第13話 『JBG』の野望

 十一月。ちょっと前までプールに入りたくなるくらい暑かったのにもうすっかり冬だ。

 空気がカチカチに凍りついている。

 生徒たちはみなコートを着たりマフラーを巻いて登校していた。これは大変よろしい。

「ダッフルコートにマフラーで上半身は重装備。それでいて下はミニスカートで露出。この上半身と下半身の寒暖差が最高だと考えるのですが、みなさんはどう思われますか」

「キモイ」

「火野くんってムッツリですよね」

 文化祭まで一ヶ月を切った。同人誌の制作作業もいよいよラストスパートだ。

 執筆自体はほぼ完了。各々、春日さんのチェリコンを用いて修正作業やレイアウト作業を行っている。ネットワーク上にファイルを置いて、それをみんなで更新していっているわけなのだが。

「アレ? やっぱりなんか調子悪いですねえ」

 春日さんがカチカチとマウスを左クリックしている。

「こちらもダメです」僕の端末からも接続することができない。

「ダメだ。こっちゃ全く繫がらなくなっちまった」千代美先輩が背もたれによりかかり、手をアタマの後ろで組む。

「ボクの方もだ」部長はまだイケメンモードである。

「インターネット自体が繫がらなくなっているみたいですね。ここのところずっと調子悪いなァ」

 春日さんがインターネットブラウザを開き直すが表示されるのはエラー画面のみ。チェリコンを再起動させたり、ケーブルを差し直したり、ネットを繋ぐ機械(ルーターと言ったかな?)を再起動させても結果は同じだった。

「しゃあない。自分の所でやって後で合わせるか?」千代美先輩が提案する。

「とはいってもネットに繫がらないとファイルを持ってこられないのでは?」

「大丈夫。同人誌データなら昨日の内にフロッピーに保存しておいたから」

 さすがは古いものを使いこなすことに定評のある千代美先輩である。

「あっ……でも」春日さんがアゴに手を当てた。「例のカレンダーのデータってネット上にしかないかも」

「ん? すぐに必要になるもんでもねえし問題ないだろ」

 春日さんは少々浮かない顔をしている。そうは言ってもモノがモノだけにちょっと不安なのだろう。

「大丈夫ですよ春日さん。そのうち繋がります。それに最悪は作り直せますよ。内容は記憶してますから」

 僕にしては珍しく気の利いた言葉をかけることができた。

 春日さんは「そうですね」と微笑んでくれた。

「ガラケーの方のネットはフツーに繫がんな」

「春日さん。まァボクもパソコンのことはよくわからないのだが。とりあえず機器の方を修理に出してみてはどうだろうか?」

「そうですね。今からさーっと行って――」

「んんんんん!?」

 部長と春日さんの会話をぶったぎるように、千代美先輩が驚きの声を上げた。

「どうしたんだ千代美」

「これ見ろって!」

 携帯の画面を見せられる。どうやらニュースサイトのようだ。

 以下のような見出しが小さな液晶全体に表示されていた。

『チェリコンネットワーク クラッキング襲撃! 全世界で不通!』

「えええぇぇぇぇーーー!」春日さんがものすごい大声を上げる。

「こんなことってあるんだな。よくわかんねーけど『サクラコンピューターの独自ネットワーク『チェリーブロッサム』の一元管理マザーサーバーが無限分裂型四次元サイバーワームで襲撃された』だと」

「『アメリカの武装サイバーテロ組織「JBG」こと「ジャパン・バッシング・ゲリラス」の犯行か!?』春日さんこれって……」

「ハハハ。サイバーテロ組織なのに武装してなんのイミがあるのだか」

「アメリカ人はとりあえず武装すりゃいいと思ってるからなー」

 部長と千代美先輩は顔を見合わせクククと笑っている。

「ちょっと貸して!」

 春日さんが千代美先輩の携帯をひったくりニュース記事に見入る。あまりの剣幕に千代美先輩もなにも言えず。

「回復見込み不明……株価大暴落……首脳陣は退陣か……倒産も??」

 青い顔でボソボソと記事を読み上げている。

「モエ坊落ち着けよ。コワイぞおめー」

「ご、ごめんなさい!」携帯を千代美先輩に返した。

「ホラ。フロッピー回すから。作業再開し――」

「あのっっ!!」

 春日さんが千代美先輩の語尾をひったくって叫ぶ。

「ホントに申し訳ないんですけど! 私早退してもいいですか! 心配で!」

 千代美先輩が「いいけど……」と答えるや否や、マッハのスピードで教室を飛び出した。ダッダッダッ! と廊下をかける音が聞こえる。

「は、はええ~。ボルトかよ」

「春日さんが慌てた所でどうにもならない気がするが……」

「彼女、熱狂的な『サクラー』ですからね。早く解決すればよいのですが」


 翌日。

 授業はつつがなく終了、いつものように部室に向かう。

 扉を開くと千代美先輩と部長が机に向かって作業をしていた。

「火野くん。お疲れ様」

 部長は今日も体調がよいらしくイケメンモードである。

「あれ? ひとり? モエ坊は?」

 千代美先輩が相方不在の僕に問う。

「体調不良で休みだそうです」

「へー。珍しいな。あの健康優良児が」

「おそらく。サクラコンピューターの件がショックで裸で寝てしまったのでは?」

「なんでショックだったら裸で寝るんだよ! まァそれが原因で体調崩したんだろうけどさ」

 千代美先輩はポチポチとケータイをいじる。

「面白いことになってるよなあ。サクラコンピューター事件」

「見ましたよ今朝のニュース。ボストンで銃撃戦したっけ?」

 犯行グループのジャパン・バッシング・ゲリラスと連邦捜査局、いわゆるFBIによる銃撃戦が行われるというとんでもない事態になっているそうだ。ネットワークも未だに開通せず、サクラコンピューターの株価の暴落は歯止めのつかない状態になっているとか。

「大丈夫なんですかね?」

「さあ。分からんが。いずれにせよ早目にファッキントッシュのパソコンを買わなくてはいけないな」部長が机に頬杖をつく。

「賞金はいつ入るんですか?」

「三日後だ」

「お! マジか! じゃあ部活終わったらさ。アキバにパソコン買いに行って、帰りに肉の万世ビルの最上階で焼肉食おうぜ! あそこ行ってみたいんだよー」

 千代美先輩が部長の肩を抱く。

「ダメだ! あそこは高すぎる! 普通の店にしろ!」

 春日さんはいなかったが作業はオフラインにて順調に進んだ。もともと春日さんの原稿はほぼ校正も完了状態。休んでも問題ないといえば問題ないのだ。

(僕が寂しいという問題はあるけど)

「いいじゃんかー一度でいいから人の金で高い肉食ってみたいんだよー」

「清々しいほどのゲスだなキミは!」

 今日に限って部長と千代美先輩がやたらにイチャイチャとケンカをしている。大変よいことなのだが少しだけ疎外感を感じた。

(帰ったら電話でもしてみようかな)


「ごちそうさま! お兄ちゃん、今日はお風呂どうする? 先に入って私をお兄ちゃんの体液まみれにする? それとも後に入って私の残り湯を吸う?」

「先に入っていいぞ」

 カスミは、はーい! いい出汁取ってきます! などとホザきながら風呂場に向かった。

 さて。黒電話の前に座り、ぐるぐるとダイヤルを回す。部活関係の業務連絡以外で春日さんに電話するのは初めてかもしれない。少々緊張する。

「もしもし……」

 発信音のあと、リスが鼻を鳴らすようなか細い声が聞こえた。

「こんばんは。火野です。お加減はいかがですか。あまりよいとは言えなさそうですが」

「いえ。もうけっこう大丈夫。こうみえて案外カラダは丈夫なんです」

 声のトーンが非常に低い。心配である反面、大人っぽく感じられて少しドキっとした。

「ごめんね。忙しいときに休んじゃいまして。なにか部活関係で連絡が?」

「いえ。連絡はなにもありません」

 バカみたいに聞かれた質問にだけ答えてしまった。電話の向こうからクスクスという笑い声が聞こえてくる。

「心配して電話してくれたの?」

 さきほどよりほんの少し声が弾んでいる。

「ええ。今笑い声が聞けてホッとしました」

「あっ! なにそのセリフ! ちょっとジーンと来ちゃいました」

 非常に照れくさい。まあしかし物書きとしてはたまにはイイセリフも言えないと――

「春日さん?」

 電話口からスンスンと鼻をすする音、それに小さな嗚咽の声も聞こえる。

「ごめんね。なんかホントに涙が出てきちゃいました。あれーおかしいな。風邪でココロ弱くなっちゃってるのかな?」

「わかりますよ。僕も風邪のときはついつい妹に甘えてしまい――春日さん?」

 どうも向こうでは涙腺が決壊を起こしている状態らしい。激しい泣き声が電話口から流れ込んでくる。

「うっぐ……。ごめん。もう切るね。ありがとう火野くん。嬉しかったです」

「ええ。お大事にです」

「……じゃあね」

 電話が切られた。

 そのときはまだ。早く元気な姿が見たい、などとのんきに考えていた。


 ――さらに翌日。

 いつもと変わらない朝を迎え、いつもと同じように登校する。

 教室に入るや否や部長のことでクラスの女子たちに質問攻めに合った。

「カノジョはいらっしゃらないです。但し千代美先輩という極めて仲の良い方がいらっしゃいまして、その方を倒さないと厳しいかと思います。攻略法ですか? 駄菓子と焼肉がお好きみたいですよ。弱点? そうですね……。パッと思いつきませんが、人間ですのでおそらく極度の高温とか心臓を尖った鉄の棒で貫かれることには弱いと思い――」

 それに答えていたらあっと言う間に授業開始時間となった。

 僕の前の席はぽっかりと空いたままだ。

 大森先生がういーっす。などとダルそうに教室に入って来る。

「席に着けユトリどもー。……あれ? 春日は今日も休みか。連絡来てないんだがなあ」

 教室が少々ザワつく。

「おい火野。なんか聞いてるか?」大森先生が僕に問うた。

「いえ。特には。ですが昨夜電話をしたときあまり調子がよくなさそうでしたので、本日も病欠かと」

「えーっ!? 電話したんだ! 心配して?」

「クールな火野くんが!? やべえなんかキュンキュンする!」

「よし! 春日さん帰ってきたら、みんなで二人を応援しようぜ!」

 なんだか騒ぎになってしまった。大森先生も大声で笑っている。

「そういえばテメエら、前にドエムドで放課後デートみたいなことしてたもんな!」

 さらに騒ぎが大きくなる。なんたる教師だ。こちらはちゃんとヒミツを守っているのに。

「よーし! じゃあ今日はこの状態で授業をするか!」

 黒板に僕と春日さんの相合傘を書いた。左半分を埋め尽くすほどの巨大な壁画である。

「やめて下さい! さすがに! セクハラに該当しますよ!」

 あやめさんが後ろを振り返り、ジトっとした目で僕を睨み付けてきた。

(今日も帰ったら電話してみようか)


「ちきしょうやってらんねえや! 飲まなきゃやってらんねえ! 全然当たりやがらねえんだもの!」

 などとクダをまきながらカスミが麦茶を飲んでいる。

「いくら生活が苦しいからって、ギャンブルに手を出しちゃいかんぞ」

「ちがうよ! 近所のスーパーの福引! ホントに当たり入ってんのかよ! サノバビッチ! 淫売の息子! ファッキンジャップぐらい分かるよコノヤロー!」

 そんなカスミを温かく鹿十し、僕は電話機のダイヤルを回した。

「アレ? 電話つながらないな。故障か?」

「ああ。そういえばなんかポストに『貴様は電話料金払ってないから止めまーす!』ってのが入ってたよ」

「そ、そんなに金ないのか?」

「いや! 忘れてただけ!」

 可愛い妹にチョップを喰らわせた。両手を一度頭上に振りかぶってから肩口に向かって振り下ろす、いわゆるモンゴリアンチョップである。

「しょうがないなあ。お兄ちゃんちょっと外出てくるから留守番しててくれ」

「えー? 外寒いよー?」


 公衆電話ってどこにあるのか意外と覚えていないものだ。

 冷たい夜風が吹く中、三十分も探しまわってようやく発見した。

 十円玉を投入して番号をプッシュする。

『この電話番号は現在使われておりません。番号をお確かめの上……』

 押し間違えたようだ。再び数字のついたボタンを押す。

『この電話番号は現在使われておりません、番号……』

(間違ってメモしている? いや。そんなわけあるか。昨日はかかったんだし)

 もう一度。

『この電話番号は現在……』

 さすがのババロア脳味噌でもただごとではないと気づいた。

 電話ボックスの中で立ち尽くす。夜風でガラスの箱がガタガタと音を立てて揺れた。


 手をこまねいたまま二日が過ぎてしまった。

 本日は土曜日。しかし殆どの生徒が文化祭の準備のために登校している。

 僕も昼過ぎには登校し部室に向かった。

(もしかして来ているかも……!)

 ドアを乱暴に開く。

 中にいたのは千代美先輩だけだった。咥えタバコで机に向かっている。

「ぶ、部長は!? まさか部長まで――」

「又三郎は心配ねえ。体育ではしゃぎすぎて緊急搬送されたんだと。明日は来るよ」

 ほっと胸をなで下ろした。

「今日は焼肉奢ってもらおうと思ってたのに!」千代美先輩が机を人さし指でトントンと叩く。「もっとも。そんな気分でもなくなっちまったけどな」

「です……ね」

 イライラとした様子で髪の毛をかきむしる千代美先輩。やりすぎてアップにしていた髪の毛がほどけてストレートヘアになってしまった。

「大森はなんか言ってたか?」前髪を邪魔そうにかき上げながら僕に尋ねる。

「おとといから実家とも一切連絡がつかないそうです」

「実家の住所は教えてもらうわけいかねえのか?」

「個人情報の問題で禁止されているそうで……」

 千代美先輩は舌打ちをしながら、大森のうんこ野郎などと漏らす。

「明日にも学校側から警察に捜索願を出す。と」

 先輩は「そっか」とつぶやいて背もたれに体を投げ出した。

 ――数十秒後。

 突然勢いよく立ち上がった。

「だー! どうせ気になって仕事になんねえや! 探しに行こうぜ!」

 僕は激しく首をタテに振って賛意を示した。

「よし! 火野! モエ坊の行きそうな場所を教えろ!」

「ひとつだけ、心当たりがあります!」

 千代美先輩と二人、学校を出て町田駅に向かう。

 なにげになかなか珍しいツーショットだな。などとどうでもいいことを少しだけ考えた。


「なあそんなにソワソワすんなよ。貧乏ゆすりしても総武線は急いでくれんぜ」

 秋葉原に向かう電車の中。千代美先輩が僕のヒザをバシっと叩く。

「す、すいません! いますぐ止めます!」

「……全然止まってねえじゃねえか!」

 はぁ……と大きく息を吐いた。

 千代美先輩は環境が環境だからか、非常によく溜息をつく。溜息というものは基本的にはあまり人をいい気持ちにはさせないが、僕は千代美先輩の溜息に限っては好きだ。春日さんも同意見で『まったく尖ってないまろやかな吐息。呆れながらもなんでも許してくれちゃう、千代ちゃん先輩の優しさを象徴している』などと語っていた。

「仕方ねえなあ。一本吸うか? 電車じゃあマナー違反だけど。特別だぞ」

 チョコシガレットの箱を胸ポケットから取り出し、僕に一本くわえさせてくれた。

「ありがとうございます」

 電車内での飲食はマナー違反と言えばマナー違反だが、これぐらいならなんら問題はないであろう。全くもってマジメな人である。

「あの。コレはどうやって吸えば」

「わかんだろ? 口に咥えて、すーっと肺に入れるんだよ」

 千代美先輩がお手本を見せてくれた。人さし指と中指でチョコを挟み口に咥える。その状態でスーッと息を吸い、チョコを口から離しながらハーっと息を吐く。

 真似してやってみた。肺の中を新鮮な空気が循環する。

「どうだ。ちょっとは気い落ち着いたか?」

「ええ」

 不思議なもので深呼吸をしただけで少々落ち着きを取り戻すことができた。

「なあ。モエ坊が見つかったらさ」千代美先輩がポンと僕の肩を叩いた。「今度ぁ、素直な気持ちを言った方がいいんじゃねえか?」

 真剣な声色。思わず彼女の顔を覗きこむ。

「時期を逃すとさ。後悔するぜ」

 いつもの怒ったような顔ではない。弱々しく寂しげな笑い顔だ。

「そうかも。しれませんね」

 僕がそう答えると、先輩は無言でゆっくりと頷いた。

「でも。千代美先輩も遅くはないと思います。部長とのこと」

 そのセリフを受けて。彼女は顔を真っ赤にして歯を喰いしばりながら、僕の顔面にタバコを押し付けてきた。

「なに勘違いしてんだこのバカ野郎! 焼き殺すぞ!」

「やめて下さい! くすぐったいです!」


『秋葉原―秋葉原―』

 電車が到着した。たくさんの人たちが雪崩のごとく降車していく。

「あっ! あの人!」

 僕は遥か前方の階段を歩く人物を指さした。春日さんが愛用しているものに近いピンク色のキャップを被っている。背格好も似ている――と思う。

「モエ坊いたか!?」「わかりませんがもしかすると!」「追うぞ!」

 だが。いかなタフガイの我々でも、この激しい人波に逆らって泳ぐことはできなった。

「クソ! 見失ったか!」

「とにかく! 春日さんが行きそうな所に行ってみましょう!」

 家電量販店ソフトアンドマップの一階テレビ売り場に到着。

 新品のテレビに映るニュースでは、相変わらず『JBG』とFBIの銃撃戦の様子が流れていた。しかし。そんなことはもうどうでもよい。

「パソコン売り場は何階だ!」「六階です!」

 エレベーターなんて待つのがもどかしい。走って六階に向かう。

 ――到着。ゼエゼエと息を荒げながら売り場を見渡した。至る所に『サクラコンピューター社製パソコンは販売差し止め中です』とのビラが貼られ、チェリコンコーナーは閑散としている。代わりにファッキントッシュのコーナーは人でごった返していた。

 一応確認するが、春日さんらしき人影は見当たらない。

「そうか。いくらモエ坊でもこの時期にチェリコン買わねえか」

「すいません無駄足させてしまって」

「そんなことより! 他に行きそうな所は!」

「メイド喫茶、ゲームセンター、アニメショップ、あとはケバブ屋さんとか!」

「よっしゃ! 全部行くぞ! 急げ!」


 いつの間にか夕陽が出るような時刻になっていた。

 さすがに体力の限界だ。秋葉原UDX巨大オーロラビジョンの下にあるベンチに、カラダを投げ出して小休止。普段の三倍のテンポで呼吸をする。千代美先輩もベンチに仰向けに寝っ転がり、同じく激しく息をついていた。

「ちくしょ……! どこにいやがん……だ!」

「もういないのかもしれませんね。最初っからいたかもアヤシイですが」

 オーロラビジョンに映るのは、例によってサクラコンピューターに関するニュースだ。

『一連の騒動によるサクラコンピューターの負債額は推定八〇〇〇億円。取締役社長を含めた首脳陣は全員退陣。国外に逃亡したとも言われております。これでサクラコンピューターは事実上の経営破綻。今後は国営化される模様――』

「けっ。こいつらも大変だな。スケールでかすぎて想像もつかねえけど」

 千代美先輩が悪態をつく。

「まさに住む世界が違う。平凡でよかったな。って感じです」

「ウチらは平凡とは言い難いレベルの貧乏人だろうが。まァお嬢とかならこいつらのキモチわかんのかね」

 ――『お嬢』。千代美先輩はあやめさんのことをこう呼ぶ。

『お嬢』『お嬢』『お嬢』。家がお金持ちな女の子の俗称。

 僕のアタマの中でなにかとなにかが接続される。

「そういえば春日さんの家も……サクラコンピューター……桜……」

「ん? なにブツブツ言ってんだ」

「千代美先輩! もうひとつ行ってみる所があります!」

 僕はベンチから勢いよく立ちあがり駆けだした。


『本を売る奴ぶっ殺す~♪』

 店内におなじみのナンバーが流れている。ツンデレヤクザ古本屋の『ブッコロス』。僕もヘビーユーザーで、本を買うときは大体ココで買い、読み終わったらココで売っている。

 秋葉原本店は物凄い人、人、人。一瞬、ウチにもこんなに客が来ればなァなどと考えた。

「ハアハア! やっと追いついた!」千代美先輩も到着した。「置いてくなし!」

「申し訳ございません。つい気が焦ってしまって」

「いいけどよー。なんでココにあいつがいると思うんだよ」

「もしかして。本当にもしかしてなんですけど。いま春日さんは『お金に困っている』かもしれないと思いまして」

「はあ?? どういう意味――」

 そのとき。店内のスピーカーからアナウンスが流れた。

『買取査定お待ちの春日様―。買取カウンターまでお越しください』

 顔を見合わせる。走る。

「闘犬乱舞全巻。買取価格一五〇〇円になります。売却されますか?」

 買取カウンターの前。店員が客の女の子に問う。彼女は小さな声で「はい」と答えた。

 その瞬間。ナニモノかが彼女の腕を掴んだ。

「それはあなたが一番好きなマンガでしょう? どうして売ってしまうのですか?」

「ひ、火野くん!?」

 帽子とマスクで変装している。しかし近くで見れば。そのつぶらな瞳、サラサラとした栗色の髪の毛。春日萌美以外のなにものでもない。

「ぜんぜん連絡がつかなくて心配したんですよ。とりあえず喫茶店にでも――」

 春日さんは見た目からは想像もできないすごい力で僕の手を強引に振り払い、脱兎のごとく駆けだした。

(……ちくしょうめ! 今日はいったいどれだけ走ればいいんだ!)

 全速力で追いかける。後ろから千代美先輩がなにやら叫ぶ声が聞こえた。


 どれくらい走り回っただろうか。

 このクソ寒いのに全身汗だく。上半身にはYシャツ、下半身にはトランクスがぺったりと貼りつく。喉はカラカラ。心臓も痛ければ頭痛もする。ヒザもガクガクに笑う。

 ようやく春日さんをとらえたのは芳林公園。かつて一緒にから揚げを食べた想い出の地だ。彼女はベンチの背もたれに寄りかかって過呼吸を起こしていた。

 もうすっかり夜。電灯がベンチに座る少女を真っ白に照らす。

「ハアハア……。まだやりますか? トムとジェリーごっこ」

「やらないですよ! 立てませんからもう!」

 春日さんの横にフラフラと腰を下ろした。

「ほんっとにしつこい! なんで人が嫌がることをそんなに一生懸命やるんですか!」

 言葉とは裏腹に。春日さんは今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「今逃がしたら二度と会えない。そんな気がしたからです」

 彼女はまぶたを伏せて「気づいてるんですか?」とカサカサにかすれた声で尋ねる。

 僕は「はい。なんとなく」と答えた。

「火野くんを巻き込みたくなかったのに」

 ゲホッ! と痛々しい咳をし、それから胸を抑えつつ消え入りそうな声を発した。

「私ね。ガーナに行かなくちゃいけないんです」

「ガーナ!? あの、アフリカのですか!?」

「ええ。言ったことあったかなあ? ガーナのアクラって言う所に遠い親戚がいるんです。とりあえずそこに身を寄せる。なんとか生きていくにはそれしかありません」

 そういえば。親戚にもらったと言ってガーナチョコレートを食べさせてくれたことがあったと記憶している。

「春日さん。あなたの両親は」

「お察しの通りだと思います。父はサクラコンピューターの社長です。……でした」

「春日さんは。あやめさんをも上回る『お嬢』だったんですね」

「殺村さんのところみたいな旧家と、ウチみたいな実業家を比較はできませんよ」

 ウチみたいなのはいつ落ちぶれるかわからないですし。と乾いた声で付け足した。

「パソコンも、スマホも、マンガも。全部売っちゃいました。大事なものは全部。大したお金にはなりませんでしたけど」

 感情の籠らない貼りつけたような笑顔を浮かべている。

「手元に残っているのは。これだけ」

 カバンからカメラ屋の名前が書かれた封筒を取り出した。

「これ。渡しそびれていたヤツです。あげます」

 封筒の中から取り出したのは。写真だった。

「千代ちゃん先輩たちにも渡しといてくださいね」

 写真を四枚。僕と春日さんのツーショットを一枚と、集合写真を三枚手渡された。

「いやー。この写真があってよかったなー。これがあればみんなのこと思い出せるもんね。撮っておいてよかった」

 むやみにあかるい声でそうのたまうと、僕の肩をポンと叩いた。

「今晩もう出発なの。そろそろ行かないと。むこう着いたら美味しいチョコレート食べられるかな? 楽しみだな」

 ベンチから素早く立ち上がり、

「じゃあね。写真大事にしてね」

 僕の右手を両手で包んだ。

「それを見て。たまには私のこと。思い出してね」

 ――僕は。

 その手を乱暴に振り払い跳ね起きるように立ち上がった。

 春日さんは目を丸くする。

「こんなもの……!」

 彼女に貰った写真を両手で持って叫んだ! そして暴挙!

 僕は写真を両手で真っ二つに引き裂いた!

「えっ……!」

 それを重ねてもう一度ぶっちぎる。さらに重ねてもう一回。

 そこから先はもうめちゃくちゃに引き裂いた。

「火野くん!?」

 細切れになったそいつを勢いよく空中にほおり投げた。フワフワとゆっくり地面に散らばる。桜吹雪みたいに綺麗だった。

「ふざけるなよカスガ! おまえはそれでいいのか! そんなに簡単に運命を受け入れるのか!」

 僕は千代美先輩が言ってくれたことを思い出していた。素直な気持ちを言え。と。

「来年もその次も一緒に頑張る! そう約束しただろ! カレンダーだってまだ中途半端なままだ! オマエが言ったんじゃないか! アレは必ず発売しなきゃならない! アレはオレたちの集大成だって! あのときオレがどれだけ嬉しかったと思っている! それにまだ『マシンガンシャウト・ライク・ア・スコール』だって聞いてねえ!」

 春日さんが一緒にいてくれなければ。ちゃんとあやめさんに謝る自信がない。つまりカレンダーを発売することはできない。

「なにがオレのことを思い出せるだ! なにが私のことを思い出してだ! そんな写真なんか見ていたって! 悲しくなるだけだろう!」

 怒号を上げながら地面に散らばった写真を踏みつぶす。

「このチンチクリンのドブシマリス! チャバネゴキブリ! バーカ! ブース! おまえの母ちゃんマザーファッカー!」

 なにかが僕に乗り移った。それはやたらと屈強で口が鬼のように悪いプロレスラー、僕の父親のタマシイだったかもしれない。

「行くな! いろ!」

 あらん限りの声を振り絞った。喉が焼けるように熱い。

「私だって!」春日さんもハラの底からの叫びをあげた。「行きたくないよ! 火野くんと一緒にいたい! でも! どうすればいいんだよ!」

 拳を握りしめ地面を踏みつけた。

「どうやって生きていけばいいんだよ!」

「そんなもの!」春日さんに向かって突進する!「オレがなんとかして見せる!」

 彼女の首の後ろとヒザの裏に手を差し入れて強引に持ち上げた。いわゆるお姫様だっこの体勢である。姫は僕の腕の中で絹を裂くような悲鳴を上げた。

「うるせー! 騒ぐな!」

 僕はそのまま駅に向かって駆ける!

「えっ!? ウソでしょ!? このまま電車に!?」

 ちなみにこの状態で地面にヒザを立て、そのヒザに春日さんの背骨を思い切り打ちつけると、あのJBGのファックマンをKOした『シュミット式バックブリーカー』の完成だ。思えば僕は人生の障害を常にこの技で突破しているような気がする。

「お願い! 降ろして! 恥ずかしすぎるうぅぅ!」

 ジタバタと両手両足を動かす。だが無駄だ。僕には両親から受け継いだ異常なまでの体の頑強さがある。

(離すもんか! 絶対に!)

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