004 残り七十五時間③




 噴水広場。

 トトの発言の真偽を確かめるべく、ローブ姿の二人は果物屋付近で積み上がった木箱に身を潜めていた。


「なぜトトまで変装を?」


 首に包帯を巻き、何とか忌々しい余命計測器を隠しているセラルフィが、目深にフードを被るトトにそう訊いた。

 セラルフィは被っているフードに埴輪はにわを模した小さな人形を縫い付けられたいた。どうやらセラルフィの喉元に浮かぶ魔力のエネルギーを、シルヴァリーに気付かれなくするためのものらしい。奇天烈な格好でむしろ周りの視線を集めそうだが。

 トトは単にフードを被って素顔を見せないようにしているだけだった。


「僕はシルヴァリーが大嫌いでね。あいつ、町の住人から金品もろもろぶんどってるんだ。偉そうに衛兵なんか引き連れちゃってさ。これじゃあ誰が治安を守るんだって話だよ」


 嫌な奴だということだけは理解できた。

 セラルフィが対峙した男と良い勝負かもしれないと思った。とりあえずは同一人物であることを祈るばかりである。


「来たよ」


 視線は右に向いているが、男の姿が見えるわけではない。なぜ分かるのか問いかけようとしたところで、人の列があからさまに列を割った。


「――!」


 現れたその男は、セラルフィの目を見開かせるのに十分な要素をはらんでいた。肩まである銀髪にマント付きの紳士服。片眼鏡をかけた、セラルフィたちより背の高い男。完全に一致する容姿。セラルフィはその姿をとらえた瞬間、胸の内に湧き上がる灼熱のような感情で斬りかかりそうになった。


「しっ」


 トトその暴挙を止める。少女の前に出て、ゆっくりと後退を促す。そのまま果物の屋台に身をひそめた。


「国王様」


 側近二人を引き連れていた彼は、一人の護衛兵に耳打ちをされている。何度か首肯を繰り返していると、不意に目の前に小さな女の子――リラが飛び出した。

 単に、カゴから果物を零しただけだったのに。

 単に、お遣いから帰路へ着く途中のことだっただけなのに。

 単に、零したそれを拾いに出ただけなのに。

 紳士服の男は、


「ッ――」


 冷たい瞳に見下ろされている少女は、人込みから自分の名を叫ぶ声で痛みに騒ぐことを阻止された。

 群衆から飛び出す二人の男女。少女の両親であることはすぐにわかった。足を退けたシルヴァリーと手から血のにじむ少女の間に割って入った母は、守るように娘の体を抱き締め、父は青ざめた表情でシルヴァリーの前に膝をつく。

 最初に口から出たのは国王の人間性を責め立てるものではなく、恐怖の色に染まりきった「申し訳ありません」のただ一言だった。


「貴様ら、薄汚い手で国王様に触れたな」

「娘はただ果物を拾おうとしただけです。決して国王様に無礼を働くつもりでは」


 兵団用に統一された高価そうな剣を引き抜き、国王の側近は父の額に切っ先を向けた。そこから波紋のようにして、現場からざわめきが広がる。が、国王の前だからという理由なのか、その波は数秒待たずして静まった。


「どけ。みっともない」


 今にも首を落とさんとする兵士の肩に手を置き、国王が前に出る。


「立てるか」


 シルヴァリーの気遣うような声。父が安堵の息を吐き、二つ返事に立ち上がろうとした時だった。

 革靴が父の後頭部を捉え、鈍い音とともに大地に額を叩きつけた。

 リラの悲痛な叫び。


 何が起こったかわからない父親。額から伝う血に、自分が何をされたのか、どういう状況にあるのかを思い知らされた。


「あー。また靴が汚れてしまいましたね。これは誰の血ですか? あなたのですか? どうしてくれるのですか? あなたのような庶民に弁償できる金など無いでしょう?」


 感情の感じ取れない罵声を挟みながらも、それでいてはっきりとした悪意を、その丸まった背中へ何度も蹴落とす。ガムの貼り付いた靴を擦り落とすように、何度も。何度も。

 傍観する住人は、時が止まったようにその光景を眺めている。誰もこの状況を止める気配がない。それ以前に止める意思がないように。


「なぜ皆黙ってみてるの」

「言っただろう。近づかない方がいいって。こんなの、よそ者の僕らがわざわざ見に来るような場所じゃないんだ」


 きっと、自分なら――シルヴァリーに心臓を奪われる前の自分なら、一瞬で奴らを焼き払えるだろう。リラを巻き込むことなく、的確に、確実に。今の自分にそれだけの力は無い。まわりの人間と同じ、無力だ。


「私を助けてくれたじゃない! それなのに、なんで何もしないの?」

「中途半端は逆効果なんだ! あの兵士に止められたらどうなる? 無駄にシルヴァリーの機嫌を損ねるだけだよ。下手したらもっと酷くなるかもしれない。早く終わらせたほうが良いんだ」


 トトも止めようとはしなかった。まわりの無表情な人間よりも、ずっと苛立ちが顔に貼り付いているのに。

 掌に爪が食い込むほど、首飾りを握りしめているのに。すぐにでも飛び出して殴りかかりそうに唇を噛んでいるのに。血を流すほどに、我慢しているのに。

 なんで。


「ただ止めるだけが難しくてたまるか」


 気づくと引き返していた。逃げるためじゃなく。止めるために。

 店番のいない果物屋の屋台から乱暴に一つのリンゴを取り上げる。

 あわてて制止するトトの声を振り払い、前へ。人混みの中心では、シルヴァリーが高々と構える長剣。切っ先はうずくまる父親の首に。構っている暇などない。大きく踏み込んだまま腕を振り抜いた。同時に魔法陣が浮かび上がる。

 途端――果実が加速した。赤い残像を引き、音速へ。狙いは正確に、国王へと。


「死になさい」


 長剣の力が真下に向いた瞬間。国王の横で何かが弾けた。間違いなくセラルフィの投げたリンゴである。が、誰が止めたでもなく、そのリンゴは不可視の力で砕けた。

 破片が頬に付着し、べっとりと落ちる。足元には、

 やがて一つが消滅する。

 一連の出来事を眺めている市民は、それでも無表情で、まるで夢でも見ているように呆けている。唯一トトだけは、セラルフィの行動に焦燥していた。

 地に伏せていた父親は、眼前まで迫っていた長剣に脂汗が止まらない様子。


「出てきなさい……そこの金髪」


 見つかった。

 ローブを被っていたのに、自分だと分かっているかのような言い方。どころか、目があった。住人が国王とセラルフィの前から列を割る。

 この状況では、人混みに隠れようもない。

 父親の死刑を止めたセラルフィと、その娘の視線が重なった。不思議なものを見るような目だった。トトが自分の大槌のネックレスを握りしめる。そのままセラルフィの手を取り走り出した。


「何やってんのさ、あんなの死罪どころじゃ済まないよ!?」

「あんなのを黙って見過ごせって言うんですか!? 死罪上等ですよあの腐れ外道!」

「あーあーもう! ホントに……まいったなあ」


 追跡を振り払うように路地を曲がり、走り抜けながらトトは困ったような顔をする。しかし、どこか可笑しそうにこらえていた。


「でも、なんだかスッキリしたよ」

「――?」


 自分までも危険な状況に巻き込まれたのに、トトは嬉しそうに笑っていた。


「それより、君が探していた人はシルヴァリー国王だったのかい?」

「確証はありませんが、間違いないです。あれほど嫌いになれる人は彼しかいません」

「そう。じゃあ今は逃げようか。衛兵にこの事が出回るのは時間の問題だし。まだ走り回るけど、大丈夫?」

「愚問です」


 少年少女は暗がりの中を遁走した。


     ****


 一方。一家から興味が失せたように、シルヴァリーは長剣を放り投げてその場を後にした。

 近くの衛兵に指示を出す。

 無論、トトとセラルフィを捕らえるように。


「マヨイビト――やっと目覚めましたか」



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