第5話 暴言カレンダー制作秘話 殺村さんと仲良くなろう! 学校編

「ひえ。もう外真っ暗ですね」

「月がきれい……じゃなくて。月が出ていますね」

 部活動を終えて学校を後にする。もう二十二時だ。最近は店が終わった後に『暴言カレンダー』の打ち合わせをしているため大変忙しい。

「春日さん。よろしければ家まで送りましょうか? 夜遅いですし」

「へっ!? だ、大丈夫ですよ! そんなに遠くないし!」

 春日さんと川沿いの道を歩く。僕の家が彼女の帰路にある(らしい)ため帰りはいつも一緒だ。

「もう十時かあ。これからは本当に忙しくなりますね」

 学校の外だからか、このときの春日さんが一番自然体であるように感じられる。

「なにせ三六五日分も暴言を集めないといけないから」

 いつもよりもよくしゃべるし。

「いや。できれば五百個は集めてその中から厳選したいかな。火野くんはどう思う?」

 敬語も崩れがちになる。それがちょっと、いやなかなかカワイイ。

「火野くーん?」

「あっ。ごめんなさい。ちょっとボウっとしておりました」

「もー! ちゃんと聞いてて下さいよ! この芋饅頭!」

 思わずプッと吹き出す。

「それ殺村さんの真似ですか? 全然似合いませんね」

「えー?」

「第一芋饅頭じゃ暴言になっていません。普通にけっこう美味しそうです」

「そっかー。私才能ないですね」

 しゅんと肩を落としながら頬を人さし指でポリポリと掻く。子猫のような可愛らしい仕草だ。アタマを撫でたい衝動に駆られたが、痴漢に該当するため自制。「いい仕草ですね」などとよくわからないことを言ってお茶を濁す。

 それから。しばらく会話をしていく中で春日さんが言った。

「でも。楽しみですね。火野くん。カレンダーが出来上がるのが」

 僕はもちろんその言葉に同意する。

「そうですね。僕たちが一年の時から二人で夢中になってやってきたことがカタチになるなんて。まるで夢のようです」と。春日さんの目を見て微笑んだ。

 すると春日さんは「うわぁ」などと小さな声を出し、少しだけ頬を染め、眉をしかめて、小学生が『デュクシ!』と言いながら放つようなパンチを僕の脇腹にヒットさせた。

 春日さんはときおりこういった子供っぽいワザを使用することがある。ドMの僕とすればもちろん暴力は大歓迎なのだが、彼女がどういう気持ちでそれを行っているのかわからず、いつも少々戸惑ってしまう。


「ではここで。失礼します」

「お疲れ様でした。また明日ね」

 僕の家の前で春日さんに別れを告げた。

 彼女が歩いて行く背中を見送りながら「ホッ……」と今日も一日無事終わったこと対する安堵の溜息を吐く。しかるのち、ただいまと発声しながら玄関のドアを開いた。

 すると。すごい勢いでこちらに向かってくる物体があった。

「お兄ちゃんー! おかえりー!」

 抱きついて頬にキスをしてくれる。

(ああ。なんとかわいいのだろう我が妹は)

 普通中学三年生にもなって兄にお帰りなさいのチューなどしてくれるだろうか。いや。してくれるはずがない。年頃の妹の兄への対応なんて、良くても興味ゼロのほぼシカト、大抵は粗大ゴミ以下の扱いであろう。

「でもな。カスミ。こんなにキスマークできるまで吸うのはダメだぞ」

「ごめん! 気ィ付けます!」

 明日の朝までに取れるだろうか。取れなかった場合仮病を検討しなくてはならない。

「お腹空いたでしょう? 今夕ご飯あっためなおすから!」

 ポニーテールを元気に揺らして夕ご飯を用意してくれる。

 父を亡くし、母も仕事の関係でいつも家にいない。家事は二人で分担して行っているが、僕はどうしようもくらいの不器用者であるため、食事の用意は殆ど妹のカスミが引き受けてくれている。ただただありがたい。

(僕はなんて幸運なのだろう。カスミがいてくれるだけで十分幸せだ。例え六畳一間のアパート暮らしだって)

 幸せ。そう幸せなはずなのだが。

「今日のごはんは! つくしんぼうの煮っ転がしとタンポポのお刺身だよ!」

 料理を机に並べてくれた。

 つくしんぼうを口に運ぶ。味が良く染みていてそこそこおいしい。タンポポの刺身。これもシャキシャキしていて食べられる。本来刺身の飾りになっている存在なのだが。

(こんな材料でもそこそこの料理を作れるまでに――)

「あとこの梅干しも! これはね。食べちゃダメだよ。見ながら食べてごはんに塩味をつけるためのインテリアだから」

(すまない。妹よ。お兄ちゃんがふがいないばっかりにこんな)

 僕は決意した。必ずや『暴言カレンダー』をヒットさせてカスミを豪華なディナーに連れて行ってやる。梅干しなんかなくても、ごはんはしょっぺえ味がした。

「ごちそうさま」

「はーい! おそまつ様でした! じゃあお風呂入ろっか! 一緒に!」

 お茶を口から噴出しかける。

「いやダメだって!」

「いいじゃん。仲良しなんだから」

 限度があるわ! としかりつけたが、考えてみればほっぺにチュウも一般的にはアウトかもしれない。

「えーなんでなんでー? 一回泡姫ってヤツやってみたいのに」

「それ……ちゃんと意味わかって言ってるのか……?」

 どうも中学に入った辺りから耳年増になってしまったというか、性的なことに対する興味関心が尋常でない。まあお年頃だから仕様がない部分はあるが。

「ああそっか! わかった! ノゾくのがいいのか! ホント、マニアだねえ! じゃあ先に入りまーす!」

 洗面所の扉をガラガラと開いて消えていく。僕はアタマを抱えた。

(まったく。誰に似たんだあの変態性)


 翌朝。授業開始一時間前に登校。本日は本屋部の朝会議を行う。

「おはようございますー。アレ。今日部長わりと調子良さそうですね」

 部室にやって来た部長を春日さんがしげしげと見つめる。大きなニット帽を深く被り、豆腐と同等の白い肌をしているのはいつもと同じだが。

「いつもより毛布が薄いですね。タオルケットに毛の生えたような毛布だ」

「表現がわかりずれー」僕の雑なボケに千代美先輩が几帳面にツッこむ。

「ああ。今日は嬉しいことがあったからね。ゲッホ!」

 咳込みながら鞄から雑誌を取り出す。部長がいつも読んでいるライトノベルマガジンだ。

「こないだ応募した賞の二次審査の結果が出たんだ」

 二次審査突破者の欄に『「異世界に転生した俺のかっこよさがチートすぎてヤバイ」芥川又三郎(十八歳)』の文字があった。

「おお! おめでとうございます部長!」部長と握手を交す。

「二次通過ってことは、次はもう大賞ですよね!?」春日さんも立ち上がって喜んでいる。

「そのとおり。楽しみだよ。ゲッホ!」

「しかし何度見てもクソつまらなそうなタイトルだなあ。中身も実際クソつまらなかったけど」千代美先輩はそっぽを向いて悪態をつく。

「なんだと千代美! おまえには僕の文学的センスオブワンダーがわからないのか!」

 部長は立ち上がって反論。しかし。

「だいたいおまえのケータイ小説だって……ゲボッ!」

 少々興奮しすぎたのか吐血。

「大丈夫ですか部長?」

 あまりに日常茶飯事でもう慣れてしまったため、どうしてもリアクションが小さくなってしまう。

「もう! 千代ちゃん先輩が煽るからですよー」

「知らねーし。勝手に興奮してんじゃんこいつが」

 などと言いつつ、千代美先輩は部長の口をキレイに拭ってあげていた。


 会議は終了。千代美先輩は部長を連れて保健室に向かった。僕と春日さんも教室に戻る。

「暴言を積極的に集める……か」

 春日さんはスマートホンで書いた、先ほどの会議の議事録を見ながら歩いている。

『現状集まっている暴言は約三〇〇種類。その内カレンダーに掲載する文言として使えそうなものはせいぜい二〇〇程度。まだまだ足りない。殺村さんが暴言を吐くのを待っていてはとても文化祭までに間に合わない。積極的に集めるべし。目標は五〇〇暴言』

「具体的にどうすれば……」

 ――それとは別にあるひとつの発見をしてしまった。

「あの春日さん。少々申し上げづらいのですが。スマートホンの裏側に血痕が」

「あ、本当だ」

 さして動揺したふうもなく部長の血をティッシュでふき取る。

「なかなかの量ですね。部長は大丈夫なんでしょうか」

「大丈夫ですよ。千代ちゃん先輩がついてますから」

 そういう問題だろうか。と若干思う。

「部長と千代ちゃん先輩。ホント仲良しですよね」

「幼稚園からの付き合いなだけのことはあります。いわゆる幼馴染みって奴ですか」

 幼稚園の年少組時代から十五年連続で同じクラスという脅威の記録を保持しているそうだ。まさに運命の赤い糸で全身をグルグル巻きにされているとしか申し上げようがない。

「あの二人の会話も楽しいですよねー。記録したくなるぐらい」

「たぶん僕、大体なら記憶してますよ」

「ははは。じゃあ次回作はラブラブケンカップルのノロケ会話カレンダーに――」

 と。春日さんが突如立ち止まった。

「会話……会話か……!」

「どうなさったんです?」

「よし! 決めました! 私!」右手の拳をぐっと握りしめる。「昼休み! 殺村さんに闘いを挑みます!」

 ――これは。大変なことになった。


 四時間目終了のチャイムが鳴る。

 本日は木曜日。マチダモールの定休日。

 ゆっくりと昼食を取ることができる素敵な昼休み、マチ商生徒癒しの時間の到来だ。

 しかし。今日は違う。我々本屋部にとっては。

 ――春日さんは心臓に手を当てながら立ち上がった。

(春日さん。まだです。まだ)

 そう耳打ちした。窓側後方の自席から殺村さんのほうを見やる。教室の中央、彼女はまだなにやらノートにシャーペンを走らせており、弁当箱を取り出していない。

(勝負は弁当箱が取り出されてからです)

 春日さんは首肯し、イスに座り直した。

「おーい。来たけどー」

 そこに千代美先輩がやってきた。授業が終わるやこちらに直行してくれたらしい。僕の後ろの空いている席に座った。

(なんで私が来なきゃいけないんだよ!)

 殺村さんの方をチラっと見ながら耳打ちをする。

(まあまあ。春日さんの死地なんだから一緒に見守りましょ――)

 殺村さんが弁当箱を取り出した! いつも通り豪華な三段重ねの漆塗りのお重だ。

(よし! 行ってきます!)

 春日さんは弁当箱を持ち、敢然と殺村さんの前に立つ。彼女らしからぬ険しい表情だ。

「な、なんですの?」さすがの殺村さんも目を白黒させている。

「お願いがあります」

 春日さんは殺村さんの前の席の机に立ち、そこから飛び上がった! そして床に落下して土下座の体勢! これは『雪崩式ジャンピング土下座』! 踏み台を使用してジャンピング土下座を敢行する危険ワザ! 春日さんの奥の手だ!

「殺村さん! 私と一緒に! お弁当を食べて下さい!」

 教室全体がザワつく。千代美先輩もあんぐりと口を開いている。

「な、なんの真似ですの!? なにが目的!?」

 春日さんが顔を上げた。額からは血が流れている。さきほどのジャンピング土下座で割れてしまったのだろう。

「お願い致します!」

 とまっすぐに殺村さんを睨み付けた。鬼気迫る般若の形相である。

「……まずは額の血を拭いなさいな。昭和のプロレスラーじゃないんだから。お弁当が鉄クズの味になりますわよ」

「えっ! それはご一緒してもいいという――」

「今日だけですからね!」

 春日さんは満面の笑み。こちらにこっそりとブイサインを出して見せた。

 顔は血だらけ。ちょっと猟奇的である。

(なあ。最近うすうす気づいてきたんだけど。あいつってバカなのか?)

(でも情熱のあるいいバカです)

(あっそ)

 春日さんはポーチから取り出した絆創膏をオデコに貼り付け、しかるのちに弁当箱を殺村さんの机の上に広げた。

「あなたぐらいの人間小動物のリスザルになるとそんなもので足りるんですの?」

 殺村さんが春日さんの弁当箱の中身を見て呟いた。

(『人間小動物のリスザル』! これは新しいフレーズだ! いいぞ! 春日さん!)

(あたしの耳元でモエ坊を応援すんのやめてくんねえかな?)

「ええ。どうも食が細くて。おかげでガリガリのちんちくりんでいやンなっちゃいます」

 春日さんがいつもの自虐発言。すると。殺村さんがすごい目で春日さんを睨む。

(……まずいぞ。あの発言は)

 千代美先輩が僕の耳もとで呟いた。

(なぜです?)

(お嬢のパイオツを見て見ろ。巨乳は多かれ少なかれコンプレックスがあるもんだ)

 なるほど。と納得。

 そして次の春日さんの発言がひどいものだった。

「殺村さんはムチムチしていて羨ましいです。主に胸が」

(あのスーパーKY野郎!)

(……でもこれは暴言が飛び出るチャンス!)

「ヒトが気にしていることを! ブッ殺しますわよ! 鶏ガラクソ女!」

 両手の拳で思い切り机を叩き怒りを露わにする。

「ひいい! ごめんなさい!」

 春日さんは悲鳴を上げながら、自分が座っていた椅子の背もたれの部分に立ち、そこからジャンプ! 後方宙返りをしながら土下座を敢行した! 『ムーンサルト土下座』。謝罪力だけでなく芸術性も高い妙技だ!

(この際にパンツが見えた。色はライトグリーン。少しばかり意外なカラーチョイスだが爽やかで大変好ましいものであると言える)

 殺村さんはキョトンとした顔で沈黙。それから。

「今の動き。面白いですわね」

 殺村さんの口から肯定的な言葉が出てくるのを、このとき初めて聞いた。

 今度は春日さんが鳩が豆鉄砲喰らった顔をする。

 それに対して殺村さんは、

「もう一回やってくださらない? 今の」

 と促しながら、机の中からタブレット端末を取り出しカメラを構えた。

「ええっ!? もしかしてムービー撮るんですか?」

 首をタテに振る殺村さん。

「わ、わかりました! そおい!」

 春日さんは再びムーンサルト土下座で宙を舞った。

「撮れましたわ。ありがとう」

 殺村さんにもお礼という概念があることに驚かされた。

「そ、そうですか良かったです。アレ?」

 春日さんがイスに座り直しながら、殺村さんのタブレットに視線を注ぐ。

「それ。サクラコンピューターの新製品ですよね。いいなあ」

「良く分かりましたわね。詳しいんです?」

「ええ。実はパソコンとかスマートホン、タブレット類は一通り」

(そういえば見事に使いこなしてますもんね。パソコンもスマートホンも)

(いいなー。あたしなんてガラケーしかもってねえのに)

 千代美先輩がポケットから携帯を取り出す。折りたたみ式になる以前の、ボタンがむき出しになっているとてつもなく古いタイプのものだった。持っている分僕よりはマシだが。

「けっこうな上級者向けの端末だったと思ったんですけど、殺村さんもお詳しいんですか?」春日さんが椅子に座り直しながら尋ねる。

「ホントによくご存じですのね。そんなに専門家ってわけでもないですけど、趣味レベルでは詳しいほうだと思いますわ」

「へえ。意外ですねぇ。殺村さんはもっと高貴な趣味を嗜まれているのかと」

「なによ高貴な趣味って」

「えーと……。乗馬とかクルージングとか社交ダンスとかキツネ狩りとか錬金術とか」

「そんなかったるいことするわけがないでしょう。休みの日はだいたいネットサーフィンするか小説や漫画読んでますわ」

「へえ! 殺村さんも休日は一日中女子力ゼロの芋ジャージ着て、瓶底みたいな赤メガネして、部屋から一歩も出ないんですね!」

「……親近感を持つのは勝手ですけど、全てあなたと同じだと思わないで頂けます?」

(なんかそこそこ盛り上がってんな)

(いいぞ! 春日さん!)

 ほぼ途切れるコトなく会話が展開される。まるで親友同士――とまではいかないが、ほとんど初めて喋る二人とは思えないスムーズなコミュニケーションだ。

「あっ。それ新百合ヶ丘のソーセージ屋さんのローストポークですよね? お弁当に入れるなんてさすが豪勢だなぁ」

「あら。さすがメス仔ブタ。ブタのことには詳しいのですね」

 ドンドンと暴言が飛び出してくる。僕はそのすべてを脳に刻み込む。

(あのお嬢。結構よくしゃべるんだな。そしてまあよく食うこと)

 殺村さんは間断なくしゃべりながらもお重の中の食べ物を次々に胃に納めていく。

 千代美先輩が弱々しい声でウラヤマシイと呟いた。ちなみに今日の彼女のお昼ごはんはキャベツ太郎一袋、僕は妹お手製の豆苗の塩焼きであった。

「あと一段ですわね……いいかげんお弁当の量減らそうかしら」

 殺村さんは最下層、三段目のお重を開く。

 その中に入っていたモノを見て、春日さんが目を爛々と輝かせた。

「スコーンですかあ。いいですねえ。いいなあー。いいですねえ」

 教室全体に香ばしくて甘ったるい香りが広がる。

(うまそうだけどよ。一段全部スコーンは多くね)

「うっ! ヤバい! ヨダレ!」ハンカチで口を抑える春日さん。

「食べたいの?」殺村さんが非常に分かりきったことを問う。

 春日さんは無言で首を横に振りつつ、もごもごと口を動かしている。たぶん「けっこうです」と言おうとしているのだろう。

「ウソおっしゃい。鼻からヨダレが漏れてますわよ。みっともないこと山の如し。どれだけ卑しかったらそうなるんです?」

 たしかに僕クラスの春日さんシンパでも少々幻滅するみっともなさではある。

「ホラ一個食べなさい。卑しいメスブタさん」

 春日さんの弁当箱のフタにチョコレート色のスコーンを乗せる。春日さんが唾液をゴクンと飲みこむ音がここまで聞こえた。

「じゃ、じゃあ! 私のオカズも!」

 春日さんも自分のハンバーグをお重のフタに乗せた。

「あのね。私は一流シェフの作った料理しか食べませんの。こんなワンちゃんのエサは――」

 などとのたまいつつも、ハンバーグを箸で持ち上げくんくんと匂いを嗅いだ。

「まあいいわ。食べてみましょう」

 ハンバーグを口に運んだ瞬間、殺村さんは呻き声を上げながら口元を抑える。

「お、お口にあいませんでしたか!?」

 殺村さんは春日さんの問いに首を横に振って答えた。そしてハンバーグを飲み込むや、机にバンと手をつき身を乗り出した。

「アナタ」ギラっとした眼で春日さんを凝視する。「私の奴隷になりません!?」

「ど、ど!?」

「このハンバーグ! めちゃくちゃ美味しいですわ! 私のために一日二十二時間働いて下さらない!? 料理奴隷として!」

(アイツの弁当うまいよなあ。私らの舌がクソ肥えてないのを差し引いても)

(料理もお上手とは。本当に恐るべき能力の持ち主です。なぜあんなにネガティブなのかまったくもってわかりません)

「ちょ、ちょっと待って下さい!」「待たないですわ! 早く決断なさいドロ亀!」

 ――これが後に終生の好敵手と言われる二人の初めての対峙であった。


「じゃあ今日はここまで。次回はテストやるからなー。勉強しておくように」

 数学担当の大森先生がチョークを置き教室を出る。

 六時間目の授業が終了、放課後が到来した。

 前の席に座る春日さんはスヤスヤと寝息をたてている。五時間目開始時から今までずっとだ。あの昼休みの闘いがそれほどの激戦であったということであろう。

 左のほっぺたを机につけて涎を垂らすこの寝顔。なんというか非常に尊いものである。

 そう考えるのは僕だけではなかったらしく、クラスの女の子たちがこぞってその様子を写真に撮っていた。

 春日さんはそのフラッシュに眼球を刺激されたのか、目を擦りながら顔を上げた。

「ふぁ……おはようございます。 今いつ?」

 半分以上寝た顔つきで後ろを振り返り僕に尋ねる。

「六時間目が終わったところです」

「……寝すぎたナ」

「大変よい寝顔でした。いい夢を見られていたのですか?」

「残念ながらよく覚えていないのですが。バケツにパンパンに入ったなにかしらのスイーツを食べる夢でした」

「プリンですかね?」

「おそらく。アラモードだったかもしれません」

 などと会話をしているうちに、千代美先輩が素晴らしい仏頂面で教室に現れた。

「あっ千代ちゃん先輩来た! 待ってました!」

「よしそれでは! 昼休みに続き! 頑張って行きましょう!」

 昼休みに行った作戦は成功。一定の戦果を上げた。ここは追い打ちをかけるように仕掛けていく。次なるは放課後作戦だ。

「それだけヤル気マンマンなのに、私に丸投げってどういうことだよおめーら」

 今度前線に立つのは我らが千代美先輩である。

「だって千代ちゃん先輩がじゃんけんで負けたから」

「いや、そういうことじゃねえだろうよ」

 先輩はブツブツと漏らしつつも殺村さんの机に向かった。

「よ、よお。初めまして」引きつったスマイルでまずは挨拶。それから。

「なあ。その、えーっと……。ナンパしていいか? 一緒に駄菓子屋行こうぜ。マチダモールにいい店が――」

(駄菓子屋! 千代ちゃん先輩カワイイ!)

(そういえば。いつも駄菓子食べてますもんね)

「今度はあなたですか? なにを企んでらっしゃるんです?」

 殺村さんは顔を上げ、千代美先輩を凝視した。

「あたしを知ってるのか?」

「当然。本屋部ことマザーファッカーズの汚ギャル担当。茨城千代美さん」

「お、汚ギャルって」

「髪の毛をそんな下品な金色にして、シャンプーハットみたいな短いスカート履いて。まるで脳味噌一ミリグラムの、古き良きジャパニーズエンコーガールみたいに見えますわ」

「な、なんだとぉ!」千代美先輩が声を荒げる!

(――一触即発!?)

 かに思われたが。

「『見える』だけですわ」殺村さんの穏やかな声。

「へっ?」千代美先輩は目をパチクリさせた。

「あなたが本当は常識人だってことは分かっています」

 意外な言葉。春日さんと顔を見合わせる。

「疲れるでしょう? あんなアホの総合商社たちの中にいたら」

「分かって……くれるのか?」

 千代美先輩の瞳に涙が滲んだ。

「駄菓子屋なんて行かないですけど。生徒会室に来て下されば、駄菓子よりはいくらかマシなお茶菓子がありますわ」

「しかたねえなあ。行ってやるか!」

 二人は連れだって教室を出て行った。

 僕は腕を組んで考え込む。昼休みといい、この放課後といい。今日の殺村さんの言動は僕が彼女に対して抱いていたイメージとはかけ離れたモノが非常に多い。殺村研究家としてこれをどう捉えればよいのか――

「春日さんはどう思われますか?」

「いいなァ。お茶菓子」

 そうコボしながら恨めしそうな顔で指を咥えている。春日さんの頭には既にお茶菓子のことしかなかった。

(甘い物は女性の脳波を狂わせる。恐るべし)

 とりあえず二人を追いかけることにした。


 生徒会室の前。壁に食堂から借りて来たコップを当てて、耳をつけてみる。

(どうですか火野くん? 聞こえますか?)

(いや。やはりダメですね。たぶんもっと本格的な盗聴グッズでないと)

 ときおり千代美先輩のギャハハハハ! という独特の笑い声は聞こえるが、肝心の殺村さんの声が聞こえない。

(仕方ないです。諦めましょう。たぶんもうそろそろ出てくるころでしょうし)

 ――ややあって。千代美先輩がニコニコと機嫌良さそうに生徒会室から出て来た。

「お疲れ様です。千代美先輩」

「なんだおめーら。盗み聞きしてたのか?」

「はい。しかしながら全然聞こえませんでした」

「そっか。そりゃあ良かった。おめーらの悪口ばっかり言ってたからな」

 千代美先輩はギャハハハと笑った。カラっと明るい、なんとなくホッとする笑い声だ。

「どうでしたか千代美先輩。なんだか楽しそうな笑い声が聞こえてきましたけど」

「そうだな。まあ。楽しかったよ」少し照れくさそうな、はにかんだ笑顔で答えた。「あたしはあいつ嫌いじゃねえな」

 どうやら。殺村さんには思った以上に色々な一面があるようだ。

 彼女のことをもっと知りたい。

 そんな風に僕は思った。

「でも。暴言カレンダーの作戦としては失敗でしたね。僕の聴力がもうちょっと人間離れしていれば良かったのですが」

「千代ちゃん先輩になるべく思い出してもらえば充分ですよ。すぐ部室に行って記録しましょう」

「その必要はないね!」

 千代美先輩がスカートのポケットからガラケーを取り出し、脅威の指使いでそいつを操作してみせた。すると――

『まあ。本当ですか? それはあなたは悪くないですよ。本屋部の部長はひどい方ですね! よろしければ生徒会の方で火葬致しましょうか?』

 ケータイから殺村さんの声!

「この通り録音済だぜ! ちょっと音は悪いけどな」

「すごーい! ガラケー用のこんなアプリがあるんですか?」

「古いケータイにはなぜか標準で録音機能がついてんだよ! それぐらい知っとけゆとり!」腰に手を当てて破顔一笑する。

「先輩は。本当に頼りになりますね」

 僕は心から思ったことを口に出した。すると先輩は、

「な、なんだよ急に。ご機嫌とったって金ならねえぞ」

 などと後頭部を掻きながら吐き捨てた。かわいい人だな。と僕は思った。

「あっそういえば! お茶菓子は美味しかったですか! なに食べたんですか!」

 春日さんの声に少々怒気が混じっている。

「そりゃあ美味かったよ。えーっとまず前菜がマカロンだろ、それにサイドメニューにフロランタンとビスコッティー、お口直しがきんつば、そんでメインがロールケーキ、デザートはマンゴーゼリーだったな」

 男の僕にはなにを言っているのかよくわからない。

「ぎえええ! いいなー! フルコースじゃないですか!」

 しゃがみ込んでアタマを抱える春日さん。

「羨ましいか?」

「いみじくも」

「そう言うと思ったよ。ホラ」

 千代美先輩はポケットからなにかを取り出し、それで春日さんの背中をつついた。

「包んで貰ってきてやったぜ」

 透明な包みにカラフルなお菓子がたくさん詰まっている。

 春日さんはそれをみるや無言で千代美先輩の首に抱きついた。すごい勢い。抱きつきというよりはタックルだ。

「千代ちゃん先輩大好き!」

 なんと微笑ましい光景だろうか。自然と頬が緩む。

「ぐえ! 苦しい! おまえちょっと手加減……! やめろバカ! いやマジで!」

「ええー? いいじゃないですかー!」

 春日さんはよい笑顔、千代美先輩は真剣に命の危険を感じた青い顔をしていた。


 本日の作戦の最後の仕上げ。部室に帰って記録作業を行う。

 前後の会話がないと殺村さんの暴言の真のよさが伝わらない、ということで春日さんや千代美先輩のセリフも合わせて記録していく。

『あっ。それ新百合ヶ丘のソーセージ屋さんのローストポークですよね? お弁当に入れるなんてさすが豪勢だなぁ』

『あら。さすがメス仔ブタ。ブタのことには詳しいのですね』

 僕は見事な裏声で春日さんと殺村さんの声を完全再現した。

「ええっ!? 私そんな感じじゃないですよ!」

 春日さんが僕を睨みながら頬をふくらませる。

「正直似てると思うぜ。同じセリフ録音して比べてみれば?」

 春日さんは僕が言ったのと同じセリフを千代美先輩のガラケーで録音、再生した。

「うわ……なにこのブリっ子な声。ぶん殴りたい……。普段からこんな声でヒトサマの鼓膜を揺らしてたのかと思うと死にたい」

「確かに録音した自分の声ってキモいけどさ。そこまでいくか?」

「か、かわいい声ですよ? 僕は好きだな~。春日さんの声……」

「…………」

 その後。春日さんはずっと無言でキーボードを叩いていた。

「――よし。これで全部ですね。明日からも頑張りましょう」

「なるべくおまえら二人で頑張れよな」

「………………………………………………………………」

 春日さんが再び声を発してくれたのは、それから三日後のことだった。

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