つれづれなるままに

NEO

だらだらと考え事

隣の芝は青いとよく言う

隣はいつもうらやましく見えるもの

隣も苦労しているのは分かっている

でも、隣はやはりうらやましい


不労働収入年額八十万円弱を、うらやましいと思う人はいるだろうか?

ただそれだけなら、あるいはいるかもしれない

しかし、その対価として障害者となること、そして、それしか収入がないとなったら……はたしてどうだろうか。青く見えるだろうか?

すくなくとも、うらやむ人はいないだろう

そんな枯れ芝の真ん中に立つと、まだ青い芝にいた頃が想起されるもの

ダサかったけど、いまよりはよかった。そんな念に駆られる

これこそ、まさに隣の芝は青いのかもしれない

同じ自分なのに、隔世の感がある。まるで別人のようだ


断っておくが、私は元々出来る人間ではない

社会人ドロップアウトスレスレを渡り歩いていたようなヤツだった

典型的な平凡未満のダメリーマンだった

おせじにも高給取りとは言えないが、それでもこうなる前は働けていたのだ

つくづく、人間とは失わないと分からないものだと、気が付かせられる


働けない怖さというものは、単に収入がないという事だけはない

社会からつまはじきにされて、隔絶されたような恐怖

もうお前の居場所はないと言われているような、妙な感覚に陥るのである

精神科医が社会復帰を第一に考えるのは、きっとこのためだろうと邪推する

生活基盤の自立した安定。なんだか、宇宙より遠く聞こえる


隣の芝理論ではないが、実はここに掲載している作品中のキャラクター

これにすら、うらやましいと思うことがある

自分で考え動かしているつもりが、勝手にキャラが走り始め、色々やるのである

それを見ていると、いいなぁ元気でとか思ってしまうことも、しばしばあるのだ

ときどき、病気かもしれないと思う。いや、病気だが……。


それにしても、良くない状態の時は、良くない事ばかり考える

結果、良くない事が起きるわけだが、幸い、今のところは深爪したくらいだ

猫と戯れている場合ではないのだが、かといってどうしていいか分からない

どうしていいか分からないと、誰も手を差し伸べてはくれない

当たり前だ。自分の道筋くらい自分で決めないと、支えてくれる人などいない

自分で何でも出来るという自惚れは捨てたが、甘えるなという気持ちはまだある


過去は過去、今は今だ。やれることを、一歩づつ進むのみ

しかし、やはり余所の芝は青い

かつて、一度は自分の通った場所なら、なおさらのことである

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