか?』
『そうなんじゃない? 瓶が転がってるし』
『……まじかよぉ……そんなわけねぇ……』
「遊希はまだ信じられない、といった表情で顔を両手でおさえます」
まだ、梓がざめざめと泣く仕草はうまいとはいえないが、十分、噺をひきつけるだけの演技ではあった。
『やべぇ! そんなことより、カードがなかったら再来週に払う家賃がやばい!光熱費はバイトでもいけるが、昨日の酒代使いすぎた!』
『……はぁ、しょうがないわね。今回だけは私がだしてあげるわよ。その代わり、絶対面接行くのよ? 今日は会社を休んで、知り合いの社長さんにあんたの面接してもらうようにお願いしてくるから』
『わ、わかった。恩にきる……』
「覚悟を決めざるを得ない状況に追い込まれた遊希は、そう答えるしかありませんでした。
花梨の薦めた会社は、遊希にとって畑違いではあったが、逆に仕事と趣味を割り切って働くことができたため、意外と辞めたいと思わなかった。
そして、遊希が就職して三年後の夜……」
『お疲れさまでしたー』
『あ、遊希くん、ちょっとだけいいかな?』
『え? あ、はい』
「仕事終わりで帰ろうとした遊希に、社長が個室に呼びました」
『どうかな? 仕事のほうは? 面白い?』
『え? そうですね。面白いというか、なんといいますか。慣れてはきましたけど』
『君は正直だね。でも、続けられそうでよかったよ』
『すいません。花梨にこの会社を紹介してもらえなかったらどうなっていたか』
『彼女は大事にするべきだよ。とても君のことを心配していたからね。彼女から君を雇う条件を出さなかったら僕は雇うつもりはなかったからね』
『……? そうですか……?(条件? どういうことだろう?)』
『少し口がすべったかな。まあ、とりあえず、君にはまだ会社にいてもらうつもりだから頑張ってくれということだ』
『は、はい。頑張ります』
「遊希には社長がなにを言ってるのかさっぱりだったが、とりあえず頭を下げて部屋をでます。
家に帰ると、当たり前のように花梨がいて、食事のしたくをしていました」
『おかえりー、今日、社長からなにか言われた?』
『いや、なんで知ってんだよ?お前はエスパーか?』
『え? えーっと……そう。なんとなくそんな予感がしたのよ。虫のしらせってやつ?』
『虫のしらせって、お前、あれは悪い予感のことだろう?』
『そうだっけ? それで、なんて言われたの?』
『別に、頑張ってくれってだけだよ』
『そう! よかった。おめでとう!』
『んだよ! なんで喜んでんだよ。気持ち悪いな』
『気持ち悪いはないでしょう。それより、さっさと着替えてきなよ。ご飯できてるから』
『ああ、わかったよ』
ぶっきらぼうに、梓が答えると、深久と頭をさげる。
「部屋に戻り、着替えると、花梨がテーブルの下で土下座をしていました」
『ちょっ! お前なにしてんだよ!』
『ごめんなさいっ! あれは夢じゃなかったの!』
「謝りながら、花梨は遊希が拾ったカードを遊希の前に置きます。遊希も、それを見るなり、はっと思い出したようにあっけにとられた顔をしました」
『……それはっ!』
『三年前、遊希が拾ったカードをあなたが寝ている間に私は持ち出して、社長に渡しました。あなたを就職させることを条件にして』
『…………』
『最初、社長は百万円を払うつもりだったんだけど、お金の代わりに三年間遊希を雇うことを条件で渡したの。三年たって会社が遊希を必要としないなら解雇できるって約束で。だって、現金にしたら、遊希はまた働かなくなっちゃう。そりゃ、創作するなとは言わないし、作家になる夢はいいけど、人生は短いんだから、そんな長い時間なにもしない期間があったら、一度落ちたら再起できないこの日本では……』
『もういい。いや、よく騙してくれた。確かに、あの時現金が入ってくると思っただけで酒を買ってきた俺の眼の前に五百万なんて大金があったら、きっとすぐに使い果たすだけじゃなく、金銭感覚も麻痺して借金もしてたかもしれない。お前が熱心に背中を押してくれたから今の俺がいるんだ。礼を言うのはこっちのほうだ。ありがとう』
『遊希……。うっ、うっ……』
『ほら、せっかく作ってくれた料理が冷めてしまう。食べようぜ』
『う、うん。あ、このカードはね。社長が貴方の働きをみて、これは貴方が持っていた方がいいって、くれたんだよ』
『……いや、いい。このカードは社長に返してくれ』
『え? なんで?』
「これを持っていると、また、カードを売って漫画家になるという夢を見ちゃうかもしれない」
梓が頭をさげると、笑い声と拍手が送られた。
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