第14話 春日萌美拉致事件
『次はー町田―町田―』
僕たちを乗せた電車は小田急線の町田駅に到着した。
「いやあ今日は長い一日だった。しかしやっぱり町田に到着するとホッとしますね」
電車を降りて中央改札を通過、南側出口から駅構外に出た。
そこからウチのアパートまでは十分ほど。
「あとちょっとで着きますからね」
少々冷えるがほどよく風がそよいでおりキモチのよい気候。
夜空を見上げるとカシオペア座がキレイなM字を描いていた。
僕は軽い足取りで家路につく。
三つめの角を曲がると、僕の住んでいる小さなアパートが見えてきた。
「到着しました。――って。見れば分かりますよね」
玄関のドアに手をかける。
「お兄ちゃん! おかえちんこ! 今日はすんごくいいこと――」
カスミがいつものように元気よく出迎えてくれた。だが。
今日ばっかりはその笑顔が固まる。
「ただいまんこ」
「お兄ちゃん……ついに人を殺っちゃったの!?」
「違う。死体じゃないこれは」
ぐったりとした春日さんをそっと玄関に下ろした。
「その。しばらく彼女を家に泊めてあげたいんだけど。いいか?」
さすがのカスミも口をあんぐりと開けていた。
三人でちゃぶ台を囲んでお茶を飲む。
春日さんはすでに妹の部屋着に着替えていた。子供っぽいピンク色のキティーちゃんTシャツを着用し、前髪をちょんまげ状に結んでいる姿は失礼ながら小学生みたいだ。
「あのですね! なんども言いますけど! ああいうときは『俺についてこい!』とか言って手でも掴んでくれれば良かったんですよ!」
「ご、ごもっともで……」
さきほどから延々と春日さんから説教を受けている。カスミはほっぺたをパンパンにして笑いを堪えていた。
「まだ歩いてるウチはいいですよ!? 好奇の目で見られてもすぐに過ぎ去りますから! でも電車の中でお姫様だっこされたら私はどうすればいいんですか! どうしていいかわからずに、途中から死んだフリしてたんですよ!」
ちゃぶ台を両手のひらで叩く。バチーン! という小気味のよい音がした。
「いやなんかもう夢中でして」
「何回も職務質問されるし! なんで私が『この人ホントは悪い人じゃないんです!』とかアナタをフォローしなくちゃならないんですか!」
「その節はありがとうございました!」
オジギソウのような勢いで頭を下げた。
カスミが堪えきれなくなったのか、ブブブブッ! っと噴き出す。
「ハハハハハハ! 結構気が強いんですね! 電話で話したときはおとなしそうなイメージだったけど! お兄ちゃんにピッタリだ!」
カスミの言葉に我に返ったらしく、春日さんは頬を紅潮させた。
「そ、そういうわけじゃないんですけど」
「カスミ。春日さんもな、闘犬乱舞が大好きなんだって」
僕はなんとか話題をそらすように努めた。
「えー! マジで! 誰派ですか!?」「ダルメシアン派です」「あー! 私と一緒だ! もしかしてポメちゃん×ダル様派ですか!?」「そうです!」「やっぱり! ポメ×ダル好きそうな顔してますもん!」
どんな顔だよ! と思ったがツッコまない。二人はしばらくの間トウラブの話に花を咲かせていた。とりあえず話題を逸らすことができて良かった。
二十三時。
いろいろあるがとりあえず寝よう。ということで布団を敷き始めた。ちゃぶ台をスミに寄せ、押入れから布団や枕を三セット引っ張り出す。母の布団を取り出すのは久しぶりだ。
「でも。本当によろしいのでしょうか? 泊めていただくなんて……」
春日さんが両手の人さし指を合わせながらカスミを見つめる。
カスミはなぜか敬礼のポーズで『是』の意を表す。
「困ったときはお互い様です。僕も今までなんども春日さんに助けて頂きました」
僕もフォローの言葉を投げた。
「なんといいますかその……こう言ってはなんですが。火野くんは普段からあまりごはんを食べていないように見えましたので……大丈夫なのかなと思ってしまうのですが」
なるほど。食費。それは少々気にかかっている部分ではある。
「心配はゴム用!」
カスミが突然狭い部屋を野球の盗塁のような勢いで駆ける。猛烈なスライディングで流しの下の戸棚に接近し、扉をババーンと開いてみせた。
「これは!? どうしたんだよこんな大量のお米!」
大きな米袋が戸棚を埋め尽くすようにパンパンに敷き詰められている。
「新潟産コシヒカリ三十キロ! 今日福引で当てた! これでワレワレ三人! 向こう十年、餓死することはない!」
「――! でかしたぞカスミ!」
カスミの頭をぐちゃぐちゃに撫でる。うひゃひゃひゃなどと邪悪な鳴き声を発した。
「持って帰ってくるの疲れたよー。両肩に三袋ずつ乗せて帰ってきたからね!」「郵送してもらえよ! さすがに!」「いやお金かかっちゃうからさ」「十円かなんかだろ!」「六つだから六十円だよ」「そりゃちょっと高いな……」「しょ?」
僕とカスミの会話を聞きながら。春日さんは口に手を当ててクスっと笑った。
「今日は。兄妹二人して重たいもの持って帰ってきたんですね」
「二人ともプロレスラーの子供だからね! 重いもの持つのは得意です!」
カスミはふたたび敬礼のポーズ。マイブームなのだろうか。
「じゃあ。このお米が無くなるまでは。ここに住ませて貰ってもいい?」
春日さんらしい穏やかな笑顔。僕はそれを見ることができて心の底からホッとした。
まだまだ問題は山積みだが――
僕を真ん中して左に春日さん。右にカスミ。いわゆる川の字状態だ。なぜか僕が息子ポジションである。カスミは「やべー! 修学旅行みたいでめっちゃ楽しい! 今夜は語り明かそうよ!」などとはしゃいでいた。しかし。布団に入るや否や熟睡した。
「妹さん。寝つきがいいんですね。ウラヤマシイです」
「はしたないから、イビキをかいて寝るなと言っているのですが」
天井を見上げながら春日さんと言葉を交わす。
「ごめんなさい薄い布団で。寝づらいでしょう」
「いえそんなことないです。気持ちいいですよ」かけぶとんをパフパフと叩いて見せた。
「ウチはベッド派だったけど。布団派に転向しようかな」
(ウチは……か)
春日さんに疑問に思っていたことを尋ねることにした。彼女の方に首を倒す。
「ひとつお聞きしたいのですが」
「はい?」
「春日さんは。なぜマチダ商業に入ろうと考えたのですか?」
数秒間の沈黙の後、回答を返してくれた。
「実家から近いから――だけではなくて。えーっと。ちょっと長くなりそうなんですけど。話してもいいですか」
勿論です。と答えると、春日さんもこちらに首を倒し、ポツポツと言葉を紡ぎ始めた。
「私ね。子供の頃からずーっと落ちこぼれだったんです。ウチの家系の中で。特にコンピューター、情報処理の分野ですね。兄と姉がいるのですが、たぶん同年齢で比べても半分、三分の一の能力もないと思います。いつも『私って情けないな』と思って過ごしていました。パソコン触ることは大好きだから余計に」
「春日さんがコンピューターで落ちこぼれとは……」
はい。落ちこぼれどころかチンカスなんです私は。などと呟いてから続きを話す。
「でね。本来であれば高校はロサンゼルス大学付属高校の情報処理科に行くのが伝統なんです。あのビリー・ゲイズも卒業したという超名門校。でも。そんなところの勉強なんてとてもとてもついていけるわけないなーいやだなーって。そもそも英語なんてしゃれないしさぁ」
そう考えるとウチの父はいろいろな意味で大したものだ。
「それで。中学三年生の秋ぐらいだったかな? 父に言ったんです。コンピューターでは兄たちには到底敵わない。だからマンガの勉強がしたいって。マンガを読むことも同じくらい好きだったので」
「当時から大胆な所があったんですね」
「そしたら父が『別に金稼げるならなんでもいいぞ。マンガで稼げることを証明してみろ』って。名言ですよね」
なるほど。報道されている通り、豪快で竹を割ったような性格だ。そのせいで敵も多いらしいが。
「それで実力主義のマチダ商業を受験して本屋部に入ったんです。学校はみなさんがこんな私にも優しくしてくれたおかげで楽しかった。でも。ちっとも稼げなかったので家には居場所がなくて……」
――ずっと気になっていたこと。
春日さんがネガティブで自虐的になってしまった理由。それがわかった気がする。
「ご家族は今どうされて?」
「いろんな国に各々潜伏して復活の機をうかがっています。心配はしてません。生命力の塊みたいな人たちですから」
逆に各国にご迷惑をかけなければいいですけど。となんともいえない声色で呟いた。
「まあ。そんな感じです。ごめんなさいね。こんなウツな話をしちゃって。まァ私みたいな社会の底辺のうんこちゃんの半生なんてこんなものです」
むやみに明るい声。胸が痛む。
「僕には春日さんが落ちこぼれとはとても思えませんが」
「どっかいい所なんかありますかね?」
「それは――」
聞き返されてテンパった僕は、アタマに浮かんだことをそのまんま口に出してしまった。
「春日さんはその。か、可愛いと思います。ホラ、目が大きくってクリっとしてて、お肌もすべすべで、口元も可愛らしくて、とくにふにゃーっとした笑顔が好きなんですけどダメですかね? あとショートヘアが大変よく似合っています。僕は断然ロングヘア―よりショート派でして――」
なんだか大変ズレたことをのたまってしまった気がする。やはり僕という人間は天然なのか。あんのじょう春日さんにプッと噴き出されてしまった。
「ありがとうございます。気を使ってくれたんですよね? やっぱり優しいな」
彼女は目を線にして僕を見つめた。
――だが。僕はその言葉に反論する。
「あのですね。春日さん。僕はそんなに不誠実じゃないですよ」
「えっ?」
「こんなときにウソはつきません」
ついつい強い口調になってしまった。
春日さんは心底驚いた顔で「ごめんなさい」と口にする。
それからしばらくの沈黙。
古時計がカチカチと鳴る音が聞こえた。
「あの。火野くん」春日さんが小さなささやき声で沈黙を破った。
「なんですか?」
「その……もうちょっとだけ近くに行ってもいいですか」
戸惑いながらも首肯した。
春日さんはそろそろと布団の中を移動。それから僕の布団の中に右手を差し入れた。
僕はそれを左手でそっと掴む。春日さんの体温が伝わってくる。
やがて。彼女の口から小さな泣き声が漏れ始めた。手がブルブルと震えている。
僕はなにか声をかける代わりに左手にぎゅっと力をこめた。
春日さんも右手を思い切り握りしめる。
万力のような凄い力。左手が比較的マジで痛い。
でも。嬉しい。別にドMだからってわけじゃない。
しばらくすると嗚咽は止まり、すうすうと寝息が聞こえてきた。
(父が死んですぐの頃は。よくこうやってカスミの手を握って寝てたっけ)
あの頃のカスミはまだ大変純情で可愛かった。
(まァ今でも可愛いけどさ。なんだかんだ)
たかが米三十キロで『ワレワレ三人、十年はくいっぱぐれない』などと言っていたっけ。
(三人で食べてりゃあ二、三ヶ月でなくなると思うけどな)
その後も春日さんを食べさせていくにはどうしたらよいだろう。
(やはり。文化祭で稼ぐしかないか。それには同人誌だけでなく。『アレ』を)
だがそのためには。『あの人』に許してもらわなくてはならない。
僕はどうすればよいのだろう。どうすれば。僕たちが彼女をバカにしているのではない。むしろ愛しているということを証明できるのか。
(あやめさんは言った。クチではなんとでも言えるって。なるほどごもっともだ)
「待てよ……クチだけ。クチだけ。クチ……。しゃべる……食べる……」
頭蓋骨の中で脳味噌が猛回転を始める。
「アレだ――父さんが得意としていた暴言デスマッチ。あいつを応用して――」
僕の脳内のババロアコンピューターが唸りを上げた!
「できる! できるぞ! あの分からず屋を説得できる!」
興奮して春日さんの手を握ったまま立ち上がる。
結果。彼女は宙吊り状態となった。
むろん目を覚ます。自分の状態を認識するや悲鳴を上げた。
僕という男はぜんたい、彼女に何回悲鳴や叫び声を上げさせれば気が済むのだろうか。
「火野くん! あの! 私ドMですけど! 最初は普通な感じが!」
「そ、そういうつもりじゃありませんよ! いくらなんでも妹の前では!」
そんな大騒ぎにも関わらず、カスミは一切目を覚ます気配がなかった。わが妹ながら睡眠のバケモノである。
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