第17話 バミリオン・アメショー

「本当にギリギリで大変申し訳ございません」

「いえいえ大丈夫ですよ。お任せ下さい」

「ありがとうございます。なにとぞ印刷の方よろしくお願い致します」

『マチ商印刷』でのひと仕事を終え学校に戻る。

 すでに深夜の一時。

 星も月も雲で隠れている。この辺りはあまり街灯もない。大変暗い夜だった。

 いまだお米で胃がパンパンに膨らんでいるため、足取りが非常に重い。

 それに寒い。外気はもうすっかり冬。いつ雪が降り出してもおかしくない。

 ガタガタと震えながら歩を進める。

(カレンダーがヒットしたら。まずはコートを買おう。マフラーも)

 春日さんにも買ってあげる必要がある。コートにマフラーをした女の子はタマらないからだ。――などといやらしい想像をしていると。

(やっと着いたか)

 学校に到着。もう夜中だというのにチラホラと教室のあかりが灯っていた。

 階段を登り生徒会室のある三階に向かう。

 生徒会室には扉がなかった。なぜだろう。以前からそうだっけ。

「失礼致します」

 一応挨拶をしてから入室する。中には誰もいなかった。

「あやめさーん?」

 僕の呼びかけに対して「ここですわー」という声が帰ってきた。同時に壁が自動ドアのように開く。

(なんだ撮影スタジオにいたのか)

 あやめさんは隅っこの二人掛けのソファーテーブルに座っていた。

 部屋は薄暗い。テーブルの上の小さなスタンドライトだけがぼんやりと光っている。

「お疲れ様ですゴミムシくん。寒かったでしょう?」

 コーヒーカップを口に運びながら穏やかに目を細めた。

「……なんですか? その格好」

 彼女はキラキラ光るワインレッドのワンピースドレスを着ていた。ド派手なカラーだが少しも下品ではなく、むしろ気高さすら感じられる。それと同時に胸元が大きく開いており大変刺激的でもあった。髪の毛もいつもと違い、サイドポニーというのだったか、横っちょで可愛らしくチョコンと結ばれていた。

「知らないの? 闘犬乱舞のヒロインのバミリオン・アメショー」

「言われてみれば思い出しましたが。なぜその格好を?」

「一番お気に入りだからよ」

 イマイチ答えになっていない回答をしつつ、僕にもコーヒーをついでくれた。

「印刷の方。なんとか間に合いました。文化祭にはあやめさんの写真が入った完全版が並びます」

「そう。それはよかったわ。あのオケツもふけない紙屑が店頭に並ぶことにならなくて」

 満足げなキリっとした面持ち。殺村さんらしい表情だ。

「とりあえず座ったら?」

 仰せの通りあやめさんの隣に腰を下ろす。

 隣に座ってみると、ドレスのスカートは大変短く白いふとももが露わになっていた。

 少々目のやり場に困る。

「今年は普通の同人誌は出さないのかしら? 睡眠導入、お昼寝のおともとしては最高な物体ですのに」

「出すには出すんですが。実はもう一度書き直そうと思ってまして」

 あやめさんはWHY? という感じに首を傾げた。

「今回のカレンダーの制作、それに今日の暴食暴言デスマッチで、ドMとして一皮剥けた気がするんです。今度こそチカラのあるドM小説を書けるのではないかと考えております。時間のなさがハンパではないのですが……」

「そう」と呟きつつ、あやめさんはコーヒーカップを机に置き、意外な言葉を発した。

「悪かったわね。いろいろと。つまらない意地を張って散々ご迷惑をかけましたわ」

 弱々しいはにかんだ表情だ。

「あやめさんらしくないですよ」

「そうね。まったくもって私らしくなかった」

 ポツリとこぼした。これまた殺村さんらしくない小さな声だ。

「あのね。ゴミムシくんが生徒会室にカレンダーを持って来た日。あなたが出て行ったあと。すぐに気づいたんですの。本当にただバカにしてるんだったら。わざわざ徹夜してまでこんな手の込んだ分厚い物体を作るわけないって」

 机の上に置いてあったカレンダーにポンと手を置いた。

「だから。実はね。すぐに謝りに行こうと思ったの」

 あまりに思ってもみなかった言葉に目を剥いてしまう。

「でもそうしなかった。なんでだと思う?」

 顔を触れそうなくらい近づけてきた。

「わ、分かりません」

 でしょうね。バカですものね。とのことだ。

「まあ簡単に言うと。ヤキモチを焼いてたのよ。誰かさんに」

 僕から目を逸らし高い天井を見上げた。

「あなたたちはたくさん同じ時間を過ごして、一緒にあんなに大きなカタチあるものを作り出したんだって。そんな風に考えたらなんだか悔しくなってね。そのとき初めて、自分のキモチに気づいたの」

「あやめさん……」

 それこそ、まさに、あやめさんらしくない表情をしていた。

「嬉しかったのよ。私の暴言が好きだって言ってくれて」

 目が潤んでいる。その目をまっすぐに僕の方に向ける。

「あのね。私が『殺村家』のご令嬢だとかっていうのはウワサで聞いてます?」

 もちろんです。と首肯する。

「一部ウソなんです。あのウワサ。私ジツはねえ。殺村家の家長『殺村柘植』が愛人との間に作った娘なんですの」

 実にサラっとした口調で言い放った。

(春日さんにしても殺村さんにしても。いろいろな家庭があるものだ)

「アレ? でも」一つの疑問が頭に浮かんだ。「名字は殺村なのですよね?」

「もともとは『杉本』っていう名字だったんですけど、小学生のとき母を亡くしましてね、お父様が引き取って下さったの。それで名字は殺村に」

「ウチとは逆のパターンですか。まァ引き取って頂けてよかったですね」

「お母様は本妻なんか問題にならないくらい美しくて、お父様も特別に寵愛されていたんですって。ホント美人ってトクよね」

 口に手を当ててケラケラと笑う。どうも殺村さんはお母さん似らしい。

「そんなわけで麻布にある殺村家の大邸宅で暮らし始めまして。当たり前ですけどあまり歓迎はされませんでしたわ」

「麻布? 相模大野では?」

 あの相模大野の家は殺村家の『別宅』なのだそうだ。マチダ商業の受験を強行に薦められ、合格するや否や学校が近いという理由で半ば強制的に引っ越しをさせられた、つまり体よく追い出されたのだとか。殺村家の邸宅が相模大野にあるというのには少し違和感があったのでストンと腑に落ちた。しかしアレで別宅なら本宅はどんな大きさなのだろうか。

「お父様はあまり家にいらっしゃらないのでまわりはテキばっかり。いろんなことを言ってくる方々がたくさんいたわ。それから自分を守るために。こんなクチになっちゃった」

 柔らかそうなクチビルを指でつんつんと触った。

「でも。あなたは。それが好きだと言ってくれた」

「はい。好きですよ」

「ありがとう。とても嬉しいわ。でもだからこそ。あなたが大好きなあの子が憎たらしかったの。あなた自身もね」

 あやめさんは少し目を擦った。それから強い口調で言った。

「でも。私が間違ってた。そんなこと考えてあなたと壁を作っても。なんの解決にもならない。本当に無駄な時間でしたわ。これから取り返さないと」

 僕の目を見つめ、ググっと身を寄せて来た。バラの花の香りがする。香水の匂いだろうか。シャンプーの匂いだろうか。

「ゴミムシくんが今日の暴食暴言デスマッチ。あれほどまでに必死になっていたのは」

 僕のパンパンに膨らんだお腹をそっと撫でた。

「絶賛経営破綻中『サクラコンピューター』の御令嬢を救うため。それが一番でしょ?」

「な、なぜそれを!?」

「殺村家の情報網を舐めないコトね!」

 ホホホと高笑い。

「でもね。あなたが頑張った理由はそれだけではない。暴食暴言デスマッチを必死で闘って。私は確かに。火野蛍の私に対する愛情を感じた」

 もちろんそのためにあやめさんと闘ったわけなのだが――

「まだそれはきっと。男女の愛情ではないのかもしれない。でも。それを変えるのは大して難しいことじゃあないわ。だって――」

 そっと腕を絡めてきた。フワっと柔らかい感触。

「正直に答えなさい。私のことどう思っているの? オンナノコとしてよ」

(この人には。ウソをついても無駄だろうな)

「正直申し上げて。大変魅力的な女性だと思っています」

 彼女は可愛らしい笑顔をパッと花咲かせた。

「やっぱりね! 男なんてそんなもんですわ! ホントに一途な男なんて、バカ女が書いた下らないリアリティゼロの妄想の産物の三流の少女漫画にしかいませんわ!」

 その言いぐさがなんだかツボに入り、ハハハ! と声を上げて笑ってしまう。

「第一まだ付き合っているわけではないんでしょ?」

 正直に肯定する。

「だったらまだいくらでもチャンスはありますわね! 同じ土俵に立てばあんなお芋ちゃん屁コキ女には負けませんわ! だって見てくださいな」

 腕を絡めたまま上目遣いで僕を覗きこむ。

「私のこの姿。美しいと思いません?」

 サラサラと輝く黒い髪、深紅のドレス、真っ白な肌、それぞれが淡い照明の中鮮やかなコントラストを作り出していた。そしてなによりもその顔立ち。特に宝石のように輝く瞳。

 僕は正直に「美しいです」と答えた。

「でしょう? 負ける要素どこにもなし!」

 満面の笑みで髪をサラっとかき上げた。

 とはいえ春日さんには春日さんの魅力がある――。とはさすがに口にしなかった。

「さて。ここなら。誰も来ませんわね」

 口元に妖しい笑みを浮かべながら、ゆっくりと僕のシャツのボタンをはずしていく。さらにズボンのジッパーに手をかけた。

「あやめさん!?」

「じょーだんですわ! このはやとちりイボコロリ!」

 イタズラをする悪ガキみたいな子供っぽい笑顔。大変魅力的だ。

「今日はこのくらいで勘弁してあげますわ」

 ――次の瞬間。頬に柔らかく湿った感触。

「な、ななななな!」

 あやめさんは女豹のように目をギラつかせ、口元に邪悪な笑みを浮かべている。

「これはもう……僕は責任をとらなくてはいけないのでしょうか?」

「まだいいわ。あなたの心が完全に私のものになるまでは」

「そ、そうですか」

 あやめさんはすっと腰を上げソファーの元の位置に座りなおした。

「もう帰っていいわよ。まだ仕事がたくさんあるのでしょう?」

「はあ。それでは失礼させて頂きます」

「あ、そうそう」

 テーブルに置かれていた二つ折の紙片で、僕の肩辺りをツンツンとつついた。

「これを芥川さんに渡してくださいな」

「部長にですか? 一体なんです?」

「気になる? そうね。途中で見ちゃってもいいですわ。それはそれで楽しいかも」

「……? わかりました。それでは失礼します」

 生徒会室を出る。

(なんだろう……コレ)

 廊下を歩きながら紙片を広げる。

 それにはこう書かれていた。


入部届

部活名:本屋部

氏名 :殺村あやめ


 今頃。彼女は僕の驚く顔を想像して笑っているのだろう。

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