第4話 本屋部の危機!

――翌日。

 四時間目終了のチャイムが鳴った。午前中の授業が終了。昼休みが開始される。

 本日は木曜日。マチダモールは定休日だ。

 従って部活動は基本的には休みで、普通の学校と同じように午後も授業が行われる。

 普段なら午前中の授業が終わるや食事もそこそこに開店の準備を始めるところだが、この日は皆教室や食堂などでゆっくりごはんを食べて午後の授業に備えればよい。

 日々商売に追われる『マチ商』生徒にとって大変幸せな癒しの時間だ。

 それはもちろん僕や春日さんにとっても例外ではない。

「春日さん。部室に行きましょう」

「あの、ほんとうに大丈夫なんですか? 今日は無理しないで帰った方が」

「全然ダイジョウブですよ。春日さんは優しいですね」

 頭には包帯がグルグル巻きでズキズキと痛むが問題はない。むしろ心地いいぐらいだ。

 春日さんはうーんと首を傾げている。

「今日は部長がいらっしゃっているんでしょう? 顔を出さないと」

「わかりました。でも痛くなったらすぐ私に言って下さいね」

 いつもなら教室で昼食を取るのだが、今日は弁当を持って教室を出る。

 珍しく部員が全員揃ったので部室で集まろう。と千代美先輩が提案してくれたからだ。

「ホント。マメですよね千代ちゃん先輩って」

「できた人です」

「私、大好き」

「ははは。見ていればわかりますよ」

 渡り廊下を通過して本屋部の部室がある『部室棟C』に向かう。

 その道すがら。

「あー春日と火野くんだー」

「二人でお弁当食べるのー?」

 昨日の三人娘と再び遭遇した。クラスが別れても話しかけてくれてありがたいことだ。

「ふ、二人でじゃないです! 部室で食べるだけ! 私みたいなうんこ人間と二人でなんか食べるわけないでしょ!」

「うんこって……」

(また始まった。春日さんの自虐癖。嫌いじゃないけど、あまり本人のためにはよくないと思うんだよなあ)

「えー? 火野くん、ホントに二人じゃないのー?」

(よしここはひとつ。彼女のために)

「はい。部活のみんなで食べるというのは事実です。しかしながら。僕は春日さんと二人で昼ご飯を食べるとしても全くイヤではありません! むしろ! 嬉しいです!」

 三人組はキャーと黄色い声を上げた。それ以上のボリュームで春日さんがウワアアアなどと叫ぶ。彼女は僕の手を取り猛牛のようなスピードでその場を去った。

 牛さんはそのまま部室棟の中に走り込んだ。

「ど、ど、ど、どうしてあんなこと言ったんですか!?」

 顔を耳まで真っ赤にしている。いわゆるゆでだこ状態だ。

「それは。春日さんがあまりに自虐的なことをおっしゃるので、そんなことはないよと伝えたくて」

 春日さんはハッとした顔をした。それから僕の手をギュっと握りしめる。たぶん無意識にであろう。

「火野くん。ありがとう。ごめんね。気い使ってもらっちゃって」

「いいんですよ。ところで――」自分の手元をチラっと見る。「その、ずっと手を繋いだままなのですが……よろしいのでしょうか?」

 春日さんは手を振り払いながら再び奇声を上げた。そしてその場で高くジャンプ。落下の勢いで床にオデコを叩きつけ両手をついた。下半身は正座の体勢。いわゆる『ジャンピング土下座』。彼女の得意技である。

「ごめんなさいぃぃ! このクソ女はヘドロみたいに汚い手を人さまにいいぃぃ! シニますううぅぅ!」

「だからですねぇ」

 どうも彼女の自虐癖、ネガティブ癖はそう簡単には治りそうもない。辛抱強く向き合っていく必要がありそうだ。僕は彼女の気が済むまで謝罪の言葉に耳を傾けた。

 ちなみに。先ほどのジャンピング土下座の際にパンツが見えた。色は濃いピンク色。彼女らしくて大変好ましいと言える。


 本屋部の部室はごくごく質素なものだ。十五畳かそこらの部屋に本棚が二つ、四人掛けの机がひとつあるのみ。

 これが『強豪』部活になると、体育館並の敷地、シャンデリアやペルシャ絨毯、ワインサーバー、仮眠用のダブルベッド、金の女神象、さらには部員ごとの個室。もっと素晴らしい設備を有した部屋になる。

「失礼致します」

「こんにちはー。部長。お久しぶりですー」

 とはいえ。几帳面な千代美先輩のおかげでいつも床はピカピカ。机は春日さんが持ってきてくれたテーブルクロスや花瓶で飾られ、窓にはキレイなカナリア色のカーテン。僕はこの部室が好きだ。

「おお。火野くんと春日さん。久しぶりだね」

「おっせーんだよいつもおめーら」

 既に部長と千代美先輩が隣あって座っている。僕と春日さんはその対面に座った。

「部長、ホントに学校に来て大丈夫だったんですか? 顔色があんまり良くないような」

 春日さんが心配そうに部長をみつめる。

「あたしは帰れって言ってんだけどさー」

「いや……出席日数が……ヤバくてね……ゲホッ!」

 季節は九月。まだまだ残暑が厳しいお日柄。部長の芥川又三郎さんはいつもの通り全身を分厚い毛布ですっぽり覆い、ニット帽を被り、真っ白な顔でガタガタ震えている。

「ぶっちゃけ、私部長が風邪引いてない所を見たことがありません」

「ハハハ。だろうね……へ、ヘブシ!」

「あたしも幼稚園のとき以来みてねーからな。又三郎が元気な所」

「それは大袈裟だろう千代美。まあいいからいいから。風邪を治すためにも、とりあえず昼ご飯にしよう」

 僕と春日さんは弁当箱を、先輩二人はコンビニの袋を取り出した。

「おっ。火野くん今日は手作り弁当かい?」部長が儚い幽霊的な笑顔で尋ねてきた。

「妹が作ってくれてるんだっけか?」千代美先輩がかぶせる。

「はい。そうです」

「いい妹さんですよねー」春日さんもほっこりした笑顔を浮かべている。

「そうですね。ブラコンだと思います。でも最近やたらにお年頃で――」

 弁当箱を開いた。中味は。

「今日はもやし炒めか」

 弁当箱狭しと茶色く醤油の色がついたもやしのみが親の仇のように敷き詰められている。

「へー贅沢だなー。私なんて金欠でさあ。うまい棒二本だけだぜ」

「もやしやうまい棒もいいが、キミたち物書きだろう? 脳に糖分を与えたまえ」

「又三郎はチロルチョコニ個かー。意識たけー」

 まあなんというか。我々三人に限らず、ウチの学校には家が貧乏な生徒が非常に多い。

 それにはちゃんと理由がある。

 学費がタダ同然で、さらに場合によっては逆にお金を稼ぐことが出来るからだ。

 一体どこからそんな金が出てくるのか。それはお察しの通り、学校所有のマチダモールの売上からだ。各部活の売上の三十パーセントは生徒に還元され、残りが教師や職員の給料、学校やマーケットの運営資金に充てられている。

 ちなみに商品の制作などにかかる費用は学校から借りることが可能で、ほぼ「ある時払いの催促なし」状態。それで十分に経営が成り立っているそうだ。それほどマチダモールの売上高や利益率がスゴイ。ということになる。

 もっとも我々のように一切利益の上がっていない部活も存在するが……。

「あ、あの。みなさん。前から思っていたんですけど。足りますか? それで」

 春日さんが申し訳なさそうに弁当箱を開いた。

「よかったら少し食べません? 私のお弁当」

「いいのか? そんな少ない弁当からもらっちゃって」

 小学生が使うようなキャラクターものの楕円形の弁当箱だ。確かに一般的な高校生にとっては小さいであろう。

「ええ。私食が細くって。これでも多いぐらいなんです」

 苦笑いを浮かべながらポンポンとお腹を叩いた。

「火野くんもどうですか?」

「よろしいのですか。こんなよいものを頂いてしまって」

 弁当箱には色彩豊かで美味しそうなオカズがぎっしりと詰め込まれていた。特にあの黄金色の出し巻玉子。憧れの食べ物のひとつだ。

「うん。どうせいつも余るので。どれが食べたいですか?」

「じゃ、じゃあ。大変差し出がましいのですが、出し巻玉子を」

「いいですよ。はいどうぞ」

(えっ!?)

 春日さんは箸で玉子を掴み、僕の目の前に差し出してくれた。

(これは。あーんと食べろということだろうか?)

 どうも彼女は自分が大変恥ずかしいことをしていることに気づいていない。

 対面に座る部長と千代美先輩はニヤニヤとこちらを見ている。

 僕は意を決して出し巻玉子を口に含んだ。

「おいしいですか? ……えっ!? 泣いてるんですか!?」

 涙が溢れ出てくる。こんなに美味しいものは食べたことがない。きめ細かくふわっとした舌触り、玉子の優しい甘味、丁寧に取られたダシの深淵なる味わい。決して僕が普段ロクなもん食ってないからそう感じるだけではあるまい。

「春日さん。これは。神の食べ物です」

「玉子焼きがですか!?」

「へーそんなにうまいのか。じゃーあたしらにもちょっとくれよ」

「あ、ハイ。どうぞ」

 弁当箱と箸を先輩たちの方にスライドさせる。すると千代美先輩がニヤっと笑った。

「なんだ。私らには『あーん』してくんねえのか?」

「えっ!? あっ! そうかさっき!」

 千代美先輩はニヤニヤしながら出し巻玉子を口に含んだ。そして叫んだ。

「えっ! ウソだろ! うおおおお! うめええええ! なんだコレ! 殺す気か!?」

「でしょう! 神の食べ物でしょう!」

「ああ! ゼウスだよ! スーパーゼウス!」ぶんぶんと首をタテに振る千代美先輩。

「ボクにもくれ!」部長が珍しく興奮した様子で叫んだ。

「お、おおげさですよお!」

 千代美先輩が弁当箱と箸を部長のところにスライドさせた。部長は机の上に置かれた箸を掴み――

「アレ? どうしたんですか部長?」

「は、箸が持ち上がらない」

 昔の漫画に出てくるベタなお嬢様がしばしば『オハシより重いものは持ったことがない』などとホザくが、部長はそれの上を行った。

「しょ、しょうがねえなあ」千代美先輩が箸を掴んだ。

「あっ! もしかして!」春日さんがニカっと歯を見せる。

「見んじゃねーよ! 見てたら殺す!」

 千代美先輩が顔をリンゴみたいにしながら、部長の口に出し巻玉子を運ぶ。大変微笑ましい光景だ。春日さんと顔を見合わせて笑った。


 ――だが。突然。


 そんな平和な日常を打ち壊すかのように。

 グワン! とでも表現すべき轟音が部室全体の空気を揺らした。

 ナニモノかが部室のドアに、外側から強烈な打撃を食らわせたらしい。

 僕と春日さんは慌てて立ち上がった。

「ずいぶん強いノックですね」

 ドアを開きナニモノかを迎え入れようとしたのだが。

 なんということか。鉄製の扉が部室の中にズシーンと倒れた。

「こ、壊れ……」

 結果。部室の壁に大きな四角い穴が空く形となった。

 その穴の向こうにひとつの人影――

 艶やかに輝く長い黒髪。濡れた宝石のような切れ長の瞳。女性的魅力に満ち溢れた完璧なボディーライン。女王然とした佇まい。そして全身から放出される強烈なオーラ。こんな人物はウチの学校にただ一人しかいない。

「あー! 殺村さんだ!」春日さんが声を弾ませる。

「モエ坊の知り合い?」

 殺村あやめさん。春日さんともども一年生のころからのクラスメイトである。あまりに近寄りがたく、まったくと言っていいほど関わり合いがないが、僕と春日さんは二人とも彼女の『大ファン』だ。

「知らないのか千代美。彼女は新しい生徒会長の」

 そして二学期より生徒会長に就任。マチダモールの統括責任者も兼任している。

「あー! どっかで見たと思ったら」

 彼女は氷のような瞳で部室を見回し、それからこう言った。

「ここが。クソったれ本屋部のカス人間の群れのしみったれた巣ですの?」

 張りのある美しい声が本屋部に響いた。

「なっ!?」千代美先輩が驚きの声を上げる。

「そのとおりです殺村さん。ご用はなんでしょう?」

 殺村さんと会話をかわすことが出来た。初めてかもしれない。感激だ。

 彼女は僕の言葉を聞くや、その美しい顔を般若のごとく歪ませて、

「なぜ私が来たのか分からないんですの!? あなたたちはアンドン! 典型的な昼行灯のジャパニーズマザーファッカーズですわ!」

 と、怒鳴り声を上げた。それから手に持っていたプリントをフリスビーのようにほおり投げる。そいつはクルクルと回転しながら机の上を滑り、部長の前でピタっと止まった。

「う! これは!」

 そのプリントには『本屋部 二〇二〇年度 一学期 決算書』と書かれていた。

「あなた方の一学期の総売り上げ。たったの十万円。これはハッキリ言ってスズメの涙以下、アリさんのハナクソレベルの売上ですわ! 全部活中堂々の最下位! 本屋なんていうメジャーな業態にも関わらず、乾燥ミジンコ専門店にも負けてる! 恥ずかしくないんですの!?」

(乾燥ミジンコってなんだろう? ふりかけ?)

「わが校ではあなたたちみたいな、利益をもたらさないお豆チャン部活は糞尿以下、ドブハムスター並の扱いをされます。部長さん。このイミお分かりですよね?」

 部長がゆっくりと頷く。

「二期連続で売上三〇万円以下の部活は。廃部――」

 三人から「えーっ!?」という声が上がる。

「その通りですわ」殺村さんは口に手を当てホホホと嘲笑した。

「そういうことですから。ま、あなたたちくそったれイエローモンキー、路地裏のポメラニアンの大逆転にせいぜい期待しておりますわ。それでは失礼」

 そうのたまいつつ、サイフから一万円札を三枚取り出しほおり投げた。

「なんです? このお金は」

「ド、ドアの修理代ですわ!」

 捨て台詞を残すや、彼女は素晴らしいスピードで踵を返し部室を後にした。

 カッカッカッ! というテンポの速い乾いた音が聞こえる。

 廊下を物凄い勢いで駆けているらしい。

 一同。ポカン。

 やがて足音が聞こえなくなったころ。千代美先輩が口を開いた。

「な、なんなんだ。あいつは」

「殺村あやめ。二年A組。火野くんや春日さんのクラスメイト。一年生の頃より生徒会を事実上一人で牛耳り、マチダモールの売上を倍近く増加させた実績により、校内一の有名人であるばかりか、他校や小売業の経営者にまで知られる存在となっている。先日の生徒会選挙で正式に生徒会長に就任、今後ますまず辣腕を振るうであろう」

 部長がマンガの情報通キャラのような棒読み調で解説を行う。

「比類なきカリスマ性を誇るがそれもそのはず、なんと彼女は旧華族の名門『殺村家』のご令嬢で産まれながらの女帝なのだ――という噂がある」

「恐らく噂は真実でしょうね。『殺村』なんてどこにでもある名字ではないですし、彼女の容貌、雰囲気、それに全身に纏っているあの炎のようなオーラ。イッパンシミンじゃないのは誰が見ても明らかだ」部長の解説に補足する。

「いや。あたしが聞きたいのはそういうことじゃなくて――」

「千代ちゃん先輩は殺村さんと会うのは今回が初めてですか?」

 春日さんが千代美先輩の発言に被せ気味に尋ねた。

「ああ。生徒会選挙で見たことがあるだけだよ」

「どう思いますか!?」非常熱のこもった口調だ。千代美先輩の顔をじっと覗きこむ。

「どう思う?? いやなんつーか、とてつもなく口が悪い。暴言製造機だよありゃあ」

「そうですよね! 最高ですよね!」春日さんは立ち上がって拳を握りしめる。

「へっ?」

「はい! その通り! 最高です!」僕も立ち上がった。

「なんだおめーら!」

「私たち! 殺村さんの暴言の大ファンなんです!」

 千代美先輩と部長はポカンと口。

「彼女の暴言は素晴らしいです! いついかなるとき、どんな体勢からでも、誰が相手であっても暴言を連発するあのドSぶり! 悪魔に最も近い存在だと思います! とてつもなく被虐心をくすぐられます!」

 春日さんの瞳がキラキラ輝いている。

「あの次から次へと飛び出してくるバラエティー豊かな悪辣な言葉の数々。ジーニアスとしか申し上げようが御座いません。物書きとして嫉妬さえ覚えます」

 僕もついつい言葉に熱がこもる。

「なんだか分からねーけど。要するにおめーらはドMなのか?」

「「はいそうです!」」

 二人の声が重なった。

「殺村さんの暴言のファン。いっぱいいるんですよ! もちろん全員ドMです!」

 千代美先輩は頭を抱えて机に突っ伏した。

「でも僕たち二人に敵う人はほぼいないんじゃないですか? 僕なんか彼女の暴言をオカズにごはん何杯でもいけますからね!」

「それは比喩? それともマジでごはん食うのか?」

「?? マジで食べますよ」

「そうか。性的なことの比喩の方が、まだ変態性薄かったと思うんだけどな」

 ……千代美先輩の言葉の意味がよく分からない。首を傾げる。

「じゃあ火野くん。さっそくやりましょうか」

 春日さんは本棚からピンク色の可愛らしいノートパソコンを取り出し、机にセットして電源を入れた。僕はあまり詳しくないが、『サクラコンピューター』社製のパソコン、いわゆる『チェリコン』というものだそうだ。

「準備OKです。火野くん。お願いします」

「なにをおっぱじめる気だおめーら」

 僕はスゥッ……っと息を吸い込み、

『ここがクソったれ本屋部のカス人間の群れのしみったれた巣ですの?』

 できる限りの高い声でそのセリフをのたまった。

「な、なんだ! その裏声!」

 春日さんが猫ふんじゃったを弾いているようなスピードでキーボードを打ちこんでいく。

「入れました! 次お願いします!」

『なぜ私が来たのか分からないんですの!? あなたたちはアンドン! 典型的な昼行灯のジャパニーズマザーファッカーズですわ!』

 僕の裏声。春日さんが再びキーボードを叩く。

「OKです! 次お願いします!」

「ちょ、ちょ、ちょっと待て!」千代美先輩が叫んだ。

「どうしたんですか?」

「説明しろ! おめーらなにやってんだ!?」

「アレ? 千代美先輩たちに見せるのは初めてでしたっけ?」

 この作業、いつもは授業終了後に教室で行っている。そういえば部室でやったことはなかったかもしれない。

「私たちはですね。殺村さんの暴言を記録しているんです!」春日さんが説明する。

「記録ゥ?」

「ハイ! まずですね! 彼、火野くんが素晴らしい才能の持ち主だということをお伝えしなくてはなりません」僕をビシーっと指さした。

「才能と申し上げてよろしいか分かりませんが。僕はですね、殺村さんの暴言であれば一言一句間違えずに、長期間に渡って記憶することができます!」

「すごい記憶力なんですよ!」

「……おめーその割には勉強あんまできねーよな」

「べ、勉強のことはそこまで覚えられなくて」

 後頭部をポリポリと掻く。多分興味関心の有無の問題なのだろう。

「それでですね! 彼が『記憶』した言葉を裏声で喋ってもらって! 私はチェリコンで『記録』するわけです!」

「なんで裏声になる必要が?」

「臨場感です! さらに! ただ『記録』するだけではありません!」

 春日さんはチェリコンを手に持ち、素早い動きで先輩たちの後ろに回り込んだ。

「ほら! 見て下さい! このようにいつでも好きな暴言を探せるようにしています!」

 机にチェリコンを置いて千代美先輩たちに見えるように開いてみせる。

「……サツムラさんの暴言データベース??」

 僕も先輩たちの後ろに回った。画面には『全暴言一斉表示』と書かれたボタン。『キーワードで探す』と書かれたボタンとキーワードを入力する用のテキストボックス、それに『シリーズで探す』と書かれたドロップダウンリストなどが表示されている。

 春日さんが全暴言一斉表示ボタンをクリックするや、画面いっぱいに暴言が表示される。

「なんじゃこりゃ……こわいわ……」

「この『表示切替』と書かれたボタンはなんだい?」

 さきほどまで押し黙っていた部長が急に口を開いた。興味を持ってくれたのだろうか。

「ああ。これはですね」実際にボタンを押してみせる。

「このように英語で表示することも可能になっております。世界中の人に殺村さんの暴言を知って頂きたいので、僕が一生懸命ニュアンスが伝わるように英訳しています」

「ああ。そういえばおめー母親がアメリカ人なんだっけ?」

「アメリカの格闘家さんなんですよね?」

「格闘家というかプロレスラーですね」

「そうなのか!? ……つーか英訳クソ適当だな。ホントにハーフかおめー」

「あとキーワードで探すはわかるけど、シリーズで探すってのはなんだい?」

 部長がさらに疑問を投げかける。

「よくぞ聞いてくださいました! あのですね! 殺村さんの暴言にはいくつかのシリーズがあるんです!」

 春日さんのイキイキとした表情。なんだか嬉しくなる。

「やはり軸になっているのは『ハイクオリティーニックネーム』シリーズですね! 先ほども私達のことをマザーファッカーズなどと称していましたが、このニックネームのバリエーションがスゴいんです! 見て下さい!」

 マウスを操作し『シリーズで探す』のリストの中から『ハイクオリティーニックネーム』を選択してエンターキーを叩いた。画面にズラーっと奸悪なる言葉が表示される。

「私が好きなのは『ジャパニーズ唐変木』『マタハラの達人』『泥亀小僧』『もりばばあ』『排気ガス人間一号』とかですね!」

「これは基本中の基本ですね」僕も合いの手を入れた。

「あとは『昆虫・微生物シリーズ』とか! ゴミ虫、カス虫、ミジンコ、タニシ、ウスラカゲロウ、ボルボックス、オベルクラリア、ドレパノモノスコレプスなどなど! 生物学者かよ! ってぐらい種類が豊富です!」

「それも絶対に外せません」

「あと私が個人的にスキなのは『謎の創作料理シリーズ』です! 『ビビンバそうめん』とか『ゼラチンカレー』、『ヘチマの姿焼き』、『アイスクリームのお湯割り』、『ローションパスタ』、『シロアリオニギリ』に『麻雀牌の冷製』それから『ティッシュの煮っ転がし』なんてのもありました! これらは主に四時間目、昼食前のお腹が空いているときに飛び出すと言われています!」

「それって暴言か? つーか後半料理ですらなくねーか?」

 千代美先輩のツッコミ。的確である。春日さんが「実際聞くと結構バカにしてる感じしますよ。人間、食べ物扱いされていい気持ちはしないですし。昔からお芋ちゃんとかドテカボチャとかおたんこナスとか言うじゃないですか」などと補足説明を行う。千代美先輩は納得したようなしないような顔で聞いていた。

「五味くんはどんなのが好きなんだい?」

 部長が僕に問う。やはり興味を持ってくれたようだ。

「僕が好きなのは『謎の偉人シリーズ』ですね。『このドクトルワグナーJr!』とか『アレクサンダー勅使河原三世!』とか『発電王ブルーノハラマルチノ!』とか。意味不明で最高です」

「あーいいですよねー!」

「あとは『なんも思いつかなかったシリーズ』もスキです。『えーっとバーカ!』とか『このアホアホマン!』とか『うんこ系男子!』とか。大変可愛らしいです」

「『小学生の悪口シリーズ』とも言われてますよね!」

「誰に……?」

「でもやっぱり私が一番好きなのは『THE決めつけシリーズ』かなー」

 春日さんの発言に僕は激しく頷いた。

「『ヤフー知恵袋で説教してそう』とか『就職活動のためにボランティアをしている偽善者の顔』とか!」

「同意です。強く同意です。僕も『並以下のくせに飲み会で後輩の女の子の頭撫でて嫌がられてそう』というのにはシビれました」

「オメーら盛り上がってるけど、私はぜんっぜん楽しくねえからな?」

 千代美先輩は疲れ果てた顔をしている。

「そして最近分かったことなのですが。火野くん、殺村さんには高校に入ってからはまだ出していない究極奥義があるらしいのです」

「ほほう。それは?」春日さんの目を見つめ尋ねる。

「詳しくは分かりませんが。なんでも『マシンガンシャウト・ライク・ア・スコール』というらしいです」

「名前から察するに、すごい勢いの連続暴言のようですが」

「そうですね。卒業までに一度は拝んでみたいんですけど、どうすれば使ってもらえるのでしょう」

 互いに顔を見合わせ首を傾げる。

「こいつら仲いいなー。付き合っちゃえばいいのに。でもドM同士だから上手くいかねえか。なあ又三郎。こいつらほっておいて、なんとか廃部になんねえように考えようぜ。来年卒業するとはいえあたしらの代で潰すってのも……又三郎?」

 部長がよく見るとブルブルと小刻みに震えている。

「どうされたんですか部長?」

 部長が突如立ち上がり、

「閃いたぞー! ゲボオオオ!」

 口からなかなかの勢いで血反吐を吐き出した。春日さんがキャーと叫ぶ。

「あーあー。またかよ」千代美先輩がティッシュで机に零れた血を拭きとる。口の周りについた血も拭いてあげていた。

「で、なにを閃いたんだ?」

「そりゃあもちろん新商品のアイディアさ!」

「新商品ですか?」春日さんが首を捻る。

「ああ。考えてもみたまえ。我々の同人誌は面白くないという評価が固まり切っている。ちょっとやそっと内容を改善したぐらいじゃどうにもならない。斬新な新商品が必要だ」

「なるほど。確かに」

 僕は自分の小説以外は決してつまらないとは思わないが。売れていないというのは事実として受け止めなくてはならない。

「で、その斬新な新商品っつーのは?」

「それだよ!」部長が春日さんのチェリコンを指さす。「殺村あやめ暴言集! こいつを冬の『文化祭大バーゲン』で売り出す!」

 ――一瞬の沈黙ののち、

「部長! さすがです! それは最高です! サイ・ザ・ジャイアント・コウです!」

 春日さんはひまわりの花が咲いたような笑顔を見せた。

「だろう? 火野くんと春日さんが言う通り、彼女の暴言には人を魅了するモノがあるよ! このキミたちの努力の結晶を編集して一冊の本にまとめる! 絶対売れる!」

「……売れるか?」

(確かにアイディアはサイ・ザ・ジャイアント・コウだ。しかし)

「部長! さらなる修正案があります!」挙手して発言する。

「言ってみたまえ」

「確かに殺村さんの暴言は最高です。ひとつひとつが素晴らしいだけでなくバラエティーも豊かだ。ですが。『暴言集』として一度に全てを味わってしまうのはどうでしょう? それぞれにとっても美味しいハンバーグと肉じゃがと麻婆豆腐を一度に食べてしまうようなものです。これは少々勿体ない」

「ふむ。確かにそうかもしれんな」

「おめーはどうしても『オカズ』にしたがるんだな」

「そこで提案です! 『日めくりカレンダー』にしてはいかがでしょう! これなら毎日少しずつ暴言を楽しむことができます! 三度の飯のごとく!」

「火野くん! それですよ!」春日さんが両手をパチンと合わせた。

「ふむ。確かに今、有名人の名言の日めくりカレンダーが流行っているしな。文化祭は十二月だから季節的にも調度良……ゲッホ……!」

「じゃあさじゃあさ!」

 春日さんが鞄からノートを取り出した。ページを一枚切り取り、マジックでなにやら大きく書きなぐっている。

「こんなタイトルはどうでしょう!」

 ――ノートの切れ端にはこう書かれていた。

『毎日殺伐! 日めくり暴言カレンダー!』

「おお! 春日さん! 素晴らしいです!」

「ふむ。千代美。どう思う?」

「もう好きにしてくれ~」

「よし! それでは! 文化祭までになんとしても完成させるぞ! ゲッホ……!」

「「おおおー!」」

 こうして伝説のプロジェクトが開始された。

 決して平坦な道ではなかった。むしろ苦難の連続であった。

 今年の『文化祭大バーゲン』は十二月一日から十二月五日の期間で行われる。

 本日。九月十二日。エックスデーまで。あと八十日。

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