第8話 暴言カレンダー制作秘話 機材を揃えよう! (春日さんとも仲良くしよう!)
九月も終わりに近く、少しずつ肌寒いと感じる日が増えてきた。
セーラー服の上からカーディガンを着ている女の子もチラホラ。大変よろしい。特に濃いグレーのカーディガンは最高であるということが言える。
――それはともかく。
「おお! 素晴らしいじゃないか! ……ゲホ!」
放課後の打ち合わせ。
部長がデータベースに登録された暴言の数の増加ぶりに感嘆の声をあげた。
先日行ったデートにより百以上の暴言を追加し、さらにデートをしたことにより彼女と良好な関係を気築くことに成功、普段からよく会話をするようになった。おかげでその後も順調に数を増やし、暴言の数は四五〇個を突破。それも質の高いものばかりだ。
カレンダーの制作は極めて順調に進んでいるといってよいだろう。
「部長。そろそろ暴言を集めるだけでなく、カレンダー自体の作成の方にも着手した方がよろしいかと」
「ふむ。その通りだな」
それは非常によいのだが。少々心配なことがある。
「モエ坊。カレンダーの形で印刷するのっていつもの『マチ商印刷』でイケるか?」
「はい。それは問題ないと思います。ですがデザインをどうするかという所が問題ですね。いつもの同人誌とは勝手が違います」
心配なこと。それは春日さんのことだ。
「あたしの友達に美術部の奴いるからそいつに相談してみる? 紹介するぜ」
「ありがとうございます」
この所なんとなく元気がない。いや――少々機嫌が悪いように見える。
理由もなんとなく察しはついている。恐らく。僕のせいだ。
そのことを最も痛感するのは帰り道、二人で歩いているときだ。
夕焼けの川沿いに少々重い空気が広がっている。
「か、春日さん。いよいよカレンダー作成も山場という感じになってきましたね」
「はい。ちょっと不安になってきました」
決して会話が成立しないわけではない。むしろ受け答えは実にスムーズだ。
それでも僕が『機嫌が悪そう』と感じる理由はいくつかある。
ひとつは。なんとなく笑顔が陰っているように見えること。これはまあ気のせいかもしれない。
「特にデザイン面。カレンダーということで今までの同人誌よりもデザイン性が重要だと思いますので」
もうひとつは。僕と殆ど目を合わせてくれないこと。これもいつもといえばいつもだ。
決定的なのはみっつめ――
「あとは。非常に分厚くなりそうなので、製本がうまくいくかどうかという点ですね」
春日さんの敬語が全く崩れなくなっているということ。一年生の一学期。まだモロに心の壁を作っていた頃のように。
(あの崩れる敬語が好きなのに――)
仲良くなるにつれ、ちょっとずつ砕けたしゃべりをしてくれるようになってきたのだが、時計の針が元に戻ってしまっている。
(やっぱり謝らないと――!)
「あの! 春日さん!」
僕は立ち止まり叫んだ。
春日さんも足を止め、目を丸くしてこちらを振り返る。
「申し訳ありません! ずっと謝ろうと思っていたのに言い出せなくて!」
僕がそう叫ぶと、彼女は小さく溜息をついた。
「ごめんなさい。ここのところ私、カンジ悪かったですよね」
「そ、そんなことは! 僕が悪かったので!」
「火野くんが悪いってことでもないし。謝られてもちょっと困っちゃいます」
「いえ! 僕が悪いです!」
「そんなに謝らなきゃいけないコトをしちゃったんですか?」
「はい! しました!」
「そうですか。それはちょっとショックですけど。逆に諦めがつきます。そうだと思ったんですよ。急に仲良くなるし、下の名前で呼んでるし」
……? なにを言っているのかよくわからないが。とにかく自分がやったことを謝罪するしかない。
「からあげ……」
「へっ?」
僕は春日さんに対して深々とアタマを下げた。
「先日唐揚げを頂いたときに! 一番大きいのを食べてしまい! 申し訳御座いませんでした!」
叫び声が夕陽に響く。
二人の影が長く伸びていた。
「この罪は必ず償わせて頂きます! 家を抵当に入れてでも同じものを……いや! 十倍にしてお返し致します!」
しばし時間が止まる。
ややあって。春日さんは小さな体をくの字に折り曲げて両手でオナカを抑えた。
「アハハハハハハハ!」
そして笑った。小さな子供のような底抜けに明るい笑い声である。
「あは! アハハハハ! 火野くんってさ! パっと見しっかりものなんだけどさ、実はすっごい天然ですよね!」
「て、天然!? 違いますよ! そんなわけないじゃないですか!」
「いーえ! 天然って言われてそうやってムキになって否定する天然はホンモノです!」
僕を指さし笑い続けている。
「あの……それで。僕はどうすれば」
「そうですね。罪を償って下さい」
イタズラっぽくニカっと笑った。
「う……。分かりました。じゃあ家をタンポに鶏モモ肉を――」
「いえ! 唐揚げは大丈夫です! てゆーかそんなこと気づきもしてなかったし」
じゃあどうすればと尋ねた。すると彼女は。
「ねえ。このあいだの殺村さんとのデート楽しそうでしたね。私こっそりのぞいてたの」
知ってました。と言うかどうか迷っている内に――
「ヒクほどにイチャイチャしてましたよね! おんぶしちゃったりして!」
「ええっ!? そこまで見てらしたんですか!?」
「ねえ火野くん。殺村さんのこと好きなの」
「そういうつもりは! そもそもあのデートに誘ったのだって、カレンダー制作の一環みたいなもので――」
「へえええぇぇ~。そういう言い方をするんだぁ」
彼女は僕の言葉を遮ってニヤりと笑うと、僕の真正面、体が触れ合いそうなぐらい近くに立ち、
「じゃあさ。カレンダー作りの一環だったら」
ドゥクシ! と僕のお腹にパンチを入れた。
「私ともデートしてくれるの?」
パンチはけっこう重たく、内臓にそれなりのダメージがあった。
「じゃー! またねー!」
ウチの前、春日さんは元気いっぱいな様子で手を振ってくれた。
(なんか……めちゃくちゃに疲れた……人間ボロ雑巾状態……)
疲れた体を癒してくれるのはやはり我が家だ。
ただいまと言いながら玄関の扉を開くと、妹のカスミがいつものように笑顔で僕を迎えてくれた。
「お兄ちゃん! おかえまんこ!」
そして頬にキスをしてくれる。
「妹よ。お兄ちゃんの美意識からするとな。帰ってきたときに『ただいまんこ』、それに対するカウンターで『おかえりんこ』はアリだが『おかえまんこ』はナシだな」
「そっか! 確かに! もうしない!」
「いい子だ」頭を撫でてやる。
「ごはんできてるよー」
本日の夕飯は牛脂の串焼き。スーパーマーケットにおいて唯一タダで買える物体を串焼きにした料理だ。別名〇円焼き。カスミのオリジナル料理である。
「んー! 美味しい! アブラが五臓六腑に染みわたる!」「あのねー今日学校の体育倉庫でね――」「保健室で体育教師と音楽の先生が――」「お兄ちゃん?」
カスミが僕の顔の前でブンブン手を振る。
「あ、ごめんな。ちょっとボーっとしてた」
「大丈夫? カゼひいた?」
「いやそういうわけじゃないんだけど。ちょっと悩みがあってな」
「えええっ!? もしかして性病!? クラミジア!? 大丈夫!? 私に伝染す!?」
「いやそこまで深刻な悩みじゃないよ。スカートは履いててOKだ」
素直に従ってスカートのジッパーを上げた。ちなみにパンツの色は空色であった。
「なあ。カスミはデートってしてるか?」
妹はキョトンとした顔をしたのち「そんなもんしたことない」と肩をすくめた。
「そうか。可愛いからしてると思ったけどな」
「なんかね。私は顔の作り自体は可愛いけど女性的魅力がカサカサなんだって」
カスミの所にもなかなかの暴言家がいるようだ。
「じゃあさ。カスミはどんな人とだったらデートしたいと思う」
「お金をくれるおじさん」
僕は妹の頭をスパコーンとシバした。
「冗談だよー! 最近お兄ちゃん暴力的じゃない?」
まずい。この間ファックマンにバックブリーカーを食らわせた快感がクセになっているのだろうか。僕は妹の頭を撫でつつ謝罪をする。
「いいけどさー。誰とデートしたいかなんて決まってるじゃん。好きな人だよ」
「なるほど……」
そうなると。うーむ。春日さんはなにを考えているのだろうか。
「もしかして。誰かにデートに誘われた? この間デートしてた人? それともいつも一緒に帰ってきてる人? たぶんコウシャかなー」
こいつ……なんという鋭さ。僕とは大違いだ。誰に似たのだろうか。
「図星でしょ。やはり私の長年鍛え上げたお兄ちゃん観察眼はホンモノだな」
「そんなものを鍛えているヒマがあったらデートしたい人でも見つけろ」
「いるし!」
「なにぃ!? どこの馬の骨だそいつは!」
ちゃぶ台を平手でぶっ叩く。
「二次元キャラ! あのねやっぱり私は『闘犬乱舞』の――」
「『ダルメシアン様』だろ……? 知ってるよ。実在の人物ではいないのか?」
「いるよ」
「誰だ!? そのクソ野郎は!」
「森日本プロレスの棚町さん」
「そうか……」
妹の将来が少々心配だ。早く成長して欲しいものである。
「あとはねえ」カスミはちょっとはにかんだような笑顔を浮かべながら言った「やっぱりお兄ちゃんだな」
前言撤回。もうしばらくこんな感じでいて欲しい。僕はそう願った。
そわそわとした一週間を過ごして、ようやく日曜日が訪れた。
すっきりとした晴れ間の広がった気持ちのよい朝。気温もそれほど高くない。涼しい風が通り抜けている。
「行ってらっしゃーい! ゼンギを怠らないようにねー!」
今日もカスミに身支度を手伝ってもらってしまった。おかげで髪型なんかは結構いい感じだと思う。新しい服も買ったし恥ずかしくはない格好である。はず。
町田駅構内のトイレで身だしなみを再確認。しかるのちに電車に乗り込んだ。
車中、強烈な眠気に襲われる。昨晩ほとんど一睡も出来なかったためだ。吊革につかまったままうつらうつらと舟をこぐ。
『秋葉原―秋葉原―秋葉原の次は――』
ハッと目を覚ます。辛うじてドアが閉まる前に駅のホームに降り立つことができた。
(ええと。電気街口改札は――こっちか)
待ち合わせ場所は人でごった返していた。春日さんはまだ来ていない。集合時間まであと四十五分もあるので当然と言えば当然だ。
改札前のコンクリートの柱によりかかる。自分でも驚くくらいに気持ちが落ち着かない。ワックスで固めた髪の毛をクリクリと捻っていたら、指がベタベタになってしまった。
(早く来ないかな)
――ようやっと春日さんらしき人影が改札の向こうに現れる。ライトブルーのチェック柄シャツにデニムスカート、頭にはピンクとホワイトのツートンカラーのキャップ、スニーカーを履いてショルダーバッグを下げていた。意外にも少々ボーイッシュな感じの服装だが、よく似合っている。
彼女は僕の姿を発見するや、なぜか赤兎馬の勢いで駆け寄ってきた。
「春日さん! 危な――」
「ごめんなさい!」
僕に追突する直前! 彼女は急ブレーキをかけ反対側に跳び、僕の対面のコンクリート柱を蹴る! そのまま急角度で落下! 僕の足もとに額をこすりつけた! これは三角飛び土下座! あの『ゴッドハンド』大山倍達の秘技を応用したS難度の必殺土下座。寿命と引き換えに繰り出す荒技中の荒技である。
「私みたいなドブモグラが休日に人さまをこんな所まで呼び出してデートなどと! 私、私! 昨日の夜突然! なんて大それたことをしてしまったんだろうって恐ろしくなって! ああああ! コワイ! 死にます! 私いかんせん死にます! このまま頭突きで地面掘って自らを土葬します!」
春日さんの公衆の面前での自虐ショウに駅構内がザワつく。
(捕まる……!)
そう思った僕は春日さんの手を取って走り出した。
「あ、汚い! 私の手の汚菌が!」
なお。先ほどの三角飛びの際にパンツが見えた。光沢のある無地のワインレッド。シンプルながら、情熱的でかつ女性らしい大変よいおパンツであった。
「春日さん。この間僕を天然だって笑ってましたけど。あなたも大概ですね」
「返す言葉もございません」
とりあえずそこらにあった喫茶店に身を隠した。なにやらやたらとコケティッシュでフリフリな格好をした女性の店員さんがたくさんいる。
「春日さんのあの爆発するようにネガティブな感じは嫌いではない、むしろ好きなのですが。人前は控えた方がよろしいかと」
パンツも見えちゃうし。と付け足そうかと思ったがやめた。
「す、すいません。もう、なんかアタマが沸騰しちゃって」
「いえ。分かっていただければ」
春日さんはバツが悪そうに後頭部をポリポリと掻く。
「火野くんに怒られちゃった。たぶん初めてですよね」
「そうかもしれませんね。エラそうにすいません」
「いえ嬉しいです。ドMですので」
そう言って下を向いて黙り込んでしまった。
――沈黙。少々きまずいのでこちらから話題を転換する。
「その格好。お似合いですね。大変爽やかだと思います」
「えっ!? そうですね服自体は気に入ってます。でも中身が服の価値を下げて――」そこまで言ってから両手で口を抑えた。「――じゃなくて。ありがとうございます」
「ちょっと意外な感じでしたけどね」
「意外?」
「もっと女の子っぽい服を着ていそうなイメージがありました」
そういえばこの間プロレス会場で見たときもボーイッシュなTシャツ姿だった気がする。
「女の子っぽい服も好きなんですけどね。自分が着ている所をイメージするとゲロ吐きそうになるのでどうしても買えなくて……あっ……」
またまた口を抑える春日さん。僕は苦笑するしかなかった。
「ひ、火野くんのシャツもステキです」
「ありがとうございます。良かった。昨日買いに行ったんですけど。いろいろ種類があってよくわからなくて」
「今日に備えてですか? へへへ」
嬉しそうに歯を見せながら僕の顔を覗きこむ。なんだか照れくさい。
「あっでも、まさか家を抵当にいれて」
「いえ。妹から借りました。僕のために貯金箱を破壊してくれて……」
「ホント、いい妹さんですね」
と。そこに女性の店員さんが伝票を持ってやってきた。
「ご注文お伺いしまーす!」
「コーヒー「ブラックコーヒーひとつ」ブラックでください」
――変な感じにちょっとずれてに同じものを注文してしまった。
一度春日さん目くばせをしてから、
「すいません。ブラックコーヒー二つ」
と注文し直した。店員さんはクスっと笑いながら注文を記入し去っていく。
春日さんはなにもそんなに恥ずかしがらなくてもというほどに頬を真っ赤にしていた。
「珍しいですね。甘党の春日さんがブラックコーヒーって」
「うーん。ちょっと眠たくって。昨日ぜんぜん眠れなかったものですから」
「そ、そうですか」
僕も一睡もできなかった。ということはなんとなく憚られた。
「春日さんは秋葉原にはよく来られるんですか?」
秋葉原のメインストリート『電気街』を歩く。歩道も車道も人で埋め尽くされていた。毎週日曜日は車の通行は禁止、いわゆる歩行者天国になっているのだとか。
「ええ。パソコン触るのが趣味、みたいなものなので」
朝の小田急線を彷彿とさせる大変な人ゴミだが、なんとなくお祭りのようなウキウキとした雰囲気があり歩いているだけでけっこう楽しい。
「ああ。なるほど。春日さんのパソコンさばきは見事ですもんね。素人目に見ても」
「いえいえ! 私なんてへたの横好きというか、ゴミクズに毛が生えたようなタゴサク……じゃなくてまあまあぐらいですよ」
「ムリに呑み込まなくても大丈夫ですよ! ネガティブ発言」
そう言ってあげると、彼女は心底ホッとした笑顔を見せてくれた。僕もつられて笑う。
「じゃあ早速。パソコンショップに行って『用事』をすませちゃいましょうか?」
今回われわれが秋葉原に繰り出したのは、一応、『カレンダー制作のための買い出し』という名目になっている。
「しかし本当によろしいのですか……? あんな高価なのものを」
春日さん曰く、これからの作業は一人にパソコン一台あった方が効率がよいのでパソコンをもう三台追加で買いたい。その料金は自分が出す。とのことである。
「大丈夫ですよ! 中古の安いヤツ買いますし、第一、お貸しするだけですから。文化祭終わったら自分で使うので」
しかしながら中古とはいえ高校生がパソコン三台分の料金をポンと出せるものなのだろうか? その辺りの一般的な金銭感覚がよくわからない。
ともかく。これ以上強硬に反対する理由も思い浮かばず春日さんについていくことした。
「ここがいいかな?」
ソフトアンドマップという家電量販店に連れて行ってもらった。六階OA機器売り場には所せましとパソコンが陳列されている。客が大勢いるのはもちろんのこと、店員も「こんなに必要か?」という人数が目をギラつかせ練り歩いていた。まるで戦場である。
「随分たくさん種類があるのですね」
「ええ! それはもう」
春日さんはキラキラと目を輝かせている。
「日本でメジャーなパソコンには二種類あってですね、一つは私がいつも使っている『サクラコンピューター』社製の『チェリコン』。これは日本製ですね。もう一つは洋梨がデザインされたアメリカの『ファッキントッシュ』。以前はパソコンと言えばほぼ『ファック』だったんですけど最近は『チェリコン』のほうも大分勢力を拡大してきていますね。『チェリーブロッサム』と言われる独自のネットワークも開設されていて――」
早口でまくしたてる。非常に新鮮だ。
「あ、ごめんなさいしゃべりすぎました」
「いえいえ。参考になりますよ。僕もマイパソコンが欲しいですね。小説を書くのにパソコンの方が便利そうだ」
基本的にはダメ作家であるため、いつも没原稿用紙の山を築き森林資源を大量に費消してしまっている。パソコンを買えば地球に優しいダメ作家になれるのでないだろうか。
「私の一台差し上げましょうか?」
「それはちょっと申し訳が……」
「うーん。じゃあカレンダーが大ヒットしたら買いに来るっていうのはどう?」
「いいですね」
「どういうやつが欲しいですか? 例えば――」
店に置いてある『チェリコン』製品について事細かに説明してくれる。正直あまり理解することはできなかったが、なんとなく楽しかった。彼女はどこでこんな素晴らしい知識を身につけたのであろうか。
「僕が持ちましょう」
「いいんですか? けっこう重いかも……」
「いえこれぐらいは」
目的の『ノートチェリコン』を無事購入。
今はアニメショップやゲームセンターがたくさん並んでいる辺りを歩いている。
「春日さん、アニメは詳しいですか?」
「じ、実はけっこう……」なぜか照れくさそうに両手の人さし指をツンツンと合わせる。
「僕も案外知ってますよ。妹がアニメ大好きっ子なので」
「へー! そうなんだ! 知らなかった!」
「テレビはお金が掛かりませんしね。ちょっとこの辺りの店に入ってみますか」
僕は目の前にあった『ライオンのけつのあな』という店に入店してみた。
「この店はちょっと違……あっ! 待って下さい」
店内は非常に広大で書籍やキャラクターグッズなどが所狭しと置かれていた。
一冊のマンガ本を手に取ってみる。
「これは『闘犬乱舞』の原作本ですか。絵柄がアニメとは大分違うみたいですね」
随分と薄い本だ。ビニールに包まれていて中身を確認することはできない。
「えーっとそれはその……なんというか」
春日さんはなぜか顔を赤らめて僕から目を逸らす。
「よく『トウラブ』ご存知ですね。男性では珍しいっていうか」
「妹が大ファンなもので。いつもダルメシアン様ダルメシアン様って言ってます」
「ひえええ。親友になれそう」
「結構たくさん種類があるんですね。ん……? 確かこの二人は敵同士だったと記憶しているのですが、なぜこんなに仲睦まじい様子なんでしょうか?」
別の本の表紙では主人公のボメラニアンくんと敵役のダルメシアンが、上半身裸で手を繋ぎ互いを見つめ合っている。
「ほう。作者は『ハルヒ』さんとおっしゃるんですね。女性かな」
「んん――!?」
春日さんがなぜか口を抑えて叫び声をかみ殺した。
「ど、どうなさったんですか?」
目が真っ赤に充血して、明らかに尋常な状態ではない。周りのお客さんたちもこちらに注目している。
「な、なんでもない! ねえ! 早く行きましょ!」
などと言いながら早足で出口の方に歩いて行く。僕もそれを追いかけるが――
「あのぅ……」
春日さんのゆくてに二人の女性が立ちはだかる。メガネをかけた大人しそうな子たちだ。
「もしかして……ハルヒ先生ですか!?」女の子が裏返った声でそのように問う。
僕が驚きの目を春日さんに向けた瞬間、彼女はアタマを抱え「ああああぁぁぁ!」などとこの世の終わりのような叫び声を上げた。
「えっ!? あっ!? すいません! プライベートの所に話しかけちゃって!」
「てゆーか全然違いましたか!?」
女の子二人はあたふたと狼狽している。
春日さんはハッと我に返ったように、いくらか落ち着いた声で言った。
「いえ! 合ってます! こちらこそすいません! ちょっと驚いただけで!」
女の子たちは安堵した顔で息をつく。
「それならよかったです。コミケでお会いしたときはマスクをされていたから自信がなかったんですが」
「かわいいー。マスクなんてしない方がいいのにー♪」
……コミケ? マスクというのはこの間していた虎のマスクのことだろうか。
「そ、そ、そんなことないです! 私の顔はグロ! グロ画像なんです! 特に口元の低クオリティーがモンスター級なんです!」
少女二人はケラケラと笑った。
「わあ。普段もそういうカンジなんですねー」「そのノリ好きですー♪」
いまひとつ状況は分からないが、どうやら二人は春日さんのことを結構よく理解しているらしい。しばらくのあいだ他愛のない会話を交して二人は去って行った。
「ありがとうございましたー!」「新作期待してます!」
春日さんは疲労困憊した様子でヒザに手をついた。耳にかかった髪の毛が汗でびちゃびちゃに濡れている。
「あの、ごめんなさい火野くん。ヒキましたよね? 軽蔑されましたよね?」
「ええっ!? いえヒクもなにも全然状況が――」
と。
僕の背中に悪寒が走った。
四方八方より強烈な威圧感。
周りを見渡すと地味な女性数十人が僕たちを――いや春日さんを取り囲んでいた。
僕は身の危険を感じ、
「とうっ――!」
アクションゲームの緊急回避のごとく床を転がってその場から離れた。
次の瞬間、彼女たちはヌーの群れの大移動のごとく春日さんに迫り、彼女を取り囲んだ。
「ハルヒ先生!? マジで! こんなに若くて可愛らしい方だったなんて!」
「一緒に写真撮ってください!」
「握手してください!」
「ウチの赤ちゃんを抱いてあげてください! お相撲さんみたいに!」
「サインなんか頂けると!」
もみくちゃになり様々な要求をされる春日さん。
悲鳴を上げながらもしっかりと一人一人に対応していく。
「わ、若くも可愛くもないです! 心も体もしわくちゃです! ねるねるねるねのババアです! 指もとんがりコーンみたいにしわしわなのです!」
「私と写真撮るとキケン! 必ず心霊写真になるから! なぜなら私自身がオバケみたいなもんだから!」
「握手もやめた方がいいです! こんなヘドロみたいな手と握手なんかしたら手が腐ります! えっ? 元々腐ってる?」
「よ、よしよ~し。お姉ちゃんを反面教師にして立派な大人になるでゴワスよ~」
「こんな無価値な人間にサインなんかありませんよ! あ、でも私みたいなもんがお断わりするのも……! ぐぬぬぬぬ……今考えます……!」
彼女はサイン色紙に『ごめんなさい 死にたい ハルヒ』などと記入していた。
ふむ。殺村さんの暴言に負けず劣らず、春日の自虐のキレ味も相当なものである。
いつのまにやら時刻は午後十二時半。お昼どき。
とりあえず休みたい。ということで、秋葉原駅の近くの芳林公園というところに足を運んだ。駅周辺のゴミゴミ具合と比べてのどかな公園だ。子供向けの遊具がたくさん置かれており、子供とその親たちで賑わっている。
春日さんはベンチの上で体育座りをして、自らのヒザに顔を埋めていた。ピクリとも動かない。
「あの春日さん」
僕の声に反応して顔を上げる。その顔にはいつものハリとツヤが存在していなかった。
「えーっとなんと申しますか。春日さんはナニモノなのですか?」
彼女はポツリポツリと『同人誌』『BL』『コミックマーケット』『委託販売』などの概念について説明してくれた。
「なるほど……完全に理解しました」
ちなみに『ハルヒ』というペンネームは「春日」を別の読み方にしたものだそうだ。
「ごめんなさい。ドン引きアンド軽蔑ですよね。私みたいな変態の汚らわしい生き物は死ぬべきなんです」春日さんの瞳に涙が浮かぶ。
「そ、そんなことはありませんよ!」
フォローの言葉を発しながら先ほど購入した春日さんの同人誌をめくった。
「まァ、男の僕にはこの本の真の魅力は理解出来てはいないかもしれませんが。女性がこういったものを好むのは普通のことなのでしょう? 妹も言っていましたよ。『ホモが嫌いな女など存在しない。もしいるとしたらそいつはホモサピエンスではない』と」
春日さんはそれを聞いて「妹さん。いい子ですね」と虫が鳴くような声で呟く。
「ごめんなさい火野くん。隠し事をしていて」
「そうですね。それは正直ちょっとヘコみました」
春日さんは「わあぁ!」などと声を上げて頭を抱えた。
「ははは。冗談ですよ。でも春日さんの新たな一面を知ることができて嬉しいです。まあなんでも言って下さいこれからは。そうそうのことではヒイたりしませんから」
その言葉を聞いてようやく少しだけ笑顔をみせてくれた。
「むしろ尊敬しますよ。あんなに人気があるなんて。春日さんのマンガ家としての将来は明るいですね」
僕がそういうと、
「あれじゃだめなんですよ」
春日さんは笑顔のまま、吐き捨てるように言葉を放った。
「BLじゃ稼げませんから」
ゾクっとするような低くて冷たい声。それにとんでもなく彼女らしくないセリフだ。
なんと声をかけていいか分らずに口をパクパクさせていると、
「まあそれはいいとして! お昼ご飯にしませんか!」
全てを洗い流すような明るい笑顔だ。
僕はひっかかりを感じながらもそれに同意した。
「えーっとそれじゃあ。これを」
春日さんがショルダーバッグから風呂敷に包まれた大きな箱状のモノを取り出し、ベンチの上に置いた。
「お弁当です!」
「なんと! ありがとうございます。すごく嬉しいです」
「あ、開けてみて!」
風呂敷をほどくと二段重ねの弁当箱が入っていた。スヌーピーがプリントされた可愛らしいものだ。そーっとフタを開く。
「こ、これは! 神々しい……!」
上の段に詰められていたのは大量の唐揚げだった。真ん中にひとつ仕切りが入っているが、右側も左側もすべて唐揚げで埋め尽くされている。
「変なことで気に病んでましたから、ね。こうなったら大量に口に詰め込んじゃおうと思いまして」
上の段の箱をベンチの上に降ろす。下の段にもおにぎりやサラダがびっちりと詰まっていた。大変豪勢としか申し上げようがない。
「なんかすいません本当に。せっかくですのでご厚意に甘えさせて頂こうかと思います」
風呂敷の中に入っていた箸を手に取り、春日さんにも渡す。
「あ、待ってください。えーっとですね。こっち側の奴を食べて下さい」
僕から見て仕切りの右側の唐揚げを指さした。
「なにか違うんですか?」
見た目には違いが分からない。どちらも大変美味しそうな小麦色をしていた。
「ち、違いません! なんとなくです!」
僕の中のイタズラ心がむくむくと立ち上がる。
「承知致しました。では頂きます」
両手を合わせてお辞儀をしたのち。
僕は箸を疾風の如くスライドさせ、左側のエリアから唐揚げを掴んだ。
「あっ!」春日さんが叫ぶがもう遅い。唐揚げは音速のスピードで僕の口に――
「カラアアアアァァァァァーッツ!」
口の中で炎のハリネズミが産まれる感覚。奴は初めにその熱で口内の水分を根こそぎ奪い、しかる後にハリでぶっさした。
「熱っ! 痛っ! があああぁぁぁぁ!」
「だから言ったのにいい!」
僕は自動販売機に走った。
なけなしのお金でコーラを購入、それを飲み込むことでようやくひとごこちについた。
「ふー。死ぬかと思った」
「うう……なんで私の言うことを聞いてくれないんですか! 私がジャパニーズゴキブリミズムシだからですか!?」
「なにも泣かなくても」
春日さんは子供のように両目を両手で擦っている。
「これね。私が産まれて初めて作った唐揚げなんです」
箸でさきほどの激辛唐揚げを持ち上げた。
「いつものお弁当は私が作っているわけではなくて」
なるほど。春日さんの家庭的そうなイメージと相まって、自分自身で作っているものと思い込んでいた。
「ではアレは春日さんのお母様が?」
「えーっとですね」眉をしかめ後頭部をポリポリと掻いた。「……隠し事はしたくないので正直に言いますね。いつものお弁当を作ってるのはウチの調理師さんなんです」
「調理師ですか!?」
理解した。つまり春日さんは、千代美先輩流に言えば『お嬢』なわけだ。
「じゃあ右側に入っているのは調理師さんが作ったもの?」
「そうです。ホントは私が作ったものを食べて貰いたかったんですけど、とてもヒトサマにお出しできる物体ではなくなってしまったので」
いつも調理師さんが作ってくれるスパイシー唐揚げを教わって作ってみたんですけど、私のようなファイナルバイブレーションダメ人間にかかるとこのザマです。とのことだ。
「左側の方は自分で全て食べるつもりだったんですか?」
「はい。もったいないので」
「ムチャしすぎです」
春日さんは箸で持っていた唐揚げを元に戻した。
「春日さんのご実家はなにをされているんですか?」
と質問するや彼女は如実に「困ったな」という顔をした。
「……いえ。教えて頂かなくても結構です」
「ありがとうございます。そう言って頂けると。会社の名前だけは言っちゃイカンと父に言い含められていまして」
また後頭部をポリポリと掻く。もしかすると、彼女は思った以上にとんでもないお嬢様なのかもしれない。
「私がこういう喋り方なのも、両親の教育がすっごく厳しかったからなんです」
「春日さんの喋り方好きですよ。たまに敬語が崩れる所がとくに」
「あ、ありがとう。火野くんも似た感じですよね」
「ウチの場合はですね、死んだ父があまりに口が悪かったので、母に真似するな! って厳しくしつけられたんです。本を読め勉強しろともやたらと言われましたね」
おかげで春日さんや本屋部のみんな、あやめさんに出会えたのだから感謝しなくてはならないが。
「ご両親はプロレスラーなんだっけ? それじゃあ逆らえませんね」
「ええ。怒るとシュミット式バックブリーカーをされるので」
それがどんな技かを説明すると、春日さんは苦笑いをした。
「そういえばこの間テレビのプロレス特集みたいな番組でお父さんを見ましたよ。コワモテだけど笑顔が可愛らしくて素敵ですね」
嬉しくなった僕はお弁当を食べながら生前の父のことをいろいろと話した。
ちょっと。いやだいぶんしゃべりすぎたが。ずっと笑顔で聞いてくれていた。
ゲームセンター、フィギュア屋、屋台のケバブ、さらには声優さんの路上ライブまで。秋葉原を堪能しつくして帰路につく。
もうすっかり夜。帰りの電車、黄色い車体の総武線はガラガラであった。
「火野くん、今日はありがとう。ごめんね。ムリヤリ誘っちゃって」
「いえ。楽しかったですから。とても」
「それなら……よかった」
春日さんの声がどんどんトローンとしたものになっていく。
疲れて眠たいのであろう。目も半開きだ。
「ねえ。火野くん」
「はい」
「明日からまたカレンダー作り頑張ろうね」
「ええもちろん」
「私もね。もっと殺村にさん話しかけるようにしようかな。女の子同士じゃないと出て来ないコトバもあるかもしれないし」
彼女のその台詞に。僕はなにかモヤっとしたものを感じた。
「それと。唐揚げ。今度リベンジさせてね」
「あれはあれで美味しかったですけどね。結局全部食べてしまいましたし」
「そっか」
融けかけたアイスクリームを思わせるトローンとした顔。もう半分以上寝ている。
「あの。春日さん」
「なんですー?」
一瞬の沈黙。
「やっぱり。なんでもありません」「んー?」「寝ちゃっていいですよ」「うんー」
『唐揚げじゃないなら。なんで怒ってたんですか?』
うやむやになっていたこの質問をしようとしてやめた。
多分、自分で考えなくてはならないことなのだと思う。
それに。今度こそ察しはついた。大間違いではない。はずだ。そうであったら嬉しい。
でも。
彼女がまだなにも話してくれないこと。彼女が一人で抱えていること。
それが存在することを今日僕は感じ取った。
そいつをすっとばして僕たちが今以上の関係に進展することは不可能な気がする。
いつかは話してくれるのか。僕が『話せ』というべきなのか。彼女がネガティブなことばかり言うことに関係があるのか。それに今はあやめさんの暴言カレンダーの制作で手一杯な状態でもある。このことは後回しにした方がいいのか。そういえばあやめさん、彼女について僕はどう思っているのか。
僕はそんなことをぐるぐると考え答えを出せずにいた。
溜息をつきながらふと彼女の寝顔を見る。
(うわ……! こんなもんずるい)
その動物の赤ちゃんのように無垢な寝顔があんまり可愛らしく、僕は魔がさした行いをしてしまった。
(えーと。進行方向は僕の位置から見て右方向。従って電車がブレーキをかけた場合、慣性的なサムシングにより左方向に力が加わる。つまり)
僕の頭蓋骨の中の少量のババロアが結論を導き出す。
(春日さんの左に移動だ!)
『次はー水道橋―水道橋―』
(よし! こい!)
電車が停車する。それにより左方向に見えない力が加わった。結果。春日さんの頭が左側にコテンと倒れ、僕の腕に寄りかかる。
(やった!)
小さくガッツポーズ。
二の腕に当たる彼女のほっぺたはゆたんぽのように暖かかった。
――その瞬間。なぜか幻聴が聞こえた。
『そんなことだからお兄ちゃんは童貞なんだよ!』
こうして春日さんとの『カレンダー制作のための買い出し』は目的のブツを無事入手。大成功に幕を閉じた。余計なイベントが山ほどあったが――
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