暴言カレンダーNG集④ 殺村さんとプールデート(後編)

 一時間ほど子供に弄ばれたのち。殺村さんは自宅から持って来させたという、パラソル付きのビーチチェアに寝そべっている。我々だけこんなの使っていていいのだろうか。

「お疲れ様です。申し訳ありません。こんな所に連れ出してしまって」

 殺村さんは寝っ転がったままこっちを睨み付けた。

「なんで私をココに連れて来ようと思ったんですの?」

「それは……。僕の好きな場所だからです」

 無言のままこちらを見つめている。

「子供の頃、よく父と母と妹と四人で来ていたんです。当時からあまり裕福でなかったのでおでかけといえばここでした。父が死んでからは、母の仕事が忙しくなって殆ど来てなかったので久しぶりです」

 殺村さんはすっと目をそらし、空を見上げた。

「そんなに」彼女らしくない小さな声を出した。「そんなに大切な場所なら。『こんな所』なんて言わずに堂々としてればいいじゃない」

「そ、そうですけど。殺村さんには合わないかなあと」

「それは私が決めることだわ。勝手に決めないで下さい」

 殺村さんは息をすーっと吸い込んだ。

「私はココ嫌いじゃないですわ。路地裏みたいな酸っぱい臭いするし、水質はドブ、或いは沼レベルですけど。体動かすのも子供と遊ぶのも好きですから」

 少し和らいだ表情でこちらに顔を向ける。

「それに。こうクソ暑いとプールぐらいしか外出する気になりませんわ。あなたがもし涼もとれないようなところに行きたいとかヌかしたら、パイルドライバーで頭蓋骨を粉砕しようと思ってましたの」

「ただでさえ少ない脳味噌が流出しなくてよかったです」

 などと下らない冗談を言うと、口元に手をあててプッっと笑ってくれた。

「ただ女の子らのエロいのには閉口しましたわ。最近の子ってみんなああなのかしら」

「ウチの妹もあんな感じです。エロすぎて気が休まりません」

「ど、どんな感じにエロいんですの?」

「えっとそれは……」

 僕は妹の数々の性的な発言や、おびただしい痴態について愚痴をこぼした。意外にも興味津々に耳を傾けてくれた。まずます話が弾んだ。と言っていいかもしれない。

「ちょっと喉が渇きましたわね」

「ああ。じゃあ買ってきます」

 すっくとイスから立ち上がった。

「悪いですわ。払います」

「大丈夫です。飲み物も十円ですから」

 十円で飲み放題。もうタダでよくね? と子供ながらに思ったものだ。

 飲み放題なのをいいことに、アイスコーヒー、ウーロン茶、コーラ、オレンジジュースの紙コップを持ってプールサイドに帰った。

 すると。殺村さんはチェアの上でスウスウと寝息をついていた。いつもの険のある表情とはまるで違う安らかな寝顔だ。

(なんたる可愛らしい。顔立ち自体は『美人』というよりは『可愛い』系なのかも)

 しばらく立ちんぼうでその顔を見つめてしまった。

 もちろん起こしたりはしない。チェアの傍らにそっとアイスコーヒーを置いた。

(さて。彼女らにも差し入れをするか)

 反対側のプールサイド。千代美先輩は大の字になって寝ている。春日さんは体育座りでプールを見つめていた。まだ起きているようだ。グルーっとプールの周りを歩き二人の所に移動した。

(アレ? さっきまで)

 ほんのちょっと前まで起きていた春日さんが寝てしまっていた。

(ちょっと話でもしたかったんだけどな)

 先ほどと同じ体育座りの体勢のまま、ヒザに顔を埋めている。よくこの体勢で眠れるものだ。体が痛くならないか心配だ。

(――それにしても)

 アタマにニット帽を被って口にはマスク、体は水着というのはなんだかいやらしく感じてしまう。ピンク色のヒラヒラがついた可愛らしいセパレートの水着。これはこれで大変よろしい。ただ。少々胸を盛りすぎなきらいはある。

(準備っていうのは『パッド』のことだったのか。そんなに気にしなくたっていいのに)

 黒いビキニ姿の千代美先輩を見たまえ。確かに貧乳にせよ、ほっそりとしていて色白美肌で決してみっともなくなどない。

(イビキかいて大の字で寝ているのは少々いかがなものかと思うけどね)

 甘党の春日さんにはオレンジジュース、駄菓子好きの千代美先輩にはコーラを置いて、殺村さんの所に戻った。


 夕陽がプールの水面をオレンジ色に染める。町田市民プールにしてはロマンチックな光景である。

「殺村さん! 殺村さん!」

 しゃがんだ体勢でビーチチェアをガタガタと揺らす。殺村さんはハッと飛び起きるように目を覚ました。

「ん……なにしてるんですの? そんな所にしゃがみ込んで」

「起こそうかと思いまして。イスを揺らしていたんです」

「肩でも叩いて起こしてください。海賊船で猛嵐に揺られる夢をみましたわ」

「体に触れるのはまずいかと」

「そこまで潔癖症じゃないですって」

 と言いながら僕の手を取って肩に触れさせた。少々ドキっとした。

「も、もうすぐ閉館時間だそうです」

 プールに残っているのはもう数人だけ。千代美先輩と春日さんもいつのまにかいなくなっていた。

「では帰りましょうか」殺村さんは大きく伸びをしながら立ち上がった。

「ねえ。お腹が空きましたわ」

「なにか食べますか?」

「そうね。あなたがいつも食べているものが食べてみたいですわ」

 うっすらと微笑みながら僕の目を覗きこんだ。

 これは想定していなかった。少々参ってしまう。


「店の雰囲気自体は嫌いじゃないですわ。でも――」

 カウンターが五席に、ゆったりとした座敷席が四席。こじんまりとした落ち着いた雰囲気の店ではある。

「いったいなにを出す店なんです? もしかして。うんこですの?」

 殺村さんが鼻をつまみながら言った。濡れた髪をポニーテールに纏めているため、いつもよりは少々幼い印象である。

「う、うんことは少し違います!」

『臭野屋』。地元町田産牛の基本的には捨てる部分である『クサハラミ』のみを使用した牛丼屋だ。徹底して煮込み、アクを取らないと食べられない部位を調理するため、店内の臭いが大変なことになっている。材料費がタダに等しいため一杯一五〇円と、他の牛丼屋に比べても格安である。

「味は本当に美味しいんですけどね。店替えますか?」

「いいえ! ここまでの鼻レイプに耐えたのですから、こうなれば意地でも食べてやりますわ!」

 机をガンと叩いた。

「まずかったらアナタの鼻の骨をぐにゃぐにゃにさせて頂きますわ。宜しいですね?」

「も、もちろんです」

「お待たせ致しました。臭牛丼大盛二つで御座います」

 鼻に洗濯バサミをした女性の店員さんが、牛丼をテーブルに置いて帰っていった。

「て、店員さん綺麗で上品な方でしたわね。和服が似合って。適材適所って言葉を知らないのかしら」

「確かに……。まあそれはともかく。食べてみてください」

 彼女は意を決して箸を口に運んだ。一口食べるや否や両手で口を抑える。

「さ、殺村さん! どうしました!」

「な、なんですのコレは! 私をかんっぜんにバカにしてますわ! こんなもん! こんなもん!」

 再び机をブッ叩いた。

「美味しすぎますわー!」

(やれやれよかった)

 殺村さんは無我夢中で食べ進め、三杯ほどおかわりをした。

「はあ。あの舌を優しく包む絶妙なトロみ。いつまでも口に入れていたくなる深淵なるウマミとコク。こんなものがあったなんて!」

 頬杖をついて目をトロンとさせている。

「美味しいですよね。ウチは外食と言えばココでした」

「なんでもっと早く連れてきませんの! 高校一年の入学式に即連れて来ればよかったじゃないの!」

 めちゃくちゃをおっしゃっている。

「申し訳御座いません。なかなか殺村さんには近寄りがたくて」

「よく言われますけど。失礼だわ。人をバケモノみたいに。私は口が悪いだけでそんなに恐ろしい人間ではありません」ちょっと口を尖らせながらこぼした。

「それは分かってはいたんですが」

「へっ? どういうことですの?」

「いえ。ウチの死んだ父がプロレスラーでしてね。仕事柄か元々なのか分からないですが、それはもう口が悪かったんです。殺村さんと同じかそれ以上ぐらい」

 ジッと僕の目を見つめる。

「でも。そんな父の暴言が大好きでした。ちょっとアレな言い方なんですけど愛があると申しますか」

 大好きだった父のことを思い出し、少しだけ涙腺が緩んだ。

「殺村さんの暴言も同じだと思っています。だから殺村さんの暴言が大好きです」

「……だったら。もっと早く話しかけなさいよ」

 戸惑った顔で僕から目を逸らした。

「殺村さんはものすごくオーラがあるし、あんまりおキレイなのでド凡人の僕にはなかなか……」

 バカね。などと言って笑顔を見せてくれた。

「暴言が大好きか。ホント。変な人ね」

「ええ。大好きで大好きで。いつもオカズにしてるぐらいです!」

「――オカズ!?」

「ええ。先輩の暴言を反芻するだけでご飯何杯でもイケます!」

「――!」

 先輩は立ち上がった。

「このド変態! 変態! 変態! 変態!」

 喉元への強烈な平手打ち。これはエンペラー・ヌカミソの奥さん『ハイブリエステス・オミソ』得意の体技『ノドボトケ・クラッシャー』だ。エンペラーの浮気が発覚したときに繰り出される殺人技である。

「ゲッホ! 殺村さん違うんです! 僕は純粋にごはんを食べるだけなんです!」

 性的なイミではないということを説明したら許してくれた。それでも若干怪訝な顔をしてはいたが。


 あっという間にもう九時。キレイに月が出ていた。

 殺村さんを相模大野の自宅まで送り届ける。

「結構だと言ってますのに」「いえ。殺村さんの場合誘拐殺人犯に狙われないともかぎりませんので」「あなた殺人犯に勝てますの?」「い、命を投げ出せばなんとか引き分けには」「拳銃を持っていても?」「頑張ってよけます」「よけたら私にタマ当たるじゃないの」「そしたらわざと喰らって胃液で溶かします」

 などと実にくだらない話をしている間に、件のお屋敷に無事辿りついた。

「失礼致しますわ。気を付けて帰ってね」

「はい。殺村さんもごゆっくり休んで下さい」

 なぜか。殺村さんは頬を膨らませて僕のTシャツの袖を掴んだ。

「な、なんですか?」

「殺村はやめて下さい。あんまり好きじゃないんですの。名字」

 袖を掴む手に力がこもる。

「あやめって呼んで」

「あ、あやめさん」

「さんもいらないんですけどね。まあいいわ」

 掴んでいた手を離した。

「おやすみなさい『ゴミムシ』くん」

 あやめさんは踵を返し、巨大な門を潜り抜けていった。

 僕は最後の言葉のイミを考えながら家路についた。

(蛍だからゴミムシか)

 ドMにはたまらないニックネームだ。少し胸が高鳴った。

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