第7話 暴言カレンダー制作秘話 殺村さんと仲良くなろう! お出掛け編(後編)

 長い長い三日間を過ごして日曜日。当日の朝を迎えた。

 部屋はまだ薄暗い。カスミの健康的なイビキの音が聞こえる。

 僕は上体を起こし我が家伝統の古時計を見上げた。

(まだ五時半か……)、

 待ち合わせは午後の一時。いくらなんでも早く起床しすぎた。もう少し睡眠を取ることにしよう。布団を被り再びまぶたを閉じる。

 しかし。全く眠気がやってこない。

(完全に覚醒してしまった。仕方がない。出かける準備をしよう)

 立ち上がって大きくノビをしながら洗面所にむかう。まずは洗顔、それから歯磨き。ここまではなんの問題もないのだが。

(うーむ。どの服を着ていこうか)

 タンスの中身を漁る。改めて自分はなんとファッションというものに暗い人間なのだろう。なんということもないどこで買ったかもよく覚えていないTシャツやパーカー、それにごくごく普通のブルージーンズしかない。まァ他に手持ちがないのだからこれを着ていくよりもしようがないだろう。引き出しから取り出して袖を通す。

 あと必要なのはデートの資金だ。僕は十年かけてわずかずつ貯金を続けてきた、ブタさんの形の貯金箱に渾身のエルボードロップを喰らわせた。すると。思った以上の凄まじい金属音が鳴り響いてしまった。

「アギャギャギャギャーーーー!」

 妹のカスミが小型の怪獣のような驚声を上げて起き上がった。

「びっくりしたわァ! なにごとじゃい!」

「すまないカスミ。ちょっと貯金箱をブチ壊してて」

「えーなんで?」

 カスミは妙な所でヤケに鋭い。たぶんすぐに気づくだろう。

「あっ! もしかして! この前話してたデート!?」

 これは大変気まずい。

「うおおお! マジかああ! じゃあ準備しないと! 髪の毛セットしてあげる! それから眉毛も整えないと! もう! 言ってくれれば服とかも選んだのに! ホラ! とりあえず! すっぽんぽんになって!」

 妹にデートの身支度を手伝って貰うとは。僕も大概シスコンである。


「行ってらっしゃーい! 気を付けてねー! 避妊してねー!」

 カスミに見送られて家を出た。

 考えてみれば。ちょっと特別な事情があるとはいえ、デート――というか女の子と二人で出かけるなんて人生で初めてのことだ。

(その相手が。まさかあの殺村さんとは……ね)

 いろいろな緊張が胸の中でグルグル回る――。


 待ち合わせ場所のJR水道橋駅に到着した。

 僕が住んでいる町田からは電車で一時間ほど。巨大観光施設『東京ドームシティ』の最寄りとして知られている駅だ。

 今日は男性アイドル「KARASHI」の東京ドーム公演が行われるらしく、改札周辺はばっちりメイクを決めた女性で埋め尽くされている。

 一瞬、殺村さんを見つけられるだろうかという不安がよぎる。しかし。それは杞憂であった。彼女の持つ存在感はそんな混雑の中にあってさえ、圧倒的に際立っていた。

「殺村さん」

 僕が後ろから声をかけると、彼女はこちらをくるりと振り返りながら、

「遅いですわ! この私を待たせるなんて何様のつもり!? 霊柩車に乗りたいの!?」

 いきなりの罵倒を喰らわせてくれた。

「も、申し訳御座いません!」

 僕は新人のサラリーマン並の急角度でコウベを垂れる。なにも罵られたいからワザと遅れて来たというわけではない。集合時間十五分前に到着したのだが、殺村さんがそれ以上に早く来ていたのだ。

「なんですのその角度? 余計イラっとしますわ。いいから早く案内してください」

 頭を上げると殺村さんの姿が目に飛び込んできた。

 初めて拝見する私服姿。光沢のある黒いワンピースの上からクリーム色のカーディガンを羽織り、長い髪の毛をふわっとアップにしていた。決して派手な格好ではないが大変上品で高貴であるという印象さえ受ける。僕のテキトウな長袖のラグランTシャツとジーンズ姿とはドエライ違いである。

(そんな彼女を。こんな所に連れて来て良かったのだろうか)

「それで。今日はどこに連れていこうって言うんですの?」

「えーっと。ちょっとしたイベント的なものです」

「アレ?」

 殺村さんが『KARASHI 東京ドーム公演』という文字とメンバーの顔写真がデザインされた看板を指さす。

「よくチケット取れたわね」

「いえ。それが。カラシのライブではないんですよね」

 人の流れとは逆方向に向かって歩き出すと、殺村さんはすぐ後ろをついてきた。なんだか物凄く距離感が近いように感じる。彼女の髪の毛がサラりと揺れるたび、花の蜜のような甘い香りが僕の鼻腔をくすぐった。


 筋骨隆々、真っ黒な肌をした男が全力でチョップ攻撃を放つ。相対するやや線の細い色白の男は苦悶の表情を浮かべながらそれを受け止めた。

 観客たちは両者の頑張りに大きな声援と拍手を送る。

 第一試合から会場は大いに盛り上がっていた。

「まあ、あなたみたいなジャパニーズ朴念仁ガイに素敵なデート場所なんて初めっから期待してなかったけど。いくらなんでもこのチョイスはないんじゃなくって?」

「う……! 申し訳ございません……やっぱりダメかぁこんな場所」

「なんでここに連れて来ようと思ったんですの?」

「春日さんから『自分の好きな場所に誘え!』とアドバイスがあったので……」

 ここは後楽園ホール。東京都水道橋にある収容人数約二〇〇〇人の中型イベントホールだ。年間で三〇〇回以上の格闘技興業が行われていることから『格闘技の聖地』とも言われている。僕たちは二階席の真ん中辺りからリングを見下ろしていた。

「プロレスが好きなの? 意外ね。あなたみたいな貧弱モヤシ断食系男子が」

「ははは。プロレス好きは意外ともやしっ子が多いですよ」

「言われてみればそうかもしれないわね。会場を見るかぎり」

 殺村さんが会場を見回す。みな各々の『推しレスラー』のファングッズのTシャツを着用してイキイキとした表情で大声を発している。女性も少なくはない。

「ま、ウチの場合は両親がプロレスラーですからね。父は故人ですが」

 殺村さんが少し驚いた表情で僕を見る。

「父がアメリカ遠征のときにクドいてきたアメリカ人の女子プロレスラーが僕の母です。いまも日本とアメリカを股にかけて父の分までとばかり頑張っています。収入は決して多くはないですけどね」

 そうなの。と僕から目を逸らし、リングを見つめながら呟く。

「アナタにとってはトクベツな場所なのね」

「さ、殺村さんはお嫌いですか?」

「別に嫌いじゃないですわ。お父様が好きなので、小さいころはたまにテレビで見てましたし。とはいえ――」

 僕をビシっと指さす。

「初めてのデートでここってどうなの!? 特殊すぎやしません!?」

 ごもっともすぎてぐうの音も出ない。

「それに! そんな特殊な場所に行くなら行くで、事前に言いやがれですわ! テキセツな格好ってもんがあるでしょう! 私まるでどこに行くにも一帳羅の白ワンピしか着ないオタク女みたいになってるじゃない!」

 例えはいまひとつよくわからないが、確かに殺村さんのセクシーで上品な格好はここでは激しく浮いていた。

「申し訳御座いません! 女性にはサプライズを食らわしとけばオッケーだと千代美先輩が――」

 などと弁解をしている間に、リング上では黒マッチョの方が色白レスラーを思い切りマットに叩きつけノックアウトした。

 ゴングが激しく打ち鳴らされ、同時に客席からは大歓声が発生する。

 殺村さんはそれに合わせて素早く席を立った。

「あっ! おかえりになられるつもりですか……? も、申し訳ないです。こんなところに連れて来て!」

 そのセリフを聞いた殺村さんは、ゴミを見る目で僕を見下ろすとくしゃっと髪の毛を掴んだ。

「『こんなところ』ってどういうこと? あなたの両親はレスラーなんでしょう? だったらなんでそんな言い方をするの? 両親を尊敬しない奴は糞尿にも劣るドブタニシ・シーモンキー野郎ですわ」

 そうのたまったのち、髪の毛から手を離し僕に背を向けた。

「ちょっとカワヤに行くだけですわ。帰るなら一人で帰りなさい」

(はあ……早速怒らせてしまった)

 一人取り残されて溜息をつく。――それにしても。

 彼女があんなことを言うとは。僕は腕を組んで殺村さんの言葉をなんども反芻した。


 第二試合に出場する選手の入場が完了、そろそろ試合が開始されるという頃合いに、殺村さんが試合会場に戻ってきた。

「殺村さんごめんな――うお!?」

 彼女の服装はスカル柄が書かれた黒のタンクトップに迷彩柄のショートパンツというものに変わっていた。これは団体が発売しているプロレスのアパレルグッズだ。野球観戦のときに着るユニフォームのようなものだと思って頂いて差し支えない。

「それ……売店で買われたんですか?」

「ええ。浮いてたから恥ずかしくて。トイレで着替えたんですけど、Sサイズだと小さかった……誤算ですわ……」

 おっしゃる通り明らかにタケが短い。肩や腕周りが出ているだけでなく、おヘソが丸出し状態、さらにフトモモも大胆に露出されている。

「いえその。大変お似合いだと思います。肌の白さが黒のタンクトップで強調されていて眩しいですし、露出している肩、胸、オナカ、太もも、全てが魅力的でスタイルが良い人って出せば出すほどいいんだなァと改めて実感致しました」

「あのね……。大方、『なるべく褒めろ』とでもアドバイスを受けてるんでしょうけど。それは『褒め』じゃなくて『セクハラ』っていうのよ」

 さらに『JBG』と大きくアルファベットが書かれたキャップまで被っている。ハタから見るとプロレス観戦をめちゃくちゃ楽しんでいる人にしか見えない。

 周りのお客たちからも視線を感じる。

(ん……?)

 五席分ほど離れたところに、なかんずくこちらを凝視している二人組がいた。

 応援用の虎の覆面を被っているが、格好からして女性だ。なぜだかどちらも見覚えがあるような気がする。ひとりはクリっとした目をした背の小っちゃい子。もうひとりは金色の長い髪を覆面の後ろからはみ出させていた。

(春日さんと千代美先輩だ。間違いない。ツケてたのか。わざわざ当日券買って。……やりづらいなァ)

「ま、とにかく。これで落ち着いて見られますわね。あなたはもう帰ってもいいわよ。ドブザルメスラクダくん」

 ――そうだ。今は春日さんたちのことを気にしている場合ではない。

「あの。殺村さん。殺村さんにも楽しんで頂けるように頑張ります。頑張らせて下さい。僕はここが大好きですので」

 殺村さんはそっぽを向き帽子の位置を直しながら、

「最初からそう言いなさい」

 と先程までよりはいくらか穏やかな口調で呟いた。

(良かった。少し機嫌を直してくれたみたいだ)

 ほっと胸を撫で降ろす。

 ――そうこうしている内に試合が開始された。

「ホラ。あの選手見たことありませんか? 最近よくテレビに出ているスイーツ塗壁。あんなごつい顔で甘いものが大好きなんです、かわいいですよね」

 殺村さんのためにとっつきやすいところから解説を加えてみる。

「知ってますわ。金属アレルギーなのに首にチェーン巻いてるおバカさんでしょう? あとその横にいるツノ生やした全身タイツの人も見たことがあります」

「彼もよくテレビに出てますからね」

「あとさっきトイレで思い出したんですけど。多分あなたのお父様も存じ上げてますわ」

 僕は目ん玉を見開いて殺村さんの顔を見た。

「あなたのお父さん。ヒノ・フレアボムズって言うんでしょう? お父様がみていたアメリカのプロレスで変なことやってたから覚えてるわ。なんかリング上で対戦相手の体に一切触らずに罵倒し合うみたいなことしてませんでした? アレ面白かったですわ。シュールで。この人たちプロレスのリングでなにやってるんだろうって――」

 ――僕の目から自然と涙が溢れた。

「なに!? 泣いてるの!?」

「ありがとうございます。父を覚えていて下さって。本当に嬉しいです」

 殺村さんの手首を握り感謝の意を示した。

「そ、そんなに喜ばれるんだったら言わなきゃ良かったですわ」

「ちなみにその試合形式は『暴言デスマッチ』といいます。お互いに罵倒しあって先に泣いた方が負け。というルールです」

「泣くんですの? プロレスラーって意外とナイーブなのね……」

 そのあともポツポツとうるさくない程度に解説をしながら一緒に試合を見た。

 殺村さんは大きな声を出して声援を送るようなことこそなかったが、それなりに興味深そうにリング上を見つめていた。と思う。


「ウィーアー! JBG! ファッキューフォーオールジャパニーズファッキンファックス! HAHAHAHA!」

 いよいよメインイベントだ。顔にベタベタと奇怪なペイントを施した外国人選手の三人組がなにやら喚きながら入場してくる。向かって右から、ロンゲ、スキンヘッド、アフロという特徴を有している。

「彼らはナニモノ?」殺村さんが興味を持ったらしく僕に尋ねてくる。

「ジュラッシック・バッド・ガイズ略して『JBG』というチームの三人組ですね。いわゆる悪役レスラーです。悪役だけどスタイリッシュでかっこいいからけっこう人気があるんですよね。殺村さんが着られている服も彼らのファンが着るためのものです」

「へえ」そう呟きながら被っていた帽子を手元に持ってきて『JBG』の文字がプリントされていることを確認した。

「アメリカのサイバーテロ団体と略称がいっしょね。意識してるのかしら」

 ……全然聞いたことがない。僕は首を傾げる。

「あなた自身はどう思ってるの? 彼らのこと好き?」

「正直、あまり好きでは……。悪役レスラーって意外と実生活ではいい人が多いんですけど、彼らはマジで素行が悪いので、安心して見られないというか」

「なるほど。言われてみればいけ好かない顔面の作りをしている気がしてきましたわ」

 そんな会話をしている間に『森日本プロレス正規軍』の三人が入場してくる。

 悪役に対する善玉、ようするに正義の味方の三人だ。

 JBGの連中は彼らがリングに上がって来るのを待たずに襲い掛かる。客席からはブーイング。ここまではまあプロレスの様式美みたいなものなのでよいのだが。

「ああっ! アレはダメですよ!」

「なにが?」

 殺村さんの質問に答える。

「ほら今あのJBGのスキンヘッドの彼、ファックマンっていうんですけどね、パイプイスで殴りかかっているでしょう? アレはやっちゃいけない殴り方なんですよ。普通は座席の柔らかい部分でケガしないように叩くんですが、彼は思い切り金属パイプの部分をフルスイングでブチ当ててます。ああいうことをするから好きになれないんですよね」

「……名前が少々直球すぎやしなくて? もうちょっと捻ったらどうなのかしら」

 客席から悲鳴と大ブーイング。

 そんな騒がしい会場に、やけによく通る甲高い声が響いた。

「なにしてんだてめー! ハゲー!」「死んじまえ眉なしおばけ!」

 ファックマンのすぐ近く、リングサイドの最前列に座る小学校高学年ぐらいの少年二人組の声だ。目の前のフェンスを蹴りながら大声を上げている。

「ああ。アレはまずいぞ……奴ら大人げないから――」

 案の定、ファックマンはフェンスを飛び越え、英語で暴言を吐きながら少年二人の胸ぐらを同時に掴んだ。少年たちは恐怖に震えた叫び声を発する。

「ちょっと! なにしてるのよ! あのハゲ!」殺村さんも怒りの声を上げた。

 ――次の瞬間。

 客席から大歓声。森日本正規軍のトップスター棚町がドロップキックでファックマンを吹き飛ばしたからだ。

「アラ。彼かっこいいじゃない。ちょっとチャラいけど」

 殺村さんの意外な言葉。客席の他の女性からも黄色い声援が上がった。

「でも、あの子たちは大丈夫かしら」

「なんか俯いちゃってますね。ムリもないですが」

 試合は結局JBGが暴れたい放題暴れたあげくの反則負け、という消化不良気味な結果に終わった。


『以上をもちまして全試合が終了となります。またのご来場をお待ちしております』

 アナウンスの声に合わせ、客たちがドヤドヤと席を立ち始める。

 僕と殺村さんも立ち上がり出口に向かう。春日さんと千代美先輩にも一声かけようと思ったのだが、いつのまにかいなくなっていた。

 やけに汚い階段を降りて一階へ。殺村さんに付き合ってグッズ売店を見学してから会場の外に出た。時刻は夕方の六時。夕陽が彼女の頬を少しだけ赤く染めている。

「いかがでしたか殺村さん」

「そうね。つまらないというほどではなかったけど。やっぱりちょっとエンターテインメントとして作り込みが足りなくて大味なんじゃないの? まあ手作り感があっていいとも言えるのでしょうけど、やはりお父様が好きだったアメリカのプロレスの方がレベルが高かったと思いますわ」

 そうおっしゃる彼女の手には先ほど売店で購入したパンフレットが握られていた。

 まぁそれなりに楽しんでは貰えたのではないだろうか? などと考えていると。

「あなたはどうでしたの? 楽しかった?」

 予期せぬ質問が飛んできた。

(改めて言われると。ひどく緊張してしまって楽しかったとか楽しくないとかっていう印象があまり残っていない。そもそも殺村さんをデートに誘った理由は楽しむためでなくて暴言を集めるため。その点では今日はそれほど暴言を吐いたというわけでもなくて――)

「どうしたの。そんなヒッポリト星人に銅像にされたウルトラマンみたいに固まって」

「あ、すいません! えーっと楽しかったです!」

「そう。よかったわね」

 さほど興味もなさげに漏らすと再び後楽園ホール前の広場を駅に向かって歩き始める。

 どの程度の距離感で歩けばよいものか。などと悩みながら横を行歩していると。

「あっ。あの子たちは」殺村さんが右斜め前方を指で示した。

 さきほどのメインイベントで、ファックマンに襲われていた少年二人組が歩いている。

 とぼとぼと下をむいて元気のない様子だ。少々心が痛む。

「私。ちょっと声をかけてきますわ」「えっ!?」

 殺村さんはコンクリートを強く蹴り猛烈に駆けだした。

 あっというまにトップスピードに乗る瞬発力、そして美しいフォーム。さすがに運動神経抜群である。――などと感心している場合ではない。僕もそれを追いかける。

「おい! 後ろ! なんか来る!」「うわっ!? なに!?」

 突然、猛スピードで迫りくるやたらに美人なお姉さんに少年たちは目を丸くした。

 殺村さんは少年たちの正面回り込むと、ヒザに手を突き視線を合わせた。

「ねえ。大丈夫でした? 私もプロレス見てたんだけど……って格好で分かるか」

 穏やかな面持ちで二人に語り掛ける。

「う、うん」「大丈夫だよ」

「それならよかった。今日は残念だったけど。今度はきっと棚町さんがあいつらを倒してくれるわ。だから元気を出して」

 少年たちは顔を真っ赤にしながらコクリと頷く。

「それとね」と二人の頭に手を乗せた。「アナタたちなかなか見どころがあるわ。あのツルっパゲみたいなイチびったゴミムシにはね。言ってやったほうがいいのよ」

 二人は驚いた様子で殺村さんの目を覗きこんだ。

「今後ともムカツくことがあったらしっかり怒って、堂々と正直な意見を言うようにね」

 少年たちは子供らしい無邪気な笑顔を見せた。それから。

「じゃあさ。正直なこと言ってもいい?」

「なあに?」

 殺村さんが穏やかな声色で問うと、二人は歯を剥きだしにしながら言い放った。

「お姉ちゃん! いい乳してるね!」「大人になったら揉ませて下さい!」

 ワルガキたちは踵を返して駅とは反対側に駆け出す。

(――気持ちはわかる。前屈みになって谷間がキレイに見えていたからなあ)

 殺村さんはそれを追いかけることはせず、代わりにフウと溜息をついた。

「最近のオガキサマは……これがいわゆるゆとり性教育の弊害って奴なのかしら」

 その表情は。言っている内容ほどに怒っているようには僕には見えなかった。

「あの。殺村さんはやはり、いろいろと意外な一面をお持ちなんですね」

「なにが? クソガキがワリと嫌いじゃないっていうところ?」

「それもそうですが、だけでなく――」

 少年たちの背中を見ながら気持ちを伝えようとしていると。

 その背中が突然、見えなくなってしまった。

 巨大な男の三人組が現れ、彼らを取り囲んだからだ。

(ファックマン、ビッチマン、それにミスター・アスホール……!)

 ペイントをしておらず、Tシャツにジーパン姿だが間違いない。JBGの三人組だ。

 僕と殺村さんは少年たちの元に駆ける。

「やめろ!」

 男たち三人はニヤついている。少年たちは恐怖に顔をゆがませていた。

「あなたたち……! どこまで最低なんですの!?」

 プロレスラーの名誉のためにいっておくと、悪役レスラーがみなこんな奴なわけではない。実際、こいつらはこの数年後にはプロレス界のどこにも居場所がなくなり、引退して落ちぶれきった生活をしているらしいが――ともかくこんな奴が存在していて、我々の目の前で蛮行に及ぼうとしていたことは事実である。

 ヤツらはなんだこのチェリボーイとエロいカラダのビッチは。などというようなことをテキサスなまりの英語でホザきながらこちらを舐めまわすように見た。すると。

「ちょっと! あなたたち!」

 殺村さんが声を上げた。空気がビリビリと震えるほどの大声。そして野獣のような殺意の籠った目付き。三人はたじろいで半歩ほど後ろに下がった。

「貴様らがごとき玉なしチンポレスの女の腐ったようなバカらは恥を知れですわゴキブリ! こんな子供! しかもプロレスファンの子にギャクギレして絡むなんて救いようのないドブ便所アメリカネズミですわ! この人間のクズの世界ヘビー級チャンピオン! チャンピオンベルトとファックでもしてなさい!」

(うおっ……!)

 凄まじい殺気、そして恐るべき呪詛の困った凶悪な言霊。

 本来であればこんな三下の悪役レスラーなど放尿・脱糞して一目散に逃げ出すところであろう。――しかし。

(いかんせん! 日本語だから伝わってない!)

 バカアメリカ人どもは、なにいってんだこいつ、英語しゃべれやなどということを言いながらやれやれというポーズをしている。

 どうすればよい。殺村さんと少年を担いで逃げるか? しかし四人も背負ってこの巨漢三人から逃げ切ることが――

(いや! 彼女の暴言のチカラを信じろ! 僕がやるべきことは! 英訳だ! 英訳して殺村さんの暴言を! 奴らにブチこんでやる!)

「HEY! ファッキンアメリカンマザーファッカ―ズ!」

 僕は彼らを指さしつつ、完璧な声真似と共に殺村さんの暴言を正確に英訳した。

「ユーアーノーゴールデンボールアンドノーディックス! ユーアープッシー! コックローチ! ホワイドゥーユーゲッティングアンガーアトレスリングファンボーイズ! ユーアートイレットミッキーマウス! ザ・ワールドヘビーウェイトチャンピオンオブアスホール! ファックユアチャンピオンベルツ! HAHAHA!」

 男たちは怒りの形相を浮かべた。

 しかしその顔にはひるみ、たじろぎ、さらには恐怖の色も混じっている。

(いけるぞ! このまま暴言のラッシュをかければ!)

 隣に立つ殺村さんに期待の視線を送る。

 だが。殺村さんは口をポカンと開けて僕の顔を覗きこんでいた。

「殺村さん!」

 僕は彼女にアイコンタクトを送りつつ、右腕をグルグル回した。

 一瞬キョトンとした顔。しかし、やがて僕の気持ちは彼女に伝わったらしく。

「えーっと……! だいたいなんですの!? そのバカげた体格は! どうせ三度の飯のように筋肉増強剤を飲みまくってるんでしょ! キモ暑苦し、みっともないのよ!」

 暴言の第二陣が放たれた。すかさず英訳する。

「ホワットイズユアマッスル! ユアブレックファスト、ランチ、ディナーイズオールアナボリックステロイド! ファッキングバッドルッキングガイズ! サノバビッチ!」

「これだからアメリカ人は全員野蛮人だって言うのよ! なにかと言えばすぐ訴訟とホームパーティーばっかりして! なにがアメリカンドッグよ! 下品なのよ形が!」

「アメリカンピープルイズオールバーバリアン! ユーメイクロウスイットアンドホームパーティーエブリデイ! アメリカンドッグルックスライクペニス!」

「そもそも政治がオワッてるのよあなたがたの国は! なぜあんなお笑い芸人みたいな雰囲気を醸し出しているオモシロガイジンを大統領にしちゃうわけ!? マジメに選挙しなさい!」

「ドナルドトランプイズコメディアン!」

(よし! いいぞ! やっこさんら完全にヒルんでいる!)

 というかヒイているだけのような気もするが、それはそれでよしだ。少年たちを救うことが出来ればそれでよい。

 僕に一瞬目くばせをすると、殺村さんはとどめをさしにかかった。

「そういうわけなので! とっと消え失せクサレですわ! そして日本を出て国に帰って霊柩車にお乗りなさい! 星条旗柄の霊柩車に! それで自分の体をアメリカンスタイルでバーベキュー火葬にすればいいんですわ! HAHAHAHA!」

「GETAWAY! LEAVE JAPAN! RIDE ON THE HERSE OF THE STARS AND STRIPES! HAVE A BBQ THIS WEEKEND WITH YOUR BODY! HAHAHA!」

 完全なる悪意が三人を襲った。

 両サイドの二人はたまらず「WOW! ジャパニーズクレイジーサイコ!」などと叫び、半泣きになりながら逃げ去っていった。

 問題は真ん中のハゲ。リーダー格のファックマン。

 奴は恐れの感情を怒りで塗り潰し、こちらに突進してくる。

 ――よし。一人ならどうにかなる。と判断した僕は、

「三人とも逃げて!」

 と。声を張り上げた。

 少年二人は僕にアタマを下げつつ駅に向かって走った。

「アナタはどうするんですの!」殺村さんが叫ぶ。

「いいから早く逃げろ!」

 ファックマンが眼前まで迫る!

(よし! きやがれ!)

「KILL YOU!」

 ファックマンは殺意の言葉を口にしながらアメフトのタックルのような形で迫りくる。僕はその突進をすんでの所でかわし、彼がよろめくスキにその巨体をお姫様抱っこの要領で持ち上げた。

「うおおおおぉぉぉぉぉ!」

 そしてその体勢のまま地面に片膝を立て、ヤツの背骨を膝がしらに叩きつける!

「AHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH! FUUUUUUCK!」

 彼は断末魔の声を上げると、口から泡を吹き眠りについた。

「ふう……」

 額に浮いた汗をぬぐいながら周りを見回す。多くのギャラリーが僕らを遠巻きに取り囲んでいた。すぐ近くでは殺村さんが尻餅をついて口をぽっかりと空けている。

「この技はシュミット式バックブリーカーといいます。母の得意技のひとつで、護身用にと言ってたったひとつ僕に教えてくれた大切な技なのです」

「あなた強かったんですのね」

「いえいえ。彼が怒りに我を忘れてスキだらけだったので偶然うまくいっただけです。早く逃げましょう。警察の方がいらっしゃる前に」

「ごめんなさい。その。腰が抜けてしまっていて……」

 どうも彼女は座った体勢から立ち上がることができないらしい。

「む……そうですか。それならば」


 外はすっかりまっくら。綺麗な三日月が夜空を照らす。

 なんとか警察に掴まることなく水道橋を脱した僕たちは、線路沿いの人気のない道を歩いていた。

「殺村さん。このまま市ヶ谷まで歩いてそこから電車に乗りましょうか?」

「ね、ねえ。だから言っているでしょう!? 降ろしてって!」

 僕は背中に殺村さんを背負って『おんぶ』の形で歩いていた。

 疲れた体になかなかの重みが掛かり、歩くのはかなり大変だ。しかし。背中や腕に素晴らしい柔らかみを感じることができ、トータルで『快』か『不快』かと問われればこれはもう間違いなく前者だ。

「そういうわけにもいきません。僕のせいでケガをさせてしまったのですから」

 ……決して背中に胸の感触を感じていたくてテキトーなことを述べているわけではない。

「もうなんともないって……ひっ……!」

 ときおり人とすれ違うたびに彼女は恥ずかしがって僕の肩に目を伏せる。

 そのたびに背中を強烈な『柔感』が襲う。

 エロい、興奮する、というよりもひたすらに心地がよい。

「そんなに恥ずかしいですか?」

「それもあるけど……申し訳なくて」

 思わず後ろを振り返る。彼女はバツが悪そうに唇を尖らせていた。

「だってあんなに身を張って守ってもらったのに。その上おんぶなんて……」

「そんな! 助けてもらったのは僕のほうですよ」

 はあ? と疑問を呈する殺村さんに考えを伝える。

「三人中二人を追い払ったのは殺村さんの暴言じゃないですか。三人が相手でしたら僕はとっくに死んでいます。ファックマンを倒せたのも相手が動揺していたおかげですし」

「でも。それもアナタが英訳してくれたおかげですし」

「いや。僕の英語が響いたというより奴らどちらかというと殺村さんの剣幕にビビっていたように見えましたよ」

 僕がそのように述べると、殺村さんは『フッ』と小さく苦笑の鼻息を漏らした。

「なんか。私達伝票を奪い合う大阪のおばちゃんみたいになってません?」

 それを聞いて僕も思わず噴き出す。

「そうですね。たしかに」

「どっちでもいいですわ。どっちの手柄かなんて。あの子たちは助かったんだから」

 彼女は僕の首に巻き付けていた腕に少し力をこめた。

「殺村さんは。いろんな一面をお持ちなのですね。今日一日で随分印象が変わりました」

 そんなことをポツりと漏らした。すると彼女が僕に問う。

「さっきも言っていたわね。どういう風に変わったの?」

 少しばかり照れくさいが、彼女に気持ちを伝えることにした。

「あのですね。僕は元々貴女のファンなんです。いわゆる芸人じゃないですけど、おもしろキャラとして」

 殺村さんは「はああぁぁ!?」と声を裏返らせた。

「いえ! その! 悪いイミではなくて……殺村さんの吐かれる暴言が大変ウィットに富んで面白くて、ドM心をくすぐられるなあと思って。同じドMの春日さんなんかと一緒に楽しませて頂いていたんです」

 後ろをチラリと伺う。殺村さんはすごい角度で首を傾げていた。

「でも。殺村さんの暴言は面白いだけでなく、優しさと強い意志の表れでもあるんだなって。今はそう思っています。あの少年たちを喉を枯らして必死で守る姿を見てからは」

 殺村さんはふぅん。などと小さく反応を見せた。

「ますます殺村さんの暴言が大好きになりました。今は『ファン』なんかではなく。尊敬しています」

 僕がそう言うと、彼女は乾いた笑い声をたててから、

「そんないいものじゃないですわ。この私の口が悪いのは」

 と耳を疑うくらいに弱々しい声を発した。

「えーっと……」

(なにかまた気に障るようなことを言ってしまったらしい。謝らないと――)

 などと考える。しかし。彼女はすぐに明るく弾んだ声で軽口を叩いた。

「でも。なかなか。お上手なのね。人を褒めるのが。嬉しくなくはないわ。アナタ意外と女たらしなんじゃない? そうやって色んなビッチをたらしこんでるんでしょ?」

「いえまさか! たらしなんてとんでもない! 童貞です!」

 どうも僕のその発言ががツボに入ったらしく、彼女は首に掴まる手に思い切り力をこめて『フフフ!』という少し甲高い笑い声をたてた。

 彼女の『嘲笑』や『冷笑』、あるいは『苦笑』なんかではない、おかしくて笑っている声をこのとき初めて聞いた。無邪気で可愛らしい笑い声だな。と僕には感じられた。

「それに。殺村さんの暴言を聞いていると。父を思い出すことが出来るんです。なにせジャパニース暴言大魔王なんて言われていましたからね。考えてみれば僕の暴言好きは父のせいかも」

「暴言が大好きか。ホント。変な人」

「ええ。大好きで大好きで。いつもオカズにしてるぐらいです!」

「――オカズ!?」

「ええ。殺村さんの暴言を反芻するだけでご飯何杯でもイケます!」

「――! このド変態! 変態! 変態! 変態!」

 彼女は僕の喉をチョークスリーパーで締め上げた。

「ゲッホ! 殺村さん違うんです! 僕は純粋にごはんを食べるだけなんです!」

 性的なイミではないということを説明したら許してくれた。今後はなるべく控えろ。とのことだが、まァそういうわけにもいかない。


『次はー相模大野―相模大野』

 アナウンスに従って電車を降りる。

 殺村さんのお宅はここ相模大野という駅が最寄りであるらしい。

『マチ商』や僕の自宅の最寄りである小田急線の町田駅からは急行で一駅。

(しかし。ちょっと意外だったな)

 小田急線の中で栄えている部類の駅ではあるが、彼女のようなハイパー級のセレブが住むような場所というイメージは全くない。

「お宅はどちらですか? 南口? 北口?」「南。送っていただかなくて結構だと言ってますのに」「いえ。殺村さんの場合誘拐殺人犯に狙われないともかぎりませんので」「あなた殺人犯に勝てますの?」「い、命を投げ出せばなんとか引き分けには」「拳銃を持っていても?」「頑張ってよけます」「よけたら私にタマ当たるじゃないの」「そしたら……わざと喰らって胃液で弾丸を溶かします!」

 などと話している内に殺村さんのお宅に到着した。

 それは。『家』というより『城』だった。巨大な門の向こう側には広大な敷地が広がり、遥か遠くにライトアップされた五重塔のようなうず高い建物が見える。あそこに居住されているのだろうか。

「す、すごいですね殺村さんって」

「なんにもすごくないですわ。私が建てたわけじゃないし」

 乾いた口調で言うと巨大な門に向かってスタスタと歩いた。

「失礼致しますわ。気を付けて帰ってね」

「はい。殺村さんもごゆっくり休んで下さい」

 なぜか。殺村さんは頬を膨らませて僕のTシャツの袖を掴んだ。

「な、なんですか?」

「殺村はそろそろやめて下さい。あんまり好きじゃないんですの。名字」

 袖を掴む手に力がこもる。

「あやめって呼んで」

「あ、あやめさん」

「『さん』もいらないんですけどね。まあいいわ」

 掴んでいた手を離した。

「おやすみなさい『ゴミムシくん』」

 あやめさんは踵を返し、巨大な門を潜り抜けていった。

 僕は最後の言葉のイミを考えながら家路につく。

(『ゴミムシくん』。ただの悪口じゃなくて、アダ名をつけてくれたのか。『蛍』から取って)

 彼女はこれからもずっと。僕のことをゴミムシと呼ぶのだろうか。

 そう考えると。胸がドクンドクンと弾んだ。


 こうして殺村さんとのデートは――少なくともカレンダー作りという観点では――この上ないほどの大成功に幕を閉じた。ある意味であの悪役レスラーたちに感謝しなくてはならない。

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