第19話 新商品

「本番なんて。ホントあっという間ですね」

 学校の屋上。夕焼けが春日さんの頬をオレンジ色に染めている。

「そうですね。まさに一瞬でした。あれだけ準備に時間をかけてこれとは」

 空中には雪がチラチラと舞い、やがて地面に落下していく。

 このクソ寒いのにわざわざ屋上なんかに登っているのは僕と春日さんだけ。

 二人で並んで立ち、金網を通して夕陽をみつめる。

「とはいえ。本当に良かったですね。頑張った甲斐がありました」

『毎日殺伐! 日めくり暴言カレンダー!』は文化祭中に増版増版を重ね、最終的にはなんと五万部を売り上げた。もちろん本屋部の廃部は回避。さらにこれまでの借金を返済してなお、二〇〇万円以上が手元に残るという結果となった。

「でも……いいんですかね。私だけあんなに貰っちゃって。大して貢献してないのに」

 そしてその利益の八十パーセントを春日さんに渡すことに全員が合意した。

「なにをおっしゃいます。春日さんがいなければカレンダーは発売に至っていません。それに。こういうものは一番困っている人が一番貰えばいいんですよ」

 春日さんは下を向いたまま「ありがとう」と小さく声を漏らした。

 サクラコンピューター事件については、FBIの威信をかけた全火力攻撃により、JBGは投降、一応の決着が着いたと報じられていた。とはいえ。まだネットワークの復旧やサクラコンピューターの経営正常化の目途は立っていないそうだ。

「まぁ少しは事態が好転してよかった、かな!」

 春日さんは大きく伸びをしながら明るい声で言った。

 空元気気味なようにも感じられたが、僕も彼女に調子を合わせ明るい話題を提示した。

「同人誌の方もなかなか好評でしたね! 特に春日さんのマンガが」

 春日さんの新作『Mの悲劇』は死んでもゾンビ化して生き返ることのできる能力を持つドM探偵が、被害者と同じ死に方をしてみることで、殺人事件を推理するホラーミステリー。主人公のモデルは僕だそうだ。

「うん。まだまだヘタだと思うけど、今まででは一番手ごたえがあったかな。火野くんの小説もすごくも良かったですよ!」

 僕の新作のタイトルは『土下座乱舞』。他人を土下座させるのが趣味であるアヤメ王国の王女様が、ある日天才的な土下座テクニックを持つ変態ドM少女と出会い、彼女をメス奴隷として飼い始めるというものだ。言うまでもなく春日さんとあやめさんがモデル。僕の小説にしては、女性を中心にそこそこの好評を博した。

「僕も春日さんも今回の文化祭での経験で、ドMとして一皮剥けましたかね」

「あとそれから。殺村さんに指摘されていた、お互いをモデルにしてるけどお互いのことが十分理解できていないっていうヤツ。アレが解決できたのかなって」

 春日さんは僕をジッと見つめながら呟いた。

 もちろんその通りだろう。僕は春日さんのことをよーく知っている。暴言カレンダープロジェクトを始める前とは比べものにならない。それは春日さんも一緒であるはずだ。

 そんな彼女の顔をそっと覗きこむ。

(うっ……! 前から可愛いなとは思っていたけど……)

 夕陽に照らされて赤く染まった横顔は、僕の目にこの上なく輝いて見えた。

 心臓の動きが速くなる。

「どうしたの?」彼女はまったく無邪気な微笑みで僕に問いかける。

「な、なんでもないです」としか答えられない。

 僕はここ数ヶ月のことを回想しながら、

(あやめさんの言う通り。彼女のことも少し、いや、だいぶん気になるけど。やっぱり僕にとって一番大切なのは――)

 などと思いを馳せた。

 そうこうしている内にじょじょに背景色が変わってくる。

 夕焼けのオレンジよりも雪の白が多くなってきた。

「寒くないですか?」春日さんに尋ねる。

「寒いです」

「じゃあ戻りましょうか?」

「ヤダ。もうちょっとこうしていたいです」

 少しイタズラっぽい笑顔。胸がさらに高鳴る。

 僕は勇気を振り絞り「じゃ、じゃあ」などと口をモゴモゴさせながら手を差し出す。春日さんは「アナタも気が利くようになりましたね!」などと照れ隠しを言いながら僕の手を握った。じんわりと暖かさが伝わってくる。

(彼女も随分変わったな。私の手汗はヘドロより汚いとか言ってたのに)

「春日さん。しゃべりがちょっとあやめさんに似てきたんじゃないですか?」

「んーん。そんなことないよ」


 ――二人の時間はあっという間に過ぎた。


「お。キャンプファイヤーが始まりましたね」

 すっかり暗くなった世界に再びオレンジ色の灯がともった。

『燃えろよ燃えろ』のメロディーがうっすらと聞こえる。

「寂しいな」

「そうですね」

 春日さんが手を強く握った。

「とりあえず。頂いたお金でアパートを借りようかな」

「ウチにずっといてくれても構わないのですが」

「さすがにそういうわけにもいかないです」

「妹も春日さんのこと大好きですから。寂しがりますよ」

 春日さんは手を繋いだまま、僕の手のひらを爪でカリっとひっかいた。

「ど、どうしました?」

「私って。名字『春日』でいいんでしょうか? 両親どっか行っちゃったのに」

「問題ないのでは? ウチも父を亡くしたのに未だに火野を名乗っているぐらいなので」

「もう! そうじゃなくて!」またまた手のひらをひっかかれる。「火野くんには名前で呼んで欲しい! って言いたかったの!」

 ほっぺたを風船のように膨らませた。

「なんで殺村さんのことは『あやめさん』なのに、私はいつまでも春日なんですか!」

「ごめんなさい! えっと……萌美」

 春日さん……萌美の頬がみるみる内に赤く染まっていく。

「ちゃんづけとかじゃなくていきなり呼び捨てなんですね……いいですけど」

「差し出がましいのですが、僕のことも蛍と呼んでいただければ」

 萌美は黙って頷いた。ますます顔が赤い。

「あのね。け、蛍」

「ななな、なんでしょうか?」

 たぶん僕も顔が真っ赤になっているであろう。

「こればっかりは癖だからなかなか治らないかもだけど、なるべく敬語も辞めるようにしたいかなーって」

「そ、そうですね……じゃなくて……そうだな!」

「お互い頑張りましょう……じゃなくて……頑張ろうぜ!」

「萌美はムリに男言葉にしなくてもいいのでは?」

 顔を見合わせて笑った。

「でも新鮮だなァ。普段だいたい春日としか呼ばれないので」

「僕もだいたい火野です……だなあ」

「私たちが結婚したら火野萌美かあ。なんだかダジャレみたいな名前だね」

「ははは。キャンプファイヤーだけにですか。……萌美?」

 萌美はなぜかしゃがみ込んでアタマを抱えた。

「わ、わ、わ、私はなんていう先走ったことを! 結婚だなんて!」

「別に構わな――」

 気づくと萌美は「ごめんなさいー!」などと叫びながら、ものすごいスピードで金網を登っていた。

「まさか――! いくらなんでも、そんなところから土下座したら死ぬって!」

 ――そのとき。

 屋上の入り口から乱入者があった。

「春日さん! なにをしてるんだ! 降りてきたまえ!」

 王子様のような美しい顔立ちの好青年がドアを開き侵入してきた。部長は稼いだお金で全身に改造手術を施し、健康体を手に入れようと目論んでいるらしい。

「萌美お姉ちゃん!」

 さらにその後ろから現れたのは我が愚妹カスミ。稼いだお金で大型冷蔵庫を買い、さらにそれと同じ高さに積める分だけのBL同人誌を集めるつもりだそうだ。

「なにやってんだモエ坊!」

 さらにさらに金髪にバチバチメイクのギャルが登場。本屋部の良心の千代美先輩だ。稼いだお金は全額ゴディバやジャンポールエヴァンにブチ込む、と言ってはいるが実際には弟たちのおもちゃ代に消えると思われる。

「お三方! まさか! 覗いていたんですか!?」

「ああ。面白かったぜ」

「さすがにやばいと思って出て来てやったぞ。感謝したまえ」

 とてつもなく恥ずかしい。

 僕もさっきの春日さんと同じような形で、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 ――その前に立つ影。

「随分楽しそうですねェ」

 凍りついた声。つららを背中に刺されたような気持ちがする。

「あ、お嬢。いつのまにいたんだ?」

 あやめさんは僕をヒトゴロシの目で見下ろす。

「散々探したのにどこにもいらっしゃらないと思ったら。私にナイショでこんな所で密会? あの泥棒ネコと何時間ここにいらっしゃったんですか?」

「あ……あ……」

 恐怖でうまく声帯を震わせることができない。

「この浮気者! 不倫男! 文化の極みゲス男! ガマクジラ! 去勢してアメリカンドックの中身にして差し上げましょうか!?」

「う、うるさいよ! 殺村さん!」春日さんが金網のてっぺんから叫んだ。「蛍は私のもんだし!」

「なんですってー!」

 あやめさんが金網を掴み激しく揺らす。

「ギャ―! 許して下さい! 認めますから! 私はチンカスの負け犬だと認めますから!」

 あやめさんの後ろから抱きつき必死に止める。千代美先輩とカスミはそれを見て大笑いしている。

「あー……抱きついてる。やっぱり蛍は殺村さんが好きなんだ……生きてる価値ないからむしろ反対側に落ちよう……」

「はっ……! これだ!」

 部長が突然大変よく通る声で叫んだ。みんなの動きが止まる。

「どうしたんだよ」千代美先輩が訝し気に尋ねた。

「閃いたんだよ!」

「なにを?」

「新商品のアイディアだよ!」

 全員がおおおー! と声を上げた。

「それは!?」

「『萌美ちゃんの! 逆に元気が出るネガティブカレンダー!』」

 僕はパチーンと両手を叩き、部長を指さした。

「部長! 流石です! 素晴らしいアイディアです!」

「いいなそれ!」

「絶対おもしろい!」

 千代美先輩とカスミも同意した。

「火野くん! 春日さんの今までセリフ! 思い出せるな!?」

 部長が僕に問う。はっきりいって愚問である。

「もちろんです! 彼女のセリフであれば全て脳に刻まれています! 一字一句間違うことなく!」

「え。そうなの……? 嬉しいな……」

 萌美が顔を赤らめるとあやめさんはさらに激しく金網を揺さぶった。

 萌美の叫び声。千代美先輩たちの笑い声。

(また。楽しくなりそうだ)

 来年のカレンダーも再来年のカレンダーも。楽しい思い出で埋め尽くされるに違いない。

 僕はそんな言葉を頭に浮かべていた。

 なお。さきほどからずっと萌美のパンツが見えている。今日のパンツは僕のボクサーブリーフ。妹のパンツの在庫がキレたための苦肉の策である。

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