まほろばの男
* * * * *
戦は呆気なく負けた。仲間の半数以上が死んだ。父は殺され、私は血に汚れた格好のまま相手の軍勢の中に投げ出された。隣にいる叔父は舌を噛み切ってでも自害すると騒いだが、相手はそれを許さず、叔父の口を塞いでしまった。
今から、相手方の大将、つまりまほろばから遣われた者から話があるという。
生き残った者たちは私の後ろで項垂れていた。荒い息遣いは聞こえるが、話し声はなかった。絶望が背中側から襲ってくる感覚だけが明らかだった。
唸り続ける叔父の隣で、私はムラに残る人々を想った。ユキはどうしているだろう。父を失ったと知らない母は、これを知ったらどれだけ嘆くことか。巫女として私に戦を否定した沙耶は。
これから、我々はどうなっていくのか。
「──古の森の民よ」
疲労と血の匂いと微睡んだ思考のせいで、人の気配に気づいていなかった。縛られたままの身体を起こして可能な限り顔をあげると、白い顔の男が一段上からこちらを見下ろしていた。年は死んだ父と変わらない。ただ、身に纏う衣は見たことのないものだった。顔はふくふくと太り、歯は黒かった。
「おお、まるで獣のようだのう」
私の顔を見るなり、相手は面白そうに言った。男の割には高い声だ。隣から本物の獣のような唸り声が聞こえて驚いて見てみると叔父が牙をむいて相手を睨みつけていた。
「やれやれ、負けたということがまだ分からぬのか」
相手はどっぷりと座り、首を傾げる。これから何をされるのかと私の身体は反射的に身構えた。
「父上、そのように蔑むことはなりませぬよ」
今度は若い男の声がした。白い男のせいで気づかなかったが、その背後にほっそりとした青年がいた。にっこりと微笑み、細めた目で私を見ている。目の前の男を父と呼んだのなら、息子なのだろう。だとしたら驚くほどに似ていない親子だ。
「この者たちは己を犠牲にして自らのムラを守らんとしたのです。その心意気は敬意に値するかと」
優雅な振る舞いと上品な声で息子に窘められた父は、気に入らぬ様子で我々を見下ろしたが、やがて居住まいを正して口を開いた。
「お前たちは我ら、大王が率いる軍勢に負けた。これ以降、尊い身分におわす大王のために作物を貢ぐのだ」
何故戦いに至ったか。その理由がこれだ。顔も知らぬ大王に服従せよと。
「……無理だ。あなた方に治めていたら、我らは飢え死にする」
私の掠れた声に、相手は眉を上げた。
「ならばあの広大な森を開き、田畑を作れば良いだけのことではないか」
背後にいた仲間たちが大きくどよめいた。なんということを、この男は簡単に言うのか。
「そのようなことは出来かねる。あれはカミの森だ」
間髪入れずに私は反論した。
「カミの森だと?笑わせる。目に見えもせぬ存在を信じて何になる」
「父上、」
男を止めたのはまたもや息子だった。
「この者たちのムラを囲む森には、いくつか不思議な噂がございます。我々が潰してきた他のムラや森とはまた違った、特別な、尊いものだとか」
「やれるものならやってみるが良い!!」
隣から怒鳴り声がしたと思ったら、口を塞いでいた布を噛み切った叔父が叫んでいた。
「我らの森は、まことカミの治める森だ!お前たちのようなカミを信じぬ輩に我らの森が虐げられるはずがない!」
遠くで雷の音がした。
「必ずお前共に祟りが落ちるぞ!」
叔父の声は雷よりも大きく轟き、我らを見下ろす彼らを怯ませた。
彼らは我らをつれてムラへやってきた。
敗北を知ったムラに残っていた皆はまほろばの者たちに怯え、夫の死を知らされた母は泣き崩れた。彼らは私の屋敷にあがり、私たちの反対を聞かず、直ちに森の視察を自らの配下の者たちに命じた。やがて、見たこともない鎧を身にまとった男たちが森へ入っていったが、その夜に雨風が吹き荒れ、数日たっても誰一人帰って来なかった。ムラの人々やまほろばの兵たちは口々に祟りだと噂した。
「カミというのはどこでも厄介なものだ」
白い顔の男は私を前にして告げた。隣にはまたあの息子が澄ました顏で座っている。父親とは対照的に何を考えているかわからない男ではあるが、こちらの肩を持つような発言を時折する不思議な存在であった。何を考えているのか。
「開墾できないのであれば、家を壊して田畑を作るほかあるまい」
太った父親は言った。
「何を……!」
反論した私を男は笑う。息子は穏やかな笑みを浮かべたままだ。
「出来ぬか」
「住む場所を失ったらどこで雨風を防げというのです」
「森に助けてもらえばよいだろう。森にはカミがおるのだろう?そなたたちが昔から奉っているという尊い存在が」
無理だ。我々のカミはそういう存在ではない。
「出来るわけがない!!」
勢い余って叫ぶと、男は楽しむように口角をあげた。
「ならば」
今度は、何を言い出す気だ。
「そなたの妹であればどうだ」
は、と思わず声を漏らした。叔父も目を見開いている。私の後ろにいる母やユキも、背後で話を聞いているムラの皆、大婆も同じ顔をしているに違いない。
「そなたの妹、随分と見目麗しいと聞く」
私の妹はただ一人。森の巫女として社につく、沙耶。
「どういう、意味です」
「他のムラと森とは違った繋がりをその娘は持つと言う。特別な、巫女となるべく生まれてきたような尊い娘。そう話では聞いているが、これは真か」
男は息子の方をちらと見やりながら私に尋ねる。沙耶の存在をこの男の耳に入れたのは息子か。当の息子は変わらず穏やかな笑みを浮かべている。
「森の巫女と言うではないか。地を少しも分け与えてくれぬ森から、娘一人くらいこちらに貰い受けても構わぬであろう」
今回の話し合いの目的はこちらだったのだとここで察する。
「決して許されることではない!妹は、あの森の巫女。あの社からは出られぬ身。カミのもとに嫁いだ娘だ」
精一杯の返答だった。だが、古のカミへの信仰を忘れた彼らにこの言葉がどれだけの意味を持つか、果たして分かるのか。
「倅も随分と興味を持っているようでな」
こちらの言い分など耳に入っていないかのように話を進めていく。この男の息子に、森に捧げた妹を嫁がせろと、相手は言っているのだ。
「そなたの妹を私の倅の傍女とし、ムラの若者らを他の場所での田畑の開墾に派遣するというのであれば、税の件は見逃してやらなくもない」
決して人に嫁ぐことがない妹を差し出せば、若者を別の地に派遣すれば、税は一部免除されると。妹を森に匿い続ければ、我らは飢え死にする。それでは、選択肢などあってないものではないか。
「許さぬ!」
唐突に叫んだのは後ろに控えて話を傍聴していた大巫女だった。
「沙耶は巫女!カミの妻となった身ぞ!他の男の手で穢されることなど決してあってはならぬ!それも妾など!!」
彼女は大きく一歩を踏み出し、まほろばから来た親子を指さした。
「巫女を森から奪うと言うことは、恵みを与えてくれていたそれらからの言葉を絶つことと同じ!」
森が大きく風に揺れる音を聞いた。
「帰れ!帰れ!罰当たりな!」
大巫女は、その一件から誰とも沙耶を会わせず、攫われてはならぬと沙耶が社から出ることを禁じた。
まほろばの支配下となって数か月が過ぎ、身籠っていたユキは女の赤ん坊を出産した。
瞬く間に更に半年が過ぎ、まほろばの要求には届かず、税のために作物を必要以上毟り取られる始末となった。そうして貧困に苦しむムラの者たちを見るほどに、産んだ子に飲ませる乳が出ないユキと生まれた小さな我が子を見るほどに、沙耶が嫁いだというカミの存在の意味が分からなくなっていった。
これは私だけではなかった。ムラからも、どうにか沙耶を差し出すことはできないかと言い出す者が出てきた。
我らが崇めても、森が我々を助けてくれることはない。我々が今まで守ってきたものは何であるのか。こんなにも非情なものなのか。ならばない方がいいのではないか。大巫女以外の誰もが貧困のために、カミの存在、今までの恩恵、そして崇拝の念を忘れていった。
戦の敗北から一年が過ぎた頃、これでは皆が飢え死にをする、と口々に言い合っている時、ついに大巫女が死んだ。ムラで絶大なる権力を持っていた社の大巫女が死に、後ろ盾を失った沙耶の巫女としての任を解くことに反対する者などどこにもいなくなった。誰も、反対など出来なかったのだ。
沙耶一人がまほろばの男の妾にさえなれば、ムラは救われる。貧困に苦しむことはない。子供たちがそのひもじさに泣くことはなくなるのだから。
死んだ父の跡を継いだ私に残された選択肢は、ひとつしかなかった。兄としての妹への想いは、ムラの人々の苦しむ姿を見続けたムラの首長としての感情に押し潰され、やがて息をしなくなった。
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