第3話 マチダモールの本屋さん

自慢するわけではないのだが、我々が通っている『私立マチダ商業高校』は名門と言われる学校だ。『商業高校』の名に恥じないくらいに徹底的に生徒に商売を叩き込むことから『ストロングスタイルの商業高校』などと言われている。らしい。

 とりわけ有名なのは校舎の真横に建設された、この『マチダモール』であろう。

 敷地面積ニ五六八〇平方メートル、五階建てのビル。そこにたくさんの店舗が軒を並べている、いわゆるショッピングモールだ。

 普通のショッピングモールと違うのは、全ての店舗がマチダ商業の生徒たちの手によって運営されているという点。商品も全て生徒たちが製造したオリジナル商品だ。開店時間は平日の十三時から二十時まで。但し木曜日は定休日。

「うわ。今日も混んでるなぁ」

「生徒会長が代わってからすごいですね」

 モール内はいつも満員状態。短い営業時間ながら、同程度の規模のショッピングモールと比して遜色ない売上を誇っているとか。

「私たちの店も混むといいのですが……」

「うーん……。そうですねーどうでしょうか」

 各店舗は部活動ごとに運営されており、われわれ『本屋部』が運営しているのは四階の『MACHIDA BOOKS』。名前の通り書店、本屋さんだ。春日さんと一緒にエスカレーターに乗り四階に向かう。

「なんかいろんな所で工事やってますねえ」

「文化祭に向けて改装工事をしている店が多いのではないでしょうか?」

 四階に到着し、エスカレーターを降りようとした瞬間――

「あっ! 春日さん危ない!」

 僕は慌てて彼女の右手をひっつかんだ。

「大丈夫ですか?」

 あやうく大きな鉄パイプを運んでいる台車に轢かれるところであった。台車を運んでいた作業着姿の男性はペコペコと頭を下げながら小走りで去っていった。

「びっくりしたー!」春日さんが心臓に手を当てている。

「工事期間中はちょっと気を付けないとですね」

「う、うん。あの、ごめんなさい」

「いえいえ。これぐらい当然です」とニコっと歯を見せてみたのだが。

「いえそうではなくて。その、私の汚い手なんか握らせてしまって」

 彼女は僕に対して深々とアタマを下げた。

「これ。使って下さい」

 スプレー缶をポーチから取り出す。毒々しい紫色のパッケージに『超強力殺菌スプレー バジリクスヘルブレス』と書かれていた。……もはやアタマを抱えることしかできない。

(なんとかしてあげたいな。このクセ)

 大丈夫ですからと言ってスプレー缶を返却した。『殺菌』というよりは『毒ガス』っぽいネーミングとパッケージだと個人的に思う。


 我々の本屋は四階『雑貨・書籍フロア』の一番奥でひっそりと商いを行っていた。

 ごく小さなスペースに本棚が四つだけ。少々寂しいが、部員たったの四人の弱小部活なので仕方がない扱いかもしれない。

 レジカウンターには金髪をアップにした目付きの悪い女生徒が座っていた。

 制服の上から緑色のエプロンをして咥えタバコといういつものスタイル。本屋部の先輩の茨城千代美さんだ。自称・手のつけられない不良。確かにパッと見はそうだ。

「遅せえぞおめーら。先輩に店番させてんじゃねーぞ」

 独特のダミ声でいつものように悪態をつく。

「申し訳御座いません」

 そんなに怒ってもいないことは分っているが一応アタマを下げた。

「あっいいなー。千代ちゃん先輩チョコ食べてる」

 春日さんが指を咥えながら千代美先輩をジッとみつめる。先輩はチッと舌打ちをしつつ『チョコシガレット』と書かれた箱を胸ポケットから取り出した。

「ったく。いじきたねえなあオメーは」

 トントンと箱の底を叩き、一本を春日さんにさしだす。春日さんは「わーい」などと言ってそれを口に咥えた。

「モエ坊、それ食ったら呼び込みやれよ」

「はーい」

 よくわからないけど。とりあえずこの二人は大変仲良しなのだ。

「あ。いらっしゃいませー。お客さん初めてですよね。こちら私らが作ってる同人誌の店になっておりまして――」千代美先輩がパっと笑顔を作りお客さんに話しかける。

(マジメな人だなァ)

 僕も緑色のエプロンを着用。まずはハタキでホコリを落とす所から始めよう。


 二十時。マチダモールに蛍の光が響き渡る。

「はああー。今日もさっぱり売れんかった」

 そうボヤきながら、千代美先輩がチョコという名のタバコを口に咥えた。春日さんも貰いタバコをしている。

 本日の売上は卒業した先輩たちが残してくれた『旧作』が二冊のみ。我々が作った『新作』は一冊も売れなかった。

 本棚からそれを取り出してパラパラとめくる。

「やっぱりダメなんですかね。我々の同人誌。なかんずく僕の小説が。春日さんのマンガ、千代美先輩のケータイ小説、部長のライトノベルは一定の支持があるけど僕のは――」

 春日さんと千代美先輩は驚きに見開いた目ん玉を僕に向けた。

「そんなことないですよ!」

「どうしたんだよ。おまえらしくもない」

「す、すいません」

(しまった! 僕までネガティブになってどうする!)

「ちょっとトイレ行ってきます! 大です!」

「お、おお。大小は予告しなくていいけどな」

 僕は駆け足で店から出た。

 ――その瞬間。

 ボギャア! というような鈍い音がした。

 鉄パイプが僕の側頭部にめり込み、肉が裂け、頭蓋骨にヒビが入る音だ。

 二メートルほど吹き飛んだ。

 キャアアァァ! という春日さんの悲鳴。

「ご、ごめんなさいいい!」

 作業着の男性が涙声で叫ぶ。よく見れば昼間会った方と同一人物だ。一日中台車で鉄パイプを運ぶ作業をしてご苦労なことである。

「いえいえ全然大丈夫ですよ。余所見をしていた僕も悪いですし」

 すっくと立ち上がり、白い歯を見せた。

「大丈夫じゃないでしょう! 血が滝みたいですよ!」

 千代美先輩と春日さんが駆け寄って来た。

 他店の店員や残っていたお客さんたちも集まってきてしまう。

「火野くん! 死なないで! 死なないで!」

「か、春日さん!?」

 春日さんが僕の胸に顔を埋めてきた。

 普段はおとなしすぎるくらいだけど、感情が高ぶるとなかなか大胆な行動に出る所がある。やはり春日さんは面白い人だ。僕はちゃっかりと彼女の背中に手を回した。

「と、とにかく救急車呼びましょう!」

 作業着の男性は真っ青な顔をしている。

「いえ。大丈夫ですよ。学校に戻れば保健室がありますので」

「せ、せめて止血を!」

「ああ。確かにそうですね。このままだと売り場を汚してしまいます」

 血はボタボタと垂れ続けている。鉄の臭いがすごい。

「春日さん」背中をポンポンと叩きながら呼びかけた。「絆創膏的なモノはお持ちでないでしょうか?」

「は、はいいい! 持ってきます!」

 春日さんは半泣きになりながらレジ裏に走り、カバンからポーチを取り出した。僕の側頭部にハンドタオルを当て、それから大きな絆創膏を貼ってくれる。顔が近くて少々ドキドキした。

「ありがとうございます。これ。洗ってお返ししますね」

 止血に使ったハンドタオルを手に取り、

「じゃあ。ちょっと保健室行ってきます」

 スタスタと歩き、下りエスカレーターに向かう。

 みんながわりとモロ聞こえな音量で僕について噂していた。

「すげえなあいつ。あんなに血を流しながらあの笑顔」「鉄人だ」「っていうかゾンビか?」「そんで工事のおっちゃんに怒りもしねえ。ゾンビっていうか聖人だ」「神だよ神」「私あの人になら抱かれてもいいわ! 男だけど」

 ――僕はみんなが言うような鉄人でもゾンビでも聖人でも。ましてや神なんかでもない。ついでにホモでもない。ただちょっとだけ。

『ドM』なだけなんだ。

(出血ってやっぱりキモチいいな)

 このクラっとくる感じや鉄の匂い。毎日だと体がモたないが。たまにはいいものだ。

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