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 今度の大会に行くことは、いろいろな意義があるようだ。部室に戻ると、三つの盤で六人が対局をしていた。

美しい光景だと思った。

 一人余った僕は、詰将棋の本を開いた。あの日と同じ、五手詰めの本だ。もう二周ぐらい解いたけれど、時間ができるとこの本を見たくなるのだ。いいことが起こりそうな気がする。

「将棋、好きなの?」

 あの日の声が聞こえてくる。本の中で、波が揺らめき始めた。ついに、図面自体が海に見えるようになってきたようだ。

 将棋という心地の良い海の中で、仲間たちと過ごす。僕は今、本当に幸せだと思った。



「あれ、早いっすね?」

「え」

 寮の入り口で会った青田が、目を満丸くして僕のことを見ている。ただ図書館に寄ってからなのでいつもより遅いぐらいで、何のことやらだ。

「いや、さっき十字路で荷物持ってるの見かけましたよ。どこかに出かけるのかと思って」

「何言ってんの。ずっと学校いたよ」

「そうっすか……おかしいなあ。制服も着替えてたんで、あれって思ったんすよ」

「……」

 そそっかしい青田のことだから、と思えなくもない。見間違いをしたのだろう、というのが常識的な線だ。ただ僕には昔からこういうことがたまにあって、原因が同じだとするとちょっと困った事態ということになる。

「まあ、俺の勘違いっすね。すいません」

「あのさ、そいつ……青い鞄じゃなかった? 丸い感じの」

「あ、そうそう、そうでした。あれ、やっぱり高嶺先輩だったんですか?」

「いや……俺じゃ、ない」

 僕は携帯を取り出し、着信を確認する。連絡はない。いったいどうつもりなのかはわからないけれど、放っておくわけにもいかない。

「悪い、これあずかっといて」

「え、あ、はい」

 青田に荷物を押し付け、僕は元来た道を引き返した。



 食事を始めて十分。三人は空腹で仕方がないかのように、黙々と食べ続けていた。僕と崎原は、時折視線を上げて様子をうかがっていたが、風は決してこちらを向かなかった。

 蜜さんにも連絡したのだが、こんな時に限ってパーマを当てているらしい。「明日まで秘密にしとこうと思ったのに」とちょっと不満そうだった。崎原に手伝ってもらい、何とか風を見つけたのはグラウンド横のドミトリーと呼ばれる安ホテル。玄関から覗くと、丁度風がチェックインするところだったらしい。

 とりあえずここまで連れてきて、僕も合流した。何となく予想はしていたのだが、風の姿を見てため息をつくしかなかった。着ている服は黒いジャケット。僕のだ。家に置いてきたと思ったけれど、風は持ち出していたらしい。髪は短く刈られて、もみあげを少し長めに残している。僕と一緒だ。

 昔から、時折風はこうなる。逆の場合もある。むしゃくしゃした時、切なくてどうしようもない時、色々なものを持ち出し、相手になりきろうとする。一瞬、自分の内にあるいやなことを忘れられるのだ。ただ、問題は何も解決しない。

「三人でこうやって話すの、初めてかも」

 沈黙を破ったのは崎原だった。視線は窓の外だ。近くにバスターミナルがあり、大きな音を立てて古いバスが出入りするのが見える。

「そうかな」

「そう。不思議な感じ」

 風はコップを両手でつかみ、そちらに視線を落としている。僕と崎原を前にして、恥ずかしさがこみ上げてきたのかもしれない。しかし恥ずかしいのはこちらも同じだ。自分が目の前にいるようなものなのだから。

「風……明日はどうするのさ」

「……」

 風は唇を噛んでいる。宿をとっていたということは、明日もこちらにいるつもりということだ。

「学校はどうするの?」

「……辞めたい」

「じゃあ、辞めるか」

 僕の言葉に、唇を曲げて鼻をひくつかせる風。止めてほしいに決まっているのだ。

「明日……遊びに行こうか」

 崎原の言葉に、僕も首を曲げてしばらく凝視していた。おそらくおんなじ顔で二人、目を満丸くしていることだろう。

「崎原、何で……」

「風君、嫌なの?」

「そ、そんなことはないけど」

「だいたい風君は最初からサボるつもりだったんでしょ。私がサボれないなんてずるい」

「いや、そう言われても……」

「じゃあ俺も」

「了君はダメ」

「え」

「ややこしくなるから」

 何も言えなくなった。崎原の強い意志が感じられたからだ。僕の知らない、二人の間だけでわかる感情というものがあるのかもしれない。

「いいよね、風君?」

「……わかった」

 少しだけ、風の顔がゆるんだ。それは、僕には似ていない表情だった。


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